宿場町
宿場町は幕府より伝馬朱印状を受けている正式な宿。宿場町ミニ用語集
しかし現在は伝馬制度がないのでかつての宿には泊まることはできない。栄枯盛衰、現代の宿場に泊まるしかなかろう。
なお宿場の情報は「東海道宿村大概帳」からいただいた。
日本橋 日本橋が宿場町か?という疑問はあるが、まあ出発地点だから載せたっていいんじゃないか。今も華やかな日本の中心。 |
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三越のシャッターに「駿河町」 |
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東京市道路元標 |
日本橋の見事な彫刻 |
高札場跡あたりに立つ 日本橋のプチ広場 |
少し先の「さくら通り」 お江戸の雰囲気だ |
品川宿 日本橋を出ると最初の宿場町、長大な規模を誇る。上方からの旅人にとってはもうあと少し元気を振り絞ったエリアか。ここで江戸に入る前に着替えをした人も多かったと聞いた。歩行新宿、北品川、南品川から成る。 本陣2軒(うち1軒は江戸中期に廃業) |
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歩行新宿のあたりの道標 |
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北品川にあたる旧街道 |
品川宿本陣跡 |
品川橋から見た西側方向 |
脇本陣は今や銀行 |
街道の松 浜松からの贈り物らしい |
問屋場跡付近 |
川崎宿 多摩川を渡しで越えたすぐ先に構える宿場町。少々都市化し過ぎていて情緒も何もないが、元々そうだったのかもしれない。 本陣2軒、旅籠72軒、戸数541戸、人口2,433人 |
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江戸方の入り口付近 |
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田中本陣跡 |
宝暦の大火で宿は全焼した |
中の本陣跡 |
問屋場跡、中の本陣の向い |
佐藤本陣跡 |
京方入口、関札の見本もある |
神奈川宿 県名にもなったエリア内最大宿、景観も良く湊もあって賑わったようだ。 本陣2軒、旅籠58軒、戸数1,341戸、人口5,793人 |
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江戸方にあった桝形付近、 オランダ領事館の跡でもある |
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復元高札場、今で言えばさながら ポータルサイトのようなもの |
元々の高札場、問屋場が この辺りに向かい合ってあった |
神奈川宿の中心、滝の橋 |
本陣跡の案内、実際2か所の本陣ともこの場所ではない |
神奈川から遠望した現在の横浜駅付近 |
京方の出口付近である上台橋 から東を見る、かなり上っている |
保土ヶ谷(程ヶ谷)宿 武蔵国最後の宿、帷子川がランドマーク。人の活気がある街で住みやすそう。 本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠67軒、戸数558戸、人口2,928人 |
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芝生(しぼう)追分、八王子道との分岐 |
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江戸方の見附跡 |
旧帷子橋跡、付け替え前の帷子川は 天王町駅の南側を流れていた |
問屋場跡(といやば) |
高札場跡 |
本陣跡 代々苅部家が務めた |
本金子屋という旅籠跡 貴重な文化財だ |
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戸塚宿 日本橋から十里にあたる地点、ちょうど平均的な一日の歩行距離にあたるので宿泊客が多かった。 本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠75軒、戸数613戸、人口2,906人 |
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江戸方見附 |
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三つあった問屋場のうちのひとつ 郵便局があるのがうなづける |
戸塚駅の踏切 やがてなくなるらしい |
澤邊本陣 |
本陣付近の道、慢性渋滞のようだ |
高札場跡付近 |
上方見附 |
藤沢宿 遊行寺を擁すメジャーな宿場、そのわりには小規模だったようだ。一泊目を一つ手前の戸塚でとってしまうことが大きかったのか。 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠45軒、戸数919戸、人口4,089人 |
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江戸方見附跡 |
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遊行寺橋(かつての藤沢橋) |
蒔田本陣跡から旧街道を望む |
重厚な雰囲気の伊勢山橋 |
京方見附跡 |
平塚宿 街道のなかでは比較的新しい成立と言われている。普段歩いている人が少ないが七夕はかなり盛り上がる。 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠54軒、戸数443戸、人口2,114人 |
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江戸方見附のモニュメント |
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脇本陣跡 |
高札場跡 |
東組の問屋場跡 |
銀行の前にある本陣跡 |
本陣付近の街道 |
京方見附跡 |
大磯宿 ロングビーチのイメージが強いが江戸期は平塚よりも大きな宿場町、湘南という地名発祥の地とも云われる。自慢のビジュアル案内板の出番だ。 本陣3軒、旅籠66軒、戸数676戸、人口3,056人 |
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現存する虚空蔵堂 かつて寺領傍示杭がありこの先が大磯 |
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江戸方見附跡 |
虎御石 |
北組問屋場跡 |
小嶋本陣前 |
本陣前の街道 3軒の本陣が近くにあった |
南組問屋場跡 |
高札場跡 |
京方見附跡 |
小田原宿 箱根越えと酒匂の渡しを控える一大宿泊地、街道中随一の本陣等の規模を持つ。明治期に当初鉄道が来なかったため焦ったかも…。 本陣4軒、脇本陣4軒、旅籠95軒、戸数1,542戸、人口5,404人 |
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清水本陣跡 少し前までは旅館だったらしい |
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高札場跡付近 小田原では案内板が立っていない |
久保田本陣跡付近 |
問屋場跡付近 |
本陣前の旧街道 今も主要道路だ |
松原神社 小田原の大切な鎮守社 |
ちょっと足を延ばすと北条氏の お墓をみることができる |
箱根宿 最大の難所箱根越えの宿場町、作物が採れない地のため維持するのは大変だっただろう。現在はクルマでサッと来て帰ってしまう場所となっている。 本陣6軒、脇本陣1軒、旅籠36軒、戸数197戸、人口844人 |
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まずは関所を通らないと 宿場に入ることができない |
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本陣はふやの楓 |
本陣はふやに建つ箱根ホテル |
はふや跡前の街道 クルマが混み過ぎ |
芦川の集落も含めて この辺りまで宿場域内のようだ |
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三嶋宿 箱根を越えてきた後に着く最初の宿場町、多くの旅人が宿をとったことだろう。小田原から数えて2つめの町、新幹線と同じだ。 本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠74軒、戸数1,025戸、人口4,048人 |
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江戸方の見附跡らしいが 延絵図では見当たらない |
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高札場だった大社前 |
宿内唯一の問屋場 |
樋口本陣跡 世古本陣の向かいにある |
世古本陣跡 |
本陣近くは大渋滞 |
境川橋、この手前数十mに 京方の見附があった |
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沼津宿 三嶋宿からほどなくして到着する海の幸の町。中心を流れる狩野川は伊豆から北上してくる珍しいルートをたどる。 本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠55軒、戸数1,234戸、人口5,346人 |
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この辺りが江戸方見附の場所 |
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川廓通りの入り口 |
三枚橋城の堀跡付近 |
問屋場跡 |
高田本陣跡 |
中村脇本陣跡 |
清水本陣跡 |
間宮本陣跡 |
京方見附付近 出口町という地名 |
原宿 現在は沼津市の一部だが、伊勢宗瑞ゆかりの興国寺城を擁する観光の町だ。 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒、戸数398戸、人口1,939人 |
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東木戸跡 西木戸までは約2.2kmあった |
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白隠禅師の生誕地 |
浅間神社前の高札場跡 |
問屋場跡 |
渡辺本陣跡 建坪235坪たっだという |
本陣前の旧街道 |
足を延ばせば興国寺城址 伊勢宗瑞の躍進足がかりの城だ |
吉原宿 津波で数度場所を変えたことがある。宿場町としての情報発信など町として意欲的に活動している。 本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠60軒、戸数653戸、人口2,832人 |
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東木戸跡付近、 はるか先に岳南鉄道の踏切が見える。 |
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野口脇本陣は現在カメラ屋さん (^^) |
お菓子屋さんも元は脇本陣銭屋 |
神尾本陣跡 面影がまるでない |
鯛屋旅館、元の旅籠屋 |
少し寂しい中心街 |
西木戸跡 クルマしか走っていない |
蒲原宿 宿場町の雰囲気をよく残していて観光スポットとしても人気が高い。外国からの客も目立っていた。 本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠42軒、戸数509戸、人口2,480人 |
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東木戸跡 枡形の跡が残る |
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問屋場跡前 |
西(平岡)本陣跡 |
本陣前の街道 静かな佇まいだった |
高札場跡 |
志田邸 国の登録文化財だそうだ |
西木戸跡 ここまで1キロ強あった |
由比宿 本陣が観光物産館的に機能していた。桜えびで町おこしだ。 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠32軒、戸数160戸、人口713人 |
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東木戸跡 枡形の痕跡がみられる |
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本陣跡 整備、公開されている |
脇本陣温飩屋 三軒あって交代で務めた |
問屋場跡 |
羽根ノ屋脇本陣 |
徳田脇本陣 |
西木戸跡付近 |
興津宿 身延へ至る街道との交差点、薩埵峠を東にいただき交通の要衝だ。多くの旅人が峠越えの後に一息ついたのだろう。 本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠34軒、戸数316戸、人口1,668人 |
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身延道の分岐点 |
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興津宿公園 宿場の東木戸付近にある |
東本陣跡 |
東本陣付近の道路 静かな雰囲気だった |
脇本陣水口屋 |
西本陣跡 |
清見寺 家康、朝鮮通信使ゆかりのお寺 |
江尻宿 武田の造った城下町、海産物の陸揚げも多い。静岡に向かってもう一息、かなり大きな宿場町だ。 本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠50軒、戸数1,340戸、人口6,498人 |
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東木戸跡 当時は道がくの字に曲がっていた |
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翁屋脇本陣跡付近 ここで街道は直角に右折する |
羽根本陣跡付近 |
寺尾本陣跡付近 |
寺尾本陣跡前の街道 クジラがお出迎え |
橋本本陣跡付近 |
魚町交差点 高札場、問屋場が付近にあった |
府中宿 旧街道中桁外れに大きな宿、現在も大都会だ。今川家と徳川家によって発展した。 本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠43軒、戸数3,673戸、人口14,071人 |
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春日一丁目の歩道橋下に 宿場の説明がある |
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久能山への道 |
下伝馬の本陣跡 |
上伝馬の本陣跡 |
上伝馬の本陣付近 まだ誰もいない時間 |
札ノ辻、高札場があった |
川越町、このあたりが 京方の見附があったらしい |
丸子(鞠子)宿 宇津ノ谷を控えしっかりと休みたい場所にある。意外と史跡として保存されているものあまりがなかった。 本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠24軒、戸数211戸、人口795人 |
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江戸方の見附跡付近 |
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問屋場跡 |
本陣跡 |
本陣付近の旧街道 |
脇本陣跡 |
七里役所跡 紀州藩の飛脚継立所 |
丁字屋は当時の体裁を保っている |
岡部宿 江戸方の入り口は山あいの宿場町という雰囲気、時間が止まったような錯覚を覚えた。 本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠27軒、戸数487戸、人口2,322人 |
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江戸方の木戸付近 柏屋が見えている |
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大旅籠柏屋 資料館にもなっている |
柏屋のハス向かいは仁藤本陣跡 まったく痕跡なし |
もう一つの内野本陣跡 きれいに整備されている |
問屋場跡 二か所あったらしい |
高札場跡付近 |
西木戸跡、枡形だ かねんてと呼ばれていた |
藤枝宿 藤枝駅からはかなり距離のある場所が宿場の中心。長大な商店街が往時の隆盛を偲ばせる。 本陣2軒、旅籠37軒、戸数1,061戸、人口4,425人 |
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領主番所跡 東木戸跡でもあるらしい |
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焼津湊への分岐点 濱小路とは粋な名前 |
ここから先が下伝馬とある 問屋場が近そうだ |
ふたつの本陣跡が続けてあった 案内タイルが藤枝の特長 |
本陣付近は静かだった |
問屋場跡は何と交番 |
この付近が西木戸 |
嶋田宿 眼前の大井川が川止めとなれば連泊は必定、そうとう賑わったであろう。宿場町として観光案内にも熱心だった。 本陣3軒、旅籠48軒、戸数1,461戸、人口6,727人 |
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江戸方見附の少し先 見附は枡形だったらしい |
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問屋場跡付近 碑が撤去させられていた |
下本陣付近 |
島田陣屋跡 下本陣から少し右に入る |
中本陣、下本陣付近 並んで建っていた模様 |
本陣前の旧街道 道がきれいに整備されている |
大井神社 高札場や西木戸らしい |
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金谷宿 遠州の玄関口、国境が大河で隔てられているのはこの場所くらいだろうか。中山越えをひかえてゆっくり休みたい気持ちをそのまま受け止めてくれるような町だった。 本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠51軒、戸数1,004戸、人口4,271人 |
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この橋から先が宿内 |
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佐塚本陣跡 現代は佐塚書店となっている |
柏屋本陣跡 |
柏屋本陣前の旧街道 |
七里役所跡 紀州藩御用達の飛脚 |
問屋場跡 |
金谷大橋 京方の木戸となっている |
日坂宿 中山越えが終わると迎えてくれる宿場町、歴史のはざまに住んでいる方々の誇りと優しさを感じた。何度でも訪れたい町のひとつ。 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠33軒、戸数168戸、人口750人 |
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本陣跡、立派な門が残っている。 敷地がそのまま空き地になっている |
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本陣前の旧街道 |
脇本陣の黒田屋 |
高札場跡、当時を偲ばせる |
西木戸付近 |
掛川宿 城下と宿場が一体となっている珍しい町、中心部は整備事業でとてもきれいになっている。天守や掛川七曲りなど見どころが多い。 本陣2軒、旅籠30軒、戸数960戸、人口2,443人 |
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まずは「七曲り」がお出迎え 東番所付近 |
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城の大手門へ続く道 |
本陣付近の旧街道 |
本陣跡付近 案内もなく跡形もなかった |
問屋場付近 おおよその位置と思われる |
袋井宿 街道の中間点ということもあり「東海道まんなか」で町おこしをしている。イベントや各施設の紹介など地域ぐるみの盛り上がりが感じられる。 本陣3軒、旅籠50軒、戸数195戸、人口843人 |
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どまんなか茶屋が宿場の入口 |
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東本陣跡 |
本陣付近の街道 |
宿場公園 |
問屋場跡 |
中本陣・西本陣跡 ひっそりと碑が建っている |
西木戸跡 高札場もここにあった |
見付宿 東海道本線から離れているため街道ルート自体は当時を残しているが、道路工事に金をかけ過ぎている感は否めない。旧跡が多く見どころ満載。 本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠56軒、戸数1,029戸、人口3,935人 |
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傍示杭 ここから先が見付宿 |
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東木戸跡 |
脇本陣跡 |
脇本陣の大三河屋の門 移築先から戻って復元された |
本陣付近 |
本陣跡 |
西木戸跡 モニュメントが結構立派 |
浜松宿 日本最大の企業城下町と言っても過言ではない、浜松城を中心に各工場が支城のように展開する。ここまで来ると東海地方の香りが感じられる。 本陣6軒、旅籠94軒、戸数1,622戸、人口5,964人 |
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江戸方の入り口付近 その名も木戸町 |
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道路の向こうが高札場跡 英語で掲示板の場所だって |
佐藤本陣跡 |
佐藤本陣前の旧街道 浜松は大都会だ |
杉浦・川口本陣 案内板が道路に背を向けて建っている |
梅屋本陣跡 伝馬町の交差点角にある |
成子の交差点先が雄踏街道 西木戸付近らしい |
舞阪(舞坂)宿 浜名湖を臨む景勝地、宿場の先から船に乗って湖上を渡る。今切の鳥居が美しかった。ここを避けて姫街道を行く女性が多かったという。 本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠28軒、戸数541戸、人口2,475人 |
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江戸方見附跡 見附石垣が復元されている |
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宮崎本陣跡 |
本陣前の旧街道 |
脇本陣だった資料館 |
本雁木跡から鳥居を望む 新居へ向かって出航した場所 |
新居宿 舞阪から航路でたどり着くのが新居の関所。現在は関所までの間も埋め立てられている。時間があれば小松楼も寄ってみたかった。 本陣3軒、旅籠26軒、戸数797戸、人口3,474人 |
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関所が東の入り口 |
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高札場のモニュメント |
紀伊国屋 紀州藩用の旅籠だった |
三軒の本陣が並んでいた ①③疋田②飯田本陣 |
棒鼻跡 しっかりと枡形の雰囲気がある |
白須賀宿 かつて海沿いにあった宿場が津波で壊滅した後、高台移転した宿場町。その坂が列車で登れないため東海道本線から外れてしまった。おかげで当時の面影を残す味わいのある町である。 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠27軒、戸数613戸、人口2,074人 |
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元々の宿場から潮見坂へ ここから移転後の宿内へ登る |
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大村本陣跡 |
本陣前の旧街道 静けさが際立っていた |
脇本陣跡 |
問屋場跡付近 今でも白須賀の中心 |
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二川宿 宿場町を前面に出してアピールしている町。途中の道があまりにも何もなかったため到着すると安堵感が湧いてくる。JRの駅がキレイになっていた。 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠38軒、戸数328戸、人口1,468人 |
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枡形のようになっている 東木戸跡かもしれない |
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現存する本陣の威容 貴重な文化財 |
本陣付近の道は静寂だ |
高札場跡 この付近も枡形のようだ |
大岩町郷倉跡 どうやら西木戸ではないか |
吉田宿 現在は三河地方最大の都市、新幹線の駅もあり何かと名物も多い。伊良湖にも通じていて愛知県の隠れた観光スポットでもある。 本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠65軒、戸数1,293戸、人口5,277人 |
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東惣門 吉田城の惣堀にあったらしい |
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問屋場跡 |
札木、高札場を連想させる地名 街道はそこを横切る |
本陣跡はうなぎ屋さん |
本陣付近の旧街道 当時の宿内最大の繁華街 |
上伝馬町で右折する 曲がり角の道標 |
西惣門 |
御油宿 列車やクルマの音が届かない静かな宿場町。音羽川の桜はさぞ美しいことだろう。 本陣2軒、旅籠62軒、戸数316戸、人口1,298人 |
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姫街道に分岐する入り口付近 から少し入った地点 |
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音羽川の眺め 桜の季節が美しそう |
本陣跡 |
本陣前の旧街道 |
関札のレプリカが立つ |
赤坂宿 御油から間もない場所にあり御油と共に宿場の花で有名だったようだ。御油や赤坂の広重の絵を見ればなんとなくわかる気がする。 本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠62軒、戸数349戸、人口1,304人 |
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江戸方見附跡 |
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本陣跡、見事な門 間口が30m以上あったとのこと |
赤坂紅里の十字路にある 高札場のモニュメント |
ここに実際高札場があった |
高札場跡向かいの赤坂宿休憩所 それなりの造りになっている |
赤坂陣屋跡 天領だったようだ |
赤坂の舞台、説明がない 今風に言えばTBS? |
藤川宿 浮世絵から見付(棒鼻)のイメージが強い宿場町。本陣跡地の整備など保存活動に積極的、歩いていると時が止まったような錯覚に陥った。 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠36軒、戸数302戸、人口1,213人 |
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藤川と言えばこれ 東棒鼻跡 |
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歴史あり過ぎの人形店 |
問屋場跡 |
目下本陣広場建設中 |
付近の旧街道 |
立派な脇本陣跡 このうえ本陣まで必要だろうか |
西棒鼻跡 |
岡崎宿 三州最大の宿場町、曲がり角だらけの超防衛都市。東海道本線を拒否したためどこが中心部だかよくわからない。そのせいかクルマ以外動いているものが見当たらない。 本陣3軒、脇本陣3軒、旅籠112軒、戸数1,565戸、人口6,494人 |
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東本陣跡 花屋さんになっている |
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復元された道標 あわ雪の備前屋の前に立っていた |
西本陣跡 |
西本陣付近の道路 |
城跡付近は綺麗に整備されている |
知立(池鯉鮒)宿 尾張に近づいてきた感のある三州最後の宿場町。平成の大合併をよそにまったく市域を変えていないマイペースの自治体であり岡崎や豊田と対極を行く。 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠35軒、戸数292戸、人口1,620人 |
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東木戸付近 |
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問屋場跡 |
本陣跡 碑はなぜか裏口方向にあった |
本陣前の旧街道 |
西木戸付近と思われる この先は古城跡だそうだ |
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鳴海宿 かつて愛知郡にあった鳴海町だったが現在は名古屋市に組み入れられている。桶狭間の合戦時には重要な舞台となった。名古屋市内にあっては比較的のどかな佇まいである。 本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠68軒、戸数847戸、人口3,643人 |
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かねんてのすぐ先にある 問屋場跡 |
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高札場跡付近 |
少し離れたところにある 高札場の復元モニュメント |
本陣跡 |
本陣跡前の旧街道 |
このあたりがもう一軒の 問屋場跡らしい |
丹下常夜燈 宿場の西木戸付近か |
宮宿 府中宿に次ぐ旧街道中の大都市、当時ここから先は七里の渡しで桑名へ向かう。現在はないので脇街道である佐屋街道を選択した。熱田神宮では天叢雲剣や信長塀など見どころも多いが、もちろん天叢雲剣は見ることはできない。 本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠248軒、戸数2,924戸、人口10,342人 |
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宮宿の入口付近 先に名鉄のガードが見える |
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白本陣の跡付近 |
伝馬町 宮宿の中心街だ |
赤本陣跡 現在は隣で鰻がいただけます |
旧家の並ぶ渡船場前 |
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桑名宿 宮からも佐屋からも舟でたどり着く本多忠勝の城下町。忠勝は最近ゲームで有名になりあまりに現実離れしている感はあるが、桑名だけにその手は食わない。また見附が厳重なので別に載せたい。 本陣2軒、脇本陣4軒、旅籠120軒、戸数2,544戸、人口8,848人 |
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七里の渡しを終えてようやく到着 |
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脇本陣跡の山月 |
大塚本陣跡に建つ料理屋さん |
本陣前の風情 |
問屋場跡 |
四日市宿 工業地帯、ぜんそくなど近代化のイメージがあるがしっかりと宿場町である。湯の山や伊勢への道があり交通の要衝で北勢の中心都市。 本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠98軒、戸数1,811戸、人口7,114人 |
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三滝橋を過ぎるとすぐ脇本陣跡 |
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問屋場跡付近 |
清水本陣跡付近 |
四日市代官所跡 |
黒川本陣跡 |
宿の中心、諏訪神社 |
この付近が宿場の西入口か |
石薬師宿 農村が宿場に発展した石薬師はお寺の名前が宿名となった珍しいケース。地元出身の歌人佐佐木信綱を観光の目玉にしている。 本陣3軒、旅籠15軒、戸数241戸、人口991人 |
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江戸方入口付近の延命地蔵 |
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小澤本陣跡 |
本陣跡前の旧街道 |
問屋場付近か |
瑠璃光橋で国道を渡る |
庄野宿 石薬師宿からさほど歩かないうちに到着する周囲を水田に囲まれた集落。石薬師宿と同様静かな佇まいの宿場町である。 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠15軒、戸数211戸、人口855人 |
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右左折を繰り返し宿内へ |
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市指定の建造物、小林家住宅 |
本陣跡付近 |
本陣前の静かな旧街道 |
高札場跡 |
宿の中心、川俣神社 |
この案内が宿場の西入口か |
亀山宿 関西本線と紀勢本線が交差する交通の要衝。亀山城下に広がる宿場町だが思ったほど大きな宿場町ではなかったようだ。 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠21軒、戸数567戸、人口1,549人 |
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東の入口、江戸口門跡 |
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樋口本陣跡付近 |
本陣跡前の旧街道 |
亀山城大手門跡 |
高札場跡 |
問屋場跡、断崖の上 |
京口坂とは西の入口か |
関宿 東海道中もっとも当時の趣を残す知る人ぞ知る観光スポット。地元の方々の努力なしでは今の時代まで保つことは大変だったであろう、ぜひ徒歩で訪れたい。 本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠42軒、戸数632戸、人口1,942人 |
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東追分、左へ伊勢別街道 |
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行列送迎の場、御馳走場 |
問屋場跡 |
伊藤本陣跡 |
旅籠玉屋、現在は泊まれない |
高札場 |
西追分、大和街道分岐点 |
坂下宿 山あいのわずかに開けたところに立地するのどかな宿場町。江戸期には当初もっと先の鈴鹿峠近くにあったが、洪水で壊滅し今の場所に移転したという。 本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠48軒、戸数153戸、人口546人 |
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宿の東側入口付近 |
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松屋本陣跡付近 |
松屋本陣前の旧街道 |
大竹屋本陣跡 |
梅屋本陣跡 |
小竹屋脇本陣跡 |
金蔵院跡、家康が休んだとか |
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土山宿 近江最初の宿は鈴鹿越えした旅人を迎える癒しの宿である。到着した時は残雪の中冷たい雨が降っていたが当時も厳しい環境だったのではないか。 本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠44軒、戸数351戸、人口1,505人 |
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森鴎外の宿泊した平野屋 |
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二階屋本陣跡 |
問屋場跡 |
問屋宅跡に建つ立派な建物 |
土山家本陣跡 |
本陣前の街道、素敵な街燈 |
大黒屋本陣、高札場跡 |
水口宿 宿場の西側に城下町を擁する水口は比較的大きな宿場町だった。現在も趣のある通りが幾筋も残っていて味わいのある街である。 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠41軒、戸数692戸、人口2,692人 |
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江戸方見附跡 |
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本陣跡 |
脇本陣跡付近から本陣方向を望む |
あえて掲載 |
問屋場跡 |
石部宿 今日まであと十里ほどに位置する宿場町。そのためか京発の東下り旅では最初の宿泊地になることが多く繁盛したであろう。ここではお堅い宿場で飯盛女はいなかったそうだ、石部金吉の面目躍如といったところか。 本陣2軒、旅籠32軒、戸数458戸、人口1,606人 |
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高札場跡は広場 |
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問屋場跡 |
いしべ宿驛(資料館) |
小島本陣跡 |
本陣跡前の街道は真っ暗 |
鉤の手道、いわゆる「かねんて」 |
西見付跡 |
草津宿 中山道との合流地点にある交通の要衝、現在も草津線と東海道本線が交わる。東海道本線という名の中山道鉄道と宮宿以来ようやく再会する。町あげての保存活動も集客効果を上げている。 本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠72軒、戸数586戸、人口2,351人 |
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東入口に建つ道標 |
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中山道合流地点、高札場も見える |
田中本陣跡 |
本陣前の旧街道 |
藤屋脇本陣跡 |
問屋場跡付近、政所と言われた |
京方入口黒門のあった付近 |
大津宿 街道きっての大都市、市街地もほぼ現在と同じくらいの規模を誇ったのか。琵琶湖の水上交通を一手に引き受け叡山にも近く物流・情報の重要な交差点だったのではなかろうか。大津宿を出るともう京の気配が漂ってくる。 本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠71軒、戸数3,650戸、人口14,892人 |
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滋賀県庁近くは東の入口 |
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旧街道の面影が残る |
札の辻、高札場もあった |
大塚本陣跡 |
本陣付近の街道 |
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