豆州

東海道の通過する旧国ではもっともわずかな距離しかない伊豆国、しかし密度は濃い。
観光スポットも多く旧街道の保存、整備にも熱心で、気持ちよく旅のできるエリアである。

いまだ山の中

茨ケ平 兜石坂
箱根峠を越えたからと言ってすぐに下り坂になるわけではないところが箱根の大きさを物語る。ここのあたり茨ケ平といい現在の道路脇は茨で密閉されているような状況。
道路から旧街道へ一歩入るとこんな感じ。どうやら兜石坂はここのようだ。ほとんどトンネルみたい。あまりのすごさにすれ違った旅人の方も呆然としていた。
接待茶屋 吉宗
接待茶屋跡の案内がある。割石坂の茶屋から結構距離が離れている。前回もそうしたので今回も少し休もう。こういう目印は休憩や目標になるので助かる。
しばらく行っていったん国道に合流するが、ほどなく一里塚を左に見るようにして山道へ右折していく。森に入ってすぐに徳川有徳つまりは吉宗の何か碑があった。
かぶと石 農場前
さらにまた「かぶと石」を発見。本当はさっき通った兜石坂にあったらしいが道路工事のためこちらに移動したとのこと。小田原攻め時に秀吉が兜を置いたとあったが、それは作り話としておそらく形から名前がついたのでしょう。
しばらく森の中を進んで行ってようやく視界が開けたと思ったら、何と民家の庭先のような場所を通って国道に出た。ちょっと拍子抜け。
雲助徳利の墓 山中城
再度森の中に入り少し行ったところに雲助徳利の墓がある。 お酒の大好きな元武士に雲助仲間が徳利と盃を彫ったお墓を建ててあげたとか、筆者もそうして欲しい…、
お酒のお墓からすぐに国道に出て反対側が山中城址である。しかしここの道路は若干カーブしていることもあり交通量も多くとても危険、面倒だけど歩道橋を渡った。
山中城 笹原
13:32
せっかくだから城址を見物して行こう。小田原城の出城とはいえかなり伊豆に突き出た位置関係にある。氏康時代には機能していたんだろうけど…。いろいろ見ているうちに30分も居座ってしまった。
城址の出丸下に沿って進み国道に出たら今度は工事中の看板が。こんなところ工事しなくてもいいから被災地の復旧のほうに回してくんないかな。などと勝手なことを思ったけど工事のおじさんには罪はないのでおとなしく国道沿いに歩く。
自然美 こわめし坂
あちらこちらで工事をして地面をひっかきまくっている。こうやって見ると自然の作る曲線がいかに美しく、人間の作る直線がいかに無表情であるかを感じる。
一里塚を通過しようやく国道以外の舗装路に戻ってきたら今度は恐ろしいほどの急坂。下りだけど一歩間違えばどこまでも転がっていきそう。疲労した膝にこたえる。手前の案内板にこわめし坂って書いてあった。
富士の稜線
里に下りてきた感じがするような景色なってきた。富士の稜線が美しい。
路線バス 坂小学校
おっ、ローカル路線バスだ!
それじゃテレ東の土曜スペシャルでしょ (^^)
まっすぐバス通りを下っていくと道は左へカーブする。そこを旧街道は直進。相変わらず坂が続くなと思ったら直進した先にあった学校は坂小学校という名前らしい。
七面堂 題目坂
足利尊氏の建てた七面堂とやらの跡。まったく痕跡はないが建てたのは大工さんでしょ。
ずいぶんと道を狭くしてしまっている。道路の保全のためにブロックで固めてあるのだろうが、もう少しほかのやり方はないのだろうか。
題目坂 臼転坂
途中からは階段になり一気に通りに出る。降り切ってから来た道を撮ってみた。無理やり道を付けたような感じが否めない。
もう森の中に入っていく道はないと安心しきっていたところへ分岐に遭遇。よそ見していたら見逃していた。どの地図にも載っていないぞ、しかし案内板をよく見るとやはり旧街道だ。ここを行こう。
臼転坂 臼転坂
雑草伸び放題、クモは巣を作り放題。人が歩いた痕跡がない。しかしその先は旧東海道的な道の雰囲気が見えている。
国道に合流しそうだけどなんかもう道になっていない。案内板に臼転坂となっていた。こっちが転びそうだわ。
臼転坂 箱根西坂碑
降り切ってから歩いてきたり道を振り返って撮影。とんでもない登り口だけどさっきの江戸側から来て見る登り口よりはまだわかりやすい。
国道と並走する道を下りていくと再度国道と合流するところに箱根路の石碑が。とうとう箱根を歩き切った。

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箱根八里を終え三島宿へ

錦田石畳 錦田一里塚
箱根路の石碑からしばらくは国道を歩くことになるが、国道の脇に石畳が復元されていて旧街道を偲ばせる。しかし箱根越えをした者にとってはこの石畳が足にこたえるので淵の石畳のないところを歩く。ちなみに国道は自動車が半端なく渋滞していた。
錦田一里塚。道の両側に残る数少ない一里塚で迫力がある。江戸の旅人もここを見て箱根の山越えが終わったことを実感したことだろう。
初音バス停 五本松交差点
15:45
初音入口というバス停でしばし休憩、椅子も屋根もあって旅をする者にとってはありがたい。ただ自動車が多くて渋滞しているのであまりに空気が悪く耐えられなくなった。ただ空気悪いといっても日本なのでほかの国に比べればましなほうだろう。
ここ五本松の交差点で国道と別れ三島宿方向へ進んでいく。五本松交差点にある石碑を見ていたら隣接する家の住人から「何してんねん」って感じでジロジロ見られた
┐(´-`)┌
宝鏡院 新町橋
宝鏡院、二代将軍足利義詮の墓所があるという。確か彼は京都で亡くなったと思ったが説明板を見るとこの寺を興しているのも当人のようだ。いわばゆかりの地なのだろうか。
宝鏡院から街道に戻るとすぐに新町橋を渡る。この大場川はやがて狩野川に合流し沼津を流れる、いわゆる三島宿の玄関ともいえる橋。
この橋から見た雪景色を安藤広重は絵にしているといい案内板に載っていた。
新町橋 新町橋浮世絵
撮った写真から現在の建物を取ったが雰囲気が出ているだろうか。
三島大社 三島中心街
16:08
三島大社に到着、本日の目標地点に到着したのでこれからはのんびり周囲を散策することに。しかしまだ陽が高いので沼津まで行けたかも。
そして朝を迎え出発する。前日は早めに休むことができたが七つ立ちというわけにもいかずホテルの朝食6:00の開店を待って腹ごしらえをしてからスタート。6:25には歩き始めた。長袖を着て歩いている人ばかりだが寒いのかな??
伊豆箱根鉄道 三島信号
すぐに三島広小路駅を見つけた。藤沢以来の広小路である。偶然「いずっぱこ」が現れた。朝早くからお疲れさまです。
信号機がかわいらしいのでつい撮ってしまった。せっかくほほえましい光景だったのに街中はカーチェイス状態。ほぼ全車が飛ばし過ぎで歩いていて恐ろしい。いくら休日の早朝とはいえ街中でクルマをブッ飛ばさないよう三島市民にお願いしたい。
千貫樋 境川
加屋町のバス停、この先に地味な川が流れていて名前は境川。名の通り伊豆と駿河の国境だ。
伊豆に別れを告げいよいよ行程中最大のエリアを持つ駿河国へ入っていく。

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