相州
このエリアはもうクルマ社会、歩く人の姿が非常に少なく国道1号線を歩く部分も多くて小田原までは忙しない。
箱根湯本からは想像以上のきびしい山道をひたすら登って箱根を目指す。
相模国に突入
相模国に入ってからしばらくは静かな道をゆっくり下る。おかげで足が楽になった。鬱蒼とした森が見えたと思ったら一里塚が現れた。 ここは品濃一里塚。当時の状態をよくとどめていて保存されているようだ。街道の両側に対で当時のまま残っているのは神奈川県内ではここだけらしい。 |
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川崎までと比べると案内板も整備されていなくちゃんと旧街道を行っているのか不安になっていたところ民家の庭先にこんな案内板を発見、ありがとうございます。 旧街道を進んでいる確信を得たと喜んだのもつかの間、突然の街道ブチ切れ。大きな道路が道を遮っていて歩道橋を渡るしかなくなった。写真は歩道橋から振り返ってきた道を撮影。これで大丈夫か? |
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何と歩道橋の足元に案内表示を見つけた。あまりのことに驚いて写真がピンボケ (T_T)。旧街道も様変わりしてしまいましたねぇ。 こんな道路じゃ仕方がないか…、進行方向に向かって右手方向を撮影、…とここでまさかの電池切れ、これ以降一切撮影ができなくなった。国道1号を歩いたり離れたりを繰り返し、暗くなって闇の中をルートもわからずとにかく藤沢まで歩く。到着は21:15、明日歩けるのだろうか。 |
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藤沢遊行寺から再開
2日目、起きたら8:30!! こんな時間まで寝ていたとは…、前日の工程がキツ過ぎたかな。しかもまだ足が動かない。マッサージして何とか出発しよう (;´д`)…それでも出発は9:53。 10:12 ようやく旧街道に復帰、昨夜訳も分からず歩いた場所は遊行寺までしっかり旧東海道だった。昨日歩いてきた方向を撮ったが、旧街道をここを右折。(写真では左方向に曲がる)本当にこんなところ曲がるの??…という感じ。ただの路地みたいだけどね。 |
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曲がったところから通りを振り返るとこんな感じ。路地裏の印象がぬぐえない。あら?曲がる道を一本間違えたかな……、持参した旧街道情報のひとつがやたらといい加減なのがこのとき判明、以後使用しないことに。 路地を出るとパッと道が開けて右手に遊行寺が堂々たる構えを見せていた。でも遊行寺の文字がないなぁ。 |
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入り口の右手にこのような石塔が立っていた。中まで入って行って参拝したかったが、登りの道を歩くのは足に負担がかかるので今日はパス。 案内板が説明してくれていた。ここは藤沢(大鋸)広小路で3曲りと云われていたところ。 広小路といえば筆者は名古屋か上野を思い出すが、そもそもは「火除地」つまり火災時の延焼対策だったようだ。この辺りはそうとう賑わっていたみたいで今よりかなり道が広かったらしい。 |
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確かに広々とした道の感じが残っている。上方側から見ると遊行寺が威風堂々と建っているように見える。 遊行寺橋、かつて大鋸橋と云われ案内板の旧図にもそう記してあった。江戸時代に藤沢橋というとこの橋のことを言ったらしい。旧街道はこの橋を渡って右折、つまり3回目の曲り。現在の藤沢市街地へは入らず藤沢本町方向に進路をとる。 |
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相模川渡河
藤沢宿のエリアに入ってきた。 かつて相当繁栄していたそうで、宿場町と遊行寺の門前町としてまた商業地として栄えていたことが市の施設の案内板に書かれていた。写真はかつての子弟教育機関だった済美館の案内板。 湘南高校入り口交差点付近。 ここも東海道だったんですね。しかし湘南高校なんて筆者のようなアホにはかなり縁遠い… |
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引地川を渡る。ここは当時から橋が架かっていたようだ。国道沿いではないのでのどかな風景が残っている。 メルシャンの工場を発見!! すわ、2日連続の工場見学か!…と思いきや、見学は行っていないそうだ。もっとも今日も飲んだらここで旅が終わってしまう (*_*) |
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11:12 国道と合流する手前の四谷バス停のベンチで一休み。なんとなく旧街道の面影が偲ばれる。 このイメージがこれ以降旧街道の平野部において道に迷った時の街道探しの役に立つことに。 辻堂一里塚付近。 一里塚跡の表示が反対車線にあったが道路を渡る元気もなく素通り、満身創痍の2日目である。 東海道がそのまま国道になっているところはそもそも人家がなかったところなのだろう、松林も所々残っている。 |
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茅ヶ崎までたどり着くとまた一里塚。今度は左側にあり撮影したが、肝心の塚全体の写真を撮っていない。 ちなみに行程を通して基本的に左側通行を心掛けている。江戸期当時も左側通行だったと思われるためそのようにした。武士は左に帯刀しているからなぁ。 13:56 相模川に到着。当然、このくらいの川になると江戸期には橋は架かっておらず渡し船利用。渡船場跡など探したい気もするが前以外に足が進まない… 茅ヶ崎市は歩道の整備が行き届いていてとても歩きやすかった。(もっとも国道がほとんどだったが…) |
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湘南を行く
14:15 平塚駅前に到着。まだ窓口がやっていたので三菱東京B/Kで休ませてもらう。かなり大きな宿場町で往時の繁栄が伝わるがシャッター通りの感も否めない。かつて住んでいた街なので懐かしい。市役所にもよく来たっけな。 途中お肉屋さんを発見。街道沿いの団子屋さんとお肉屋さんのコロッケには我慢ができない。このお店のコロッケとメンチは抜群の美味しさだった。さすが東海道クオリティ! |
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旧街道は大きな通りを微妙に右へそれていく。かつての東海道がメインストリートとして使われなくなってから道路の付け替えが頻繁だったことの表れか。特に宿場内は多いので注意が必要。 平塚宿の京方見附跡。宿場町には必ず江戸側と京(上方)側双方に見附があった。ここでヒトモノの出入りを監視していたのだという。 今回筆者は歩きながらコロッケを食べていたという暴挙に出たものの何のお咎めもなく通していただきました。 |
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安藤広重の浮世絵のモデルになった高麗山(コマヤマ)は今も健在。 公所(ぐぞ)だって、こりゃ読めない。幕府直轄地と関係があるのかと思っていたが、帰宅して調べたら朝廷の所有地のことらしい。古い歴史がある土地のようだ。 ちなみに撮影場所は花水川に架かる橋の手前。上流は金目川、…てことは筆者の母校が (゚∀゚) |
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すごいお宅を発見、結構有名になっている建物らしいけど実際に住んでるんでしょう。お手入れが大変な気がします。 化粧坂を右折して国道と別れた直後、何と東海道本線の線路が旧街道を分断。仕方がなく地下道を通って線路を越すことになった。東海道本線が地下を通ってよー。 |
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地下道をくぐって反対側に出たら見事な松の大木がお迎え、旧街道の雰囲気が出ている。 15:48 大磯町役場に着いたので休憩させてもらうことに。迎えてくれたかたに町の歴史を聞く。 しかし平塚から大磯まで宿場町の間隔としてかなり短い。その理由は大磯宿より成立の新しい平塚宿誕生の理由にワケがあるようだが、とりあえず足が痛いのでさっさと先を急ぐ。大磯宿京方の見附も通過。 |
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お馴染みの大磯松並木を通過。国道と一緒になっている場所でここまでの並木は珍しい。 海側の道のほうが反対側よりかなり標高の高いところを通っている。松並木といい一里塚といい当時の幕府はお金のかかることを結構やってたんだ。おかげで旅人や荷物を運ぶ人たちは日差しや風雨から守られていたし、今でもそうだけど気分が良くなりますねぇ。 |
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なんかすごい別荘地みたいのを発見、入り口に大磯松韻って書いてある。この辺りは明治以降大物の別荘地が多く作られたらしいが、いつの時代にも金持ちってのはいい暮らししてるんだね。(当たり前か…) 足のマメの痛さが尋常じゃなくなってきたし金持ち館をを見て陰鬱になったし…、気分が落ち込んで惰性で進んでいくと切通し状態の場所にたどりついた。 どうやら旧吉田邸付近だと思う。見る気もしないので信号を右折して国道をしばし離れる。 |
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城山公園。こんなとこに誰か築城したことがあったっけ??と不思議がってよく見ると別荘地の跡だそうな。別荘地が城とは…。ますます元気がなくなって休みたくなったが、かなり時間も遅くなってきているため先を急ぐことに。 国道を外れると旧街道らしい雰囲気になったので徐々に気が晴れてきた。日が傾いたおかげで暑さも和らいできて何とか歩き続けられそう。 |
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16:54 道路にこんな目印を発見した。でも一里塚があるわけではないので町おこしの一環かな。再び国道に合流、歩いてきた方向を振り返って撮影。向かって左側の道から歩いてきたことになる。 国道と並走する場所に一里塚跡があったが元々の場所からかなり西に案内板を立てたらしい、そうすると先ほどの道路埋め込み地点が本当の一里塚地点か。 |
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二宮を過ぎてしばらく行くとまた左に国道を外れる。距離は少しなんだけどミニ峠状態でアップダウンが結構ある。この道を箱根駅伝は通らないよね。 国道に再合流してから来た道を振り返ったら、なんか階段を下りてきたみたいだった。(向かって右側の小路) |
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18:38 国府津付近では陽がとっぷりと暮れてしまった。足も限界、小田原まで行きたかったが仕方がなく国府津駅前でリタイヤ。行程途中の交通機関使用という禁じ手を使って鴨宮の旅館まで移動。明日はまたここまで戻っての再開となった。 6:59 3日目の朝を迎えて前日リタイヤ場所に復帰。予定では昨夜小田原泊で3日目元箱根目標だったのだが、今日は無理せず箱根湯本くらいにしておこう。 |
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相模国最大都市「小田原」
いよいよ小田原目指して出発、途中で朝食をとって歩き始めると松林がところどころ残る。なかなか見事な景色。 そのまま少し行くと一里塚跡に遭遇した。小八幡の一里塚というらしく道の両側にあったらしいが今は案内があるだけ。ここを過ぎるとほどなく酒匂川に出るはず。 |
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酒匂川に架かる橋から人足渡しがあったであろう地点を眺めながら進む。実際この日も川の流量はかなり少なく徒歩で渡ることも可能と思われた。ただ大雨となれば川止めは必至だったであろう。 渡しの到着地点らしき場所から歩き出すが何となく街道っぽい。 |
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道のすぐ脇を神社がかためているあたりやはり街道の証しと見た。 国道に出てから歩いてきた道を振り返って撮影。旧街道がガソリンスタンドに押しやられている。このまま国道を突っ切って真っ直ぐ進みすぐ右折、ほどなくまた国道に合流する。 |
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小田原宿の入口、江戸口見付跡。かつては枡形が残っていた。 新宿町の交差点を左折し町に入ってくる。この辺りは蒲鉾屋さんが多い、さすが小田原名物。 |
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小田原宿 案内には小田原宿の規模を本陣4・脇本陣4と記載している、これはあの品川宿を凌ぐかなりの規模。 元は網問屋だった交流館というお休み処、2回目訪問時にはいろいろと説明してくれた。ありがとうございました。 |
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今でも残る建物。小西さんありがとう、素敵です。 小田原城自体はもう見飽きているし発掘調査もまだ途中のはずなのでお城見学はパスして京方の見附である板橋口に来た。 ここは石垣を使った厳重な施設で警備に当たったとされていてここが小田原城の惣構えになっているらしい。つまりここから先は小田原の外ということになる。 |
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湯本到着
小田原の見附を出ると旧街道は鋭角に右折し風祭方面へ向かう。 この辺りなかなか旧街道らしいたたずまいでしかも車がほとんど通らないので、旅をしている気分に浸れる。 来た道を振り返って撮影、なかなかいい感じ。 |
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オダアツ(小田原厚木道路)をくぐったら箱根登山鉄道の踏切を渡る。 直後に踏切の警報機が鳴ったのでせっかくだから電車でも見ることに。しかし来たのは色だけ違ってはいるが小田急の車両。あれ?こんなんだっけ?? 旧街道っぽいし道路も歩きやすい。ずっとこのままの状態で道が続いていれば元箱根までも一気に行けそうだけど… |
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三たび国道に戻ってきた。歩いてきた道を撮影。向かって左の道から来た。 この直後歩道がなくなり狭い階段を登り登山鉄道のすぐ脇を通る羽目に…、こんな東海道ありかよ〜。 10:45 三枚橋、ここで旧街道は橋を渡る。人だらけの湯本駅付近に行かなくてもいいのでかえって嬉しい。湯本駅のアーチ型屋根が見える。駅方面への道路は当時、湯治客が使った道らしい。なんか駄洒落っぽい (*_*) |
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旧街道には箱根湯本の普通の日常があった。 11:05 今回の旅の終了点に到着。残念ながら元箱根には行けそうもないし次回のことを考えると湯本からじっくり山登りをしたいのでここでお開き。元箱根方向の情景をしっかりメモリーして街道を後にしよう。 |
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最大のイベント「箱根越え」
さあ久しぶりの歩き旅。小田原駅を7:11発の箱根湯本行きに乗り込む。新宿は5:31発だったがかなり乗客がいた…さすがは小田急。 8時前の箱根湯本駅は日中の喧騒に比べてかなり静かだった。こんな湯本ならいいのになぁ。 7:45 前回終了した地点に到着。今回は山道が多いので道を間違えると大変なロスになるので気をつけよう。早朝の箱根湯本は観光客もいないので鳥の声や川のせせらぎが気分を盛り上げてくれる。 |
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少し行くと正眼寺の前を通る。ここの頭の大きなお地蔵様は迫力があった。なんでもあの曽我兄弟はこのお寺で祈願をしてから仇討ちに向かったらしい。 おっ!いよいよ箱根旧道への入り口発見、いわゆる石畳の旧街道。 |
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ここから川の流れる沢まで一気に下りる。わりと歩きやすい、この調子なら大したことはないのでさして疲れないかな。 すぐに舗装された国道に戻ってしばらく行くと「割石坂」という表示が…。曽我五郎が刀で意思を叩き割った言い伝えがあるようだが、ただの遺跡かと思ったらここを登っていくのが旧街道らしい。 ええ〜!こんなとこ歩くの〜〜。 |
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道を登っていくとこんな感じ、まあ江戸時代はもう少し歩きやすかったと思われるがこれは大変。ずっとこれが続くのかな。 当時の旅人はわらじでここを歩いたのかと思うと絶句。ただこの樹木たちのおかげで暑さをしのげる。 8:52 接待茶屋に到着、接待茶屋とは箱根を行く旅人や馬にお茶や葉っぱを施してくれていた施設。この先にももう一か所あるらしい。せっかくだから少し休んでいく。 |
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接待茶屋の先から少し県道を歩くがガードレールがわずかに切れたところの下のほうに旧東海道の道標が立っていた。いよいよこれが本物の旧街道か、しかしすごい道だ。 大沢坂、どうやらホントの旧街道のようだ。道に敷かれた石は丸くとても滑りやすかった、非常に危険な状況なので進むのには注意が必要。 |
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なんでも石畳の谷側の方ほど大きな石にして降った雨水を谷に逃がすように設計されていたらしい。ちゃんと考えられている。 難儀した山道を上がりきると県道に出た、畑宿だ。 史跡らしき場所にリュック背負った男性がいる。あれ?旧街道の入り口のところでかなり後ろから歩いてきてた人だ。史跡は本陣跡だったがそこに着いた時、男性はいずこともなく去っていた。んー、東海道にこだわらない旅もあるんだ、そのほうがラクそうだな (T_T) |
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寄木細工のお店。畑宿には数件が軒を連ね自動車で来る観光客が買って行くらしい。なんだか面白そうなので筆者も買ってみた。お店のご主人がこれからの旧街道の情報をくれたので参考に。とにかくここでしっかり休んでおこう。 畑宿一理塚、ここは両側の塚が残っている貴重な場所。 絵になる場所である。おばさんグループがしきりに写真を撮っていた。…が街道には行かないらしくマイクロバスに次々と乗り込んでどこかへ走り去った。 |
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なんと、石畳の道のまま国道を渡っているではないか。 道の脇の雑草までも一緒である。こんな歩道橋は初めて。何もここまでしなくてもという気がしてならないが…まぁーいっか。 |
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橿木坂(かしのきざか)の登り口、急峻とはいえ階段なので比較的ラク。しかし当時はかなりの難所で案内板には男性でもドングリ大の涙が出たとあった。 坂ばかりなのでまとめて箱根の坂に載せちゃおう。 この辺りはいたるところに名前の付いた坂があるようで難所だったとわかる。関東大震災と北伊豆地震でほとんどの旧街道が崩壊したらしい。今あるのは一部を神奈川県が整備したとのこと。 |
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県道のつづら折り、いわゆる箱根の七曲りはカーブの頂点同士をこんな階段で登っていく。 しかし江戸時代当時はずっと石畳の山道が続いていたに違いない。現代でもしんどいのに当時はかなりハードだったと思う。10:10 急に何かヒト気を感じると思ったら一軒の旧家を発見。 しかし数十人が家の中に居たので何かと覗いたら「甘酒茶屋」というお店だった。 聞けば創業400年とのことで昔から旅人に利用されてきたのだという。徒歩で旅をしていると話したら記念に名前を書いて欲しいとノートを渡された。 |
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しそジュースが最高に美味しかった、疲れた体にいいんだって。 ノートには一日平均10人弱の名前があり結構徒歩旅をしている模様。 甘酒茶屋で十分休んで再度歩き出す。いったん県道とクロスするがそのまま直進し山道へ。山道の入り口にはちょっと大げさな案内と碑が立っていた。 |
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相変わらず石畳の歩きづらい道をもくもくと登る。かなり暑いので天気はいいらしいが、ほとんどおてんとうさまを拝む時がない。暗いところをずっと進んでいるのでなんとなく陰鬱な気分になってくる。 カメさんに似ているような大きな碑を発見。碑文には有名な「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」とあった。 これ大井川付近にあったほうがいいんじゃないかな。 |
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おおー!木の上のほうにわずかに芦ノ湖とおぼしき湖面が見える。とうとう着くぞー。うれしくてテンションが上がってきた。今まで芦ノ湖を見たなかでは今回が最高に嬉しい。 元箱根間近、到達するルートは数種類あるようだったが今回は国道に沿って行かずにケンペルバーニーの碑からお墓の坂を下りて興福院の裏手へ出る。反対から見たところだけどこれじゃわからない。真ん中の黒い部分から出てきたことになる。 |
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11:04 芦ノ湖だ!視界が一気に広がってもう何とも言えない気分。しかし急に人間が多数現れたのでなんだか浦島太郎のような心境。あんな道を来たのに何でここにはこんなに人間が歩いているんだ??って。 湖畔に沿って旧街道を杉並木が覆っていて路面も歩きやすく整備されているが、そこを無数の観光客が歩いている。本来そこが間違いなく旧街道だが、人間の量に気後れしてしまいしかも歩くスピードが全く違うので仕方なく車道を歩くことに。 若いカップルが「へえー、これが箱根の旧街道かー」って言っているのが印象的だった。 |
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箱根の関所が復元されていた。…しかしここにも現代の馬で乗りつけた大量の人間が…。関所は内部を見学できるようだが、検問される場所で長居は無用と御縄にかかる前にとっとと通り過ぎた。 11:22 湖畔のお店で食事としよう。お店は「本陣」っていう名前、こりゃすごい。店名の云われをご主人に聞いたが「先代がつけたのでわからない」とのこと。観光地の食堂のメニューは期待しないでおこうとハズレのなさそうなカレーを注文。しかしこれが本格的で結構美味しかった。 |
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箱根峠で相模にお別れ
満腹になったところで箱根峠に向かって出発。国道とはほどなく別れ斜め方向に右折、少し芦ノ湖方向に歩く。芦川町というところらしい。 舗装道路からはずれると坂の連続。このあたりは向坂というらしいが、ちょっとひどいぞ…まっすぐ歩けない。道に迷ったという初老の旅人の方に道を聞かれたので進行方向を聞くと三島に向かっているとのことだったのでしばらく同行することに。 |
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なんかもうすごいところを通っているが登山だと思えば何てことはない。写真は国道に合流するところを振り返って撮った。 どうやらあのゴルフ場への道が旧街道らしい、ゴルフ場とは…何かミスマッチのような気がする。ゴルフ場の敷地直前で右折し国道に再度合流するがゴルフ場近辺が峠の最高点のようだ。冨士の姿がとても美しい。 |
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箱根峠の交差点、クルマがひっきりなしに通っている。先ほどのゴルフ場の場所よりは下がったところにある。信号を渡り駐車場になっているところへ向かっていく。 12:24 これで相模国ともお別れ、実際はゴルフ場の峠最高地点が本当の国境(くにざかい)であろう。ここから先は伊豆国だ。 |
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