ひとやすみ

歩いてばかりでも疲れてしまうので少しひとやすみと参りましょう。

3Dでいにしえの街道情緒を表現したかったがなかなか難しかった。
しかもアニメーションにすると容量がすぐいっぱいになってしまう (*_*)


 

出立前に越後屋さんでひと休み、二階からは橋がよく見えるねぇ。

日本橋


 

さあいよいよ日本橋を渡って旅を始めるとしましょう。ここからは富士も見えるはず、おや今日は曇っていて見えませんね。

日本橋


 

橋を渡り切って振り返ると晒場が見えます。高札場の重要なお知らせもしっかりチェックしてから西に向かいましょう。

日本橋


 

宿場が見えてきました、っていうか全然合成になっていない (T_T)

宿場


 

宿場に到着しました。まだ木戸は開いていたのでさっそく宿探ししましょう。

宿場


 

問屋場の付近はいい馬が集まってますねぇ。

宿場

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東海道を忠実に歩いていくつもりでも歩けなかった道があった。
そこで消えてしまった街道を可能な限り捜索してみた。

 
 
六郷 (大田区)
六郷
 
 

@現在は堤防の脇に北野神社(止め天神)があるが、江戸期には大きな敷地を持っていたことが「東海道分間延絵図」からわかる。

六郷

A渡船場への道はテニスコートと雑木林になっている。多摩川の橋は何度も流されたというから荒ぶる川だったのだろう。
高校の頃、ドラマで見た多摩川で家が実際流されるシーンが脳裏から離れない。

六郷

 
 
須雲川地区 (箱根町)
須雲川
 
 

@現在は落石防止壁が立っている右側をすすむが、どうやら矢印方向の登り気味の道を行った感じがする

須雲川

A現在の道から左を見上げるとやはり杉並木のような造りになっていて同じ方向に木が並んでおり整備された跡がみられる。

須雲川

B少し先に左側へ登れるところがあったので覗いてみると明らかに道の跡のようになっていた。

須雲川

 
 
女転ばし坂 (箱根町)
女転ばし坂
 
 

@須雲川の集落が切れて鎖雲寺という禅寺に至るが、その少し先に須雲川自然探勝歩道の入り口がある。
そこがちょうど坂の始まりになっているが、すぐ東海道ではなくなってしまいハイキングコースとなる。

女転ばし坂

A現在県道が通っている須雲川橋を行くほうがより当時のルートに近いだろう。江戸期の橋はおそらく今よりかなり低い位置に橋があったはずだ。
橋を渡った先の駐車場で上を見上げると何となく手の入れた跡のような名残りのようなものが感じられる。

女転ばし坂

B現在の県道は大きく右カーブするので、坂と思われる辺りを右側面から撮ってみた。
やはり人手が入っていた形跡を感じる。奥のほうの傾斜は30度くらいあるように見えた。

女転ばし坂

C坂を登り切ったところと思われる場所から下方向を撮影。杉を見ると道らしいことがわかるが、足元は何が何だかわからない状態。
どうやらかなりの期間使われていないことが想像できた。

女転ばし坂

 
 
草薙球場付近 (静岡市)
草薙球場
 
 

@土地区画整理で旧街道を消し去っていた。現在はこの交差点を右折するがかつては真っ直ぐだった。
静岡市内は五か所ほど街道を破壊しているが、ほとんどの場所で案内すらない。同様に破壊が目立つ富士市でも旧道の案内はしていた。
静岡の人はいい人が多いのでどうやら静岡市の行政に問題がありそうだ。

草薙球場

A静鉄の踏切手前を左折する、静鉄は旧東海道に沿って敷設されているのがわかる。
しかし昭和以降にこれだけ旧街道を破壊した自治体も珍しい。街道を大切に守っている都内とは雲泥の差だ。

草薙球場

 
 
JR東静岡駅西側 (静岡市)
東静岡駅
 
 

@直進していた旧街道上にあろうことか複合商業施設が建っている。
そこには街道だった名残も案内も何もない。

東静岡駅

A静鉄柚木駅から見たらさらに道路拡張工事を進めていた。
せっかく静鉄が旧街道をうまく避けて作っているのに台無しだ。

東静岡駅

Bもともと国鉄の操車場が旧東海道を破壊したことから始まったようだ。左側にその敷地の一端が見える。
だからといって次々に破壊するとは信じられない。

東静岡駅

C道路をアンダーパス化したためかなり掘ったのだろう。旧街道に接続するところは階段で高低差を調整している。

東静岡駅

 
 
水守 (藤枝市)
水守
 
 

@旧街道のゆるやかなカーブを過ぎたら突然直線で仕切られた宅地があった。
ここも土地区画整理事業で街道が破壊された模様。

水守

Aこの部分だけ破壊から免れた旧道が残っていたが、もはや道としての機能は失われていた。
松並木も残されていたものの手入れが大変と見えて市の担当者が業者と調査に来ていた。

水守

Bこの先は藤枝宿へ向けて真っ直ぐ街道が伸びていた。名残はあるが松は相当数処分されたとのこと。
この辺りの松並木は見事だったという。こんな状況になってしまったのは比較的最近のことだそうだ。

水守

C国道の歩道から旧道跡を見る。平成の世になってからこんな開発をしてしまう感覚がよくわからない。。

水守

D旧街道は国道に遮られて藤枝宿へ向かう。
よそ者の勝手な思い込みではいけないと地元の三人の方に旧街道のことを聞いてみた。便利になって良かったのかなと想像していたが、美しい松並木を失ってまで得たものは大したことはなかったと皆さん口をそろえられた。

水守

 
 
乙川 (岡崎市)
乙川
 
 

@右に見える建物から先を斜め右に進むのが江戸時代の街道。
建物の向きもその旧道に沿った方向に建てられているのが興味深い。

乙川

A現在旧街道には乙川の橋が架かっていないが「東海道分間延絵図」には写真の黄色い場所あたりに立派な橋が見える。
付近にクルマ用の橋が架かっているがこのようなパターンには各地で出くわす。

乙川

B川を渡り終えると左折してすぐ右折し大平村へ向かう。現在はかなり狭い道になってしまっていた。

乙川

 
 
四日市中心部 (四日市市)
四日市
 
 

@仏壇店さんを目印に進んでくるとここから少し右カーブの気配になるがその先には建物が建っている。
旧街道が国道一号に出る場所だったのでクルマの事情を優先させたのかもしれない。

四日市

A国道一号に出て南を撮ると旧街道は現在の駐車場を通って国道の対面へ抜けていた様子がわかる。
このあたりは全く歩行者がいないのでクルマ優先というのもうなずける。

四日市

B力ずくで国道一号を渡ろうにも中央にフェンスがあるためそれもできない、この地域は除雪の必要がないためフェンスがあっても大丈夫ということなのか。いったん先の諏訪神社前信号で国道を渡る。

四日市

C国道を渡るとまた旧街道が続く。諏訪神社は四日市の顔だったのだろう、表参道スワマエってなっていた。バトミントンのペアみたい。

四日市

 
 
猪鼻村(甲賀市)
猪鼻村
 
 

@国道一号に沿って歩いていると右手に廃材置き場のような施設が見えてくるがそこが本来の旧街道。
景観的には残念な状況であるが、このような施設もまた必要なものなのであろう。

猪鼻村

A旧街道が消失している地点までくると先ほどの施設が目の前まで迫っている。山あいにあって比較的平らな地形が街道や現代の施設設置には適していた。
施設が休みだったせいかあたりは静かな雰囲気だった。

猪鼻村

B施設の中は外から入れないようになっているが、何となく旧街道があったと思われる位置に道のようなあとが続いている。復元することはできないものなのだろうか。

猪鼻村

C旧街道のルートを通ってきたと仮定して実際の旧街道を京方向へ向けて出発しよう。

猪鼻村

 
 
土山(甲賀市)
土山
 
 

@土山宿を過ぎると国道一号は野洲川と田村川の合流地点方向を目指すが旧街道は野洲川の上流方向に伸びている。
旧街道ルートは川の氾濫を避けたためのものだったのではないか。

土山

Aかつての街道はここをさらに真っ直ぐ野洲川へ向かっていたが、現在は先に進めなくなるのでここで左折。

土山

B白川橋から見た野洲川、川は蛇行していて雄大な眺めだがひとたび氾濫したらすごそうだ。現在は野洲川上流にダムがあるためその心配もないのであろう。

土山

C野洲川を渡り切った街道は旅籠の建ち並んでいた中を先に進んでいく。現在は人家もまばらで旅籠跡の石碑がいくつか建っているだけだった。

土山

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