伊勢街道〜歩いてみた旧伊勢街道
東海道を日永の追分まで来たところどうしてもお伊勢さんに行きたくなった。
式年遷宮を経て新しくなったお宮を見てみたい衝動を抑えられなかった。
伊勢街道行程
「伊勢に行きたい、伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも」 とまで言われた伊勢神宮。2013年に式年遷宮を迎え新たな時代のスタート切った。 本来この旅は京の三条大橋を目指す予定だったが急遽予定を変更、 お伊勢さんに参る道をたどることにした。 |
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行程キロ数は実際に歩いた距離 (宿泊施設までの歩行距離も含む) |
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第十三日目 (日本橋より) 7:58 → 18:40 |
日永〜津
前日に撤収する予定を日延べしたので朝がスロースタートとなった。 |
34.3キロ |
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第十四日目 (日本橋より) 6:05 → 18:45 |
津〜伊勢神宮
この旅最初の目的地、いやが上にもテンションが上がる。神様のありがたさを実感した。 |
51.1キロ |
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一晩寝て出した結論はお伊勢さんに寄らないで東海道を先に進むことは出来ないということだった。 そうと決まれば一気に南を目指して参宮道をひたすら歩く。 |
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河原田橋の手前で旧道へ |
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当時の橋の場所は水道管の橋 |
堤防から河原田の集落へ降りていく |
河原田の中心にある道標 |
県道をななめに突っ切る |
鈴鹿川にかかる高岡橋 |
旧船着場付近には常夜燈 |
のどかな道を行く |
神戸宿の見付石垣が見えてきた |
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神戸から白子にかけては現在鈴鹿市となっている。鈴鹿と言えばサーキットのイメージが強いがどちらもれっきとした伊勢街道の宿場町なのだ。神戸は城下町、白子は漁港の色合いを残す。 ちなみに藤枝の白子はこの地と徳川家康つながりで関係があるそうだ。 |
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堂々とした大橋、神戸の玄関口 |
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高札場の三叉路を左へ |
神戸宿の本陣付近だという中心街 |
神戸にはお城のような寺が多い |
伊勢鉄道の雄姿…、一両だった |
左側に大袈裟な歩行者用の橋 |
横断歩道のない交差点 どうすればいいんだ?? |
大回りして地下道を行けって… |
玉垣小の先のかねんて状の角 道標に右参宮道となっていた |
かわいらしい鳥居を発見 |
フジクラの工場脇を通る さすがにギャザリアはなかった |
白子への入口付近のかねんて 近鉄の線路が割って入っていた |
さらに町の中のかねんて状道路 |
お昼はステキな店でお蕎麦 名前は「めんくいくん」 |
白子宿の本陣跡付近? |
高札場跡 |
唯信寺手前の枡形状の道 白子にはかねんて桝形が多い |
個人の建てた道標 何度も倒されたとのこと |
目付役所跡 役人から庄屋までを取り締まった |
鼓の浦を右へ進む |
磯山地区はいい雰囲気 |
かめかんむりばし 珍しい名前の橋だ |
ここが千里中央 (?_?) その割にはバスの本数少な過ぎ |
千里駅も発見! よく見たら「ちさと」だって… |
ちさとを越すと 田中川の先は上野宿だ |
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上野宿を過ぎると津まではわずかな距離だ。伊勢街道に沿ってかなり長い集落が形成されている。人口が減って商売をやめる人が多いんだ、と地元の方が教えてくれた。伊勢は津で持つのに〜、 町中の岩田橋で時間切れとなったため仕切り直して翌週夜行バスで岩田橋に向かった。 |
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上野宿の本陣付近か? |
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かねんてがあるあたり 本陣付近とみた |
上野の道路元標 町の中心地の印だ |
国道を横切ると河芸町交番 こんな立派な交番見たことない |
再び国道に合流する 太陽光パネルが行く手を阻む |
栗真小川町の雰囲気 中心には逆川神社がある |
突き当りを右折なのだが 街道部分まで私有地となっている |
家々が建ち並ぶ中にあった分岐点 白塚豊津道とあった |
歩道の自転車通行帯 何もここまでしなくても… |
江戸橋を渡り終えるとある 伊勢別街道との分岐点 |
この辺りの道は珍しくコンクリート 歴史を物語る |
古い家並みの中にある村田商店さん ご主人とすっかり話し込んでしまった |
さすが吉田沙保里は津の英雄 いや世界の英雄だ |
安濃川にはこの真っ直ぐ先の 川原に土橋があった |
津の中心の大門商店街 「だいたて」と読むのだそうだ |
繁華街に入るところで右折 道標が行先を案内していた |
アーケード内がかつての 本陣、問屋場があったところ |
地頭領町、地頭に関係あるらしい 旅籠が多くあった場所とのこと |
中心街では街道が 複雑に右左折している |
津城の丑寅櫓 高虎の遺産なのだろうか |
岩田橋、津市の中心地 前回の終了地点から再出発 |
岩田交差点のすぐ先を左 |
真教寺の閻魔堂 阿漕への分岐点にある |
八幡町の雰囲気がなかなかいい |
香良洲道の分岐点 左に行けば香良洲神社へ通じる |
相川橋で休憩した クルマも人も通らない |
高茶屋といえば 府中や二俣川みたいなところ |
紀勢本線に分断された街道を 真っ直ぐに突っ切りたい |
明治帝のご休息場所 雲出宿の本陣跡のようだ |
本陣跡前の街道は静寂そのもの |
雲出川は渡しがあった かつての船着場あたりは風が心地いい |
現在は立派な橋が雲出川にかかる |
小野古江渡しの跡 北朝と南朝の境界だったらしい |
松浦武四郎生家に遭遇 北海道の名付け親だ |
街道風情たっぷり いつの間にか松阪市になっていた |
月本追分 右伊賀越え奈良道とあった |
この辺り道標が多い ここは右だとアピールしている |
伊勢街道初の一里塚を発見 いったいどこからの何里目? |
三渡橋を渡ると川が美しい 渡ったら初瀬街道の追分があった |
街並みが半端ではない場所を発見 せっかくなので椅子を借りて休む |
もう町全体が文化財のようだ ここを左折すると忘井に行く |
街並みを通り過ぎると案内板 入口にも立てておいて欲しかった |
その先には枡形状の道 どうやら宿場に次ぐ扱いのよう |
久米地区も風情がある佇まい 舟木家長屋門付近 |
右左折を繰り返し始めた そろそろ松阪が近い |
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蒲生氏郷が大出世するステップになった松阪は大商人を数多く輩出した商人の町でもある。 見どころも多く美味しい食べ物にも事欠かない楽しみな地だ。明治中期までは「松坂」と書いたらしい。 |
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松阪三大商家のひとつ小津家 資料館として公開されている |
三井高利の屋敷の門 小津家からすぐのところ |
長谷川家、こちらも近所 三家がこんなに近距離にあるとは |
長谷川家の向いが本居宣長宅 写真の松を大切にしていたらしい |
大和屋脇本陣跡付近 |
美濃屋本陣跡 道路右に小さな碑が見える |
問屋場跡 |
新上屋跡とあった 宣長と賀茂真淵が面会した場所 |
和歌山道への追分 日野町交差点、さすが鶴千代 |
松阪牛コロッケのあるお肉屋さん 新居宿以来の感動だった |
小津安二郎の青春館 子供の頃住んでいたそうだ |
徳和畷と呼ばれたところ 白酒のお店がたくさんあった |
禁酒の神、沖玉夫婦岩 徳和畷で白酒飲んだ後でしょ |
いよいよカウントダウン開始 外宮まであと四里 |
櫛田川の手前にの民家に 櫛田橋の柱を発見 |
豊原(奥田)本陣付近 奥田さんというお宅が数軒あった |
県道を横切った後 複雑に曲がって櫛田川へ |
渇水期には橋、増水期には舟 櫛田川は大きかった |
稲木地区を進んでいく 茶屋や旅籠が多かったらしい |
外宮まであと三里 このあたりは多気郡になっていた |
この付近はかつて立場があって 賑わっていたようだ |
斎宮で見た銀行 周辺の景色にマッチしていた |
この井戸で旅人にお茶を出していた のどが渇いてきた |
明和町上野の家並み そういえば明和町ってかつて事件が… |
外宮まであと二里 カウントダウン道標毎に休憩 |
小俣地区の道路迂回現場 LED内の旗振りの人がビミョー |
老舗のへんば屋 地元では赤福より人気だとか |
美味しい!絶妙の味と歯ごたえ お客が途切れない盛況ぶりだ |
小俣宿に入ってくる 高札場のある角を左折する |
本陣跡の伊勢街道 左の塀に碑が立っている |
参拝客用の見付だったのか ちょうど外宮まであと一里 |
宮川の河原 この辺りから桜の渡しが出ていたか |
宮川を桜の渡しが通っていた いよいよ神域に入っていく |
堤防から下ってくると 渡船場跡、外宮は近い |
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伊勢街道の終着点である伊勢神宮、日本全体の鎮守社というありがたい神様である。式年遷宮も執り行われ真新しいお社が楽しみ。 単に伊勢神宮と言えばこの界隈にある正宮、別宮などすべての総称を指すという。まさに神々のおわす場所である。 |
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ここから二見に行けるようだ |
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失われた伊勢街道(伊勢市浦口) |
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@本来直進の街道だが民家がある |
A旧街道を県道が突切っている |
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B区画整理で完全に旧街道が消失 |
Cここで旧伊勢街道に合流 |
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筋向橋、日本橋から伊勢までの 距離を測る起点だったそうだ |
まんきんたんとあるお店 現役の店舗だ |
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月夜見宮への分岐点 |
月夜見宮への道は 神路道という名前がついている |
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外宮前に到着 灯篭がド迫力だ |
外宮を参拝しテンション上がったが しっかり街道はトレースしていこう |
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県道と交差し直進 角には祖霊社という立派なお社 |
小田橋、かつては遷宮用の木材を ここから両宮へ曳いていった |
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尾上町から倭町にかけて 急激に登っていく |
油屋跡、伊勢音頭恋寝刃という 歌舞伎の演目の題材にもなった |
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油屋同様、遊郭時代の宿のひとつ 麻吉旅館はなんと現役だ |
参宮街道資料館 坂を上り切った場所にある |
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巨大な常夜燈が建っている |
宇治惣門跡 監視施設のようなものだったか |
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ここを右折すると おはらい町通り |
感動の宇治橋とご対面 |
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手水舎である五十鈴川 ここに来たかった |
何もかもが新しい正宮へ |
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伊勢神宮とは伊勢市とその周辺のお社の総称、二見もエリア内だ。 今回は時間の関係でたくさん回れなかったがあらためて神聖な気持ちになった。 |
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豊受大神宮(外宮) 衣食住の恵みをくださる守護神、天照大御神に神饌をたてるお祭りが毎日続いているという。 |
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正宮、身近な雰囲気のお社 |
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社の森というに相応しい |
せんぐう館と勾玉池 |
月夜見宮 豊受大神宮の別宮、伊勢市の町中にあり周囲を堀で囲まれている。農耕と深い関わりのあるお宮さんとのこと。 |
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猿田彦神社 天照大御神を案内した「みちひらき」の神様。そのおみちびきにあやかろうと開業や交通安全にご利益がある。 |
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皇大神宮(内宮) ご祭神は天照大御神、日本国民すべての総氏神様。垂仁天皇26年にこの地に鎮座された、キリストが生まれた頃だ。 |
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正宮、ひときわ荘厳な場所だ |
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強力なパワーの宿るご神木 |
神楽殿の威容 |
月読宮 皇大神宮の別宮、月夜見宮と同じ神様を祀る。近鉄五十鈴川駅にほど近い丘に建つが静寂な佇まいだ。 |
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裏参道側の鳥居 |
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右手前が月読宮 |
四つのお宮すべてをお参りしたい |
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