京
お江戸日本橋を出発して十五日目、あしかけ一年半かけてようやく千年の都に入ってきた。
世界遺産をちりばめた宝箱のような町のなかをかみしめるようにゴールを目指す。
山科は街道交錯地
伏見(奈良)街道との分岐点、かつてこのあたりは賑わったことであろう。 閑栖寺にあった車石の跡、文化年間には歩車道分離がされていたとのこと、これはすごい。 |
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国道一号を歩道橋を使って横断、京都東インターが見える。しかし歩道橋を下りたらまだ滋賀県だった。 三井寺観音道とあったがここから三井寺まで続いているのだろう。ということは大津までつながっているのだろうか。 |
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山科駅に到着、もうひと山越せばいよいよ入京だ。地下鉄の駅でひとやすみ。 五条別れ道標、左折すると五条橋に行くらしい。六条大仏へも行くってこれ方広寺のことか?。山科は数多くの街道が交錯する重要なエリアだったのだ。 |
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大きな道にぶつかって右折、道路標識に「三条通り」の文字が…、テンションがあがってきた。 みどりの径と称する古道のような造りの散歩道があったが旧街道と関係はなさそうなのでパス。 |
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進行方向右手前方に広がる天智帝の墳墓、御陵の地名の由来にもなったのだろう。最近の歴史の授業では大化の改新とは教えない。 ここはしっかりと旧街道をトレースしていく。 |
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急激な上り坂になってきた、どうやら京にいたる最後の関門か、配達のバイクが追い越して行ったがフルスロットルだった。 三条通りを見下ろす位置にやってきた、東海道の道標もいよいよ最後なのか。 |
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いよいよ上洛
三条通りと再び合流した。以前…といっても昭和の頃、確か電車が走ってたはずだが。クルマ運転しながら停留所のおねえさんをよそ見して安全地帯にぶつかりそうになったんだけど気のせいかな。 あらら、将軍塚…。かつて来た記憶がよみがえる。とにかく見晴らしはいいところだ。 |
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インクラインを発見、もう蹴上駅だ。京の町中に入ってきたことを実感し始める。 蹴上の三叉路を左折していく、蹴上発電所のレンガが美しい。 |
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三条神宮通、右折して北に向かえば平安神宮。先を急ぐので気持ちだけ拝礼した。 青蓮院、ここで坂本龍馬は結婚したらしい。ほんの百数十年前、激動の時代がここにあったのだろう。 |
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三条白川橋と書いた案内のある道標、知恩院祇園なんとかって記されているが江戸期から残っているモノなのだろうか。。 旧街道に面している商店街を発見、アーケードの屋根の明りがシブかった。 |
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高山彦九郎の大きな像が鎮座している。早く生まれてき過ぎた尊王の人というイメージ以外よく知らないがこれだけ目立つと周辺の方には馴染みがあるのかも。 いよいよ川端通、三条大橋も見えている。信号待ちがなんだか嬉しい。 |
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夕闇迫る16時33分、旅の目的地三条大橋に到着。大きな事故もなく無事に完歩できたことに感謝。思いのほか人通りが少なかった。 |
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橋のたもとには弥次喜多の像があったが緊張が解けたせいか案内板を撮っただけだった。 ゴールした後は夜の新京極に消えていくのでした。 |
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