春日大社(奈良県奈良市)

春日大社の南門(重要文化財)

平成30年(2018年)の2月、仕事で奈良に出張の折、短時間でしたが、春日大社参拝の機会を得ました。奈良といえば、東大寺の大仏や奈良公園の鹿を思い出す人も多いでしょうが、この春日大社こそ「なぜ奈良に多くの鹿が放し飼いにされているのか」という問いに対する答えなのです。

春日大社のホームページには、「奈良時代に神様が常陸国(茨城県)から御蓋山(春日山)へお越しになる時、白鹿にお乗りになって来られたことから、春日神鹿は神様のお供であり、神の使いとして大切に扱われるようになりました。」とあります。

そう、この春日大社の御祭神は、実は鹿島神宮の御祭神の「武甕槌命(タケミカヅチ)」なのです。この「神話を訪ねて」シリーズの第1回の訪問地が鹿島神宮でした。神話を訪ねて(第1回)鹿島神宮  

タケミカヅチは、アマテラスオオミカミの命令で、アメノトリフネ(天鳥船神)とともに下界に派遣され、大国主神(オオクニヌシ)に国譲りをさせる大手柄をあげた武力を象徴する神様です。その神様がはるばる茨城県から、この奈良の都に白い鹿でやってきたということです。そのため、奈良では鹿は神様の使いということになったんですね。思い起こせば、鹿島神宮にも境内に鹿園がありました。

また、同じく春日大社の御祭神であるフツヌシ(経津主神)は、千葉県香取市の香取神宮の主祭神です。フツヌシは、古事記にはその名前がないのですが、日本書紀では、タケミカヅチと一緒に下界に派遣された神であり、古事記でいうアメノトリフネと同神ともいわれています。詳しくは、日本の神話・古事記で「タケミカヅチ」でおさらいしください。

春日大社は、社伝によると、奈良時代の768年の創建といわれ、私が訪れた平成30年(2018年)は、ちょうど創建1250年の年にあたっていました。タケミカヅチは藤原氏の氏神といわれ、「藤原永手が鹿島の武甕槌命、香取の経津主命と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命・比売神を併せ、御蓋山の麓の四殿の社殿を造営したのをもって創祀としている。」(ウィキペディア)とされています。

さて、春日大社へは、鹿がゆったりと寝そべっている長い参道をしばらく歩き、壮麗な南門を潜り、「幣殿 ・舞殿」から参拝をします。特別拝観を申し込めば、本殿前の見事な朱塗りの中門から参拝ができるのですが、残念ながら滞在できる時間が少なく、これは断念せざるを得ませんでした。国宝の本殿は4つあり、それぞれ、春日大社の四柱の神様が祀られています。本殿は切妻妻入の春日造という建築様式で、屋根が曲線を描いて反り、正面に庇(向拝)を付しているという特徴を持っています。

外国人観光客で混雑している東大寺周辺に比べて、この春日大社には、外国人は少なかったように思います。大社周辺は静寂で、厳かな空気が漂っており、奈良公園で愛想を振りまく鹿も、この神社の周りでは、まさしく神の使いに感じます。

参拝の記念に「春日大社招福宝船図」を買いました。これは、春日大社に伝来する招福の霊剣豊かな縁起物の絵図で、お正月などに枕の下に入れたり、飾ったりすることで、その一年が幸せに過ごせるとのことです。

社名 春日大社(かすがたいしゃ) → 春日大社 オフィシャルサイト 
鎮座地 奈良県奈良市春日野町160     (JR・近鉄奈良線「奈良駅」から奈良交通バス(春日大社本殿行き)で「春日大社本殿」下車すぐ)
御祭神

  武甕槌命 (タケミカヅチノミコト)
  経津主命 (フツヌシノミコト)
  天児屋根命 (アメノコヤネノミコト)
  比売神 (ヒメガミ)
     
「日本の神話 古事記」 第4話 国譲り 第3章 タケミカヅチ

御由緒

『春日大社は、日本の国の繁栄と国民の幸せを願って神護景雲2年(768)、御蓋山(ミカサヤマ。春日山)の中腹のこの地に社殿を造営し、四柱の神々様をお祀り申し上げたのがはじまりです。
この四柱の神々様は、それぞれ壮麗な春日造のご本殿(国宝)に鎮座されており、春日皇大神様(かすがすめおおかみさま)、春日大明神様と尊称され、崇敬を集めてまいりました。
今も昔も変わらず、朝夕の御饌祭(みけさい)をはじめ、年間二千二百余度のお祭りが行われ、日本の国はもとより、世界の平和、万民の幸福、共存共栄が祈り続けられております。(春日大社境内の由緒書きより)

(訪問日 平成30年2月16日)

Photo Gallary


春日大社 入り口

表参道

右が車舎(重要文化財) 奥が二之鳥居

二之鳥居

南門(重要文化財)

南門の由緒書き

幣殿・舞殿(重要文化財)   ※拝殿がなく、一般参拝者はここから参拝

奥が直会殿(重要文化財)

授与所にて「宝船」の絵図を購入

やはり、ここは鹿の絵馬でした!

境内の石灯籠

春日大社招福宝船図