神話を訪ねて(第11回)諏訪大社下社(長野県下諏訪町)

久々の更新です。昨年の夏休みに信州の諏訪大社(すわたいしゃ)へ行ってきました。諏訪は、東京から中央本線の特急あずさで2時間ほどの近さなのですが、いつでも行けると思いつつ、なかなか行けなかった諏訪大社。今回は、ようやく念願かないました。

まだ行かれたことがない方にまず知っておいていただきたいのは、諏訪大社という一つの神社があるわけではありません。諏訪大社は、長野県下諏訪町にある下社の秋宮・春宮と長野県諏訪市にある上社の本宮・前社という南北に二社づつある四社とその他の摂末社の総称なのです。私は、この四社を2日かけて見て回りましたが、スケールの大きさは、伊勢神宮の内宮・下宮と同様に壮大なものでした。

諏訪大社は、全国の諏訪神社の総本山ですし、また勇猛果敢な「御柱(おんばしら)」祭りでも、日本中に有名です。このお祭りは、正式には「式年造営御柱大祭」といって、6年ごとに山中から御柱として樅(もみ)の大木を16本(上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮各4本)切り出し、4箇所の各宮まで曳行し、社殿の四方に建てて神木とします。社殿を囲むようにそびえ立つ巨木は、迫力満点です。諏訪大社ならではの、独特な社殿の形態は強い印象を与えてくれます。

ところで、もうすっかり古事記ファンとなったみなさんのことですから、諏訪大社に祀られている神様のタケミナカタと古事記の関係はもうご存知のはず、、、、(-.-!) えっ、ご存じない?では、簡単におさらいをしてみましょう。

アマテラスオオミカミは、現在の皇室のご先祖の神様と言われておりますが、その孫のニニギノミコトが地上に降りて来た(天孫降臨)のが、日向の高千穂峰(宮崎県と鹿児島県の間)と言われており、その後の神武天皇の東征伝説を読んでも、主に南九州の地を拠点に勢力をつけた天皇家の祖先が、瀬戸内海を渡って東へ進み、紀伊半島を迂回して和歌山県から上陸し、ナガスネヒコという日本列島に以前からあった中央勢力の豪族を倒して、一大政権を築いたものと考えられます。

一説には、天孫降臨伝説は、天皇家一族が朝鮮半島から渡って来たことを象徴しているのではないかともいわれていますが、いずれにしろ、神武天皇の東征以前、本州の関西より東の地方には、土着の豪族(私は、この人たちが日本に何万年も暮らして来た縄文人と考えています。)が支配していたと考えられます。この縄文人をルーツとする土着の勢力「国つ神」と天皇家の先祖である「天つ神」の勢力争いである「国譲り」神話は、こうした古代日本における歴史的な事実が裏付けとなっていることに疑いをはさむ余地はないと思っています。

国譲り神話では、天の国のアマテラスは、タケミカズチ(鹿島神宮に祀られている軍神)に、地上の世界(葦原の中つ国)を支配していたオオクニヌシ(大国主命)を倒すことを命じました。

タケミカズチが、出雲の国に行って、大きな険を海に突き立て、あぐらをかいて座り、オオクニヌシに降伏を迫ると、オオクニヌシは自分ではなく、息子のコトシロヌシに答えさせると言います。しかし、このコトシロヌシは、あっさりと、この国をアマテラスに明け渡すことを約束し、自分は隠れてしまいます。(自殺か?)タケミカズチは、「他にもお前の子どもがいるのか!」と尋ねると、オオクニヌシは、もう一人の息子の「タケミナカタ」がいると言います。タケミナカタは、怪力を持つ勇猛な神でしたが、タケミカズチに簡単に投げ飛ばされ、恐れをなして逃げ出します。ついに、長野県の諏訪湖のあたりまで追いつめられ、「恐れ多いことです。どうぞわたしを殺さないでください。わたしは、この地より他にはどこにも行きません。この葦原の中つ国は、天の神のお子さまに差し上げます。」と泣いて謝ったとされています。こういうことで、諏訪大社は、タケミナカタを御祭神として祀っているということになります。

つまり、諏訪大社の御祭神は、出雲大社の「国つ神」であるオオクニヌシの息子の神ということです。これを覚えておいてください。

さて、諏訪大社を巡る順序は、上社が先なのかもしれませんが、私は、先に下諏訪駅で下車して、秋宮から春宮を徒歩で歩いて回りました。下社二社の二重楼門造りの弊拝殿は、いずれも1780年前後に建立されておりますが、構造的にはほとんど同じで、彫刻においてはそれぞれ特色があり、それぞれの宮大工が技を競い合ったといわれています。

格式高く、優れた職人技であるところの下社の弊拝殿の建築美は、言葉を失うほどに素晴らしいものでした。また四隅に空に向かってそびえたつ御柱は、前側の二柱しか見えませんが、堂々としたもので、男性的な力強さを感じました。ひとつ残念だったのは、下社秋宮の神楽殿につるされているはずの出雲大社型の大しめ縄が、改修のため取り外されあと、まだつけられていなかったこと。何でも、ここのものは13mもあって、長さでは日本一だいうこと。期待していただけに、非常に悔しかったなあ。

次回は、諏訪大社の上社をご紹介します。

社名

諏訪大社下社(すわたいしゃ しもしゃ)秋宮・春宮(あきみや・はるみや)

→ 諏訪大社 オフィシャルサイト 

鎮座地

秋宮 長野県下諏訪郡下諏訪町5828  JR中央本線 下諏訪駅から 徒歩9分

春宮 長野県諏訪郡下諏訪町193 JR中央本線 下諏訪駅から 徒歩20分(秋宮から徒歩20分)

御祭神

建御名方神 (たけみなかたのかみ)

八坂刀売神 (やさかとめのかみ)

「日本の神話 古事記」第4話 第3章 タカミカズチ

御由緒

信濃国一之宮諏訪大社は、昭和21年迄官弊大社諏訪大社と称しておりましたが、同23年に現在の社号に改称しております。諏訪大社は諏訪湖の南北に二社ずつ四カ所に分かれて鎮座する、独特の形を持ったお宮です。

御祭神の建御名方神は、大国主神(大国さま)の御子神で、妃神が八坂刀売神、八重事代主神(えびすさま)は、御兄神に当たります。

御鎮座の年代について、詳しく知ることはできませんが、「古事記」その他の書物から推定して少なくも千五、六百年から二千年前と言われており、我国で最古の神社の一つに数えることができます。北は北海道から南は九州鹿児島県に至る全国に勧請された御分社の数は壱万有余にも達し、その総本社であり、昔から諏訪大明神、諏訪南宮法性上下大明神、又はお諏訪さまと親しまれ、雨や風、水の守り神として竜神の信仰も古く、国土開発、農耕生産、開運招福、交通安全の守護神として篤く崇敬され、特に歴代の朝廷をはじめ武門武将からは勝負の神、軍さ神として崇められ日本第一大軍神、又は東関第一の軍さ神として称えられて来ております。

※参拝者用リーフレット「諏訪大社」(100円)より抜粋

諏訪大社 下社(秋宮・春宮)の見所紹介

(写真をクリックすると拡大します。)

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諏訪大社下社(秋宮)大鳥居

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下社(秋宮)境内

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下社(秋宮)神楽殿

(1835年建立・重要文化財)期待していた大きなしめ縄がない?!

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下社(秋宮)弊拝殿と一の御柱

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下社(秋宮)由緒書

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鹿島社

境内にやはりあった鹿島社!宿敵?「タケミカヅチ」を祀る。

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下社(秋宮)弊拝殿

(1781年建立・重要文化財)

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下社(秋宮)一の御柱

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下社(秋宮)神楽殿

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下社(秋宮)弊拝殿

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下社(秋宮)神楽殿と弊拝殿

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下社(秋宮)千尋池

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旧中山道の宿場

春宮は、秋宮から西へ1.2km。旧中山道を歩き、20分程で到着

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下社(春宮)大鳥居

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下社(春宮)狛犬と神楽殿

見えるぞ、大しめ縄!!

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下社(春宮)神楽殿

秋宮の神楽殿より小さい建物ですが、ここにはありましたよ!出雲大社ばりの大しめ縄が

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下社(春宮)一の御柱

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下社(春宮)

弊拝殿(1780年建立・重要文化財) と奥に見える二の御柱

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下社(春宮)弊拝殿

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下社(春宮)弊拝殿

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下社(秋宮)由緒書

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浮島社

春宮の西方を流れる砥川の川中島である浮き島にある。ここにもちゃんと四隅に御柱があります!

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砥川

とてもきれいな水。高校生くらいの女の子が川の中で水浴をしていたのが、とても自然な感じがした。

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下馬社

春宮の参道である大門通りの道路上にある。室町時代の建立ともいわれ、下社で最も古い建物だそうです。必見!

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