神話を訪ねて(第1回) 鹿島神宮(茨城県鹿嶋市) |
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みなさんは、少なくとも一年に一度は、特にお正月には近くの神社に初詣に行くことがあるでしょう。しかし、神社にはどんな神さまが祀られているか(御祭神といいます。)あまり意識したことはないと思います。「日本の神話」を読んだあなたなら、これから神社に行ったときに、その神社に祀られている神さまの名前をちょっと気にしてみてください。きっと、あなたがこのサイトで読んだ神話の中の神さまの一人であるはずです。そして、なぜその神さまがこの神社に祀られているのか?を考えてみてください。おそらく、その神社がある場所と日本の国の歴史との間に何らかの関係があるはずです。いつも何気なく行っていた神社がワクワクするような歴史のロマンに満ちあふれたミステリアスな場所に感じることもあるかもしれません。 わたしは、特に神社めぐりを趣味としているわけではありませんが(笑)、これまで機会があって立ち寄った神社を日本の神話と関係づけながら、ご紹介したいと思います。第1回は、茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮です。 |
鹿島神宮は、先日サッカー観戦のため鹿島スタジアムに行った際に立ち寄り、参拝してきました。鹿島神宮は大きな森に囲まれたとても立派な神社でした。この神社は、アマテラスオオミカミの命令で、オオクニヌシに国譲りをさせたことで有名なタケミカヅチ(武甕槌大神)を祀っており、社伝によれば、創設は神武天皇までさかのぼるともいわれていて、古くは大和朝廷の東国征伐の拠点であった場所といわれています。 哲学者の梅原猛氏が古事記の成立について大胆な仮説を著わした「神々の流竄(るざん)」(集英社文庫)を以前読み、タケミカヅチと鹿島神宮の秘密に関する記述に関心を持ってから、一度はここを訪れたいと思っていました。 今回、実際に鹿島神宮を訪れ、宝物館に展示されている国宝の「直刀」などを見たりすると、やはりこの神社は、オオクニヌシを滅ぼして葦原の中つ国(日本列島)を平定したとするタケミカズチの神を東国の蝦夷征伐のために、大和朝廷がその武力を誇示するために祀った神社であると実感しました。また、梅原氏の同著作の中の鹿島神宮参拝記には書かれていなかったと思いますが、わたしは境内に「大和朝廷=アマテラス」に出雲へ追放された「スサノオノミコト」や「大和朝廷の軍神=タケミカズチ」に滅ぼされた「オオクニヌシ」を祀る小さな社があることを発見しました。(下の写真参照)伊沢元彦氏の「逆説の日本史」のテーマにもなっているように、敵を滅ぼした側が、滅ぼされた相手が怨霊となって祟らないように(オオクニヌシを祀る出雲大社のように)祀ったものに違いないと思いました。 境内には、鹿園があり、お土産屋さんや茶店など5、6件あります。大きな杉木立に囲まれた境内を散策するのはとても気持ちよく、宝物館など見所がたくさんありました。機会があれば、是非立ち寄っていただきたい神社です。 |
社名 |
鹿島神宮(かしまじんぐう) http://www.bokuden.or.jp/~kashimaj/ |
鎮座地 |
茨城県鹿嶋市宮中2306-1(JR鹿島線「鹿島神宮駅」徒歩十分) |
御祭神 |
武甕槌大神(たかみかつちのおおかみ) →「日本の神話 古事記」でチェック |
御時歴 |
神代の昔、天照大御神の命を受けた武甕槌大神は、香取の経津主大神(フツヌシノオオカミ)と共に出雲国に向かわれ、国譲りを成就し、皇孫(すめみま)の国たるべき日本の建国と建設に挺身された。とりわけ、東国における神功はきわめて大きく、関東開拓の礎は、遠く大神にさかのぼる。神武天皇はその御東征なかばにおいて思わぬ窮地に陥られたが、大神の「裂霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」の神威により救われた。この神恩に感謝された天皇は、御自らの御即位の年、大神を鹿島の地に勅祭された。皇紀元年、すなわち紀元前660年の頃といわれる。※参拝者用のリーフレット「鹿島神宮参拝のしおり」より |