神話を訪ねて(第6回) 月讀宮(三重県伊勢市) |
さて、伊勢神宮はまだ終わってませんよ。今回の伊勢の旅では最後になりますが、皇大神宮(内宮)の境外別宮になる月讀宮をご紹介します。 別宮は、外宮に四宮、内宮に十宮あります。外宮の四宮、内宮の境内別宮二宮は既にご紹介しました。内宮の他の別宮はすべて境外にありますが、そのうちの四宮がこの月讀宮にあります。月讀宮(つきよみのみや)、月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)、伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)、伊佐奈弥宮(いざなみのみや)の四宮が一列に並んで建てられています。 月讀宮へは、内宮から徒歩で20分くらいかかりますが、おはらい町で美味しいものを食べた後なら、腹ごなしにちょうどいい運動になるでしょう。四宮が並んでいる様は壮観なもので、時間があれば是非立ち寄っていただきたい、おすすめの場所です。 月讀尊(ツキヨミノミコト)は、「月夜見宮」の回で説明しましたが、月夜見尊と同神で、天照大御神の御弟神になります。さらに、こちらの月讀宮では、その月讀尊の荒御魂、御父神のイザナギノミコトとイザナミノミコトも祀られています。天照大御神のご家族の神様ということになりますね。ところで、一番下の弟のスサノオノミコトは、伊勢神宮の125にも及ぶどの社にも祀られていません。気の毒な気もしますが、日本の神話を読んだあなたなら、その理由はうすうす分かりますよね。(「日本の神話 古事記」でチェック) 伊勢神宮の内宮、外宮の御正殿は、一般の参拝者は直接見ることができませんが、別宮では、その見事な建築美を手に取る場所から堪能できます。内宮の残りの別宮(瀧原宮、瀧原竝宮、伊雑宮、倭姫宮)には、残念ながら今回訪ねることができませんでした。またの機会には是非。 伊勢市全体が神宮といってもよいほど、別宮、摂社、末社、所管社を含めると125社に及ぶスケールの大きな伊勢神宮。伊勢は神道の都市とっても過言ではありません。伊勢市近郊のすばらしい自然の美しさとそれに調和した古代の簡素で洗練された建築様式をそのままの形で引き継いでいる神殿。しかし、伊勢神宮は、20年毎に建て替えられる、つまり建物自体が新しいがために世界遺産に選ばれないと聞いたことがあります。否!伊勢神宮は自然を尊び、伝統を継承するための英知に溢れた有形、無形の世界に比較するものがない世界遺産中の世界遺産であると私は胸をはって言えます。これに比べれば、一時権勢を誇った権力者である徳川家康を神として祀る、あのブルジョア的悪趣味の日光東照宮なんぞを世界遺産にする感覚は私には到底理解できません。建築家ブルーノ・タウトの言葉を引用します。 「この国を訪れる人は、観光宣伝に乗せられてまず日光に赴き、徳川将軍の浮艶な社廟を見て、これこそ日本を代表するすばらしい建築だと思い込んでしまうのである。しかし、日光の建築は決して日本の国宝ではない。これは、17世紀の権力者が、彼等の威力を誇示するために、権柄(けんぺい)ずくで拵(こしら)えあげた芸術である。(中略)この国の最も高貴な国民的聖所である伊勢神宮の形式は、まだ中国の影響を蒙らなかった悠遠な時代に由来する。構造、材料および構成は、この上もなく簡素明澄である。一切は清純であり、それ故にまた限りなく美しい。(中略)いわば日本のアクロポリスである、だがアクロポリスのような廃墟ではない。」(「日本美の再発見」(岩波新書)の「日本建築の世界的奇跡」より抜粋) 日本人は、西洋人のように哲学的な目で観察することが不得手です。何が美で、何が醜いのかを自分自身で感じ、考え、知ることが必要です。ギリシャのパルテノン神殿や伊勢神宮は、洗練された美です。日光東照宮やヨーロッパの中世のゴシック建築などは悪趣味極まりないものです。みなさんもぜひ、お伊勢参りをしていただいて、日本の伝統美を見て、肌で感じとってみてください。伊勢神宮は日本だけの宝ではない。世界の宝です。 |
社名 |
月讀宮(つきよみのみや)・ 月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)伊佐奈岐宮(いざなぎのみや) ・ 伊佐奈弥宮(いざなみのみや)→「伊勢神宮」ホームページ |
鎮座地 |
三重県伊勢市 (近鉄鳥羽線「五十鈴川駅」徒歩10分 ・内宮より徒歩20分) |
御祭神 |
月讀尊(つきよみのみこと) →「日本の神話 古事記」でチェック月讀尊荒御魂(つきよみのみことあらみたま)伊弉諾尊(いざなぎのみこと)→「日本の神話 古事記」でチェック伊弉冉尊(いざなみのみこと)→「日本の神話 古事記」でチェック |
御由緒 |
月讀宮以下4所の宮は、第50代桓武(かんむ)天皇延暦23年(804)に、神宮から上進した『皇大神宮儀式帳』には「月讀宮一院、正殿四区」と記され、一囲いの瑞垣(みずがき)内に、まつられておりました。すなわち、4宮あわせて月讀宮とよばれました。伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮に宮号が宣下されましたのは、第56代清和天皇貞観9年(867)8月のことであります。 第60代醍醐(だいご)天皇延長5年(927)に、古代の最終的法律体系である『延喜式』が上奏されました。これによりますと、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮が瑞垣をめぐらした一院をなし、月讀宮、月讀荒御魂宮が一院を形成しておりました。現在、拝するように、四宮それぞれが瑞垣をめぐらしたお姿になったのは、明治6年からです。 ※「伊勢神宮」ホームページより抜粋 |
月讀宮の見所紹介(写真をクリックすると拡大します。) |