神話を訪ねて(第7回) 猿田彦神社(三重県伊勢市) |
さて、今回は、伊勢の旅「番外編」ということで、伊勢神宮の内宮のすぐ近くにある猿田彦神社をご紹介します。 実は、この神社は、伊勢神宮の摂社でも所管社でもありませんが、全国に二千もあるといわれる猿田彦大神を祀る神社の総本社といわれます。(三重県鈴鹿市の椿大神社が、総本社という説もある。Wikipedia「猿田彦神社」参照。下記の由緒書にもあるように、全国の佐田神社、千勝(ちかつ)神社、白髭(しらひげ)神社は、このサルタヒコを祀る神社です。サルタヒコは、もともと「国つ神」(土着の神)であり、「天つ神」(高天原の神)ではなかったことから、(身分が違うため??)伊勢神宮の所管社ではないのかな、と考えたりします。 「日本の神話 古事記」を読んでいただいた貴方なら、サルタヒコが、ニニギノミコトが天孫降臨する際に、地上への道案内をつとめたことはよくご存知ですね。(天孫降臨)こうしたことで、サルタヒコは道案内の神、善い方向に導いてくれる神として信仰されるようになります。一部では道祖神(どうそじん)と同一神とも考えられています。 また、この猿田彦神社の境内にある「佐瑠女(さるめ)神社」に祀られているのは、アメノウズメノミコトです。そう、天の岩戸に隠れられた天照大御神をなんとか呼び戻すために、ストリップダンスを演じたあの有名な女神です。八百万の神は、女神のストリップを見て大笑いします。神社で行われる「神楽(かぐら)」は、「神様が楽しむ」と書きますよね。神楽はこうして、アメノウズメの踊りが起源ともいわれています。(天の岩戸)このアメノウズメノミコトは、古事記の中では大活躍する女神で、天孫降臨の際は、ニニギノミコトの命令で、サルタヒコに道案内をさせます。その後、ニニギノミコトからサルタヒコにちなんで「猿女の君(さるめのきみ)」と命名されます。そんなわけで、サルタヒコとアメノウズメノミコトの縁は深く、この場所に仲良くお祀りされているというわけです。 余談ですが、私が、サルタヒコという名前を初めて知ったのは小学生の時で、大好きだった手塚治虫のマンガ「火の鳥 黎明編」を読んだ時でした。ですから、サルタヒコといえば、マンガの「あの顔」が思い浮かぶんです(笑) さて、伊勢の旅から帰って写真をよく見たら、猿田彦神社で撮ったものは少なかったのですが、思ったより境内は広く、立派な社殿の神社でした。アメノウズメノミコトにちなんだ、芸能のお守りなど他では見られないものがありました。音楽家、舞踏家、タレントを志す若い方には、きっとご利益があると思いますよ。伊勢神宮(内宮)を訪れる際は、ぜひ足を運んでみてください。 |
社名 |
猿田彦神社(さるたひこじんじゃ) (境内社 佐瑠女神社ーさるめじんじゃ)→「猿田彦大神フォーラム」ホームページ |
鎮座地 |
三重県伊勢市宇治浦田2−1−10(JR参宮線・近鉄山田線「伊勢市駅」循環バス15分。猿田彦神社前下車) |
御祭神 |
主神 猿田彦大神(さるたひこのおおみかみ)(境内社 佐瑠女神社 → 祭神:天宇受売命(あめのうずめのみこと)→「日本の神話 古事記」 |
御由緒 |
猿田彦大神は天孫降臨の時、天八街(あめのやちまた)に待ち迎えて、啓行(みちひらき)をされ、天孫を高千穂へと導かれてから、天宇受売命に送られて、伊勢の五十鈴の川上に来られ、ここを中心に広く国土を開拓指導された地主の神で、皇大神宮がこの地に鎮座されたのは天上からの幽契(ちかい)によると古書に伝えられております。 垂仁天皇の御代に皇女倭姫命が神宮鎮祭の地を求めて諸国を巡歴された時に、猿田彦大神の御裔の太田命(おおたのみこと)がお迎えして、大神以来守護して来た五十鈴の川上の霊域を献上して、伊勢の神宮を創建申し上げました。大神と太田命との子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と云い以来長く玉串大内人と云う特殊な職承に任ぜられて代々奉仕してきました。 御神徳高い大神は佐田神社、千勝大神、白髭神社、道祖神、さいの神、庚申さま等々として津々浦々にお祀りされますが、日本書紀にも伝えられている通り、大神本拠の地であり大神の末孫宇治土公家の累代奉祀する最も特色ある本社であります。 大神は古来物事のはじめに災害を祓い、万事最も善い方へみちびき給うとされ、特に地祭方除、災除、建築、移転、開業、商工業の繁栄、豊産、豊漁、開運の御祈祷を全国から出願されます。 境内社 佐瑠女神社俳優(わざおき)、神楽、技芸、鎮魂(たましずめ)の祖神と仰がれる、天宇受売命を奉祀。天照大御神が天岩窟(あめのいわや)に籠られ世の中が乱れたとき、天宇受売命がその前で神楽をされ、そこに集った八百萬(やおよろず)の神々が喜び笑い、天照大御神再び現れて平和な世になったと伝えられています。 また天孫降臨に際して待ち迎えた猿田彦大神と最初に対面し、高千穂の峰に至る道を開かれ、その後本拠の地に赴かれる大神と共に伊勢に来られ、その功により「媛女君(さるめのきみ)」と称号を受けられました。 ※参拝者用「猿田彦神社 御神徳略記」より |