06年1月 | ||||||
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きんかん | 2006/01/31 |
今年は駄目かと思っていた庭のきんかん。結構実がなりビタミン補給してる。
あの独特の香りがすきだ。 |
歩く | 2006/01/30 |
昨日は大滝山946mに登り、まだ解けずに残っている雪を踏んできた。
ぶなの梢も暖かい陽を浴び、春の来るのを待っていた。 |
やはり | 2006/01/29 |
大阪女子マラソンやはり キャサリン・ヌデレバ(ケニア)が優勝した。
意気込みが違う。人生哲学がある。 七位から一気にトップとはあっぱれ。 |
何事も | 2006/01/28 |
女子マラソンのキャサリン・ヌデレバ(ケニア)は一児の母。明日大阪マラソンに。
「最初からできないと思えば何もできない。逆に、できると思えば何でもできる」と |
蚕豆 | 2006/01/27 |
「霜溶けて 蚕豆背伸び 音立てて」
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夜空 | 2006/01/26 |
外に出てみると夜風が気持ちがいい。空には星がまばたき、たまには頭を
冷やしに私を見てよと言っている。 |
パン爺 | 2006/01/25 |
暮れに子供達が帰って来るので、食べてた古米はそのままにして、新米を搗いて
食べさせてたが、それがやっと終わり、明日からまた残っている古米となる。 そこで米を減らす為に休んでいたが、パン焼爺さんの出番となった。 |
アイゼン | 2006/01/24 |
凍結の山道では特にアイゼンは必要。ザクザクと音を立てて安心して歩くといい気分だ。
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何か | 2006/01/23 |
何か時代が、がたがたと音を立てて変って行く・・・・・
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雪 | 2006/01/22 |
まだ雪は残っているだろうかと、大川山に行ってみた。下から見ると谷間の木に
樹氷があり急いで車を走らせたが、途中通行止め。 急な登山道を息せき切って登れど消えてなし。遅かりし。 |
乾布まさつ | 2006/01/21 |
昨年の秋頃から始めた乾布まさつ、朝起きた時と寝る前にほんの5分ほど。
でもあれ以来咳きも出なくなったし、風邪にもならない、意外と効果あり。 |
電柱 | 2006/01/20 |
我が家には狭い敷地に電柱が立っている。家を建てる時、電柱が塀に掛り移動して貰ったが、どうしても敷地内に建てさせてくれと、おまけに倒れ止めのワイヤも。
ところが15年経ってもう一つワイヤを張らせと。 これも公共のためか。・・・・・ |
冬には冬の | 2006/01/19 |
「花をのみ 待つらん人に 山里の 雪間の草の 春を見せばや」 藤原家隆 花の咲くのを首を長くして待つ人に、山野の雪の中でも冬芽がでて春を告げて いますよと。 |
小鳥 | 2006/01/18 |
山の麓の枯れ枝の中で、小鳥たちがしきりに囀っていた。何と言って鳴いているのだろうか?。もう春はそこに来てるよと、餌を分け合っているのだろうか・・・・・
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阪神大震災 | 2006/01/17 |
もうあれから11年も経った。今世紀前半にも起きると言われる、東南海地震は必ず来るが、我が家は備えは全然出来てない。まるで他人事のように・・・
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里山 | 2006/01/16 |
友達6人で峰山と日山を登った。里山といえども結構道も急だしいい運動になる。
それと久し振りに松林の中を通った。松くい虫にやられ山々に松が無くなった。 飯野山でも30余年昔は松が殆どだったが、今では何本も残ってない。 |
時 | 2006/01/15 |
今日「時の詩」を載せた。さも悟っているが如く。
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予報 | 2006/01/14 |
この頃天気予報が意外ところころ変わる。色々と変化し難しいのであろう。
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そら豆 | 2006/01/13 |
庭の片隅に蒔いてたそら豆が、やっと5・6枚の葉を付けたので、畑に持っていって
植え替えした。こんなことして良いのかも分からずやっている。 秋に種を買ったが17粒で¥500.-もした。よそのはもう大きくなっている。 ただ作る楽しみを。 |
大草 | 2006/01/12 |
「草抜けば ラッキョも一緒に 付いてくる」
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快晴 | 2006/01/11 |
雲一つない日本晴れであった。車で窓を閉めていると暑い。勝手なものだ。
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物覚え | 2006/01/10 |
「この頃は あれあれあれよ 脛叩く」
次第にコンピュータの回路の接続が悪くなって、錆びついてきた。 |
雪山 | 2006/01/09 |
Oさんと「命の滝」を尋ねて徳島に行ったが、もうひと息のところまで行って
道が陥没、雪は侮れず引きかえした。止める勇気も必要。 |
散る桜残る桜 | 2006/01/08 |
乗船せよ! 「男たちの大和」の映画を見た。
歳の性かめったに涙が出ないはずが、涙が流れていた。 親子、恋人、友達様々な人々がその時代の中で、力いっぱい生き、死んで逝った。 若き息子達のことを人ごとと思ってはいけない。 日本は負けなければ、この日本は変わらないと・・・つぶやいていた。 そして戦友の沈んでいる海に、自分の骨も沈めてくれと・・・・。 戦後60年経ってもその傷跡は消えない。 |
白魔 | 2006/01/07 |
南国四国に住んでいえば、雪も楽しみの一つ。
だが新潟や北国ではまさしく「白魔」であろう。死者60名 重軽傷者1178名とは。 |
明日は | 2006/01/06 |
明日、七日は「七草粥」を昔から食べる日である。
古代人が野原に自生する芹などの草を「若菜」と称して食べていて、 南北朝期の源氏物語の注釈書で「七種」(ななくさ)と表現したのが初めという。 「七草粥(ななくさ)で お腹と頭 軽くなり」 |
正月も終わり | 2006/01/05 |
「子等帰り 時計の刻む 音高し」 |
初夢 | 2006/01/04 |
「初夢や 手を羽ばたきて 空翔べり」 |
三元日 | 2006/01/03 |
今年の正月は雨の予報に反して、比較的良い天気であった。
勤めていた時は、仕事始めは挨拶回りから始まった。 |
戦艦大和 | 2006/01/02 |
「男たちの大和」YAMATO 映画ロケセットを尾道の日立造船向島西工場に見に行った。大和の船体の前半分しかないが、実物大であるので迫力はある。
正月であるせいか、ものすごい見物人であった。 それにしても実際に命を捨てて戦った、若者がいること忘れてはいけない。 |
新春 | 2006/01/01 |
謹賀新年 2006年 元旦 皆様にとりまして良い年でありますと共に、平和でありますように。 今年もよろしくお願い申し上げます。 |