つ れ づ れ 歳 時 記


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過去の歳時記


予報は予報 2008/08/31

30日か31日に友達に誘われて徳島に写真撮りに行く予定でいたが、1昨日は雨、そして昨夜の予報も引き続き今日も雨となって中止となる。
ところがゆっくりして起きてみたら、上天気となっていた。
昔の人はよく言ったものだ「女心と秋の空」・・・・・



過ぎし日の思い出 2008/08/30

「音楽のある風景」CD6枚108曲を注文した。
マントヴァーニ  ポール.・モーリア・グランド カーメン・キャバレロの各オーケストラが奏でる「コンドルは飛んで行く」「枯葉」「ある愛の詩」etc. どれも若き日々に胸をかきむしられる思いで聴いた名曲の数々である。
今再び、帰らぬ懐かしい日々に思いを馳せながら・・・・。



日暮れ 2008/08/29

午後7時でも あれほど明るかったのに、6時になるとかなり暗くなってきた。
夜長の読書の秋となるが、本を開くとすぐに睡眠薬となり目が開いてない。
その点かなちゃんは本好きで何時まででも起きている。
「焼き芋の  声遠くなり  本閉じる」



草抜きをする 2008/08/28

             「草だけが 元気な畑 みみず這い」



一瞬の勝負 2008/08/27

秋になると、よくハゲ(魚のカワハギ)が潮が満ちてくると石垣に餌をつつきに来た。
大きのは20cmくらいもあった。ハゲは非常に敏感な魚で人影を見るとすぐに深みに逃げていった。 3本又のたこ捕りのヤスでは水の抵抗があり役に立たなかった。
それで我輩が考案したのが一本ヤスである。太い針金の先端を鑢で尖らし、引っ掛けのガタを付け、真竹に差込み竹の後ろに2〜3mの紐を付けることを思いついた。
ハゲは何時も海面の様子が解るようで、人影を見るとすぐに体をくねらせ回転して逃げだすその一瞬に射止めるのである。 絶妙なるタイミングが必要である。
こうして百発百中射止めていた。何よりハゲを観察しその習性を知ることであった。
何時も6〜7匹捕れ煮付けにしたがキチキチしたあの味は忘れられない。



2008/08/26

久し振りに雨が降っている。水不足が解消されるほどの雨ではないが、作物や木々も潤っている。 怖いけど 一吹き台風  待っている.



検診 2008/08/25

年に一回の基本検診にゆく。特に悪いところはないが詳しい結果は一週間後に。
今日分る尿や血圧などは異常なしだったが、メタポリは1cmオーバーしてた。



北京オリンピック閉会式 2008/08/24

8日から始まったオリンピックも今、閉会式が行われている。
世界204ケ国が集っての大会であったが、事故がなく何よりであった。
勝って歓びの感動に流す涙・・・。負けて悔し涙を流すもあった。
生涯の良き思い出となるであろう。



花火 2008/08/23

TVで大曲の花火大会を見ていたが、散歩目的に丸亀の花火を土器川まで見に行く。 もう少し港の方まで行けば良いのだが、遠くから眺めるのもよいかと・・。



女子野球ワールドカップが松山で 2008/08/22

日本代表が世界一を目指す。

参加国・日本・米国・豪州・台湾・カナダ他8チーム
会場 松山市「坊ちゃん球場」
日時 8月24日から29日
主催 国際野球連盟(IBAF)

隔年で開かれ日本は今まで2位どまりであったようだ。
国際試合が四国で開催されることは2度と無いかもしれません。
詳しくは下記を ↓
http://www.wbaj.or.jp/games/2008_worldcup.html



秋風 2008/08/21

昨日からそよ風が吹いて気温も4・5℃下がると、こうも過ごしよいものかと・・・
でも日中はまだまだであるが、何だかだと言ってるうちに寒い寒いと言うのだが。



むくげの花 2008/08/20

           「コップの  むくげ一輪   夏は往く」



エヤコン 2008/08/19

          「エヤコンが  お暇下さい  15年」・・・まだいやなのだが? 



根を張る 2008/08/18

根を深く張ってる木は日照りにも頑張っている、その横の若い木はこの乾きに耐えられず葉を落としてしまった。  商売も人間関係も同じである。



こうろぎ 2008/08/17

         「こうろぎも   間抜けに歌う   俺がいる」



屋島の四国村 2008/08/16

屋島には何度か行っているが、四国村には寄ってなかったので、中2になった孫が行って見たいと言うので暑いけれども出向て行く。
農村歌舞伎の舞台や古い民家・色々な道具を見て、当時の人がいて今があることを感じたようだった。  頭上では蝉が絶え間なく鳴いていた。



与島 2008/08/15

瀬戸大橋が開通して20年になるが、お盆に来ている孫達と与島に渡ってみた。
開通当時には何度か行って以来久し振りであった。愛媛より親父とお袋も呼んで連れて来た。咸臨丸にも乗ったが今は船着場があるのみであった。

橋の下の流れの急なとこで魚釣りをしている人に「何が釣れるのですか?」と聞いても返事をしなかった。それで少し離れたとこで釣っている人も聞くが無言であった。
エサはかたくちいわしを3尾ほど付けていたので、かなりの大ものを狙っているようであるが、我輩の格好が麦藁帽子に顔をタオルで隠し、サングラスをかけ首からカメラをぶらさげ、背にはリュクを背負った いでたちの変わった格好・・・。
言いたくないのは、聞き方が悪いのかと・・・。





お盆 2008/08/14

お盆に里帰りすると、お袋がいつも蒸しまんじゅうを作ってくれた。あの素朴な田舎の味が忘れられない。 そのお袋の初盆であった。



早明浦ダム 2008/08/13

日ごとに渇水が進み、畑の水やりもやめている。折角何とか挿し木で付いてる いちじくがどうなる事か? ゴーヤなど1日水をやらないと萎れてしまっている。
15日16日の雨予報に期待している。



さてさて 2008/08/12

「この猛暑頭が変になりそうだ」 「いやいや若しかして何とか元に戻るかも」とかなちゃん



見舞い 2008/08/11

         「世話になりし方事故で入院と聞き見舞う」



夏の甲子園とオリンピック 2008/08/10

持てる力を出し切れず敗退して行くチームや選手たち、鳴門工業が負けて四国のチームは姿を消した。

オリンピックも同じで谷亮子選手、
余りにも金の期待が大きく、顔も冴えなく 何より戦略負けであった。
今まで多くの感動を有り難うと言いたい。



北京オリンピック開幕 2008/08/08

さすが五千年の歴史ある中国。開会式の圧巻に感動。  「頑張れ日本」



忘れる 2008/08/07

何か一つ余分なことをすると、せねばならぬ事を忘れる。
事と次第では忘れる事もいいことである。



闘牛 2008/08/06

宇和島は闘牛が盛んでお盆の頃も大会があった。近くに横綱の牛がいて付いて見に行っていた。闘牛とは二頭の牛が角を突き合い、先に逃げた方が負けである。
試合当日は牛の角はガラスのかけらで削って尖らし、元気をつけるため生卵をバケツに一杯と、気を荒くするためマムシを乾燥し粉にして飲ませていたのを覚えている。
両方の牛には勢子が付き、けしかけるのである。
あの一トンを越える巨牛が大きく目を見開いて、相手にたち向かう必死の闘魂はすさまじいものである。・・・負けた牛の涙を見たことがある。
子供の頃か闘牛を見て育った性か、何をやっても命賭けを学んだように思う・・・



霧雨 2008/08/05

昼の熱気が少しは冷めた8時頃から歩きに出る。歩かないと体が冷房漬けで固まってしまいそうで、使わないところから退化するとはよく言ったものである。
途中霧雨が降ってきて、乾いた道の きな臭い匂いがぷぅーんとして、遠き昔のことをくすぐり思いおこさせた。



自家製の茶 2008/08/04

どくだみ・ゴーヤ・青紫蘇を混ぜて夏は飲んでいる。どくだみは山から取ってきたものゴ−ヤはくずをスライスして乾燥・青紫蘇も庭の隅で葉が硬くなっているのを干して。青紫蘇を入れることにより香りもまったくハーブ茶である。
そのお陰か我輩必ず毎日快便・・・勿論水分は朝からかなりとっている。
           「沸かすたび  香味違いて  また楽し」 



蟻の復讐 2008/08/03

畑のトマトもこの暑さでひび割れしている。よく見ると蟻が10匹くらい割れ目にたかっていた。爺さんにとっては貴重な一個だ。それで蟻を息で吹き飛ばして収穫だ。
ところが急に 頬がチクリと痛い・・・汗が流れていると思っていたら蟻だった。
         「このトマト  俺達のだと  噛みつかれ」



棚卸 2008/08/02

勤めていた会社が7月が決算だったので、土日祭日は休みだが、末に一番近い土曜日に棚卸をしていた。
事務機・スチールから文具にいたる扱っていたので、商品の数が多く、しかも倉庫が1Fの地下倉庫でエアコンまでは付いてなかったので、それは暑かったが聞けば今日だったとのこと。今も同じようにやっている事だろう・・・



夏祭り 2008/08/01

宇和島の和霊大祭の夏祭りには、漁舟に便乗して行ったものである。
舟には網元がたくさんの御馳走を作ってみなに振舞ってくれていた。親父も農家の傍ら網の曳き子になっていた。
舟には日除けのテントを張り大漁旗を何本も威勢よくなびかせて。
祭りには高知県や遠くは九州・本州からも来ていて、港は船で埋め尽くされ、舟から舟を渡ってやっと陸にあがれるくらいで、漁の神様として西日本では有名であった。
田舎者の我輩は見るもの聞くものみな新鮮に映り、木下サーサスなども来ていた。
当時はまだ町まで車の通れる道もなく、歩くか舟で恵比寿ケ鼻を一回りしなければならなかった。  
遠い昔の話であるが祭り(7/21)が終わると本格的な夏が来るのであった。





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