【アレルギー性紫斑病】
闘病日記

 

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紫斑病の原因とは

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《はじめに》

アレルギー性紫斑病・闘病日記  

                           2001年11月 記

 ようこそお出でくださいました。ひろたと申します。(新潟県在住)
 平成13年9月に長女(小1、6歳)が紫斑病を発症し約2週間の入院。しかし退院後すぐに再発(入院中より悪化)してしまいました。
 その後「山田予防医術研究所」での治療により、生活(学校含む)を普通のリズムに戻しながら完治することが出来ました。
 一般的に2〜4カ月で症状がなくなる、といわれている「紫斑病」ですが、長女の完治まで4ヶ月。紫斑病の程度は個人差があるため、この時間が標準的なのか長いのか、それとも短くて済んだのかは読んだ方のご判断にお任せします。
 しかし、長期化すれば半年あるいは1年以上も苦しむことがあり、症状が治まった後も、1年、2年後に再発したり、成人してからも紫斑がでるなど、数年あるいは一生に渡って再発に怯えなければなりません。

 薬も使わず、体を鍛えながらでも、この病気を克服できた(再発の心配はないと断言できます)ということは 同じ病気に苦しむお子さんや家族の方に、参考になるのではないでしょうか。

 闘病日記をご覧いただき、感想や情報などを「掲示板」にお寄せいただければ幸いです。
 なお、治療院(山田予防医術研究所/自然形体療法総本部)の詳細については、下記にアクセスしてください。
http://www.shizenkeitai.co.jp/


<補足>

                          2006年7月記

 自然形体治療にとって、つまり山田先生にとって、アレルギー性紫斑病の治療は私の娘が最初の症例でした。
 一番最初の治療時は腹痛がひどくて全身の検査ができず、背骨が曲がっているのが確認された程度でした。その後の治療でアレルギー性紫斑病の原因は「頸椎の歪み」であることが発見されました。
 当時は、入院による体力低下もあって完治まではある程度、期間を要しました。自然形体では毎月、数十もの新治療法が開発されますが、娘の完治後、頸椎の治療法も進歩し、紫斑病の治療は急激な進歩を遂げました。娘の紫斑病がきっかけでその後多くの方が短期間で救われるようになりました。
 「医者が分からない、治せないものが、自然形体で治るわけがない」と思う方もいらっしゃるでしょうが、紫斑病に限らず、病院では絶対治らないものが自然形体では治ります。治療効果はその場で実感(痛み・しびれが無くなる、軽くなる)できます。治療を継続すれば治ることをご理解いただけると思います。

 私たち家族が受けた感動を、より多くの方に感じてもらいたいと思います。


〈補足2〉
                         2009年1月記

 日記公開のころから、ずっと内緒にしていましたが、娘の状態が良くなり始めた2002年1月、自然形体療法の研修生になりました。そして2008年3月、市役所を早期退職(47歳)。6月に「ひろた自然形体療法院」を開業しました。
 
 もちろん、娘の治療に感激したことがきっかけですが、中でも特別な出来事がありました。

 娘が山田先生にお世話になっているころ、夜中に右の前腕がいたくなって泣き始めたことがありました。
 紫斑病とは関係ないとは思いましたが、心配になり山田先生の携帯電話に相談の電話をかけました。(日記の12月26日に詳細を記述)
 もちろん、その時の私は研修生ではなく、患者の父親にすぎませんでした。すると、なんとその痛みの治し方を教えてくれたのです。治り方は劇的でした。瞬間的に治った腕の痛み…。電話を切るとすぐ、妻に「これはすごい! これを習ったら、うちの家族は医者に行かなくてもいいぞ。俺、研修生になる」と伝えたのでした。
 当時は1年間が研修期間でしたが、市役所を辞める予定もなかったことから、期間の延長を認めてもらいながら(家族のため、子供のため)と少しずつ勉強しはじめたのです。
 私の思ったとおり、家族の怪我や病気、体調不良等々は、私の手が解決してきました。症状の確認や、水分補給の点滴目的等もあり、病院に全く行かないわけではありませんが、処方された薬は飲まなくても大丈夫でした。
 私の手に負えないときは山田先生に電話をすれば適切なアドバイスをいただけます。それでもだめな時は山田先生や他の先生の治療を受けます。そうしながら、勉強も進んでくると、自分が対応できる範囲も広くなり、「家族だけでなく、困っている多くの人の力になりたい」と考えるようになったのです。

 なお、日記の後半から出てくる研修生のM君とは、もちろん、私自身の事です(笑)
 


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