JR東海道本線名鉄本線との競争

  JR東海道本線は、ご承知のとおり、東京〜神戸間 600 km を太平洋岸沿いに結ぶ わが国
で最も古い幹線鉄道です。
  両都市の緯度差はわずか1度、神戸のほうが若干南にありますが、一口にいえば位置関係
は東西といえましょう。しかし当然のことながら、地形上の制約と経由地の関係からそのルート
は必ずしも直線的ではなく、南下したり北上したりしています(下図黒線)。

 
JR東海道本線とJR東海道新幹線

  名古屋近辺のルートについて見ますと、東京方から来て浜名湖(はまなこ)を渡った先で静岡県
から愛知県に入ります。その辺りから進路を次第に北西に変えて平野部を淡々と走ります。名
古屋からはおおむね北上し、岐阜の手前でほぼ直角に曲がって再び西を向き、関ヶ原越えに
かかります。
  関が原は同線随一の山越えで、長い登坂が続きます。下り線の坂がとくにきついので、勾配
を緩和した迂回線が作られており、貨物列車はそちらに回ります。

  長距離客は新幹線に移ったので、東海道本線の長距離旅客列車は寝台列車と たまに走る
団体臨時列車くらいになりました。しかし、コンテナーを主体とする貨物列車はこの線では頻繁
に走ります。甲種回送列車もまたよく見かけます。

  東海道本線は旧東海道沿いに作られたからそう呼ぶのですが、名古屋から西は必ずしも東
海道沿いではありません。名古屋と京都の間には伊吹(いぶき)・養老(ようろう)・鈴鹿(すずか)の広い
山地があり、加えて名古屋の西方には木曽(きそ)・揖斐(いび)・長良(ながら)三川の下流部が寄り合
っていて、往時は川越えが容易ではありませんでした。そのため旧東海道は熱田の「宮」から
「七里の渡し」で伊勢湾を南下して(三重県)桑名(くわな)に渡り、鈴鹿峠を越えて京都へと向かっ
ていました。

  他方、東海道本線は名古屋から北上して上記山地の鞍部である関ヶ原でこれを越えますが、
その辺りは旧中山道(なかせんどう)沿いです。これは、わが国初の東西幹線を建設するに当たり、
当初は中山道沿いを採る構想であったことと関係があります。

  関ヶ原は、旧中山道である国道21号をはじめ、東海道本線、東海道新幹線、名神高速道路
が絡み合うように走り、ここが昔からの交通の要衝であることを物語っています。

  もしも名古屋と大阪とを直結しようとしたならば、名古屋から現在の関西本線のルートで南西
に向かい、亀山(かめやま)を経て奈良県の木津(きづ)に至り、その先、関西本線が南に迂回してい
る生駒山を まっすぐトンネルで抜ければ もっと短かくできたはずです。
  しかし、京都を外すわけにはいかないとなれば、名古屋からまっすぐ西に向かい、養老(ようろう)
山脈をトンネルで抜け、琵琶湖(びわこ)の南をかすめて京都に寄ったのち、大阪へ行けばよかっ
たわけです。しかし、昔はトンネル工事が困難だったことと、前述のように中山道ルートで敷設
する構想で事を運んでいたことにより、今のように関が原回りなったといわれます。

  一方、新幹線上図青線)は東京から名古屋までは 横浜付近を除き在来線(東海道本線)と
もつれ合うように進み(実際は新幹線のほうがカーブが少い)、名古屋の先は東海道本線 清洲
(きよす)付近から南に離れ、岐阜をパスしてまっすぐ関ヶ原に進みます。途中、岐阜羽島(ぎふはし
ま)という駅がありますが、岐阜の街からはずいぶん南に離れています。関ヶ原付近から新大阪
まではほぼ在来線沿いです。

  さてここで話題にしたいのは、東海地方最大の都市である名古屋を中心とする
豊橋〜岐阜間 100 km あまりの区間の地域輸送です。JR東海道本線にとってこ
こは 東京周辺および京阪神と並ぶ重要な旅客輸送区間です。
  また、豊橋〜岐阜間で並行する名鉄にとっては この区間がまさに幹線です。
  地域輸送に関するかぎり、名古屋地区では私鉄のシェアが大きいようです。

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