The Video Diaries of Rifleman Harris - Jason Salkey - official site, graphic copyright riflemanharris.co.uk
 

ハリス・プロジェクトのメイキング

ハリス・プロジェクト(ハリスに関する全ての事柄のあらゆる項目を含む)は、最初のシャープシリーズの出来事の写真による記録をつける事から始められた。

その最初の撮影で、私は全ての項目が継続する日記を書き始めました。しかし私たちの最初の撮影の信じられない状況の衝撃と畏怖で、毎日その日にあった事をきちんと日記に書き続けておく事ができませんでした。

マクガン時代の撮影はとても波乱に富んでおり、シャープファン以外にとっても非常に面白い読み物を提供しただろうと思うと、私はこの事をひどく後悔しました。私は4年のうち残っている3年間日記を書き続ける事によって、このだらしなさの埋め合わせをしようと決心し、その3年間は多くのおもしろい出来事を与えてくれました。

ハリス・プロジェクトの最初に続けて保管した書類は、新聞の見出しを飾った一連の写真と書かれていた批評で、いつも2冊の重いファイルにぎっしり詰め込んでいた。

シャープの撮影の最初の2年間のうちのどの時点かで、私は「リーサル・ウェポン12」の撮影でメル・ギブソンがハンディカムを使っているのを見ました。彼はセットを歩き回りながら進行状態を説明したりクルーを紹介したりしていて、とてもおもしろかった。

それはメル・ギブソンのファン以外にとっても面白い映像だった。私はすぐに彼の"どこへでも接近でき"映画制作の全ての状況を撮影できる"機械"は、ビデオ・ダイアリーを成功させる鍵となる生き生きとして気の利いた企画に結びつくと気がついた。私はメルの手本をしっかりと頭に刻み込み、3つ目のシリーズでのたくさんの人々によるすさまじい恒例行事を記録するためにビデオカメラを持って行きました。

私はシャープの撮影の裏側で何が起きているのかを記録するために、俳優、馬、仕出屋、運転手、ストリート・ミュージシャンなどテーマは一切決めず、ささいな事でも感動した事は全て撮影した。

元々、私は今後(私によって)作られるだろうドキュメンタリーの一部に、私が撮影した映像を使ってくれるようITVの製作者と取引を成立させるという一方的な野望を抱いていました。

皮肉にも、シャープに関して製作された唯一のドキュメンタリーは、4つ目のシリーズで私たちが始めてトルコへ行った1995年に作られました。製作会社がセットに現れた日は、私が親族訪問のために黒海を渡ってヤルタに行くと決めた日でした。その結果、シャープの唯一のドキュメンタリーはチョーズンマン・ハリス抜きになってしまいました。

そして私たちはずっとシャープズ・アプリシエイション・ソサイアティーとインターネットと共に歩んできました!

SASは私たちが4つ目のシリーズの撮影を終了したすぐ後に結成されました。すぐにSASは膨大なイギリスと最終的に世界中の無関係なファン同士をまとめる中心となりました。今世紀の終わりまでには(20世紀から21世紀)、由緒あるファンクラブは総勢2000人になっていました。私は今こそ私独自のビデオ・ダイアリーのパイロット版を製作して予備調査をする時だと決心しました。

私はビデオの映像を編集する技術を持っていなかったので、デジタル画像専門家の友人ドリュー・サットンの助力を仰ぎました。彼はHi-8ビデオで記録された画像をミニ・デジタルデープにコピーししてから徹底的な映像加工を始めました。全てを観直したので、どの場面をコンピューターで“保存”するか決定する事ができました。

私は最初のエピソードのために楽しさと視覚映像の品質に関して最も良いものを選択し、それらを年代順に並べました。これらの画像と音楽と写真にナレーションを入れて面白く編集しました。

シャープの映像の傾向に関する私の主義と考えは、この時まだ年代順に毎日の出来事を忠実に整理する事を念頭に置いており、エピソード2も同じような作り方をしました。2番目のエピソードはそれなりに上手くできあがりましたが、まだ少し"細切れ"な感じがする事に気がついていました。これを改善するために、もう1人の仲間に3番目のエピソードのためのBGMを書いてくれるよう依頼しました。

3番目のビデオ・ダイアリーのかなめは物語を進めるためのパーキンスの死であり、物語は横道にそれた詳細とシャープの歴史に付属する関連した出来事によって強調されました。私はアルバムからの写真と同じように、この時期の毎日のささいな出来事を調べて日記に書くという目標を成し遂げました。願わくば、この全ての積み重ねが途切れのない、表面的だけでもきちんとしたドキュメンタリーにしてくれるといいんだが!

私たちは一度映像を記録すると、それらをコンピューターで時間通りにきちんと整理しました。大体は年代順に並べる事ができましたが、できないものもありました。最初の未編集映像と呼んでいた基本的なスケジュール表が完成した後、私たちはそれをまずミニ・デジタル・テープに記録し、続いてVHSに記録しました。

次に私たちはスタジオで全ての映像の繋がる部分を微調整し、家ではナレーションを吹きこむ時のための練習をしました。

私たちがスケジュール通りにナレーションを吹き込めたので、私は満足でした。

写真にナレーションを加えることによって、止まっているイメージに動いているような印象を与えられた。ナレーションとBGMと画像が付け足されると、エピソードは完成したと考えられました。

完成したフィルムが複写機にかけられると、私は大きな安堵のため息をついた。それは私が1994年に製品を完成させても販売の保証は無い状態であった事を考えると、特に満足のいくものでした。テープが日の目を見なかったとしたら恥ずかしい思いをしただろうが、私は何年も前にふと思いついたこのプロジェクトを必ず実現させると決心していました。

私は何年にもわたってハリスビデオに出ている全ての撮影スタッフやキャスト、特に、ショーンやダラーのようにハリスビデオの映像を満たして特別なものにすることを許可してくれた彼らに多くの恩義を受けています。そして私たちの寛大で、ことのほか心が広いハリスビデオを作ることを見逃してくれた幹部製作者のマルコム・クラドックとムーア・サザーランドに恩を受けています。

しかしながら、ハリス・プロジェクトを続けさせられるのは、あなた方シャープのファンとショーン・ビーンのファン、そしてハリスのファン達なのです。 可能な限り専門家と同じように編集して生産を維持するためには、あなたの関心が私の創造的刺激の元となるのです。ハリス万歳!

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最終更新日 2006年5月19日