これまでのダイアリー
エピソード1:
ハリス・ダイアリーズの第1回目では、3番目のシリーズの撮影開始の為にクリミアのシンフェローポリでシャープのクルーに加わっている。それはウクライナでの切り詰めた3年間の最後の撮影だったが、続いて起こった出来事により決して元には戻らないと言う事が私たちに有利に働いた。
ウクライナのベロゴルスクで撮った第3シリーズの荷を持ち歩いているシーンの撮影
撮影は夏の終わりから始まったが、私たちが到着したのはちょうど4ヶ月にも及ぶ干ばつと同じ時期にあたっていて、私たちの自由時間はすぐに束縛を受けた。たらいで手を洗い、バケツでトイレの水を流すが当たり前になった。
セットでは、チョーズンマン達の最期を告げる最初の兆しを予想させた奇妙なエピソード「Sharpe's
Gold(秘められた黄金)」の撮影をのろのろと進めていた。クーパーを演じたマイケル・ミアーズ(このシリーズでは3つのエピソードの内1つだけに出演する予定である)は予定よりも早く現場を去った。製作首脳陣との意見の相違により、彼は自分の出演シーンを全て撮り終わる1週間前に家へと向かう飛行機に乗る事になってしまったようだ。
マイク・ミアーズはスタントをおこなって指をケガした。
おそらくクーパーの部分は芝居がかった意思表示だったが、製作者側が状況を操る時のやり方はシャープのベテラン達にあと味の悪さを残した。旧ソ連のリビエラと海辺のリゾート地であるヤルタに移動する事により、物事はいい方に向かうと約束しよう。
エピソード2:
ソ連崩壊後のウクライナでの生活を体験するのは時には困難である場合があるが、そのおかげで良い事もあった。その内の一つは、滞在中の拠点の大半を黒海のリゾート地に準備する事ができたことだ。その内の一つは、滞在中の拠点の大半を黒海のリゾート地に準備する事ができたことだ。私達は首都での最悪な滞在の後のその小旅行をとても楽しみにしていた。
脱走兵のシーンを撮るためにレンズを交換するカメラ・クルー
また一方、私達がヤルタに到着した時のうきうきした気分は、すぐに前回の厳しい水不足の記憶をはっきり思い出させた。当局は私たちがヤルタに到着した時、そこにはたくさんの水があると請け負った。私たちは水が確かに得られるよう、思い切った行動をとった。ストライキが続けられ、撮影は一日延期された。.
争議の後は、仲裁した組合のボス達に道具を持って撮影現場に戻り「Sharpe's
Gold(秘められた黄金)」を仕上げ、「Battle(狼の報復)」の写真撮影を開始するように命じられた。コーンウェルの原作からではないエピソードだが、次第に減って行くチョーズンマン達がもう1人仲間を失う話だ
エピソード3:
田舎で2ヶ月過ごした撮影スタッフ達は少し気難しくなり始め、それによってチョーズンマン達の世界の政変とそれ自体が明らかにされた。
アイルランド中隊とシャープによる突撃でのループの不意打ちシーンを撮るために夜の撮影を開始したおかげで、私たちの睡眠のパターンは激変した。
ウクライナのディマルジでのダラー・オマリーと「Battle(狼の報復)」のキャスト
夜の撮影とシャープの仲間達が陰で口論している事が私たちを疲れさせる中、私たちは恐れていたシーンの撮影を開始する事になった。
私たちはこのエピソードが、望んでいなかったチョーズンマンのパーキンスの死と言うシーンで締めくくられる事を知っていた。必然的に、私たちはベン・パーキンスの死ぬシーンで深く心を動かされ、3年間シャープに出演してきたリンドン・デイヴィスに別れを告げた。
エピソード4:
私たちのクリミア自治共和国での長期在職権はそろそろ切れそうだったので、私たちは撮影を終了させるため、すぐにポルトガルに移動するためのスーツケースを荷造りしなければならなかった。まず最初にハリスにとって大切なキャンディードの愛情深い勇気のエピソードである「シャープの剣」の大部分の撮影を開始した。この話では、教養あるチョーズンマンから今までで最も多くの貢献を得ている。
新しい俳優たちがソ連崩壊後の冬の夜明けに「Sword(シャープの剣)」の屋外のシーンを撮影するために到着した。それだけになおさら、もうすぐ温かい気候の場所に出発できるのを心待ちにしていたが、その前に私たちはクリミアの友人たちにお別れをしなければならなかった。
ポルトガルのブルハコでくつろぐ「シャープの剣」のキャスト
シャープの第3シリーズの撮影終了間際の日々を、イギリスの最も古い同盟国であるポルトガルで冬の日の光の中で過ごしたものだった。そこは私たちを1809年の半島戦争に連れて行ってナポレオンに直面させることから守っていた。ポルトガルでの撮影は、2年前に衝撃的な体験だった最初のクリミアでの撮影の後に難を避けた所で行われた「Rifles(第95ライフル連隊)」の将来性のある撮影の強い思い出を呼び覚ました。
エピソード5:
クリミア自治共和国で撮影での複雑に絡み合った費用や厄介な事柄のために、私たちはやむを得ず他の場所でシャープの撮影を行うと決めました。私たちは近くを探し、プロデューサーは第4シリーズの撮影場所にウクライナの黒海に近いトルコを選んだ。
撮影の最初の部分は、チョーズンマン・ハリス抜きでイギリスで開始されたが、私は「Regiment(消えた大隊)」の戦闘シーンを撮影する予定のトルコのアンタルヤに向かう飛行機でみんなに合流した。
クリミアでの撮影場所から近いにもかかわらず、トルコは私達をとても喜ばせるような西洋的快適さの条件を兼ね備えていた。マイナス面は、多分この五つ星のホテルに滞在する事によって、以前からのシャープ精神が少々衰えてしまったこと(それとリンドン"パーキンス"デイヴィスの損失)だろう。
ハリス・カムから逃れられるものは無い。トルコのアンタルヤで
幸いなことに、私たちの仕事上の行き過ぎたどんちゃん騒ぎは伝説となっていて、新しく加わる俳優たちもそのまま同じように続けることを決めていた。
ある夜遅く、主演俳優の1人がひどい怪我をして入院しなければならなくなった時、その精神の源は揺れ動いてしまった。その状況は、最初のシャープだったポール・マクガンが怪我をした時の辛さを私たちに思い出させた
エピソード6:
トルコ時代のダイアリーの2話目では、ダラー・オマリーの頬の骨の吐き気がしそうなひどい怪我からの復活が見られます。ほとんど嫌々ながら、撮影隊は「Mission(英雄譚の真実)」(ハリスのお気に入り)の残りを完成させ、「Sharpe's
Siege(絶望の要塞)」の撮影を開始するためにスケジュールを手配し直してコツコツ働いた。
豪華なアンタルヤ・シェラトン・ホテルの衛星テレビと選び放題の食事と飲み物、そしてその他の西洋的快適さは、簡単に私達から問題を忘れさせた。それまでの長いシャープの撮影中、私たちには無縁だったものだ。
ついにダラーが回復して撮影に戻ってきたので、現場の雰囲気は元に戻り撮影は続行された。私たちの全ての時間は、北の田舎と南の海岸と中東へ向かう途中の小さな町での撮影への移動に費やされた。
ダラーが頬を負傷した後、初めて病院に見舞いに行った時のもの
エピソード7:
The vast Sharpe unit pack their bags and board various modes of
transport to get us to the final stop on our itinerary, the eastern
Mediterranean coastal town of Silifke. Nearby, a castle set has been
built where we continue shooting the eleventh episode of this great
series: Sharpe's Siege.
This diarist was about to put his usual Sharpe existence on hold
with the arrival of his family on location for the remainder of the
shoot.
Before we can reach the end-of term calm of the final week we must
survive a gruelling series of night shoots and the looming spectre of
industrial unrest within the crew.
Sharing a joke on set filming Sharpe's Siege, Silifke, Turkey
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