+  卯年もバレンタインですから  +

   ※ホワイトデーですからバレンタインですから今年もバレンタインですからの一連のシリーズを先に読んでもらったほうがわかりやすいかもです。


「さて」
 タイザンはつぶやいてぱたりとノートパソコンを閉じたのでした。
「オニシバ、今日は何月何日だ?」
『如月の、13日でさァ』
「そう、2月13日だ。つまり……」
 長い長いため息がタイザンの口から漏れました。
「現代社会でもまれに見る悪習である、あの忌まわしきバレンタインデーが明日に迫っているということだ。この日に勝利を収めねば、一ヵ月後、三倍返しに悩まされることになる」
『はあ』
 オニシバの相槌はいかにも適当なものでしたが、タイザンはそれにめげる様子もなく、というか気づいた様子もなかったのですが、愁いをおびた視線で斜め上を見上げました。つられて霊体のオニシバもそっちを見上げ、
 …………白い壁以外、特に何にもねェや。
 そんなわかりきったことを再確認したのでした。
「バレンタインデーとの戦いを始めて幾年になるか……。いや、認めなくてはならんな。私は負け続けてきた。そうだな、オニシバ」
『まあ、ダンナの思い通りになったことはありやせんね。ただ、』
 勝ち負けで考えてる辺りがまず間違ってやせんかい、とオニシバが続ける前に、
「だが、敗北を次に生かせるかどうかが、人が実りある一生を過ごせるかの分かれ目だ。そうだな、オニシバ」
『ダンナ、こいつァそんなおおごとですかい』
「この一年、私は去年までの敗北の理由を徹底的に分析した」
 タイザンは淡々と述べました。その静けさの中に、彼の一年間の苦労がしのばれるようにオニシバには思われ、いやダンナもっと他にやることがあるんじゃありやせんかと思わずにはいられませんでした。
「そしてわかったのだ……。やっぱり体調管理が重要だとな」
 タイザンの遠い目には、『一年もかけてそれですかい』というオニシバのツッコミを拒絶する何かが宿っています。
「逆チョコで先手を打つという策はよかったと思うのだ。今年もそれで行く。無論、体調管理は万全にしてな」
 そして、よし、とデスクから立ち上がりました。
「万全の策が立ったところで、早速買出しだ。行くぞオニシバ」
『その策、本当に万全ですかい』
 闘志にあふれる足取りのタイザンに、オニシバの言葉は届かなかったのでした。

 バレンタインを明日にひかえ、日曜の街は浮かれかえっておりました。
『ダンナ、あれをご覧なせェよ、“バレンタインは男性から女性に花を贈る日”てなノボリが立ってやすぜ。一人一輪を配って済むんなら、楽ができそうじゃありやせんかい』
「花を贈る? 都を思い出すな。業者もいろいろに知恵を絞るものだ」
『……で、ダンナは今年も手作りちょこを用意するつもりでいなさると』
「あたりまえだろうが」
 ああ、こんなに頭の回る御仁でいなさるのに、なぜあたりまえなどという返事が来るのか。オニシバは非常に残念な気分になったのでした。そんな式神の弱気は知らず、タイザンは若い女性でいっぱいのチョコ売り場に、恐れを知らぬ足取りで乗り込んでゆくのです。
『ダンナ、手作りじゃねェんですかい。ここは嬢ちゃんがたが出来合いのちょこを買う場所ですぜ』
 間違っても成人男子がうろつく場所ではありません。しかし、バレンタインデーへの闘志に燃えるタイザンには、退却の二文字はないのです。
「今年の流行を知らねば、女子社員どものチョコを迎え撃つに足るものが作れんだろうが」
『そろそろ、そこまでやる必要がねェってことに気づいて下せェ』
 オニシバが嘆く間も、タイザンは堂々とスーツ姿でチョコ売り場を闊歩したのですが、そのさっそうたる足取りと鋭い視線はとてもただの買い物客には見えず、店員たちに『どこかの企業の重役が、バレンタイン商戦の傾向を調査に来ている?!』という誤解を招くに至ったのです。そしてその誤解も、一周回って実は正解なのでした。
「ふむ……今年は、着色料を大胆に使ったカラフルなチョコが流行りなのだな」
 ついついつぶやいたオニシバへの一言で、店員達の誤解をさらに深めていることも知らず、タイザンは何度もうなずいたのでした。
「そうか……ふむ……これならば……」
 ぶつぶつつぶやきながら、足早に既製のチョコ売り場を離れ、やっと手作り用の売り場に向かったかと思うと、製菓用板チョコやホワイトチョコや、数種類の着色料やらをぽいぽいとかごに放り込み、オニシバが拍子抜けするほど簡単にその場を後にしたのでした。
『ダンナ、その量じゃ足りねェんじゃありやせんかい』
「いや、これだけあれば充分だ」
『そうですかい?』
 とてもそうは思えないという気持ちをこめたオニシバの一言でしたが、タイザンにはまるで通じなかったのでした。いそいそと帰宅したタイザンは、さっそくダイニングテーブルに材料を並べ、湯煎の用意をし、チョコを刻み……という作業を開始しました。その熱心なことといったら、研究に熱中する化学者もかくやというほどで、
 ……ダンナ、オオスミの姐さんと同じおーらが出てやすぜ……。
 契約式神にそんな、口には出せない感想を抱かせたのでした。
『ダンナ、あっしも何か手伝いやしょうかい?』
「……よし……あとは……」
 聞いていないようです。オニシバはもう神操機に引っ込むくらいしかやることがないかと諦めかけつつも、
 ……それにしても量が少ねェや。あれだけじゃ、一人か二人に配ったらお仕舞ェになっちまう。
 そこがどうしても納得がいかず、契約者の手元を見ていたのですが、
 ……ん?
 厚紙とアルミホイルで器用に型を作り、そこに湯煎したチョコを流して、
 ……こいつァ、もしかして……。
 ホワイトチョコも同じように型に流し、一部は色を加え、また別の型に流し……と、まるで職人がするようにもくもくと進んでいく作業を見ながら、あることに気づきました。
『……ダンナ』
 必要なパーツを全て作り上げた様子で、荒熱の取れたチョコを型ごと冷蔵庫にしまったタイザンは、やっとオニシバの存在を思い出したかのようにこちらを振り向きました。
『今作ってるそいつァ……』
 タイザンは満足げにふふんと笑いました。
「あれが固まったら、パーツを張り合わせて細部を修正して出来上がりだが……何が出来るか予想もつくまい? まあ、せいぜい考えるのだな」
 その笑い方で、オニシバはますます確信を深めました。
 ですが、それを口には出しません。
 ……ここで言っちゃァ、あんまりにももったいねェや。
 そう思うからです。
『そうですかい。じゃ、固まるまで考えることにしまさァ。
 ……それはいいんですがダンナ、ちょいと思い出してほしいんですがね、そもそも、こいつァ何の支度でしたっけね?』
 タイザンはその場で三秒、考えました。そしてさーっと全身の血の気を引かせたのです。
「……義理チョコ対策……」
 壁の時計を見上げますと、もうデパートなどとっくにしまっている時刻なのです。本題を忘れて熱中しすぎた。いまさらながら、タイザンはそのことに気付いたのでした。
 ぐっとこぶしを握り、奥歯をかみ締め、タイザンは苦悩に満ちた声を絞り出しました。
「こうなっては、…………アレしかあるまいな」
『アレにしやすかい。ダンナにとっちゃ、最後の手段だと思いやすがね』
「最後の手段をとるしかない事態だということだ」
 悲壮な決意を秘めた声で宣言し、くるりとダイニングテーブル上の花瓶を振り向きます。そこには、仕事づけ生活のせめてもの潤いにと、雅臣さんが山ほど持ってきてくれた早咲きのチューリップが飾られているのでした。
「1、2、3……よし、数は足りそうだな」
 花の数を数えたタイザンは、仕事用のデスクに走り、いつかのバレンタイン前に買ってそのままだったリボンを探し始めました。一輪一輪に結んで渡せば、まだしも格好がつくという目算なのでしょう。それを見ながら―――。
 明日、ミカヅチビルの高層階で、タイザンがどんな顔でバレンタインの花を配って歩くのか。バレンタインは男性から女性に花を贈る日だとでも言って回るのか。
 それを考えると、オニシバは笑いがこみ上げて仕方がありません。
 そしてそれ以上に、今、冷蔵庫の中で固まりつつある成型されたチョコ―――タイザンが熱心に作り上げた、茶色と白とで形作られて、赤と緑の小物までついた、組み上げたら白いコートを着た犬の形になりそうなチョコのことを考えると、口元が緩むのを抑えきれず、オニシバは頑張って真面目な顔を作るのでした。
 組み上げるのを待って、あっしですかいと驚いてみせたら、今は冷や汗をかいている契約者も、愉快そうに笑うだろうか。
 そうだとしたら、それはとても幸せな……チョコ売り場にはためく垂れ幕そのものの、ハッピーバレンタインだと、オニシバにはそんな気がするのです。

11.2.15



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今年も義理チョコ対策に失敗してみました。
流行のカラフルチョコを見て、これしかない!と思った結果でございます。