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今年もバレンタインですから +
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ホワイトデーですから(おととしの話)と
バレンタインですから(去年の話)を先に読んでもらったほうがわかりやすいかもです。
「オニシバ。戦闘の必勝法の第一は何か知っているか」
重い買い物袋をデスクに置いて、呼気とともにタイザンが言葉を発した。
『先手必勝ってェやつですかい』
「そう、その通り。先手と奇襲に限る。
……ところでオニシバ、友チョコというのを知っているか」
『さあ、そんなハイカラな言葉は知りやせん』
タイザンは重々しく続けた。
「バレンタインの意味は時代とともに移り変わってきている。
現代の若い女子は、友人同士で手作りのチョコレートを贈りあい、楽しんでいるのだそうだ。それを友チョコと呼ぶのだ。
そして今年に至ってはこれだ、オニシバ。
『逆チョコ』…………。
これだ。わかるか、オニシバ」
『……さあ、なにがこれなのか、あっしにゃ見当もつきやせんが』
タイザンはにやりと口角をつりあげた。
「今年のバレンタインは先手必勝!! お返し目当ての部下どもが義理チョコを持ってくる前に、こちらから手作りチョコを渡して機先を制してやるのだ!!!」
……ダンナ、理論が3回転半くらいしてすっかり道を見失ってやせんかい。
……あと、ぎゃくちょこってェのは別に手作りでなくてもいいんじゃありやせんかね。
オニシバの内心のつぶやきも知らず、タイザンは袋から出した製菓材料を机に広げ、会心の笑みを浮かべた。
大量のチョコレートを細かく砕きながら、タイザンはネットから拾ってきた手作りチョコの作り方を眺めている。
「チョコレートを湯煎で溶かして……クリームとラム酒を混ぜてガナッシュを作る……か」
『ダンナ、溶かして型に流すだけじゃないんですかい?』
さすがに驚いて声をかけたオニシバに、タイザンはいぶかしげな視線を向けた。
「溶かして型に流すだけのどこが手作りだ。もっといろいろ手をかけなくては手作りとはいえぬだろう」
……またダンナの病気がでちまった。
神操機の中で、契約者の凝り性っぷりにオニシバはがっくりとひざを落とす思いだった。そこへ、
「式神、降神。オニシバ、湯煎のチョコレートがよく溶けるよう混ぜていろ」
あ、やっぱりあっしも手伝わされるんですね。オニシバは拒否する気力もなく、おとなしくへらでボールの中のチョコレートをかき混ぜる作業を始めた。
隣でクリームを計量カップに注いでいてたタイザンが、ふとその手を止める。
「まてよ……一般社員に配る以上、世話になっているクレヤマさんやナンカイさんに配らぬわけにはいかぬのではないか?」
「ダンナダンナ、親分さんたちにまで渡すつもりですかい」
「一応目上だからな。二人とも意外と甘いものが好きなようだし。
まてよ……となるとミカヅチにも用意せざるを得ぬか」
「……順調に墓穴掘ってますぜダンナ」
「となると一般社員と同じものというわけにはいかぬな。何か別なものを作らねば」
「なんでそう熱心に墓穴を広げるんですかい、うちのダンナは」
「もう少し豪華さを感じさせるものは無いものか、探すか」
タイザンはまたパソコンに向かい、手作りチョコのレシピを検索し始めた。オニシバは手伝う気にも止める気にもなれず、ただおとなしくチョコレートの湯煎を続けた。
「うむ、これだな。ガトーショコラだ」
満足そうな声と、プリンタが作動する音が聞こえる。オニシバはちらりとディスプレイに視線を走らせ、そこに表示されている立派な見本写真を確認した。
「そんな本格的なけーきを作る気ですかい。そんなものは玄人の作るものでしょうよ、ダンナ」
「いや、これは一般むけのサイトだ。ほら、小学生のつくったレポートが投稿されているぞ。小学生にできて私にできぬわけあるまい」
「まあ、できちまうでしょうけどね小器用なダンナなら。
ですがねェダンナ。今のダンナにァカネよりも時間のほうが貴重なんですぜ。あっしとしちゃ、その画面の横に出てる『バレンタイン義理チョコ 通販で一括購入』ってなぼたんをちょいと押しちゃァどうかと思うわけでさァ」
「なにを聞いていた。これは義理チョコではなく逆チョコだ。男が義理チョコを配ったらおかしいだろうが」
「そいつァ呼び名を変えただけじゃありやせんかい」
聞いているのかいないのか、やがてプリントアウトされたレシピを片手にタイザンが戻ってきた。
「チョコレートが溶けたか。そこの生クリームを入れて混ぜろ。生チョコトリュフのほうは任せたぞ。私はこのガトーショコラを作る」
棚から小麦粉を取り出し、慎重に重さを量り始めた。
もしかしてダンナ、結構楽しんでるんじゃありやせんかい、と、オニシバにもだんだんわかってきた。
なら、こんな作業も悪いものではない。
「なんだか楽しくなってきやしたぜ。ダンナ、あれですかい、あっしらはてれびでやってるぱてしえってやつですかい?」
「お前がやっていると、どうしても屋台のテキヤにしか見えぬがな」
馬鹿話をしつつ、卵白をあわ立て、小麦粉をふるい、小さめの型に流して、と、タイザンは順調に作業を進めた。やがてオーブンから甘いにおいが漂ってきて、
「よし。いい具合に焼きあがった」
湯気ののぼるガトーショコラを取り出し、タイザンは改心の笑みを浮かべた。
「完璧だな。これならミカヅチめも文句のつけようがあるまい」
その横で、「ひい、ふう、みい」とオニシバはガトーショコラを指差し確認する。
「ダンナ、足りやせんぜ。地流宗家と、ナンカイの親分、オオスミの姐さん、クレヤマの兄さんに配るんでしょう? ここにァ3つしかありやせん」
笑みを引っ込め、タイザンは真顔になった。
「そうだった、オオスミへの品を作るのを忘れていたな」
そして、湯煎にかかったままの余りのチョコを取り、
「わさびと、からしと、タバスコと……唐辛子はどこだ? 塩コショウも入れておくか」
熱心に混ぜはじめる契約者に、
「……だから恨みを買うまねはよしなせェって」
進路をつかさどる式神は、あきらめがちに言葉をかけた。
翌日。バレンタイン当日である。
タイザンは、頭痛と胸の苦しさで目覚めた。
『ダンナ、朝ですぜ。寝坊なんて柄にもねェ。もう起きねェと遅刻しちまいまさァ』
オニシバの声に返事をしようとするが、のどが痛くてまともに声が出ない。体の節々も鈍く痛むようだ。
『どうしやした、ダンナ』
神操機から出てきた霊体のオニシバは、タイザンを一目見るなり、
『顔色が妙ですぜ。ダンナ、熱があるんじゃありやせんかい』
と言い、それから首をかしげ、付け加えた。
『もしかして、いんふるえんざってェやつじゃあ』
タイザンの頭を、数日前にチョコの材料を買いに行ったときの光景がかすめた。レジ列の後ろに並んでいた客が、やたら咳き込んでいたような……。
急にぞくぞくっと寒気がきて、タイザンは身を縮こまらせた。熱がまだ上がるようだ。
だが、しかし。
「だからと言って……今日仕事を休めるか……逆チョコ先制攻撃をしなくては……ゴホッ!」
『ダンナ、流行り病をひろめちゃまずいでしょうに。第一途中でぶっ倒れちまいやすぜ。とにかくお医者にかからねェと』
「うるさ……」
言い返そうとした声が、ひどい咳にのまれて声にならない。這ってでも行くぞ、と言おうとしたが、起き上がろうとしても起き上がれず、タイザンは天井を見上げてうめいた。
「こうしている間にも……私の机に義理チョコが……三倍返しが……」
『ま、運がなかったと思ってあきらめなせェ』
飄々と言うオニシバを横目でにらみ、きれいにラッピングした手作りチョコを未練がましく眺め、タイザンはまた盛大に咳き込んだ。
09.2.14