天空のロエラ
幕 間 3
ああ、マリィ。
やっぱり僕らは結ばれつづける運命にはないんだね。
こんな世界でも、僕は君と二人きりで愛し合っていられれば幸せだと思うようになっていた。
僕が手にかけてきた数多の人々の面影を心の奥底に押し込めて、上から君の笑顔で塗りこめて。
――それなのに。
それなのに、もうだめなんだ。
あの映像を見た日から、僕の心の傷はぱっくりと口をあけてしまった。
幼き日、憎悪と狂気に満ちた目で見上げた空がその中にはあった。
とどめきれずに流れ出す闇は、僕の耳にこびりついた全ての人たちの断末魔を伴って僕を責めたてる。
平和がほしいと。
平和を約束してくれる女神がほしいと。
「マリィ、僕はほんとに君を愛してるんだ」
でも、これ以上一緒にいたら僕も君も、世界も、一緒に滅びの時を迎えてしまう。
「せめて、生きつづける君の心の中にわずかでも僕の居場所があったらいいのに」
僕は眠る彼女に最後の口づけを落とし、身動きすらしない彼女を残してベッドをあとにした。
封印したはずの地下の研究室の扉は錆びて耳障りな音をたてる。
しかし、長いこと電力すらまともに送っていなかったというのに、システムは起動するなり小さな唸りを上げて真っ暗だった部屋中を色とりどりの電気信号で明るく照らし出した。
僕は迷うことなくメインシステムに煩わしいほど長い『ロエラ計画』のロック解除プログラムを打ち込んでいく。
間もなく、呼び出されたプログラムは実行するか否かの最終確認を提示した。
この問いを選択し終えたら、僕の意識はもうこの世には残らないだろう。
残された僕の体はこのシステムの実行者として起動しはじめる。
核に変わる抑止力を。
世界の全てがひれ伏すほどの破壊力を持った生物兵器を。
その生物兵器に選ばれた者が、失われた神の甦りとなる。
この国の奴らは、いや、世界の奴らはみんな本気でそう思っていることだろう。
マリィ、君こそが畏怖されるべき破壊力で世界に君臨する神なのだと。
でも、それは違う。
本当は、君は何の力もないただの少女のままなんだ。
音楽を愛し、人を愛することのできるただの少女のままなんだ。
ただ、体に危害が加えられない限りその命に終わりがないというだけで。
「マリィ」
君はその手を汚さなくていい。
汚いことは僕が全部引き受けよう。
近き未来。真白く浄化されたこの世界で、君は穢れなき女神としてこの世の頂点に座す。
そのために僕は君の剣となり楯となる。
この穢れた世界を滅ぼし、新たに君が治めるべき世界を創るための。
僕に救えるものなど何もなくていい。
僕も、世界も、見知らぬ数十億もの人々も、救いなどなくていい。
僕の穢れた手がこの世を滅ぼし、君の真白い手が燻りの中から生き残った子供達を掬い上げ、彼らとともに新たな世界を切り開く。
そこに、僕はいなくていい。
いや、いちゃいけないんだ。
僕は愚かな大人ともども暗き闇を抱き、灰積もる破滅の大地の底に眠ろう。
古き世界には目覚めることなき永久の眠りを。
新たな世界には侵されることなき永遠の安息を。
そう、世界は君の穢れなき腕の中に――
僕の意識は、微かに現世を彷徨っていた。
世界の全てをこの手にかけているはずなのに。
僕は、君の腕に抱かれていた。
そして、君の胸はあの時のように噴きだす血で赤く染まっていた。
まさか、僕が君を傷つけた……?
「違う……僕じゃない。僕は君だけは傷つけないようにプログラムしておいたはずだ」
目の前にいたのはこの国の軍服に身を包み、銃を構えた奴らだった。
その銃からはまだ真新しい硝煙が吹き上げている。
「さあ、ロエラを渡してもらおうか? まさかそれしきの傷で死ぬわけがないだろう?」
間に合わなかった――
その絶望だけがじわじわと僕の身体を蝕んでいった。
世界情勢の急変のせいで、急いた奴らが渡し渋る僕から直接彼女を奪いとりに来ていたのだ。
「マリィ、どうして止めた? どうして僕を止めた?!」
「エア、あなたはもう傷つかなくていい。これ以上自分で自分を傷つけないで」
「違う! 僕が一番傷つくのは君が傷ついたときだ! 僕は……」
「エア……」
最後の言葉は口の中に溢れた血に埋もれて僕の耳には聞こえてこなかった。
理性なき生物兵器と成り果てた僕を止められるのはマリィ、女神である君の心だけだったのに。
どうしてもう少し眠っていてくれなかったんだ――!
どうしてこいつらも含めて汚いものを一掃するまで夢の中にいてはくれなかったんだ!!
「……――――――!!!」
僕の理性は引き留めてくれるものを失って、全身が怒りに満ちた破壊衝動に染めあげられていった。
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