天空のロエラ
第3章 滅びの草原



 どうして、いつもいつもうまくいかないのだろう。
 どうして、いつも僕は君を傷つけてしまうのだろう。
 好きなのに。大好きなのに。
 ねぇ、マリィ。起きてくれ。目を覚ましてくれ。
 そして、教えてくれ。
 マリィ、僕は君に何を約束できる――?


 マリィが目を覚ました時、見えたのは薄暗く埃くさい地下の情景だった。周りで誰かが動く気配がしたが、まだ黒い人の影しか分からない。
「マリィ殿、気がつきましたか」
 額に冷たいものがあてがわれたのが分かった。その冷たさを頼りに、マリィは意識を深い闇の中から引き上げる。
「キス、ミェル……」
 一番身近にいたのがアストラーダ王の弟と悟って、慌てて身を起こそうとしたマリィを、キスミェルは水に冷えた手で押しとどめた。
「寝ていなさい。傷が開く」
 大人しく冷たい石の上に横になったマリィは、ぼんやりと天井を見上げた。
「ここはどこだ?」
「外側なら走り回った覚えがあるだろう。リドルト遺跡の内部だ。今朝の地震で若干崩れて、遺跡内部への入り口が開いたのだよ」
「今朝の、地震……」
 黎明の空。ブランシュの言葉。青いペンキを塗りたくったような空。真っ赤に染め上げられた大地。そこに横たわる――。
「ぅ、あぁあぁぁ」
 動かせる右腕で顔を覆い隠し、マリィは呻いた。
「ああ、アルデレイド君のことは残念だったね。あれではもう、戦場には立てまい」
「いいんだ。もう、二度と戦場になど立たなくても。そもそも、あいつは宿屋で料理を作ってる方がお似合いだったんだ。それをわたしが引っ張り出して……運命を狂わせた」
「命は取り留めたのだから、いいじゃないか。それほど責任を感じずとも。まぁ、自力でまた歩けるかどうかは分からないが」
「そう、命は取り留めたんだから、って、キスミェル?!」
 思わず飛び起きたマリィは、首と腹に走った痛みにくぐもったうめき声を上げた。
「息はあったから、拾ってきておいた。派手に血を吹いていたようだが、それほど傷は深くなかったから、今は血も止まっていることだろう
「アルデレイドは? アルデレイドはどこに……?」
 左右を振り返りながら、マリィはアルデレイドの姿を探したが、ここにはキスミェル以外いないようだった。
「アルデレイド君なら、ある程度私が止血を施したあとデルフォーニュ軍の救護班に預けたよ。なんだね、その顔は。私の言うことが信じられないとでも言うのかね?」
「なぜわたしのことは救護班に渡さなかった? なぜこんなところになど運び込んだ?」
 噛みついたマリィに、キスミェルは聞き分けのない生徒を見るかのように首を振った。
「君はブランシュにも兄上の手にも渡るべきではないと判断したからだよ。開戦は一時停戦になったとはいえ、デルフォーニュに戻れば、君は手当てもされず放置されたかもしれない。毒の入った粥をのませられたかもしれない」
「どうして?」
「君はアストラーダ攻略、及び狂戦士の攻略に失敗した。これ以上、ブランシュとしてもロエラの重要機密を知っている君を遊ばせておくわけにもいかないだろう。狂戦士を止めるには、固まっていない血さえあればいい。たとえ死体からでも血が固まっていなければ魔除けのように利用することができる。ここから見つかった本にそう書いてあったよ。二度目の狂戦士が現れたとき、ロエラは狂戦士を治める前に死んでしまったが、その血を狂戦士に与えたところ大人しくなった、と」
「狂戦士の攻略に、失敗した?」
「あいつなら自力で君の馬に乗って逃げたよ。まあ、逃げたといってもこの遺跡のどこかに身を隠したようだけど」
「生きてるのか? あいつも?」
「どちらかというと生死の境をさまよったのは君の方だったんじゃないかね。マリィ殿」
 マリィは握りしめた拳を石の床に打ちつけた。
「そんなことをすると手を傷めるよ。手を傷めては、剣を握れなくなる」
「キスミェル。わたしはどれくらい眠っていた?」
「二時間ほどかな」
「何のためにわたしを助けた?」
「つい小一時間ほど前、ブランシュが近衛士二、三人を連れてこの遺跡の中へと入っていった。同時に兄上もやはり二、三人の供を連れて地下への入り口を潜っていった」
「姉上と熊男が?」
「熊男。なるほど、うまいことを言う」
「あ、それは、その……」
「気にしなくていい。確かにアストラーダ王は熊男だ。で、女王とその熊男が、まぁ実際に手は繋いでいなかったが、先遣隊も入れずに連れ立って中に入っていったんだ」
「お前はそれをここに身を潜めて見ていたのか?」
「そうだよ。わざわざ生死を彷徨っている鍵を見せびらかすこともないと思ってね。どうせ鍵がなければ一定以上先には進めない。焦るよりも、君の回復を待とうと腹を決めたわけだ。たった二時間で回復するような傷でもないけれどね」
「それでも血は止まったようだ。お前の目的が何であれ、助けてくれたことには感謝する」
「そうそう、素直が一番だよ、君」
「ちっ、感謝しがいのない奴」
 マリィはまだ痛む首元を庇って目だけをキスミェルとは逆の方に向けた。
「それで、鍵というのはどういうことだ? 血か? わたしの身体に流れているリドルトの血か?」
「まあ、そういうことだ」
「それなら、散々流れていた間に布にでも染みこませて持っていけばよかったじゃないか」
「ここの鍵は血液の型以外に血液の温度、質量も見るようなんだよ。つまり、生身の人間でなければ通さない仕組みなんだ」
 キスミェルは傍らにおいていた深緑色の本を開いて、内容を確認し、一人で頷いた。
「その本は……」
「さっきの地震で遺跡の一部が隆起して見つかった本の一つだ。何冊か出てきたわけだが、どれもリドルト王家の真髄に関わる重要な本ばかりでね。それも、見てくれたまえ。土埃はかぶっているが、表紙も中の紙も実はそれほど痛んでいない。どういうことだと思う?」
 キスミェル特有のもったいぶった話し方に苛立ちながらもマリィは答える。
「新しいということか?」
「近いが少々ずれている。この本をはじめとする遺跡の中から出てきた本は、作為的に我らの目の前に出現させられたものなんだよ。そうでなければ、今までどんなに掘り返しても何も出てこなかった書庫部分から、これ見よがしに本が出てくるわけがない」
 キスミェルは大げさに感動を表しながら、つとマリィを見下ろした。
「いるんだよ。この世界には神がいるんだ。その神が我々を導きいれようとしている。世界の中心に」
「神様、か。らしくないじゃないか、キスミェル。神とは人間の作り出した免罪符だといっていたのはお前じゃないか。信じるつもりか?」
「そう、神とは人の作り出した免罪符。この地下にいるのも、おそらく人工の神であるはずだ。しかしながら、タイミングよく天変地異を起こせるほどの力を持っているならば、よほど知能の優れたものなのだろう。人間が勝手に妄想し、共有することによって広めていった神とは違う。この地下にいるのは、本物の、実体化した神だ」
 一気にまくしたてたキスミェルは、熱が入りすぎていたことに気づいて、やや頬を染めてこほんと小さく咳払いした。
「さて、マリィ殿。傷の具合はいかがか?」
 話を変えるように、キスミェルはマリィの額にのせた布をひっくり返した。
 マリィはその布を掴んで上体を起こした。
「お前の思惑通りに動くのは癪だが……」
「私の思惑というよりは、神の思惑だ」
「しかし、姉上たちがすでに中に入っているのだろう? わたしたちが後からのこのこ顔を出したら、同じことにはならないか? つまり、わたしが捕らえられて鍵にされるという……」
「おそらく、リドルトの王子の方が先にあの二人と鉢合わせするだろう」
「なるほど。姉上たちはあいつに任せておけばいいというわけか」
「そういうことだ」
 頷いたキスミェルは深緑色の本を閉じた。
「それで、わたしの剣は? そっちは回収していないのか?」
 きょろきょろと辺りを見回したマリィに、キスミェルは顔を背けたまま、神妙な面持ちで尋ねた。
「時に、マリィエトレッジ。何歳になる?」
 その声は、やや落ち着きを欠いて上ずりそうになるのを必死に抑えているような声だった。
「は?」
 マリィはそう言ったまま開いた口を閉じることもできずにキスミェルを凝視する。
「何歳になるのかと聞いている」
「お前、女性に向かって年齢を聞くなんて……」
「二十五歳だろう。この時勢、どこを見ても、君の姉はともかく、その年齢で結婚していない女性はいない。剣を振り回して大陸中を歩き回っている女性となれば君くらいなものだ」
 顔をあげようとしないキスミェルに、マリィはさっと血の気が引く思いで胸倉に掴みかかった。
「わたしの剣をどこへやった」
 キスミェルは真剣な表情でマリィを見つめ返した。
「そんなに剣が大切か?」
「わたしの命を守る剣だ」
「君の命を削る剣だよ」
「違う。わたしの命を守り、デルフォーニュを守る剣だ」
「従姉弟を殺して?」
「いと……狂戦士と従姉弟だと?! 侮辱するな!」
「ああ、すでにデルフォーニュを守ることさえできなくなった剣か」
「キスミェル、貴様……!」
 煽られるがままに逆上したマリィはキスミェルの首を両手で締め上げた。
 キスミェルは悲しげな目でマリィを見つめた。
「その手は、殺すための手ではない」
 絞り出すようなキスミェルの声に、何故かマリィははっと胸をつかれる思いがして、キスミェルの首から手を離した。
 キスミェルは咳き込みながらも続ける。
「壊すための手ではない。滅ぼすための手ではない。そのための手は、あいつが持っている。君が持っている手は……持っていなければならない手は、罪なき者を掬い上げ、彼らと共に新たな世界を切り開くための手」
「……お前、何言ってるんだ」
 呆れ返ったマリィの手を、キスミェルは両手で優しく包み込んだ。
「穢れない女神の手でなければいけない」
「はっ。そんなの、今さらだろう。もうこんなに血に塗れてしまっているのに?」
 自嘲したマリィにかまわず、キスミェルは続けた。
「マリィ、もし、無事にここから出ることができたら……いや、そんなことを話しても栓がないか。私らしくもない」
「キスミェル、」
「ただ、いや、そうだな。アルデレイド君は君の手綱を握ることに関しては世界一だと思うよ。もし無事に出られたら、実家の宿屋に戻った彼に、ただの婚期を逃した女性として嫁ぎ先を彼に相談してみるといい。彼なら、私も安心だ。まあ、それでもリドルトの王子を選ぶというなら私は止めないが」
「お前、頭でも打ったのか?」
 訝しむマリィに、キスミェルは自分の右後頭部の辺りをさして見せた。
「推理力のない君にしてはよく分かったね。そのとおりだ。遺跡の崩落で小石が頭に当たってね。若干出血したが大したことはない。もう血も止まっている」
「ちょっと見せてみろ」
 慌ててマリィは正面からキスミェルの頭に手を伸ばした。がら空きになった正面から、キスミェルはマリィの背中に腕を回して抱きしめた。
「キス、ミェル?」
 思いもしない行動に、マリィは言葉を失った。
 キスミェルは大事なものを抱き潰さないように注意しながら、そっと目を閉じた。
「君となら、リドルトを復興してもいいと思った。マリィ、君となら。もう一度与えられたチャンスを私は無駄にしようとしているのかもしれない。だが、償いはしなければならない。そうだろう、マリィ」
 マリィはいぶかしげにキスミェルの後頭部を見つめていた。金髪に赤く凝ったところはどこにも見えない。かといって、今朝の大地震でキスミェルの気がふれるということは、彼に限っては万に一つもないに違いない。
 何か事情があるのだろう。たとえば突如出現したという古の本に何か感化されたとか。
 マリィはそっとキスミェルの頭を撫でるように胸に押し抱いた。
「償わなければならないことがあると思っているのなら、償わなければお前はいつまでも籠の鳥のままだろう。リドルト復興は、確かに本家の血筋が残っているというのに私たちで勝手にするわけにもいくまい。お前に王になりたいという野望があったとは知らなかったが」
 マリィがそう言うと、キスミェルは苦笑してマリィを押し離し、自分の背後に置いていたマリィの剣を差し出した。
「ロエラに望むのは、剣で世界を守ることじゃない。マリィ、それだけは覚えておいてほしい。出来ることなら、二度とこの剣は抜くな」
 マリィは意味が分からないままにキスミェルから剣を受け取った。
「それでは行こうか。神の居処に」
















←第3章(4) 書斎 管理人室 幕間3→