光の大地 空の海

3.気分は囚われのお姫様、のはずなんだけど


 敷島しきしま小柚香さゆか、あと二日で二十一歳。
 ぎりぎりまだ二十歳の女子大生。
 そんなわたしは、日々激動する世界を的確に把握し分析するために経済学を学ぶ超現実派(のつもり)。
 今日も国際経済学の講義に出て帰宅途中、あろうことかいつの間にか異世界に引きずり込まれ、帰るために募金活動をしていたら詐欺のおばあちゃんにはめられて警察にしょっ引かれてしまいました。……とさ。
 お金って奴は、どうしてこう人を信頼させかけといて、最後に手ひどく裏切ってくれるんだろう。
 今回はカードだったわけだけど。
 ほんと、ここ数年というものお金には縁がない。
 お金だけじゃなくて、人生の運も完全に費えてしまったようだ。
「出してよーっ、ご飯もっとよこしなさいよーっ、ちゃんと壁あるトイレに行きたいよーっ」
 鉄格子を両手で握って、薄暗い中、がたがた揺らして騒がせてやろうと体重をかける。
 が、鉄格子は隙間なくはめられていて、少しもぐらつく気配はなかった。
「ったくもうっ。道路は近未来的だったくせに牢屋はレトロなのねっ。もっと気合入れたもんにしないと逃げられるわよ!」
 悪態をついたところで「うるさい!」と怒号が返ってくるわけでもない。
 ただ空しい静寂だけが目の前の通廊には横たわる。
 仕方なく、わたしは鉄格子に背中を預け、膝を抱えて小さな窓から見える月を見上げた。
 異世界でも月は白い。
 輝くばかりで音を出すわけでもない。
 二つあるわけでもないらしい。
 その月の小脇には、下弦の月の光に負けず薄橙色に輝く星が一粒。
『小柚香お嬢様、あれ、木星ですよ!』
『木星? ほんとに?』
『間違いないですって。待っててください! 今天体望遠鏡持ってきますから。きっと運がよければ大赤斑っていう赤い縞々が見えますよ!』
 誰だっけ。
 あの超楽観主義なお兄ちゃんは。
 そうだ、隣りの家のお兄ちゃん。
 ごくごく普通のお家に生まれて、後生大事に買ってもらった天体望遠鏡大切に抱えてたお兄ちゃん。
 お父さんはうちの系列のグループ会社の会社員で、お母さんはうちの屋敷でパートのお手伝いさんとして働いてくれてたっけ。
 だからいつも小柚香お嬢様、小柚香お嬢様って呼んで遊んでくれて。
 たくさんの童話を読み聞かせてくれたのもこのお兄ちゃんだった。
 わたしは、……このお兄ちゃんがちょっと、いや、結構、好きだった。
 うん。幼心に、初恋だった。
「どうしてこんなこと……」
 思い出したんだろうって、あいつがわたしのこと再三の注意にもかかわらず『小柚香お嬢様』ってお嬢様とつけて呼びつづけたせいだ。
「ったく」
 もうお嬢様じゃないっての。
 うちのグループは不況にやられて、わたしが高校二年生の時に倒産しちゃったのよ。
 残った負債。行き場を失った従業員。株主からの怒号の電話。
 それらを抱えてよく父と母が自殺しなかったものだと、今でもそれだけは感心してしまう。
 おまけに、何があっても娘の学資保険だけは切り崩さなかった。
 でも、隣りのお兄ちゃんは職を失ったご両親と一緒にどこかに引っ越して行ってしまった。
 もう、四年ほど前のことになる。
 最も、お兄ちゃんはその頃、とうに大学生になって隣の家から出て行ってしまっていたけれど。
「……ああ、そっか」
 お兄ちゃん一家がいなくなってからだ。
 わたしの妄想癖に拍車がかかったのは。
 あの頃には、高校一年までに買って読んでた少女漫画と小説は全部売ってしまっていた。一冊数十円にしかならなかったけど、冊数はあったから一月のおやつ代くらいにはできたのだ。
 物語の世界へ逃げ込みたい欲求は大概図書館で満たしていたけれど、図書館にはお堅い本しか置いていなくて、結局自分の想像の翼を羽ばたかせるしかなくなっていた。
 さすがにやばいと、大学入ってから自制するようにはなったけど。
「あれ、木星かなぁ。あんなに光ってるんだから木星だよね。土星……より白っぽいし」
 でも、わたしの世界と同じ惑星が浮かんでいるとも限らない、か。
「お兄ちゃんと見た大赤斑、せめてもう一回一緒に見たかったなぁ」
 拘置所にさほど留めおかれることなく移されたどこぞの刑務所、一晩め。
 なんと、明朝処刑執行だというのだから驚きだ。
 まあ、なんて野蛮なお国。
 わたしが昼間見た近未来都市では、戸籍もない、身証してくれる人もいない、そんな奴には人権が保障されないのだそうだ。それも、あのおばあちゃんに賠償払えないっていうなら窃盗でも極刑(ほんとは窃盗なんかじゃないのにさ)。
 当然、弁護士なんか請求したところで国選弁護人がついてくれることもない。
 あれよあれよという間に空欄の多いわたしの取調べ書には、法務大臣がついたらしい極刑の赤いハンコが鮮やかに刻まれて戻ってきた。
 その処理の早さだけは手を叩いて誉めてあげてもいいと思う。
 が、これは人の生命にかかわること。
 異世界から資金集めのために人を攫ってきたサイレス研究所とやらの研究員にわたしをはめたあのおばあさん。募金箱だけとりあげて、「ちょっと手伝ってもらってただけなんですー」なんて言い通しやがったあのククル!!
 許すまじ。
「どんな殺され方されるのかわからないけど、たとえこの身が処刑場の露と消えても、この怨念だけは決して消えないように砂粒の一粒一粒にまでなすりつけてきてやるわ!」
 拳を握ってそう決心したものの。
「わたし、まだ夢見てるのか」
 心は違う意味で萎え折れた。
 わたしは、まだ誰か――そう、例えばあのククルとかが助けに来てくれると思っているらしい。
 気がつけばわたしは、この牢屋の鉄格子の一本か二本、逃げ出せるように細工されているんじゃないかと捻ってまわしていたりする。
 往生際の悪さは悪いことじゃないと思う。
 無実なのにむざむざ殺されてやる理由なんかないんだから。
 だけど、わたしが許せないのは、まだ誰かに、何かに期待しているってこと。
 誰かが、何かが何とかしてくれる。わたしを助け出しに来てくれる。
 ご都合主義の物語の筋書きに必死でしがみつこうとしてる心の弱さが、我ながら情けなかった。
「現実を見ろ、現実を!」
 高校二年のあの時から自分に言い聞かせてきた言葉。
 だけど、もはやどれが現実なんだか分からない。
 というか、やっぱり現実なんか見たくない。
 今寝てしまえば、明日の朝には自分家のベッドで目を覚ませるかもしれない。
 あるいは路上で見てるただの白昼夢だと気づくことができるかもしれない。
 わたしはごろりと堅くて狭い部屋の隅の細長い台に身体を投げ出した。
 気のせいか埃が舞い上がったような気がする。
 気のせいじゃなく、わたしは咳き込みくしゃみをした。
「現実だ。現実なんだ……これが……」
 いよいよ異世界トリップものらしくなってきたじゃない。
 ハイテク社会に飛ばされて、スーツ姿の男に募金の手伝いさせられて、一時はどうなることかと思ったけど、そう、異世界ものの醍醐味っていったらやっぱこれしかないじゃない。
 囚われのお姫様!
「はんっ」
 やっぱり馬鹿だわ、わたし。
 開き直ったところで誰も助けに来てくれなきゃほんとに明日、あ…した……。
 殺される前の日って、神経衰弱して眠れないのが普通でしょうに。
 わたしの神経どこまで図太いのかしら。
 抗いがたい眠気と全身を気だるく覆っていく倦怠感。
「うそー……このまま寝たら、わたし……」
 一服盛られたとしか思えない。
 ああ、もしかして明日とかいっといてこのまま眠ったまま刑に処されてしまうんだろうか。
 それは……嫌な思いしなくて済むけど、でも、こんな強制的な終わり方は……い…や……。
 










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