光の大地 空の海

2.異世界トリップ女子大生に愛の手を


 敷島しきしま小柚香さゆか、あと二日で二十一歳。
 ぎりぎりまだ二十歳の女子大生。
 そんなわたしは、日々激動する世界を的確に把握し分析するために経済学を学ぶ超現実派(のつもり)。
 今日も国際経済学の講義に出て帰宅途中……帰宅途中、あろうことかいつの間にか異世界らしきところに引きずり込まれてた。
「……それで? どうしてボランティア精神のかけらもないこのわたしが首から募金箱提げて『白い羽根募金、よろしくお願いしまーす』なんて愛想よく叫ばなきゃならないのよっ!」
「えー、だって、小柚香お嬢様帰りたいんでしょう?」
「帰りたいわっ。だから帰り道を教えてちょうだいって言ってるんでしょうが!」
「でーすーかーらー、帰り道作る研究にはお金がいるんですってば」
「それなら帰り道作るシステムも完成させてから連れてきなさいよっ!」
「行きはよいよい、帰りはこわいー♪」
 はっ倒してやろうかしら、この野郎。
 殺気を感じたのか、慌てて金髪碧眼の美青年は口を閉じ、かわりにえらそうに胸を張る。
「システムできたら使ってみたくなるもんじゃないですか。それに上から資金下りるの待ってたら、研究完成いつになるか分からなかったんだもーん」
 開き直った幼稚園児かっての。
「資金が下りないなら価値がないか危ないかどっちかだったんでしょうっ?」
「価値がないなんてひどいわっ! これは異世界との交流を目的とした友好的かつ平和的なシステムなのにっ」
「どーこーが、友好的だって? 拉致ってんのと同じでしょうが! このすっとこどっこいっ」
 さーっ、と募金のためかものめずらしさからか集まってきていた人々が引いていく。
「あーああ、こーりゃりゃ。せっかくの金づるたちが」
「こんな人目の多いところで堂々と周りの人たちを金づる呼ばわりするなっ」
 肩で息をしつつ、すかさずわたしはつっこみを入れる。
「あららぁ、ちょっと怒鳴ったくらいで息きれるなんて小柚香お嬢様も年だなぁ」
「だったら、もっと若くてぴちぴちの高校生連れて来ればよかったでしょっ!? こんな年増なんかじゃなくっ。でもって何回お嬢様って呼ぶなって言ったらわかんのよっ」
「だって、お嬢様はお嬢様じゃん」
「わたしはただの一般ぴーぽーよっ、一般ぴーぽーっ」
 ああ。
 ほんとに息が切れる。
 小一時間、こんな極限状態で怒鳴り続けていれば、そりゃ誰だって体力削り取られていくでしょうよ。麗しいウグイス嬢のような声だってしわがれた魔女みたいな声になるでしょうよ。
「もう、あんまり怒鳴るともらえるお金ももらえなくなるよ。帰りたいんでしょ? ならもっと愛想よく、ね?」
 幼稚園児を宥めるように美青年――ククルは困ったような微笑を浮かべて小首を傾げて見せた。
 ちっ。
 わたしの心臓め、やかましい。
 そんな所作にだまされるな。
 いくら面食いだからって、男は性格が第一よ。
 いい? 小柚香。
 この男はね、異次元間転送機とやらの実験のために、わたしの世界のそこらへんの道端に見えない門を設置して、餌のないゴッキーほいっ☆の如く、誰かが気づかずその門をくぐってこっちの世界にほほいと来ちゃうのをくすくす笑って待ってたような奴なのよ?
 おまけに、物でなら試したらしいけど、生物段階になった途端にいきなり一般人をその罠にかけて実験の成否を試そうだなんて……!!
 なんて傲慢。
 なんて倫理観に欠けた奴。
 帰りたいって言ったら、「資金不足で開発が止まってて、帰り用の転送機はまだ物質変換が上手くいかないままなんですー。向こうに出たときに壊れた半熟卵みたいな格好でいいなら今すぐにでもお帰しますけどぉ?」だぁ?!
 ざけんな。
 冗談も休み休み言えっての。
 おまけにこの世界の説明もなんもなしにいきなり募金箱なんか首にかけてくれちゃって。
「帰りたかったら自力で開発資金集めてください」
 って、綺麗な顔してあんた鬼? 閻魔様も真っ青よ。
「あ、僕のこと逆恨みしないでくださいね。僕はあくまでサイレス研究所の下っ端お掃除要員。ほんとなら直接研究所に来てもらうはずだったのに、座標軸の調整失敗してあんな道路の下に呼んじゃったのも、開発資金足りないからいっそその足で同情集めて募金して来いって言ったのも、全部サイレス研究所のディユ主任なんですからねっ」
 座標軸調整失敗って、わたし、よく無事に五体満足でこっちの世界に来られたもんだわ。
 てか、ディユ主任て誰よ。
 こんなことさせる前にそいつに会わせなさいよ、全くもうっ。
 首に重くのしかかる募金箱を持ち上げてわたしはため息をつく。
 ククルの背後に掲げられた横断幕には『異世界から来た女子大生に愛の手を! 研究資金にご協力ください!』と達筆な字で恥ずかしげもなく書かれている。誰がかかるか分からなくて空白にされていた部分――「女子大生」のところだけは、さっきククルがマジックで書き足していたから字がすごく汚いんだけど。
 なぜ帰るためのシステムが完成されないまま、わたしはこの世界に連れてこられてしまったのか。
 ククルは何度聞いても言葉を濁すばかりで誠意のカケラすりゃありゃしない。
 だけど、「国が予算をくれなくなったから開発を凍結せざるを得なくなった」と資金不足の理由を説明しているからには、馬鹿げているが、どうやら国家プロジェクトとしてわたしの世界とこの世界とを結ぼうという研究をしていたらしい。
 まあ、お偉いさん方も気づいたんだろう。
 そんな異世界にケンカ売るような研究よりも、国内インフラの充実に国家予算注ぎこんだ方がよっぽど有意義だと。
 ところがどっこい、中途半端で研究を投げ出したくなかったサイレス研究所の人たちは、誰でもいいから向こうの世界から一人誘拐してきた上で(=既成事実を作ってしまった上で)、帰すためと銘打って大々的に寄付を募って研究続行してやろうと目論んだわけだ。
「うん、そうに違いない」
 言いなりになって実行しちゃうククルもククルだけど、そんな計画を提案するサイレス研究所だかの奴らも奴らよ。
 それも大金必要なはずなのに、募金活動要員がこの下っ端お掃除要員と誘拐されてきた被害者だけってどういうこと?
 え? 月9の再放送はいいのかって?
 太陽が西の摩天楼の狭間に沈みゆく六月末。
 月9の再放送なんかとうに終って、今頃六時のニュースが始まる頃でしょ。
 こっちの世界の時間はあっちの世界よりも時間の進みが早いんです。なんてお約束、信じたくてもわたしの腕時計の時間とこっちの電光掲示板の時計とが同じ時間をさしているんだもの。期待はできない。
 わたし達がいるこの大通りの一角も、さっきよりもぐっとワイシャツ姿のサラリーマンやスーツ姿の女性が増えていた。
 同時に、哀れむ人々の割合も増えたのか、一気に募金箱は重くなっていく。
「うーん、まだまだ足りないなぁ。あーあ。女子大生でもまだ可憐さとか健気さのカケラは残ってると思ったのに。この人じゃ可憐も健気レベルも大幅ダウン。夕飯買い物時の主婦の心は掴めなかったかぁ」
「どういう意味よ!」
 ヒロインと王子様ははじめはいがみ合うってパターンもあるけれど、世にはツンデレなどというものも流行っているようだけど、こいつは違う。絶対違う。
 じゃあどのパターンだというの?
 ああ、なるほど。
 今はいびられ期で、そうそう、この募金活動を通してそろそろほんとの救いの手を持つ王子様が現われるのね!
「……はぁ」
 盛り上がりかけた高校以来の大妄想に、わたしは盛大なため息を吹きかけて大きくならないうちに揉み消した。
 馬鹿な妄想ばかりしてたからこんな目にあうのよね。
 わたしはフィクションに夢を見すぎたの。
 こんなんだから二十年間、ううん、二十一年間……やめよ。悲しくなってきたわ。
「もう、小柚香お嬢様! そんなしけた面してたらかっこいいビジネスマンがつられてくれないよ!」
「! かっこいいビジネスマン?! 将来安泰?!」
「……うん、そうそう」
 わたしの決まりきった連鎖反応に、さすがにククルは苦笑を浮かべた。
 気にするものか。
「見た目ばかりキラキラしい万年最下層お掃除研究員よりも、現実、目の前にいるビジネスマンの方が比べ物にならないくらいいいわよね!」
 鬱々とした気分を吹き飛ばすかのようにふつふつとやる気が湧いてくる。
「よし、がんばるぞ!」
 気合を入れて募金箱を持ち上げ、人通りの中へとわたしは駆けていく。
「すみませーん、故郷に帰るためにご寄付、よろしくお願いしまーす! 日本に帰るための研究資金をどうか、よろしくお願いしまーす! 白い羽根募金、白い羽根募金、よろしくお願いしまーす!」
「おお、おお、健気だねぇ。どれ、わたしの財産でよかったら全部持ってけ」
「あ、おばあちゃん、ありがとう……」
 動く壁のような会社帰りの人々の中、腰ばかりはしゃんとしているが、いかんせん背が低くて人々から揉み出されるようにして現われた白髪のおばあちゃんが、お財布からなにやらカードを取り出した。
 金色のカード。
「それはだめっ」
 わたしは慌てて、おばあちゃんの顔の前まで下げていた募金箱を横にそらした。
 ゴールドカードは反応の遅かったおばあちゃんの手からゆっくり離れて、歩道に落ちて一度跳ねる。
 わたしはしゃがみこんでそれを拾い上げた。
「はい、おばあちゃん」
 中腰でおばあちゃんの顔を覗き込みながらわたしはおばあちゃんの前にゴールドカードを差し出す。
「泥棒」
「は……ぃ?」
 差し出されたゴールドカードを見たおばあちゃんは、それまでの温かな媼の顔を脱ぎ捨てて、刻み込まれた皺を顔の中央へ向けて深めはじめた。
「泥棒だよぉぉぉっっ! この子ったら私が落としたカードをそのまま募金箱に入れて盗もうとしたんだよぉぉぉっっっ!!」
「な……んですと……?」
 張りつけといたわたしの愛想笑いは凍りつく。
 遠くからはピピーッという、一年の体育の時に聞いて以来しばらくぶりに聞くホイッスルの音。駆けつけてくるのは、あらま、異世界でも警官と一目で分かる青基調の制服のおじさんたち二人。
「ククル」
「なんでしょ、小柚香お嬢様」
 狂乱したふりを続けてわたしからカードを受け取ろうとしないおばあちゃんを尻目に、わたしはククルを振り返る。
 焦った様子もなく、ククルはわたしの首から下がっていた募金箱を取り上げた。
「じゃあ、これは預かっておくから」
 にっこり笑んだその凶悪な笑みを、わたしは一生忘れない。











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