雨降り館
6月20日(水) 雨のち晴れ

(1)

 かみさま。
 かみさま、かみさま、かみさま、かみさま。
 ぼくはわるい子でしたか?
 ぼくがわるい子だから、みんないなくなってしまうんですか?
 ひさめお姉ちゃんも、お母さんも、お父さんも、ひとしおじいちゃんも、まつだせんせいも、ひなおばちゃんも、にせものシンジも、お兄ちゃんたちも、みんな、みんな、ぼくがきらいになっちゃったんですか?
 かみさま。
 ねぇ、かみさま。こたえてよ。
 どうして……どうしてひさめおねえちゃんをつれて行っちゃったんですか?
 ぼくを助けるためだったって、ほんとう?
 ねぇ、もしほんとうなら、ぼく、こんな命いらない。ぼくの命かえすから、ひさめおねえちゃんを返して。
「そうだ……ぼくがいけでおぼれていれば、いまごろひさめおねえちゃんはぶじだったはずなんだ。それなら……」
 それなら、池に行けばいい。池に行って、ちょっと怖いけど、でも怖いのはすぐに終わる。黒い闇に包まれれば、あとはそのまま何も怖くなくなる。何も感じなくなる。気持ちよくなれる。水の中で、お母さんのお腹の中にいた時のように。そう、戻るんだ。お母さんのお腹の中に戻るだけ。
 戻るだけ。
 僕が戻れば、ねぇ、神様、氷雨さんを返して下さいますか?




「やーい、田村の家の貰われっ子〜っ。悔しかったら本当の子になってみろ〜っ」
 違うよ。僕は貰われっ子なんかじゃない。
「じゃあどうしてお前ん家は弟の名前の方に『一』の字が使われてるんだ? 『一』ってのは長男って意味だろ? お前の親父から『真』の字をとって、田村家の長男だから『真一』。違うのか〜? 違うならどう違うのか言ってみろーっ」
 違うよ。違う。だって、父さんは僕が長男だって言ってたもん。僕は父さんに目が似てるって言われるよ。母さんの鼻に似てるって言われるよ。僕は、まぎれもなく父さんと母さんの息子だよ。四歳年下の真一は、まだ二歳にもなっていないんだ。僕はもう五歳になるよ。ね、神様。
 僕はあの家の子供だよね?




 目を開けても周りは暗いままだった。どこからか怒鳴り声が聞こえたり、カツコツと靴がコンクリートを叩く音が聞こえてくる。
 僕は膝を抱えていた腕を解いて、一度背筋と腕を大きく伸ばした。それから深く息を吐き出す。
「余裕だなぁ、真至」
 隣でごろ寝をしていたまー坊が溜息混じりにふてくされた声を上げた。
「余裕じゃないよ、ちっとも。今頃氷和さんたちがどんな目にあっているかと思うと気が気じゃない」
「寝てたくせに?」
「そ、それは……」
 事情聴取は一人ずつ、姓名、住所、電話番号、両親の名前を皮切りに、なぜあの教会に滞在していたのかまで事細かに、一人ひとり小さな部屋に呼び出されて尋ねられた。僕たち三人は、連れて行かれる直前に了ちゃんに含み聞かされたとおり、どんなに目の前の机をはたかれても、怒鳴られても、泣きそうになっても、黙秘を貫いた。貫いたというよりは、何も答えることができなかった。名前はともかく、住所は区画整理の関係でこの時代とは多少なりとも変わっているし、電話番号は下手すれば田村の家や魚正、福地村の村長の家に繋がる。両親の名前を正直に答えたとしても、この時代ではほとんど同じような年頃なのだ。誰も信じてくれるはずがない。そもそも、両親たちと同じ名前の彼らが頷くわけがない。怒鳴られたり、宥めすかされたりと緩急使い分けながら問われると、どうしても口を開きたくなってくるのだけれど、喋れば喋るほど怪しい人物にされていくのは目に見えていたので、僕は震えながらも警官たちとは顔を合わせないように俯いていた。しかし、何も答えなければ答えるまで狭い一室の真ん中に座らせられ続けるのかと思っていたけれど、意外と警官たちは見切りが早く、僕たち三人は事情聴取が終わるなり次から次へと鉄格子つきの拘置所に入れられていった。
「正典、それくらいにしとけ。お前もさっきまで本当に寝てただろ」
「そうだけどさ」
 了ちゃんにたしなめられたまー坊は、ぷぅっと頬をふくらませてごろりと寝返りを打って僕に背を向けた。了ちゃんがその背中を仕方なさそうに見やる。
「ところで真至、うなされていたみたいだけど、何か夢でも見ていたのか?」
「夢?」
 鸚鵡返しに僕は呟き、霧散しかけていた夢の欠片を意識の中にかき集めた。
「そう、夢、かな。小さい頃の夢だった。すごく悲しかった夢と、それから……」
 一つ目は思い出して楽しい夢じゃない。でも、二つ目は――。
「まー坊たちにいじめられていた頃の夢」
 僕は小さく笑った。
 釣られて了ちゃんも笑い、まー坊の肩を突いた。
「だってさ。どうする?」
「どうするも何も、しょうがないだろ。真至なんて、いきなり俺らの輪の中に大人の手で放り込まれてきたんだぞ。五歳だけどずっと一緒に育ってきたわけじゃない。でも、本当ならいたはずだから仲良くやってくれって、子供の世界は大人が思うほど単純じゃないってことだよな」
「それにしたってひどかったじゃないか。まー坊たちは何か理由をつけては僕を追い出そうとしてた。入梅の時に桜が咲くのだって、信じてくれないどころか嘘つき呼ばわりだ。僕が本当は田村の家の子じゃないんじゃないかってまで言い出してさー。真一が本当の長男だろうって。ほんと、何か理由を見つけては僕のことを仲間外れにしようとしてた」
 笑いながらも夢の続きを思い出し、苦いだけじゃない嫌な後味が口中に広がってきた。
「変だったからだよ。大人たちはみんなでこそこそ、こそこそお前の後ろで囁きあってたんだ。あの子はどうの、この子はどうの。そんな奴と一緒にいたら、俺らまで変な目で見られだすかもしれないって思ったんだよ」
 まー坊は僕に背を向けたままぶっきらぼうに言った。
 埃をかぶっていた僕の幼い頃の記憶が、少しずつ埃を取り除かれて明らかになっていく。
「あの子はどうの、この子はどうのって、たとえば?」
「たとえば? たとえば……そうだな。耶蘇山の神隠しの子、とか、魔女の子、とか、猫の子とか……」
 思い出すのが大儀なのか、それとも言っていいのか悪いのか決心がつかないまま口にしているのか。いずれにせよ、歯切れ悪く、のらりくらりとまー坊は答えた。
「耶蘇山の神隠しの子。魔女の子。猫の子」
「意味、わかんないだろ? でも、大人たちはみんなそれで通じてるんだよ。気味が悪かったね、はっきり言って。なのに父ちゃんたちは真至と遊んでやれって口やかましく言うんだ。俺はもう、そんなあいつらが嫌でいやで」
「御両親をあいつらなんて言うんじゃないよ」
「な? 一言目から、了一はこれだぞ? 五歳のガキがそんな説教垂れんだぞ? 余計、疎ましくなるだろうが」
「そう、だったんだ……。じゃあ、一体僕はいつからまー坊や了ちゃんたちとこんなに仲良くなったんだっけ?」
 思い出せない。五歳当時の毎日を克明に思い出そうとなんかするつもりはない。ただ、できることならば思い出せれば前後が繋がると思うのだ。もし、あのちびシンジが幼い僕だったとしたら。
 まー坊と了ちゃんは、当時を思い出そうとするかのように顔を見合わせた。
「お前が現れてすぐ、池に落ちた話はこないだしたよな。そのあとだよ。なんのこたない。俺が池で了一に殴られて改心させられて、元気になったお前のこと遊びに誘ったんだよ」
 ――悪かったな。
 けして目を合わせようとしないまま、そう呟くようにいったまー坊の姿が目の前に蘇ってきた。まー坊はその日、学校帰りにわざわざ僕の家にまで来て、玄関先にこわごわ出て行った僕に、こんにちはの挨拶もなく、なぜ来たのか理由も言わないままにただ一言、そう言ったのだ。そうだ、そのあとすぐに外に連れ出されて、無理やりけいどろの仲間に加えられたのだ。
「まー坊がうんと言えば、周りのみんなは真至に対してほんとは興味深々だったからね。あっという間に真至は僕らの仲間になった。そうして今となってはまー坊の一番の友人、だよな?」
 まるでまー坊のことを僕に託すかのように、了ちゃんはじっと僕を見つめた。僕は喉につかえた何かを飲み下すように頷いた。まー坊は「けっ」と天邪鬼よろしく再び僕に背を向ける。
「んなことより、だ。了一。いつまでもこんなところで大人しくしてるつもりなんかないんだろ? どうせ俺たちの世界じゃないんだ。脱走しようが破壊しようが、元の世界に戻れりゃお咎めなしだ」
「はは、まー坊、ずいぶんと大きく出たね。単純にこの世界が僕たちの世界の過去だとは思わないの?」
 了ちゃんの言葉にどきりとしたのは僕だった。
「叱られるとしても、向こうに戻れればの話だろ? 少なくとも、今ここで時間を潰していたって帰られる気は俺はしないね。すごく、嫌な予感がするんだ」
「嫌な予感……氷和さんの体調、すごく悪そうだったね」
 思い出したように了ちゃんが言った。
「結核に感染していたみたいだって、真人さんが言っていた。氷雨さんのことでかかりっきりになっていて見落としたって」
「結核?! そんな、まさか。それならどうして結核だって言わないんだよ。感染してるって分かったらこんなところまで連れてこないだろ?」
 飛び起きたのはまー坊。
「言ってたよ。言ってたけれど、警官たちが信じなかったんだ。医者もグルになった仮病だろうって。顔色の悪さもそうだけど、ここに連れてこられるまでも何度もいやな咳をしていたし、真人さんの心配ぶりも尋常じゃなかった。そうだな。早い方がいいな」
「早いほうがいいって、了ちゃん、何が?」
 先の読めない僕を、まー坊は呆れた目で見つめた。
「決まってるだろ。逃げるんだよ。氷和さんだけでも助けてさ」
「え? は? 待ってよ。逃げるって、どうやって? 氷和さんがいる場所だってわかんないんだよ? 大体、運よくここから出られたとして、どこに行くんだよ」


 ニャァァ


 喚いた僕の耳に、聞きなれた猫の鳴き声が聞こえてきた。ついでにしゃらん、という鍵束の鍵が擦れあう音まで聞こえてくる。
「そんな、まさかぁ」
 そういった僕の目の前に、黒い影がすぅっと忍び寄り、魚屋から奪い取ってきた魚を置いて見せびらかすように、僕の目の前に鍵束を置いた。
「よくできてんなぁ、お前んとこの猫」
 感心しながらまー坊はタマの丸い背中を撫でた。
 僕はタマの金色の目を覗き込む。


 ニャァ


 ふふん、とばかりにタマが小さな声で鳴く。
 そうこうしている間に、遠慮がちに施錠が解かれる音がした。
「りょ、了ちゃん!」
「行くんだろ? それとも一人でここに残るか?」
 覚悟を決めた了ちゃんが開きかける扉を押さえて僕を振り返る。そして、タマがもう一度鳴く。


 ニャァァァァ


 腑抜けが、と嗤うように。
 僕は唇を噛み締め、もう一度タマと見つめあ……いや、睨みあった。
「わかったよ。行くよ。おい、タマ。お前、氷和さんのいる場所、調査済みか?」


 ニャァ


 誇らしげにタマは胸を張ったようだった。了ちゃんの足元をすり抜けて、まだちゃんと開いていない牢の鉄格子の隙間に身を通して、ついて来いとばかりにこちらを振り返る。
「タマの後についていって氷和さんを見つけたら、僕が氷和さんを背負う。そのあとは……」
「そのあとは、耶蘇山の教会へ逃げよう。とにかくまずは山に入るんだ。村中のみんなに追いつかれる前に」
「分かった」
 僕とまー坊は頷き、了ちゃんが本格的に開いた扉から堂々と檻の向こう側に出た。










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