京橋太刀賣 石工 藤兵衛〜その三代の系譜を探る
石屋藤兵衛がいつから京橋太刀賣の地に住みはじめたのかはわかりませんが、
石像物を追って行くと3人の藤兵衛がいたと考えられます。
最近の相次ぐ新たな発見で、その作と銘から文政期〜明治期までの三代にわたる石工の系譜が見えてきました。
そこで、この項を大幅に書き換えて、太刀賣 藤兵衛の三代の系譜を探って行きます。(2018.12.30)
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初代藤兵衛
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高輪神社の石塀に「セ人(世話人)藤兵衛」と名があります。
江戸石工十三組の奉納(文政十年七月)ですが、300名余の石工名と道具印(職人の目印)があり、これにより藤兵衛が八丁堀材木町組内の石工だった事が分かります。
初代藤兵衛は分銅を自分の道具印(写真左)として使用しています。
江戸十三組の中でも世話人を務めるほどの石屋でしたが、自身では狛犬を彫らず腕の良い石工に依頼(プロデュース)していました。
文政10年(1827) 久伊豆神社(埼玉県越谷)の狛犬(写真下左)は永熊
文政十三年(1830) 諏訪神社(千葉県流山)の狛犬(写真下右)は石田屋知卜
天保六年(1835) 天現寺の虎と天保十四年(1843) 諏訪神社(南品川)の
灯籠は包吉が彫っています。
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久伊豆神社(埼玉県越谷市越ヶ谷・文政10年) |
諏訪神社(千葉県流山市駒木・文政10年) |
成田山新勝寺(千葉県成田市)獅子山 |
嘉永3庚戌年5月吉日 |
嘉永3年(1850)の千葉県成田市の成田山の獅子山(写真上)は藤兵衛がプロデュースし、包吉が彫ったものと考えられますが銘は「石屋・落款・藤兵衛」となっています。
藤兵衛の落款はこれが最後でこの期に隠居したと思われます。
初代藤兵衛の活躍時期は文政10年(1827)から嘉永3年(1850)までの23年間。
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二代目藤兵衛
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2代目を継いだのは、石彫工包吉。
包吉は天現寺の虎(天保6年)を刻んだのが縁で腕を見込まれて養子に入ったのではないでしょうか。
これ以降台座には藤兵衛の名と包吉、そして包吉の花押(左)が刻まれるようになりました。
包吉が二代目藤兵衛を襲名するまでの過程が、その狛犬の銘から良く分かります。
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天現寺の虎の後、天保十年(1839)の千葉県習志野市の牛頭天王社の狛犬に「江戸京橋太刀買 石工 藤兵衛 彫物 包吉作・花押」と彫られています。
最近、狛犬の尾の付け根にその名を刻むことが判明したこともあり、包吉の狛犬が次々と発見されています。
(Tak Suzuki さんの発見・報告による)
天保十二年(1841)の千葉県松戸の松戸神社
弘化三年(1846)の港区赤坂の氷川神社
嘉永三年(1850)の千葉県佐倉市の高産霊神社
嘉永五年(1852)の埼玉県加須市の千方神社
建立年のない千葉県安房郡鋸南町の第六神社
と「彫工包吉・花押」の名だけで納めた狛犬が5対も見つかりました。
その他包吉作と思われるが銘のないものや、尾が未調査なども含めて数対あり、包吉が狛犬彫工として自営していた事を裏づけています。
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赤阪氷川神社 弘化3年 |
千方神社(加須市中央)嘉永5年 |
その後、弘化四年(1847)の千葉県館山の八雲神社では「江戸京橋太刀買石工藤兵衛 同所住 包吉作・花押」と刻まれ、住所が同じになりました。
これは太刀賣籐兵衛がこの時期に包吉を後継者と決めて、同所に住まわせたことによるのではないかと思われます。
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東叶神社(横須賀市東浦賀町) |
赤坂氷川神社 尾の下の銘「包吉・花押」
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東叶神社 「江戸京橋太刀買包吉作・花押」
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尾の下のまるで隠し文字のように刻まれた包吉の銘と花押。
成田山にある唐子レリーフには包吉の銘と花押、また別に「太刀買」の落款もあり、包吉は名を残すことにかなりこだわっています。
であるが故に、この花押の有無が包吉(二代目籐兵衛)作であることの証ともなっています。
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大杉神社(茨城県稲敷郡)蔓延元年 |
松戸神社(松戸市松戸)天保12年 写真 Tak Suzuki さん |
豊川稲荷(港区赤坂) 蔓延元年 |
豊川稲荷の銘
蔓延元年(1860)の千葉県稲敷郡の大杉神社(写真左上)では「江戸京橋太刀賣 石工 藤兵衛・(包吉の)花押」と変わりました。
また同年の豊川稲荷のキツネにも同様に「京橋太刀賣 石工 藤兵衛・(包吉の)花押」と刻まれています。
藤兵衛を名乗り、包吉の花押だけを刻している…つまり、ここで包吉が藤兵衛を継いだことが分かります。
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血筋では無く技術を持った包吉が藤兵衛になったということのようです。
なを、二代目藤兵衛の最後の狛犬は文久二年で、千葉県安房郡鋸南町の日枝神社にあります。
二代目藤兵衛(包吉)の活躍時期は天保6年(1835)から文久2年(1862)までの27年間ですが、正式に藤兵衛の名を継いだのは蔓延元年(1860)頃からと思われます。
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三代目藤兵衛
諏訪神社(町田市相原)慶應4年 |
山神社(南房総市)慶応3年 |
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慶応以降になると太刀賣 石工 藤兵衛とだけ刻み、包吉の花押が見られなくなります。
藤兵衛が包吉ならば花押を刻んだはずで、花押のないのは三代目と考えられます。
三代目藤兵衛の作は
千葉県南房総市の山神社の慶應3年(1867)から明治15年(1882)の港区赤坂の氷川神社まで
狛犬4対と獅子山2対があり、晩年と思われる神奈川県横須賀市の長安寺には明治23年(1890)に彫った不動尊像があります。
時代が明治になると「京橋南紺屋町 石工 木村藤兵衛」と刻み、住まいを地元だけの呼び名であった太刀買を正式な地名の南紺屋町に変え、木村を名のっています。
三代目が残した狛犬・獅子山を見ると二代目に習ったものを素直に再現しているように感じられます。
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諏訪神社(香取市佐原)明治7年 |
氷川神社(港区赤坂)明治15年6 |
明治十五年、赤坂氷川神社の獅子山(写真右上)に「京橋南紺屋町 石彫工 木村藤兵衛」と刻み、それが最後の狛犬となりました。
三代目は慶應三年(1867)から明治十五年(1882)までの15年間ですが、その後の作品は発見されていません。
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太刀賣石工藤兵衛の屋号
石造物には3代に渡って銘が残っていますが『屋号』が記されたものは一つもありません。しかしながら幕府公認の石工の株仲間である『御府内石工十三組』の名前帳が複数現存しており、ここには所属親方の組、住所、屋号などが記載されています。私は文化年間と万延年間の名簿を確認しましたが、そのどちらにも八丁堀組に『南紺屋町 房州屋 藤兵衛』と書かれているのです。これまで見つかっている狛犬の三分の一くらいが南房総にあったため「安房に太い人脈があったのでは?」と思われていましたが、これで確実になりました。
つまりおそらく御府内石工十三組結成時の一七〇〇年代後半までに江戸で開業した初代の藤兵衛が安房の出身で、安房の商人や江戸住みの同じく安房出身の商人達と何代にもわたって繋がりを持ち続けていたため、『同郷のよしみで安房の仕事を多く請けていた』のではないでしょうか。
23対目になる天御中主神社(南房総市和田町小川)の狛犬には世話人として名主・組頭の名と共に「麹町 安房屋富藏」と刻まれていました。これは江戸麹町の安房出身商人ですので確かな裏付けとなるものと思われます。
「狛犬の杜-144号」より 鈴木隆弘
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文政10年(1827)から明治15年(1882)までの55年間、3代に渡る藤兵衛の足跡を下表にまとました。
※ 2020.12.30 鈴木隆弘氏の情報を元にリスト更新
包吉の「尻尾の下」「腹の下」に刻まれた銘・花押は鈴木隆弘氏の発見によるものです。
※ 2021.11.1 リストを更新
※ 2023.1.22 最後の作と思われてた長安寺の「不動明王像」が明治五年のものとの確証が得られたため(鈴木隆弘氏の調査による)リストを更新
※ 2023.1.22 鈴木氏により新たに確認された作として宝仙寺の「四国八十八ケ所五十八番石塔」と永久寺の「猫塚供養碑」を追加更新
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社寺名
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所在地
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種類
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建立年銘
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西暦
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石工銘/藤兵衛名
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サイン
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高輪神社内太子堂 |
東京都港区高輪2-14-18 |
石造冠木門と石塀 |
文政十丁亥年七月吉日 |
1827 |
藤兵衛の名と道具印(商標)あり、レリーフは紅葉川住石田屋知卜刻と熊山彫の銘 |
道具印 |
久伊豆神社 |
埼玉県越谷市越ヶ谷1700 |
狛犬 江戸玉獅子 |
文政十歳次丁亥年八月吉日 |
1827 |
江戸京橋太刀賣 石工藤兵衛 彫工永熊 |
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諏訪神社 |
千葉県流山市駒木655 |
狛犬 江戸玉獅子 |
維持文政十三年歳次庚寅秋七月令辰 |
1830 |
京橋太刀賣 石工藤兵ヱ 獅子細工人石田屋知卜 |
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天現寺 |
東京都港区南麻布4-2 |
トラ |
天保六之未歳猛夏月吉日 |
1835 |
京橋太刀賣 石工藤兵ヱ 虎 包吉作 |
花押 |
八坂神社
※1 |
千葉県習志野市津田沼4-10 |
狛犬 江戸 |
天保十年己亥九月 |
1839 |
江戸京橋太刀賣 石工藤兵衛 彫物 包吉作 |
花押 |
松戸神社 |
千葉県松戸市松戸1457 |
狛犬 江戸 |
天保十二辛丑歳九月吉日
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1841 |
彫工 包吉 |
花押 |
諏訪神社
※2 |
東京都品川区南品川2-7-7 |
龍巻燈籠 |
天保十四年卯年正月 |
1843 |
京橋太刀賣 石工藤兵衛 彫工包吉 |
花押 |
大六神社 |
千葉県安房郡鋸南町大六38 |
狛犬 江戸 |
銘無し |
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包吉作 |
花押 |
東叶神社 |
神奈川県横須賀市東浦賀町 |
狛犬 江戸両玉獅子 |
銘無し |
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江戸京橋太刀賣 包吉作 |
花押 |
氷川神社 |
東京都港区赤坂6-10 |
狛犬 江戸両子獅子 |
弘化三丙午歳三月吉日 |
1846 |
包吉〜尻尾の下 |
花押 |
八雲神社 |
千葉県館山市正木 |
狛犬 江戸両子獅子 |
弘化四丁未年七月吉日 |
1847 |
江戸京橋太刀賣 石工藤兵衛
同所住 包吉作
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花押 |
瀧内神社 |
千葉県いすみ市大原503 |
狛犬 江戸両子獅子 |
嘉永二己酉星仲春吉辰 |
1849 |
包吉作〜腹の下 |
花押 |
天御中主神社
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千葉県南房総市和田町小川
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狛犬 江戸両子獅子 |
嘉永二己酉七月吉日
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1849 |
江戸京橋太刀賣 石工藤兵衛
包吉作〜尾の下 |
道具印花押 |
成田山 |
千葉県成田市成田1 |
獅子山 |
嘉永三庚戌年五月吉日 |
1850 |
太刀賣 石屋藤兵衛 |
分銅 |
成田山 |
千葉県成田市成田1 |
唐子遊びレリーフ |
銘無し |
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包吉(太刀賣の落款) |
花押 |
高産霊神社 |
千葉県佐倉市生谷497 |
狛犬 江戸 |
嘉永三年庚戌十一月 |
1850 |
包吉〜尻尾の下 |
花押 |
千方神社 |
埼玉県加須市中央2-5-27 |
狛犬 江戸両子獅子 |
嘉永壬子夏(5年) |
1852 |
包吉〜尻尾の下 |
花押 |
神明神社 |
千葉県南房総市千倉町平舘 |
狛犬 江戸両子獅子 |
嘉永五年壬子閏二月吉祥日 |
1852 |
江戸京橋太刀賣住 包吉作之 |
花押 |
諏訪神社
※2 |
東京都港区南品川2-7-7 |
龍巻燈籠 |
安政六未年六月修復 |
1859 |
京橋太刀賣 石工藤兵衛 彫工包吉 |
花押 |
大杉神社 |
茨城県稲敷郡桜川村阿波958 |
狛犬 江戸尾立 |
蔓延元年歳在庚申四月 |
1860 |
江戸京橋太刀賣 石工藤兵衛 |
花押 |
豊川稲荷 |
東京都港区赤坂1-4 |
キツネ |
蔓延元年歳在庚申四月大吉祥日 |
1860 |
京橋太刀賣 石工藤兵衛 |
花押 |
日枝神社 |
千葉県安房郡鋸南町上佐久間 |
狛犬 江戸玉獅子 |
文久二年壬戌五月 |
1862 |
江戸京橋太刀賣 石工藤兵衛 |
花押 |
※ 習志野市の八坂神社、天保十年の狛犬は現存してません。中国製の岡崎型に代わってしまっています。
※ 諏訪神社の灯籠は同じ一つのものです(天保14年〜安政6年に修復) |
宝仙寺
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東京都中野区中央2ー33−3
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四国八十八ケ所五十八番石塔
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元治元甲子年七月
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1864 |
京橋太刀賣 石工藤兵衛 |
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山神社 |
千葉県南房総市和田町上三原
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狛犬 江戸玉獅子 |
慶應三歳十一月吉日 |
1867 |
京橋太刀賣 石工藤兵衛 |
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諏訪神社 |
東京都町田市相原町 |
獅子山 |
慶應四戊辰七月吉旦 |
1868 |
京橋太刀賣 石工藤兵衛 |
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八幡神社 |
千葉県南房総市安馬谷936 |
狛犬 江戸両子獅子 |
明治二己巳年六月大安日 |
1869 |
江戸京橋太刀賣 石工藤兵衛 |
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香取神社 |
千葉県柏市花野井1000 |
狛犬 江戸 |
明治三庚午年六月吉日 |
1870 |
京橋南紺屋町 石彫工 藤兵衛 |
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長安寺 |
神奈川県横須賀市久里浜2-8-9 |
不動明王 |
明治五年 |
1872 |
東京京橋南紺屋町 石工木村藤兵衛 |
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諏訪神社 |
千葉県香取市佐原イ1,020-3 |
狛犬 江戸 |
明治七甲戌八月吉日 |
1874 |
京橋 石彫工 木村藤兵衛 |
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永久寺
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東京都台東区谷中4-2-37
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猫塚供養碑
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明治十一年戊寅七月
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1877 |
『魯文珍報』に猫容石工 木村藤兵衛、碑銘彫 宮亀年のと記載
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香取神社
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千葉県野田市関宿台町2710
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獅子山
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明治十四歳第九月
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1881
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東京々橋○○ 石彫工 木村○○
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氷川神社 |
東京都港区赤坂6-10 |
獅子山 |
明治十五年六月十五日 |
1882 |
京橋南紺屋町 石彫工 木村藤兵衛 |
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文;山田敏春(再構成;阿由葉) 写真;山田敏春・阿由葉 情報提供;鈴木隆弘氏
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