狛犬はなし-01 寄子中のキツネ
 狛犬はなし(その30) 〜 飢饉と改革の間


千葉県習志野市の牛頭天王宮(津田沼4-10)にいる太刀賣石工藤兵衛の狛犬が、ネツトで紹介されていたので行ってみた。
3月11日の地震の影響で社頭の鳥居の貫部分と扁額が落ちている


奉納年は天保六年四月で額は五月だ。
狛犬に影響は無いが阿像がかなり傷んでいる。

二段目の台座の面が一部欠落し字も摩耗し薄くなって読み取りづらいが、銘は「天保十年己亥九月(1839)」のようだ。
一段目の台座には「江戸京橋太刀賣 石工藤兵衛 彫物 包吉作(花押)」とあり、願主と世話人十八人、横脇には名主の向島与惣左ヱ門、吉野勘兵ヱの名がある。


現存する太刀賣藤兵衛の名がある石造物は石工十三組の石塀、狛犬・獅子山7対、虎1対、狐1対、燈籠2基、レリーフ2枚だが、これで狛犬が8対になった
今後も新発見を期待したい。

狛犬は藤兵衛・包吉コンビの作とは思えないほど小さく、石も小松石ではない。
果たしてこれは藤兵衛達の狛犬だろうかという思いがよぎるが、一段目の小松石の台座にはっきり太刀賣の銘があるので間違いはないだろうと思う。
狛犬から時代をみると、天保四年から七年までは天保の飢饉、そして天保十二年からは天保の改革、どちらも景気が悪い
飢饉と改革のはざまの天保十年の狛犬から感じられるものもやはり景気の悪さだろうか。


                                     2012年2月 87号より
                                        山田敏春