高輪神社(旧・常照寺太子堂)

中央左の鳥居前に狛犬が画かれています

岳寺駅から品川方面へ5分ほど行くと右に高輪神社があります。
当社は昭和55年に太子堂、稲荷社、庚申堂そして高輪地内の八幡社を合祀し、現在の高輪神社となりました。
かつて社前は街道を挟んで海でしたが、今は新幹線などが走っていて昔の面影はありません。
道に入ると大きな石鳥居が建っています。

右の柱に「了寛文七年未三月二十二日(1667)
奉建立
華表太子講 江戸石方惣中」とあります。

これは当時江戸にいた石工が加盟していた太子講という仲間組合が建立したものです。

居をくぐり、石段を登った拝殿前に狛犬がいます。
宝永六年己丑二月二十二日(1709)京橋大工講中 作者 石屋左治郎」と刻まれています。
こちらは
大工職の仲間組合の奉納です。

これが当時一の鳥居前にいて、名所図会に描かれた狛犬ではないでしょうか。

狛犬の造りは素朴であまり飾り立てず、おおざっぱな造りですが、体に触れてみると力強さと時の流れを感じます。

都歳時記によれば2月22日に聖徳太子像を開帳する寺院がいくつかあります。
また3月22日には常照寺太子堂の開帳があり正徳太子自ら刻んだ像をみせるとあります。
太子堂は職人が信奉する正徳太子を祭っていて職種や寺社によっては月違いのようですが、狛犬や鳥居の奉納月を見ると大工は2月の22日石工は3月の22日太子講の祭日だったようです。

石塀の内側には見事なレリーフ刻まれています

子講は今で言えば組合活動に懇親会を合せたようなもので正徳太子の像を掲げ御神酒を捧げ、祈ったあと相談事や決め事を話し合い講中の結束を図ったそうです。

現在の太子堂は高輪神社の社殿の左、御府内石工十三組が奉納した石塀のなかにあります。この石塀は関東大震災の後、石匠酒井八右衛門が修復したものです。

文政11年(1828)建立
安政4年(1857)修復
大正13年(1924)修復

高輪神社 東京都港区高輪2-14-18

2001年21号より
(2007.9 加筆訂正)
写真:山田・阿由葉