職員室から

園長から

2012年6月21日

 5月の母の日、そして6月は父の日に、かわいい『ありがとう』が、 お子さんから届けられたことでしょう。
 子どもたちは、大人から教えられた「ありがとう」に、その子だけの優しさを 込めて、この言葉を贈るのだと思われますが、私はこの頃”THANK YOU”とは 違う「ありがとう」の深い味わいを感じるようになりました。相手に感謝するだけ でなく、「有難い」につながるこの言葉は、自分でかみしめ、時に自分に言い 聞かせることにもなります。「私のためにありがとう」「わたしにとって本当に 有難いこと…」という思いです。
 世界各国の「ありがとう」の言葉には、それぞれの成り立ちがあり、意味も あるでしょうが、それらを知る由もなく、今はただ日本語の深さを感じて います。
 どんな些細なことであっても、心の底から有難いと思うとき、自分を支えて くれている目に見えない大きな力の存在を感じ、そのまま「祈り」に導かれて ゆくように思えるのです。
 でも、心の中でどんなに有難いと思っていても、言葉にして、声に出して相手に 言わなければ「ありがとう」は自分の中でも本物になりません。『ごめんなさい』 も同じでしょう。子どもたちは、私たち大人がお互いに交わす「ありがとう」 「ごめんなさい」を聴きながら、また、時に自分に向けられるこの言葉に、 どれほどの心がこめられているかを感じることによって、本物の感謝の心を 小さい胸の中に育ててくれているのではないでしょうか。
 『ありがとう』、『ごめんなさい』この二つの言葉をもっともっと大事に したいと思います。

小さい花7月号より


2012年5月18日

新緑が燃える街で今思うこと
 敢えて予備日も決めず、お天気だったらいいなと願いながら待ったこいのぼり運動会、 幸いでした! たくさんの参観をいただき、ありがとうございました。
 私たちは行事の度にお天気を心配し、時には予備日を第1、第2まで設定します。
さまざまな関わりの中でスケジュールが過密になり、避けられない現状ではありますが、 当たり前のようにそうする私たちの意識や姿勢の中に何か大切なものが欠け落ちている のではと思うこの頃です。
いろいろな職業、中でも農業や漁業に携わる方々にとって、天候のもたらす影響がどんなに 重大であるかは言うまでもないこと。近頃のような異常気象では、山の色や海の波を 見ながら作業の段取りを決めて行うことも難しく、どれほど苦労をされていることでしょう。 それを思えば私たちの行事が時に予定通りできなくても‥・‥。 出来ないときはそれなりの意味がどこかにあるのでは? 予備日を決めるのはー見自然尊重のようですが、一方少し自分中心でもあるのでは? ふさわしい天気を一心に願いながら、出来るだけの準備をして待ち、雨でできなかったら 残念だけれど、その時点で次のチャンスを探す、といった自然とのつき合い方が できないものでしょうか。柔らかい心で自然の変化に目を留めながら生活を作り上げていく という人間としての謙虚な姿勢を、こんな時代だからこそ大事にしたいと思います。

 21日の皆既日食に向けて関心が高まっています。「天体ショー」という感覚で扱われること にも首をかしげています。何10年に一度の現象に出会えるチャンスはめったにありませんが、 今私たち、とりわけ今成長中の子どもたちと共にいる者にとって、もっと大切なことが忘れられ ていないでしょうか。それは毎日見たり、触れたりする自然の変化を敏感に肌で感じ、その美しさ、 不思議さに感動できる心を持つことです。
太陽と地球、月が―直線上に並び、それを目で捉えられることは貴重な体験に違いありませんが、 それに劣らない自然の神秘が、私たちの周りには溢れています。 毎日必ず日が昇り、日が沈む、夜がどんなに暗くても開けない夜はないこと、人間が自然を 破壊せず、また、人間同士そして他の生き物との共有さえ守れば、食べ物が与えられ命をつなぐ ことができる、など、数え上げれば尽きない自然からの贈り物に私たちは囲まれています。 人間とすべての生き物、地球、また宇宙のほんの一部であっても、身の回りの自然にもっと近づき、 目を凝らし、驚きと感謝の心で見守ることができれば、私たちの生活もほんとうの意味で もっと豊かになるのではないでしょうか。
子どもだちといっしょに、山々を眺め、沈む夕日を見送ったり、葉っぱの裏を返してみたり、 松本なら町のあちこちに湧水をさがすことも‥・。身近な自然に積極的に近寄って、驚きと感動 の体験をご家族でも存分に味わっていただきたいとおもいます。

小さい花6月号より


2012年4月19日

 昨日18日は、ばら、ゆり組の遠足、すみれ組の松本市コミュニティーバスお 披露目式参加、ともに穏やかな春の陽に恵まれて、幸先の良い今年度のもう一 つの出発となりました。園庭の花壇のチューリップも小さい背丈ながら色鮮やか に咲き始めています。ばら組さんよく遊び、よく食べられましたね。
ゆり組さんも頑張ってみんなよく歩いたとのこと、素晴らしい子どもたちでした。 お付き合いくださったお父さん、お母さん方はお疲れだったと思いますが‥‥?
 この冬が長く、厳しかった分、昨日のアルプス公園ではいつもと違う植物たち の美しい姿に目を見張りました。私たちがお弁当を食べた草原の少し奥、博物 館の裏に当たる土地にかけて広がっていた何とも綺麗なブルーの色に気付か れたでしょうか。この朝、ちらほらと花を開き始めた桜並木が遠目にはピンクに 染まり、お城の濠を包んでいましたが、ここでは、澄んだブルーがかすみのよう に草原を蔽っています。近づいてみると、『いぬふぐり』の群れでした。空の青に 負けじと小さい花ぴらを精一杯太陽に向けて開いています。この冬の厳しい寒 さを土の中でどうやって耐えてきたのだろう。糸のように細い根で、今日のこの 美しさのためにどんな備えをしていたのだろうと思うだけで、いとおしさで胸がい っぱいになります。一輪一輪のこの澄んだ青は厳しさに耐えてこその美しさ でしょう。そして、命そのものの美しさだと思わずにいられませんでした。
今、向かいの広場で歓声を上げている子どもだちと同じように‥‥。
青い小さい花たちが、春の陽のもと短い茎を精一杯伸ばして花を開いているよ うに、子どもたちも、ご両親の苦労を惜しまない愛に育まれ、大切にされてきた からこそ、今、こうして楽しくはしゃいでいられるのだと思います。
花も、子どもたちも、命を輝かせている、この命と共にいられることに感動と感 謝を深くした一日でした。 ありがとうございました。

小さい花5月号より


2012年4月6日

新しい年度の初めにあたって
 春はそこまで来ているのでしょうに、厳しかったこの冬はまだ立ち去り難いか のようなこのところの風の冷たさです。それでも、人知れず春を呼びながら開花 の時をまっている桜たちの、健気さに気付いてはっとさせられます。不順な気候 の中、たくさんの廃棄ガスを浴びながら黙々と自分の生命を精一杯生きようと するその逞しさは、私たちが子どもたちに願う姿でもあります。
 今年テレジア幼稚園を選んでくださった子どもたちとそのご両親、そして今年 も続いて通ってくださる子どもたちとそのご両親、それぞれ異なる事情であって も、その一人一人を神さまが招いてくださったと思うとき、感謝とともに、何とか 皆さんのお力にならなければとの思いが強くこみあげてきます。
 子どもたちは今、ご両親から大切にされ、どの子もみんな幼くかわいらしく幸 せいっぱいですが、私たちの目と心が常に向いているべきは、この子どもたち の将来です。目先のことの満足ではなく、将来人間としてどう生きて行くのか、 何を選んで行けるのかを心に留めて、それぞれの育ちを見守り、支えることで はないでしょうか。
 ご両親のお子さんへの深い愛を想うとき、無力さを感じてしまう私たちですが、 少しでもその心に寄り添って園での生活が充実するよう精―杯の努力をさせて いただきたいと願っております。
 入園.進級のお喜びに合わせ、この一年どうかよろしくおねがい申し上げます。

小さい花4月号より


2012年2月24日

今年度最後のお便りに苦言を呈することをお許しください。

 今年のお母さん方の間で、携帯電話が人との関わりを歪めているのでは と感じた経験を何度もしました。
一人の人が聞いたこと、見たことの内容をよく確かめもせずに、自分の 感じたことを交えてすぐ誰かにメールする、或は自分の「こうではないか」 と思ったことをいかにも実際にあったようにメールする。
受けた人もよく確かめもせず、「それは大変だ、きっと~だ」との憶測を 交えて次の人にメールする。次の人も何の疑問ももたずに受け取り、 丸呑みにし、思い込みとなる。
他の人から別の情報が入ってもその思い込みできくので受け入れられず、 そうなると事実から、真実からますます離れていく。
思い込みで人から人に話が伝わればやがて「○○さんはこういう人」だと 人を判断し裁いてしまう。誰にそんな権利があるでしょう。
根拠のない情報を鵜呑みにして慌てたり、憤慨したり、敵意を抱くまでに なることもあります。人も自分も結局は傷つくだけ、 …何と悲しいことでしょうか。

 携帯電話は使い方が正しければとても便利なものです。
ところが大きな落とし穴があることに日頃から気づいていらっしゃいますか?  緊急時の連絡、たった一言のメールで人を救うことができるし、 喜ばせることもできる、すばらしい手段です。
でも使い方を間違えると大変なことに…
 本来人は社会的生き物で、人を好むように、人と交わる喜びを感じられる ように生まれついていて、人と人との触れ合いの中で育って行くものです。 物事の真相を見極め、考える力を養い、社会性を身につけるには人と人との 面と向かい合っての、からだとからだ、心と心のぶつかり合いの経験を 重ねることが必要で、皆さんの子どもたちは、今その幼児期の真只中、 そのために幼稚園に出してくださっています。人格形成の基本、そこには 人と人との関わり方が大きな部分を占めており、全くの無菌状態に置いて、 一日中何事もなくただ楽しく過ごして帰ってくればいいということでは ありません。
生まれて初めて経験する仲間との衝突、時には無視されたり、誤解されて 責められたり、冷たい言葉に傷つくこともあるでしょう。
けれど又そんな時「どうしたの、大丈夫?」と声をかけ、涙を拭いてくれる 仲間も現れる…つまり喜びや悲しみを分かち合える仲間に出会うのも、身体を 寄せ合い、手をつなぎ、ぶつかり合ったりしながら生活することによって 初めて得られる実りであります。
それ程価値のある環境に子どもを送り出したお母さんが、相手の顔の表情も 見えない一方的な発信のコミュニケーションで満足し、相手の気持ちを想う 努力もせずに人を判断し、時には悪者にしてしまう。
そんなお母さんのもとで子どもは心豊かに育つでしょうか  人のこと(当事者)を皆の前で悪く言ってしまう場合も、 日頃からメールで一方的発言を重ねていて、相手の気持ちを考えることも 忘れるなら目の前に人がいてもその人の傷つく ことを平気で言えるようになってしまうのでは…?
 そこで誰かからメールを受けた時、「これはおかしい」 「あぶない」「意味がない」など、どんなに親しい人からであっても 一度は考えてみること、「あやしい」と思ったら決して乗らないこと。 携帯電話は利用するものであって、利用されたり、振り回されたりするのは、 本当に残念、大人として恥ずかしいことです。

 毎年30,000人以上の自死が続いている今の日本です。 回りの人とのコミュニケーションがうまくとれなかった方が多いとききます。 メールの使い方、今すぐ皆で見直しましょう。 大切なこどもの将来のために!

小さい花3月号より


2012年1月11日

ひと月足らずでしたが、子どもたちはそれぞれに大きくなり、ぽっちゃり したほっぺのばら組さんが何人もいるのは、うれしいやら、ほほえましいやら… 頼もしい気持ちでの新年スタートとなりました。 「心元気にたくましい」育ちの一年にしてゆきましょう。

お知らせより