職員室から

園長から

創造する力を養う    小さい花 11月号
                           聖テレジア幼稚園 園長 鵜飼好一

 急に寒くなり、体調を崩しそうです。2、3日前から風邪気味です。お城の周りの桜の木の葉が赤く色づいてきました。最近は御嶽山の噴火や2つの大きな台風の被害など自然災害についてのニュースが目立っています。いつも当たり前と思っていたことがそうではないと気づかされます。そういったことに過度に不安になったり、逆に全く無視したりすることは良くないでしょう。神の摂理という言葉がありますが、どんなときにも神様の愛を信じ、出来事の本質に触れられれば良いのですが…。 子どもたちは運動会を終えました。快晴ではありませんでしたが、ある意味で天気に恵まれ、ご家族と一緒に楽しいひと時を過ごせました。今は、11月の作品展示会に向けて幼稚園では準備しています。 創る喜び…。これはテレジア幼稚園が大切にしている言葉の一つです。世界をお創りになった神様は私たちにも創る喜びを味わわせて下さいます。無からこの世界をお創りになった神様の創造とは違いますが、自然を観察し、自然をまねしたり、想像力を働かせて新しい物を造る喜びは誰もが体験している大きな喜びではないでしょうか。 子どもたちは日々そのような体験を積み重ねています。大人と違って、技術が未熟な子どもたちは、表現力ということでは自分が思ったように体を使って表現することは難しいかもしれません。しかし、未熟さゆえに、単純で本質を捉えた表現がなされます。子どもたちの想像力や発想に時々びっくりすることがあります。大人の常識を超えた想像力や発想をします。毎日の遊びの中でもそういった力が発揮されます。大人はその力を妨げないように気をつけなければならないでしょう。想像力を養うことはとても大切なことだと思います。同時に創造力も養っていかなければならないでしょう。 何かを造るということは、そこに造られたものと特別な関係が生じます。神様と私たちの関係を味わうためにも必要なことです。物を大切にすることを学ぶためにも必要でしょう。農家の方々がいかに心を注ぎ、苦労してお米や果物、他の農作物を育てるかを私たちは知っています。台風の時、せっかく実りの時を迎えたのに全く無駄になってしまうかもしれない農家の方々の悔しさをニュースで流していました。 創る喜びや育てる喜びを私たちは自然の営みの中で体験していきます。豊かな自然との交わりは私たちの想像力や創造力を養ってくれます。それは、神様がお与え下さる恵みです。創造力の源として子どもたちが素晴らしい自然に触れて素直に感動する心をいつまでも失うことがないように願います。

言葉によって育まれる「こころ」    小さい花 10月号
                           聖テレジア幼稚園 園長 鵜飼好一

 この頃はめっきり秋らしくなってきました。朝晩はもう寒いくらいです。風邪をひいてお休みする子どももけっこういるようです。季節の変わり目はいつも注意が必要ですが、変化についていけないほど急な変わりようです。お天気も大変不安定な様子です。運動会に向けて子どもたちは一生懸命準備していますが、いいお天気に恵まれるよう祈ります。 子どもたちの元気な姿に接すると嬉しくなります。どこかしょんぼりしていたり、沈み込んでいる姿に接すると心配になります。声をかけても返事がない…。特にばら組の子どもたちにとっては、言葉で上手に自分の状態や、気持ちを伝えることはまだまだ難しいようです。そんな時、どんな声かけをしたらいいのかと考えこんでしまいます。 さて、言葉を覚えるということは、考える力がつくということです。小さいときから考える習慣を身につけさせる訓練は必要です。「何?なぜ?どこで?誰が?どのようにして?何を?…」子どもは好奇心の塊と言ってもいいでしょう。世界や、出来事に対して、問いかける習慣を培うこと。答えを見つけるために自分の力を発揮できるように導くことは大切なことではないでしょうか。言葉を知ることによって人間はその心を人間らしく成長させることができます。三重苦のヘレン・ケラーの話は大変よく知られています。 幼稚園ではよく絵本の読み聞かせをしていますが、子どもたちも絵本の読み聞かせはとても好きなようです。それぞれのクラスには何冊もの絵本が置かれています。好きな子は自分で本を取り出しペラペラとめくりながらその世界に入り込み自分なりに味わっています。絵本の世界は子どもにとって私たちの世界の広がりや心の世界に触れる貴重な瞬間ではないでしょうか。 先日、サムエル先生の英語の時間を参観させていただきました。とっても上手で感心しました。子どもたちを長時間にわたって引き付ける魅力あるパフォーマンスや、その日に覚えさせたい中心になる言葉を巧みに繰り返しながら上手に導いていました。外国語を教えることはまだまだ日本語も十分とはいえない子どもたちには大変難しいのではないかと思いますが子どもの心をしっかりと掴んで教えていました。 私は聴覚障害を持つ方々と交わる機会をしばしば持っています。音に頼ることのできない彼らのコミュニケーションに必要なのは、手話だけではなく、口の動き、顔の表情、体全体のパフォーマンスが大きな割合を占めています。私たちも言葉の足りない子どもたちの心をしっかりと受け取り理解して対応できるように努力したいと思います。

聖テレジア幼稚園のこれから    小さい花 8・9月号
                           聖テレジア幼稚園 園長 鵜飼好一

 先日お手紙で正式に園長に就任したことをお知らせしましたので、今回は「小さい花」での園長として初めてのたよりとなります。園長の交替はありましたが、今まで通りこれからも聖テレジア幼稚園はカトリック幼稚園として「イエス様の愛の教え」を土台に据えて、子どもたち教え導いていきます。 以前にも別のところで少し触れましたが、来年から幼稚園の新制度が始まります。4つの選択の中から選ぶように行政側から求められていますが、来年度は今までと変わりなく今まで通りの聖テレジア幼稚園を継続していく予定です。保護者の方々にはいつかしっかりとご説明する必要があると思います。これは、テレジア幼稚園が属している聖トマ学園としての方針でもあるのです。  一番大切なことは、最初に書きましたように、私たちの幼稚園は「イエスさまが教えて下さった愛の教えに基づく教育理念」を大切にしているということです。「神様の愛を知り、互いに愛し合うことの大切さを伝えていくことです。」子どもを育てる保護者の方々の「子育てを支援するため」と銘打ってはいますが、経済的な理由でカトリック幼稚園の根本的な良さを失ってしまう可能性がある場合、新制度への移行は慎重でなければならないと判断しました。この選択は来年度に向けての選択です。行政側からは来年度から5年間の間に新制度への変更は可能であると示唆されていますので、決して新制度を無視するということではなく慎重な選択を目指してのことです。  子どもたちは毎日、幼稚園で多くの人々との交わりや出来事の体験によって多くのことを学んでいきます。成長は交わりを通してのみ可能なのだと言えるでしょう。世界との交わり、人間との交わり、神様との交わりです。カトリック幼稚園として、しっかりとした世界観、人間観、神観を子どもたちに伝えることを通して、子どもたちの成長に奉仕することを大切にしています。  現実問題として、子どもたちと一緒にいると、常に子どもたち同士の衝突を目にします。その時こそ、子どもたちの成長を促すよい機会なのでしょう。衝突があるときにこそ何を大切にしなければならないかを子どもたちに教える良い機会なのです。まだまだ自己中心的で依存的な子どもたちですが、他者を思いやり奉仕する豊かな心を確かに持っています。愛され愛することを学び、主体的に自分の道を切り開いていけるように導きたいと思います。子どもたちが神の祝福と恵みのうちに力強く歩んでいけますように。  今回は大変堅苦しい内容になってしまいました。お伝えしたかったことは、来年度に向けて幼稚園として特に大きな変化は予定していないということです。中村先生の意思を継いで子どもたちが大きな愛に包まれて健やかに成長できることを目指していくつもりです。
 

聖テレジア幼稚園 園長就任のお知らせ    平成26年7月3日(木)聖トマの祝日
                           聖テレジア幼稚園 園長 鵜飼好一

 中村典子先生を主のもとにお送りしてから1ヶ月半になります。先生は52年間の長きにわたり聖テレジア幼稚園で多くの子どもたちのため奉仕されてこられました。 特にまたここ十数年は園長としての勤めを誠実に果たしてこられました。私は先生の容態が悪化された際に、カトリック教会の司教であり、 かつまた学校法人聖トマ学園の理事長であられる梅村昌弘理事長から園長代行を仰せつかり今日に至りましたが、聖トマ学園の理事会の承認のもと、 理事長より聖テレジア幼稚園の園長に正式に任ぜられることとなりました。  神父になって33年になりますが、今日まで幾つかの幼稚園にも宗教主事として関わってまいりました。 聖テレジア幼稚園と同じ聖トマ学園に属する横須賀の三笠幼稚園や津久井のばらの花幼稚園などです。 聖テレジア幼稚園に於いても松本カトリック教会に主任司祭として赴任してから6年間、宗教主事として、職員の一員として関わってまいりました。  園長としての経験は初めてです。どれほどのことができるか判りませんが、先生方と心を一つにして子どもたちのために一生懸命努めていくつもりです。 皆さんの温かいご理解とご支援をお願い致します。
 

26年度開始に当たって           小さい花 2014年4月号より

先日卒園したばかりのすみれ組の子どもたちの元気な声が聞こえるような、又聞きたいようなこの頃の休み中の幼稚園でした。  皆様少しはお聞き及びかと思いますが、幼稚園の制度は平成27年度から改められます。  今年度はその準備期間に当てられており、いろいろな調査や検討会、松本市との交渉など今までになかった変化も経験することになると思いますし、 皆様にご協力いただくことも多くなるかと思いますが、どうかよろしくお願い致します。  けれど、聖テレジア幼稚園としては、現在迄の基本方針は何も変わることなく、ますますこの幼児期だからこそ必要な教育の充実に続けて努力するつもりでおりますので、 どうか無用なご心配をされませんように。“子どもにとって大切なのは何か”を考えの根本におきながら、一年間大切に見守り、育んで参りたいと思います。

                  2014.4.7        園長  中村 典子

                        小さい花 2014年02月号より

「園長先生おばあちゃんなの?」お帰りの支度をしているばら組のクラスに入ったとき、一人の女の子がさっと近寄り、耳元に話しかけてきました。「そうよおばあちゃんよ」「ふうん、どうしておばあちゃんなの? どうして髪の毛が白いの?」「それはね・・・」どう答えたらいいか、どんな返事をこの子は求めているのか考え始めた時、丁度帰りの挨拶の時間が来て、担任の周りに集まることになり、話は中断しました。 この子とはいつか機会があったら続きを話したいと思っています。  子どもたちの予想もしない質問に、自分の生き方を問われることはしばしばです。 75年以上も年が離れているばら組さんと自分なのに、こういう会話になると年齢の差はいっぺんに無くなり同じスタートラインに立って人生の不思議を感動することができるのです。 なぜか新鮮な気持ちになって素直に自分のこれからの生きる方向をあらためることができるから不思議です。 幼い子どもは年を重ねた者にとって大切な導き手です。彼ら、彼女らの正直な疑問が、今まで自分ではいいと思い続けてきたことにも、これでいいのかと気づかされます。 また、この子たちのいうことに心を込めて耳を傾ければ、こんな自分でも幼子の心になって出直すこともできるのです。  私たち大人は、子どものことを解かってやりたいと思いつつ、つい上から見下ろして、自分の思いどおりにならないかとあれこれ説得してしまうことが多いのではないでしょうか。子どもは何もわかっていないから教えなくては…との思いからでしょう。でもよく考えてみれば子どもたちは幼くてもその小さい体の中に、自ら考え、選んで行動する力を秘めています。子どもが何を考え、大人の言葉をどう受け止めているのかを解かるためには、 黙って子どもの背の高さに膝を折って聞くことから始めるべきでしょう。それが離れた場所であったら、その場所で目を離さずに最後までその行動を見届ける。 けっして途中で止めないことが大切です。  こんなこと誰もが承知していることでしょうが、今一度子どもから学べる大人であるために小さな努力を続けたいと思うこの年度末です。     一年間あたたかいご支援をありがとうございました。

                         2014・2.25  園長 中村典子

一番大切なこと は?、  小さい花 2014年01月号より

水曜日、ばら組さんのクリスマス会は本当に楽しいものでした。3歳児は こうでなくてはと思いました。伸び伸びと笑顔いっぱいで自由に演じていて 気持ちがいいと思えば、一方いつもの元気はどこへやらステージの上で固まっている子、合奏中におせっかい同士の楽器を投げ合う喧嘩・・・ いろいろありました。けれどこの日に向けての準備の、一生懸命さは皆同じ、 これこそが素晴らしくて、私たちにとって何よりの喜びだったのです。  ところで、お母さん方の席に目を移して驚きました。なんと子どもたちの 方に向いているのはカメラと携帯の林だったからです。とても異様な光景でした。これほどまでに記録が大事なのか、どうして今自分の目で子どもを見てあげられないのか・・・子どもたちはお母さんのまなざしを探しているのに・・・ けれどふと気づくとその林の中で一人だけ手を膝に当て子どもたちを見守っているお母さんが見つかりました。その時の私の喜び!思わずその方の子どもは とステージを見るとその子は目をキラキと輝かせ、笑顔いっぱいでお母さんの励ましを喜ぶかのように踊っているのです。何と幸せな母子の光景でしょうか。そして皆がこうあって欲しい光景でした。 子どもの気持ちになってみれば、お母さんを探してやっと見つけたのがカメラでなく、いつもの優しいお母さんの目であったらどんなに嬉しいことか・・・子どもたちはいつでもお母さんのまなざしによって育っているともいえるのです。目も手も空にして全身で子どもに向き合ったそのお母さんの姿勢は最後まで同じでした。どんな状況にも巻き込まれず、大切な方を選んだこのお母さんの何とすばらしいこと、そのやさしさと勇気に頭が下がりました。 今回、前の園では撮影が禁止でよかったという声もいただきました。もちろん禁止すれば簡単です。けれど私の願うのは、一人一人の親が我が子と子どもたちのために、何が一番大切かを考え、選んで行動できることです。あれもこれも満足することはできません。大切なことを選んだら、何かを手放しても、そのことに心も体も向き合うことではないでしょうか。子どもの単純さと素直さに学びましょう。 感謝の中に    
                      2013・12・20     園長 中村典子

クリスマスを待つ  小さい花 2013年12月号より

 母と私のこのやり取りに父が気付かない筈がない。けれど父は何も言わなかった。  1年を通じてどの季節が好きかと問われれば迷わず『晩秋』と答えます。ちょうど今がその時でしょうか。 今年は秋がなくて夏からいきなり冬になったとの声をよくききますが、自然界はいつものように気温や気圧の急変にもかかわらず、 着々と春の準備をしています。街路樹のハナミズキがある日一斉に燃えていて驚きました。それは今年一番に冷え込んだ朝でした。 今年はこのまま枯れてしまうのかと思っていたのに、深い色の見事な紅葉です。落葉樹が紅葉し葉を落とすーこれはあたりまえと 言ってしまえばそれまでですが、それぞれの木にとって、この1年の大きな役割を果たした証の時、すべての葉を落とし寒風の中で すぐ次の年の準備をはじめる、なんと健気な生き様なのでしょうか。  おととい飯田で園長研修があり、何年振りかで伊那谷を電車で通りました。往復とも車窓から見える山々の紅葉を心ゆくまで 眺めながら1本1本の木の一生について考えました。誰の目にも留まらない木々のそれぞれが、毎年精一杯生きている。 日光、風、雨、霜、雪・・・豊かな恵みと試練も受けて。わたしたちが真剣に生きるための励ましのメッセージを送ってくれているのです。 私がこの季節を特に好むのはこれらの木や草がすっかり枯れた様に見える殺伐とした風景、木枯らしがどんなに厳しく吹いても、 春にはまた芽を吹き葉を茂らせ、花を咲かせる希望があるからです。  ところでクリスマスを楽しく待っている私たちの子どもたち、今子どもたちが迎えようとしているのは、目に見えないイエス様の誕生です。 すみれの子どもたちは2000年以上も前のイエス様のご誕生を、さまざまな手がかりを通して想像し、その時代の人物になって演じる、という劇もします。 神父様の言葉にもあるように、目に見えないイエス様が、私たちの中にもう一度来てくださるよう待っているのです。 今年も、見えないのに大切な出来事が自分に起きるのを待つことができるのです。ばら組さんもゆり組さんも顔をかがやかせています。 サンタクロースだけを待っているとはけっして思えません。目には見えない神様が、 一人一人のこどもたちに話しかけてくださっているからだとおもいます。
きっと、今までになかったクリスマスとなることでしょう。
                     2013年9月24日                園長 中村典子

父の一言 そして 沈黙 (7月号 母の目くばせに続いて)  小さい花 2013年10月号より

 母と私のこのやり取りに父が気付かない筈がない。けれど父は何も言わなかった。 そうだ,父はいつも私が何か大事なことに直面している時、黙って、けれどあたたかく見守っていてくれたのだ。  母を亡くし、すりきれたジャケットの袖口をどうしたらいいのか途方に暮れている私に、父は 「しばらく洋裁をならってみたら?」 と声をかけてくれた。 幸い近所に良い先生が見つかったので、私は喜んで教えを乞うた。先生はすぐ役に立つようにと、いきなりひだが24本もあるスカートとそれに続いて母の古い着物から、スーツを作らせてくださった。 それからというもの、私は自分の制服をすべて自分で縫った。わからないところはデパートにゆき、どんな順序で裏がつけてあるかなどこっそり盗み見した。 もちろん新しい生地のことはほとんどなく、裏返したり染めなおしての仕立てだった。そこで私は縫うことにますます興味を覚え、洋裁だけでなく、 身の回りの必要なものをつくること自体に喜びを感じることができた。それはそのまま生きる喜びでもあった。 さらに、「お母さんはあんなに器用だったのにあなたはどうしたの?」との汚名をやっと返上できたのだった。  大学受験の時が近づいた。父は一言「典子が大学で最低4年間勉強するのは当然のことだろう」 と。 わたしは父から暖かい同意が得られたことに嬉しく、いそいそと受験そして入学の手続きをした。  わたしが高校直前に父が再婚した。20歳年下の新しい母は、それまで祖母と父と三人で殺風気だった我が家に明るさと活気を取り戻し、穏やかな日々をもたらしてくれた。 しかし突然、父の経済事情が一変、我が家に毎月入るお金はごく僅かとなった。 もちろん学費どころではない。嫁いだばかりの母にとって、家計のやりくりは苦労だったにちがいない。 母はすぐに得意の和裁の腕を生かし、毎晩夜なべをしてくれた。私もアルバイトとして何人かの小学生の家庭教師を引き受けて授業料と他の必要経費を賄った。 勉強の時間が減り、悩む私をやはり父は見のがさなかった。何かを言いたそうだったが言わない。 突然事情が変わったことも私には言い訳ひとつしなかった。父自身も辛いものを胸に秘めているだろうことは容易に想像された。 それどころか、私の生涯に決定的な影響を与える一言が・・・。 「ぼくが典子をカトリックのミッションスクールに入れたのは、キリスト教が奉仕の精神を教えてくれるからだ、それだけだ。」  なるほど今までの学校生活を振り返ってみれば、当時のミッションスクールのお嬢さんたちの休日の過ごし方や私生活全般にわたる華やかさとは無縁の生活であったのだ。 けれど私はその違いが苦にもならなかった。それも思えば不思議である。多くのいい友達に恵まれ、学校生活も充実していた。  そして何よりも父のこの一言の重さ、それは今日に至るまで私の生きる目標であり、大きな希望であった。 この50年以上、子どもたちに出会って私にできること、是非とも伝えたいこと、それは『人に仕えることの歓び』にほかならない。 幼い子どもたちが人の役に立ちたいと思い、相手に喜んでもらいたいと、一生懸命作ったり、歌ったり、踊ったりしながら、小さい心の中に育てている人への奉仕の心・・・。  これは私自身がすでに小学校の時からミッションスクールで育てられていた精神であった。  自分の一言に責任と確信を持ち、わが子への愛をこめて最高のメッセージを残してくれた父に、感謝の言葉が見つからない。
                     2013年9月24日                園長 中村典子

また みんなで行きたい!一之瀬牧場           小さい花 2013年8・9月号より

4月に入園したばかりのばら組さん、お母さんと離れてバスで乗鞍まで大丈夫だろうか。 そんな不安も初めにはあった私たちですが、最近の子どもたちのたくましい様子にその心配も消え、それでも万全を期すため、岩坂先生、小笠原先生にも同行をお願いし、総動員で出掛けることにしました。 過去にはバスに酔った子どもも何人かいましたが、今回はそれもほとんどなく、バスも安全運転で心地よく、あっという間に一之瀬牧場へ。  バスから降りた時のさわやかな高原の風、きらきら輝く白樺の葉、思わず「きもちいいね」と大声で言い交しました。  駐車場から目的の園地へ歩くこと10分足らず。キョロキョロと視線の定まらない子どもたちも、那須野先生の明快な説明に大きな声で「はい!」気持ちのいい返事が草原に響きました。  ばら組さんはそのまま残り、すみれとゆりが山登りに出発。 さあ少し遊ぼうか と思う間もなく「おなかすいた!」とばら組さん。食後の川遊びをゆっくりしたかったので、11時10分、少し早いけれど・・・とお昼に。 日ごろからよく食べてくれるばら組さん、「え、三つとも食べちゃったの?」旺盛な食欲に感動! 折角のおにぎりを残して帰った子も中にはいましたが、うれしくてはいらなかったかな、「お母さんごめんなさい」 いよいよ川遊び、冷たい水に驚き、あわてて飛び出す子も初めこそありましたが、水辺から出直すたびにすぐ慣れてどんどん深いところへ進む子どもたち、これが健康な3,4歳の子どもの姿だと嬉しく思う場面でした。  一方30分をかけて山から戻ったすみれとゆりの子どもたち「疲れた」より「楽しかった」の声が多く聞かれたことにびっくり・・・山を登って下るこんな単純なこと(実は奥深く大切なこと)に楽しみを感じることのできる子どもたちは、本当によく育っているのだと、ご両親、家族の方に改めて感謝と敬意の気持ちを強くしました。  わたしたちのほかにほとんど観光客も見当たらず、足元にはさまざまな山の花、そして美しい蝶。お弁当のためにシートを広げると涼しい風の何と心地よいことか、『来てよかった』心からおもわれました。  ところがこれはすみれの担任の先生からの報告ですが、皆の美味しいお弁当を狙ってか、小さな虫や大きな蟻の訪問にきゃあきゃあと逃げ回る子が多く、中々お弁当が進まず、ついに川遊びの時間を縮めてしまったとのこと、あ~あ 何とも残念でした。普段の生活の中でもっとこういうことに慣れてほしい。何を怖がって注意すべきか、何に親しみを持つべきか、周りの大人がしっかりとして適切な対処の仕方を教えることの大切さを感じました。  来年はぜひお母さん方も一緒に行きましょう。本当にいいところです!! どうかよい夏休みをお過ごしください。1学期間 心からありがとうございました。
                       2013年7月23日                園長 中村典子

母の目くばせ           小さい花 2013年7月号より

 1944年(昭和15),その頃の日本はアメリカ、イギリスを相手に到底勝ち目のない戦を続け、国全体が泥沼に引き込まれる状況にあった。「必ず勝つ」との言葉に翻弄されながら、食糧はもちろん身の回りから多くの必需品が奪われ、人々は苦しい日々を耐えていた。  時に私は10歳、季節は今頃だったろうか。生涯忘れられない出来事はその朝食の時に起きた。我が家は4人家族、父と母が向かい合って座り、その対角線上に祖母と私が向き合って居る。献立は麦のたくさん入ったご飯に味噌汁、そして漬物だけだったと思う。会話は少なかった。 けれど私は食べ盛り、キュウリの糠漬けが大好きだった私は食が進み、一杯目をあっという間に平らげた。茶碗を取り上げ「おかわり」と言おうとしたその時、「お母さんごはんお願いします」と祖母の声。同時にお茶碗が母の前に差し出された。私は思わず自分の茶碗を引っ込め、母の手元に目を移した。母と私の間にあったおひつには、やっと一杯分のごはんしか残っていない。母は体を私の方に向け、祖母の茶碗にそのご飯をかき集めて盛りながら、突然私に目くばせをした。『おばあちゃんに譲ってあげてちょうだい』その眼は訴えていた。「そうなんだ」私はごくりと唾を飲み込んで、何事もなかったように茶碗にお茶を注いだ。満足そうな祖母の顔が私の前にあった。  たったこれだけのことだった。けれど私にとってこの時の母の目くばせは、こんなに年を経た今日まで、生きるためにかけがえのない宝となっている。それは、小さい私を信じ、頼りにしてくれた母の心、愛の深さだった。『この母のためならどんなにつらいことだって我慢できる』 『母には絶対幸せになってもらいたい』子どもながらにそんな思いがふつふつと湧いたのを、はっきりと覚えている。  それからも母は時に静かな口調で、時には無言で、我が家の困難な状況を私が共に分かち持つことが出来るように伝えてくれた。その度に私は自分が役に立っているという喜びを噛みしめたものだった。  けれど母は戦災と敗戦を経、5年後の夏に帰らぬ人となった。空襲の爆撃で負った火傷も完治しないまま、わずか45年の、苦労に苦労を重ねた生涯だった。決して不平不満を口にせず、人から認められる機会もなかったのに、黙々と自分に与えられた使命を果たし終えた母。 こんな母に、どうすれば心からの感謝を表すことができるだろう。私に残された日々もそう 長くはない、せめて少しでも母の生きざまにあやかれればと願う今日この頃である。
                   2013年6月20日                園長 中村典子


小さな指先に目を止めて…     小さい花  2013年6月号より

 ゆりとばらの女の子がサラ砂をつくったと言って見せに来てくれました。「えっこんなにきれいなのどうやって作ったの?」とききましたが二人はそれに答えず、小さな指のはらで砂粒を確認しているようでした。どんなに満足だったことでしょう。何度も何度もトレーをふるってとうとう出来たのでしょう。広告の紙を器用に巻いて細かい棒を何10本も作っています。子どもの遊びの知恵はこんなふうに育っていくのでしょうか 一方ハンカチがうまくたためず、ポケットから溢れている子、絵本の袋を持ち帰るのに袋の長短に合わせて本を入れないので、アンバランスにだらんとぶらさげたまま引きづっている年長児もいます。いくつかの袋を全部そのまま持っているので手が一杯。一つでもまとめたらいいのにと思うことも…。雨の日に靴の袋を握っているので傘がうまく開きません。「袋を手に通してみたらどう?」一言言ってやることで違うのではないのでしょうか。そんな経験をした子は数日後自分から袋を手にかけ、傘なり、何なり他のものを持っている姿を見るとほっとします。昼食の時、おべんとう箱や食器を仕末よく置かないので目の前のデザートに手がつきそうになりながら、遠くのお皿をつっついている子、ジャンバーのファスナーは器用に止められるのにかばんのひもは幾重にもよれたまま 遊びの時はさまざまな工夫ができるのに生活の知恵の育ちがアンバランスなのでしょうか。近頃では大人の人が何段かに重なったおべんとう箱を無造作に広げ、箱に手を添えることもせず、遠くから取りにくそうに食べている姿も見かけます。 広げたおべんとう箱は整理して並べ、手前からきれいに片付けて行くのがいいと小さい時に教わったような記憶があります。一つ一つのことに「ああしなさい、こうしなくちゃだめ」というのではなく「こうしたらもっとやり易いのに…」などと一緒に考えながらかけるお母さんの声は子どもの心にも残るのではないでしょうか。この紙を収めるにはどんな箱がいいか、どっちの向きに置けばおさまるのか…など目的に向かって方法を編み出すことは、経験を重ねればどんどん楽しくなるものです。生活の知恵の積み重ねは子どもたちの将来に大きな力となることでしょう。
                     2013・5・17              園長 中村典子


命が燃えている          小さい花 2013年5月号より

  先週末、久しぶりにあずさで上京する機会を得ました。松本から八ヶ岳山麓まで、車窓に跳びこんできた 春、春。この冬の寒さが厳しかった分待っていたとばかりに樹々の一本一本、草叢の一つ一つが例外なしに、秘めていたエネルギーを全開させている、と感じます。まず目にとびこんできたのは、白樺と落葉松(からまつ)の細やかな緑でした。真っ白な幹の周りで朝日に葉を翻して踊っているような白樺の小さい葉たち、遠目には細い細い葉の重なりが淡い緑の霞のようにみえる落葉松、それも日を追って緑が濃くなるのを予感させています。
 けれど、特に際立つこともないすべての植物が、大きいものから小さい草の一本一本まで、精一杯生命を燃やし始めているその様子に、園の子どもたちの姿が重なりました。大勢の注目を浴びる行事のときでなく、平凡な繰り返しの園生活の中で、一人一人が耀いている、今のテレジア幼稚園 の子どもたちの姿そのものです。
 最近わたしたちは、テレビで世界中の自然、中でも絶景をたくさん見ることができます。またそこで生命をつなぐ生き物たちの感動的な姿にも 圧倒されます。けれど、今窓の外を過ぎてゆく、名もない野原の名もない草叢の中に、たくましく生命をつなぐさまざまな樹々や草たちの姿には 更に深く心を動かされます。それぞれが置かれた場所で精一杯、生命を燃やし、次の世代につないでゆく、どんなに小さくても黙々とそれでいて確かな生命の営みです。
 今年度を歩み始めた63名の子どもたちも、このように耀きながら精一杯燃えて、成長してくれることと希望を強くしました。  今朝のことです。ばら組さんのAちゃんが、職員室のドアをそっと開けて言ってくれた一言、「わたしおおきくなったらね、きれいないいおかあさんになるの!」声は小さいけれどいいはっきりと,言ってから自分でうなずきました。ここにも小さな生命の精一杯の耀きが!!・・・。何とも嬉しい朝の出来事でした。
                                                   園長 中村典子


2013年4月8日

 待ちわびた桜の開花と重なった今年の入園式、何ともうれしい味方を得られた気持です。幸先良いスタートとなるでしょう。
ばら組入園のお友だちおめでとうございます。年長組には編入の新しいお友だち2人を迎えました。
すみれ、ゆりに進級のみなさんもこころからおめでとうございます。
大勢の頼もしいすみれ組さんには、新入園児だけでなく、園全体の子どもたちをしっかり見守ってもらい、ゆり組さんの憧れとなるように。
ゆり組さんはそんなすみれ組の姿をよ~く見ながら園生活2年目をさらに伸び伸びと過ごせるように。
ばら組さんはもちろん先生たちと小さいお兄さん、お姉さんたちの温かい目とやさしい声にみちびかれて、一日も早く幼稚園が大好きになれるように。
そして、こんな希望に満ちた子どもたちの成長に立ち会うという尊い使命をいただいた私共職員も心を一つにして、子どもたちと共に見守りに全力を尽くしたいと思います。
けれど忘れてならないこと、それは子どもたちも私たちもまた、目には見えない大きな力に見守られての日々であること・・・ 。
その見守りは、時に自然の変化を通しであり、時に人の助言であったりもしましょうが、何よりも、日々の生活の中で出会う小さな出来事や導きに。
『ありがとう』と手を合わせて感謝することにより、一層はっきりと感じることができるのではないかと思います。
『神さま、いつも私たちを見守ってくださって、ありがとうございます。』子どもたちの大好きなこのお祈りの言葉が、毎日私たちの唇からも洩れるようなこの一年でありますように。
                                                  園長  中村 典子