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場所取りにうってつけの春日 +
「タイザン部長、去年お伝えしましたように、今年のお花見場所確保係は天流討伐部です。
本日18時からとなりますので、よろしくお願いいたします」
タイザンはたった一人でその言葉を聞いた。
人っ子一人いない天流討伐部室でのことだった。
「あやつらめが……!
おととしのクリスマスに続いてか?! 全員確信犯か?!」
『そうでやしょうねェ。さもなきゃうちの闘神士たちがみんな出払っちまうなんてありえやせんでしょう』
あきらめたようなオニシバの声を聞きつつ、タイザンは本社の倉庫をさばくっていた。苦労して、場所取り用のござをいくつも発掘する。創業当時からあるのではないかとさえ思える古びたござは、やたら作りがしっかりしていてまだまだ使えそうではあるが、その分ブルーシートなどより格段に重い。一つ抱えただけで運ぶ気が失せる代物だった。
「……式神、降神!」
「霜花のオニシバ、見参! ……ダンナ、もしかしてあっしが荷物係ですかい」
「不満なのか? 私が連日の残業で疲れていることを知っていて、それでも不満なのか?」
不機嫌に拍車がかかった目でにらまれ、オニシバは首をすくめた。
「荷物係はかまいやせんがね。花見の場所は普通の公園なんじゃありやせんかい。闘神士じゃねェお人の目がありやすぜ」
オニシバのもっともな抗議に、タイザンはふむとあごに手を当てて考えた。
「……なに、堂々と歩けば問題あるまい。ミカヅチ社の新しいマスコットキャラクターですという顔をしていろ」
「いやいやいやいや、ダンナ、問題おおありですぜ」
そのまま倉庫を出ようとしたタイザンの後ろ襟をつかんで引き戻す。
「見えやせん。ダンナ、あっしァますこっときゃらくたーには見えやせんから」
「そうだな、確かにゆる感が足りんな」
「いやダンナ、問題はそこじゃァなくてですね」
「そうだ、サングラスをはずしてはどうだ? お前は意外とタレ目だし、多少はゆる感が出るかもしれぬ」
「だからゆる感は問題じゃありやせんってばダンナ。てェかあっしァ別にタレ目じゃねェし、黒眼鏡をはずしたくらいでごまかせるもんじゃァありやせんぜ」
「確かにそうだ。せめて3頭身以下でなくてはな」
「無茶言わねェでくだせェダンナ」
「ん? まてよ。オニシバ、お前バク転はできるか」
「とんぼ返りのことですかい? できやすぜ」
「よし、ならば大丈夫だ。ミカヅチ社が新しく作るプロ野球チームのマスコットということにすればいける。3頭身以上でも安心だ」
「いやですからダンナ、力強くうなずかないでくだせェ。あっしら一体何の話をしてるんですかい」
議論がどうしようもなくなったころ、倉庫の扉が外側から開いた。
「……そこにいるのはタイザンか」
渋く低い声に、タイザンはさっと居ずまいを正した。宗家ミカヅチだ。
ゆっくり倉庫内に入ってきたミカヅチは、タイザンとオニシバと、床に並べられたいくつかのござを静かに眺めた。得心がいったというように、
「そういえば今年の場所取り当番は天流討伐部だったな。早く行かなくてはいい場所がなくなってしまうぞ」
「は……そのつもりですが、いかんせんござを運ぶ人手が足りず……」
「あっしに降神状態で公園まで歩けって言いなさるんでさァ。何とか言ってやってくだせェ、親分さん」
珍しく自分に口をきいたオニシバに、ミカヅチは海千山千の重みのこもった薄い笑いを浮かべた。
「青いな、タイザン。式神を降神したままそのあたりを歩けば、すぐ騒ぎになってしまうことがわからんか? ……平安の昔ならばともかく」
付け加えられた一言にタイザンはどきりとしたが、ミカヅチはそれを気にもしない風で、横手の棚から何かを取り出し、タイザンに向け差し出した。
「これをもってゆけ」
タイザンは受け取った。薄汚れたプラカードだった。『ミカヅチスーパー、本日特売日!!』とポップな文字が躍っている。
「お前がこれを持っていれば、一緒にいる式神もスーパーのマスコットキャラクターとでも思われるだろう。場所取り係の務め、立派に果たせよ、タイザン」
そして、フフフ、ハッハッハ!と威厳のある笑い声を上げ、ミカヅチは倉庫から出て行った。残されたタイザンはプラカードを担ぎ、しばし自分とオニシバを見比べる。
「……マスコットキャラクター作戦はなしだな」
他人に言われると冷静に見れるんですかい。オニシバは心の中でツッコミを入れた。
「そういえばミカヅチめは何をしに倉庫に来たのだ?」
タイザンがそんな疑問を持ったのは、花見会場となる公園に着き、あちこち歩いてようやく場所を決めてからだった。もうところどころに他グループの場所取りが展開されていたが、少々奥まった場所に歩いてみると、実に見事に咲いた桜の下がぽっかりと開いていたのだった。
『こいつァいい、とっときの穴場じゃありやせんかい』
「地流の連中には少々贅沢ではないか? まあ、いいか。新しい場所を探すのも面倒だ」
タイザンは持参したビニールテープであたりを囲い、自分たちの縄張りを主張することにした。その作業の途中で、倉庫に入ってきて自分たちと話して出て行っただけのミカヅチはなんだったんだろうという考えが浮かんだのだった。
「……もしや、私が一人でござを運ぼうと四苦八苦しているのを見物に来たのではあるまいな……」
そう思うと軽く殺意が沸くのだが、とりあえず考えないことにして、囲った領土の真ん中に小さなピクニックシートを敷いて腰をすえた。ついで電話をかける。
「タイザンだ。今どこにいる?
……ほう、天流と交戦中か。それにしてはずいぶんと気の抜けた声で電話に出たな。まるでネカフェでくつろいでいたかのような声だったぞ。
……まあそれは不問にしてやるから、今すぐ本社の倉庫に行って、花見用のござを持って花見会場まで来い。
ほう、できない? そうかそうか、夏のボーナスが楽しみだな。
……最初からそう言えばいいんだ。急げよ」
5人ほどの部下にそれをやり、タイザンは携帯電話をたたんで内ポケットに押し込んだ。
「ござの件はこれでよし、と……。あとは夕刻に買出し担当部が来るのを待つだけだな」
桜の木にもたれ、頭上の満開の花をぼんやりと眺める。こうしてタイザンが動かなくなると、あたりはとても静かだった。風が吹くとどこからか、散り始めた桜の花びらが流れてくる。
『ずいぶんと気分がいいもんですねェ、ダンナ。酒の一杯でもありゃ、乙な花見酒でしたぜ』
「そうだな……。どうせ夜はバカ騒ぎでゆっくり花など見られぬし、今のうちにじっくり花見を楽しむか」
『のんびり花を見て、ぼーっとしてりゃいい。結構な仕事じゃありやせんか。部下連中はどうして逃げたんですかねェ。あっしにァ願ったりの仕事に思えらァ』
「あやつらに花を愛でる心があるものか。それに、じっとしていられぬのだ、あやつらは。童でもあるまいに落ち着きのない」
そんなことを話していたタイザンは、近づいてくる足音に気づいて、さっと口を閉じた。もたれていた木から背を離し、見れば、そこには
茶色い髪をした細身の少年が立っている。
「すみません。その場所、俺に譲ってもらえませんか?」
小脇に小さなピクニックシートを抱えた彼は、開口一番、言ってきた。
「夜までじゃなくていいんです。場所取りの人ですよね。昼間の何時間かだけ、俺にその場所貸してもらえませんか」
はきはきした声で話す、高校生くらいの少年だった。タイザンが思わずその顔を凝視してしまったのは、どこかで見た顔だと思ったからだったが、相手はそれを誤解したようだった。
「あ、急にすいません。横取りしようって言うんじゃないんです。俺、今から家族で花見をしようと思っていて。家で今父たちが弁当作ってて、俺は場所確保に来たんです。……ど、どうかしました?」
「いや、なんでもない」
タイザンが思わず目頭を押さえたのは、うちの雅臣と代わらないくらいの年なのに、この少年はなんとしっかりした物言いをするのだろうと思ったからだ。
甘やかしが過ぎたのか? そんな覚えはさっぱりないが……。すまぬウスベニ、子育ての才のない私を許せ。
「昼だけというなら、しばらく貸し出すくらいはかまわない。ただし、このテープの中は死守してくれ。私はよそで時間をつぶさせてもらうから」
立っていこうとすると、お礼のつもりなのか、少年は荷物の中からコーラのペットボトルを差し出してきた。炭酸は苦手なのだが、礼儀正しい彼に敬意を表してもらっておき、タイザンはその場を離れた。
『……よかったんですかい、ダンナ?』
「ああ、ちゃんとした子供のようだし、昼しか使わないというなら構うまい」
『いや、あっしが言ってるのはそういうことじゃなくて……。ま、いいってことにしときやすか』
奥歯に物の挟まったような言い方は気になったが、言わないと決めたら絶対に言わないのがオニシバだ。タイザンはぶらぶら歩きながらペットボトルのふたを開け、恐る恐る中身を口に含んだ。そういえばコーラを飲むのは初めてだ。
「ん? ……なんだ、コーラというのは炭酸かと思っていたが、違うのだな。口当たりもよいし、甘すぎもしないし、うまい飲み物ではないか」
『こーらってのは雅臣さんがよく飲んでる奴でしょう? あれは炭酸だったと思いやすぜ』
「では、たぶん雅臣が飲んでいるのとは種類が違うのだろう。パッケージをよく覚えておかねばな。帰りに買っていこう」
『ハハ、ダンナ、こいつァずいぶんと気に入っちまったようで……』
オニシバはそこで言葉を止めた。不意にタイザンが立ち止まり、すうっとうずくまったからだ。靴ひもでも結びなおすのかと思ったが、今日の靴にはひもなどついていない。
『ダンナ?』
と呼びかける間に、タイザンはさらに前傾し、ごろっと地面に寝転がった。ついで規則正しい寝息が聞こえてくる。
眠っているのだ。
『ダンナ! ちょっと起きてくだせェ。いくら疲れてるからって、一体ェ、どうしたんですかい』
「う……? オニシバ……か。よかった、せんとくんはあきらめたのだな……」
『どんな夢を見てたんですかいダンナ。
しっかりして下せェよ、そのこーらとやらに何か混ぜ物でもしてあるんじゃねェんですかい?』
そんなことをする坊じゃねェとは思いやすが……と内心で付け加え、
『ちょいとダンナ、起きてくだせェって』
また目を閉じてしまう契約者の肩をゆすろうと手を伸ばし、あっさりすり抜けた。
『ダンナ、ダンナって』
しかたなく耳元で大声を出すと、タイザンは眠そうに薄目を開けた。
『ダンナ、降神されてねェんだから担いで帰るわけにァいかないんですぜ。しゃんとしてくだせェ』
「ああ……ここは伏魔殿の外か……」
半分寝ぼけたような声で、タイザンは応じる。
「桜が咲いて……あの場所のようだな。あの、四季が全部一つのフィールドにある……」
『ああ、あの。桜と青葉と、もみじと雪が一緒にある』
「あの場所は……散っても散っても尽きぬ桜だったな。みな……そうならいいのに」
オニシバはしばらく、契約者の眠っているような起きているような判然としない瞳を眺めた。だらりと垂れた両の袖から、手首にはまった二つの流派章がのぞいている。
『ダンナ、そいつァ粋じゃねェや。散ってなくならねェ花なんざ、ちいともきれいと思えやせんぜ』
「別に……きれいでなくてもいいだろうが……。散ってしまうよりは……」
途切れた語尾がまた寝息と化した。閉じたまぶたの後ろで何の夢を見ているのか、オニシバにはわからなかったが、
『……そうもいかねェんでしょうに、ダンナ』
わかってて言っている事は重々承知だから、それ以上言うのは止めた。
とはいえ、野外で寝こけているのを放置するわけにもいかない。もう一度声をかけようとしたところで、急にタイザンがむくっと起き上がった。瞬きし、状況が飲み込めない顔できょろきょろしている。
『目ェさめたんですかい』
「寝ていたのか、私は? ……そういえば、よく眠った後のように疲れが取れているな」
『へえ、そいつァいいや。なるほどねェ、さすがあの坊だ、粋な仕掛けになってるじゃねェか』
「坊? 誰の話をしている?」
『いや、こっちの話ってやつで』
とぼけるオニシバに、それほど興味があったわけでもなかったのか、タイザンは軽く肩を回し、立ち上がった。
「うん……ずいぶん体が軽くなっている。よしオニシバ、改めて花見の場所を探しに行くぞ」
『さっき見つけたじゃありやせんか』
タイザンはにやりと笑った。
「地流の連中に、あの特等席は贅沢だ。どうせ花より団子で、まともに桜を見ようとする者もおるまい」
言いながら斜面を少し登って見下ろすと、花見場所になっているあたりの場所取り事情がよくわかった。
「そうだな、あの辺りを花見会場に確保しておけばいいだろう。地流の花見は部下どもと技研の連中のせいで、毎年めちゃくちゃになるからな。途中で適当に抜け出して、ついでに酒とつまみの一皿も持ち出して、さっきの特等席で静かに花見を続ける。……どうだ、この計画は?」
タイザンの視線を受け、オニシバは笑った。
『ダンナがそんなに楽しそうなのは久しぶりじゃありやせんか』
何が混ぜてあったのか知らねェが、さっきのこーらの威力はすごいものだ。そこまで考えて、オニシバは思いなおした。
いや、それともこの満開の桜のせいか?
『そうと決まりゃ、さっさとあの辺りを縄張りにしやすか』
「ああ、早い者勝ちだからな。……ちょうど、部下どもも来たようだ」
重そうにござを抱え、よたよたと近づいてくる制服が遠くに見える。タイザンはそちらへと、いつになく軽い足取りで歩き始めた。その後に続くオニシバも、心なしか体が軽い気がした。
09.5.11