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『ダンナ、ダンナ起きてくだせェ。このままじゃ風邪をひいちまいますぜ』
オニシバの声に目を開けると、まぶしい照明が目に入ってタイザンはしばし瞬いた。左肩を冷やすすきま風に思わず身をすくませる。そこはタイザンの自宅のリビングで、持ち帰り仕事を片付けようとパソコンに向かったまま、うたたねをしてしまっていたのだった。
『さっき眠気覚ましに空気を入れ替えるって窓を開けたでしょう。そのまんまですぜ。雪も降ってきたし、いい加減しめたほうがいいや』
オニシバの言うとおり、ベランダに面した窓が少し開いたままだった。隙間風はそこから入ってきていたのだ。タイザンはセーター越しにも冷え切った左肩をこすりつつ、窓を閉めた。
「どのくらい眠っていた?」
『ほんの少しですがね、ダンナ。こんな寒い日に居眠りはよしてくだせェ。体にさわりやすぜ』
「ああ……寒いと思ったら雪か」
27階の窓から見える夜空に、ちらちらと白いものが舞っていた。
壁の時計は午前0時を指している。タイザンはまだ冷たい左肩をこすりながら、しばらく遠く広がる町の光を見つめた。
『こいつァ積もるかもしれやせんぜ』
「そうだな……。今日はもう寝る。このあたりでは少しの雪でダイヤが乱れるからな」
言うと同時に、ぞくっと寒気がしてタイザンは身を震わせた。
『大丈夫ですかいダンナ。体がずいぶん冷えちまってるんじゃありやせんかい』
「そうらしいな。本当に風邪をひきそうだ。先に、体を温めるものでも飲むか」
タイザンはキッチンに向かい、湯を沸かした。明日に残らず、目も冴えず、といろいろ考えた結果、コーヒーにホットミルクを山ほど入れ、ついでにブランデーを一滴たらすことにする。
リビングのソファに収まり、ミルク色の湯気をあげるカップを口元に持っていくと、それは予想外に熱くて、タイザンは渋い顔でカップを膝の上のソーサーに戻した。
「ミルクは冷たいまま入れるべきだったか」
所在無くスプーンでカップをかき混ぜる。オニシバはいつの間にか神操機に戻ったらしく、タイザン1人になったリビングには音もない。ふと見ると、窓の外に降る雪はずいぶんと分量を増していた。
「本当に積もりそうだな。思えば今は大雪か。おまえの節季だな」
神操機の中の式神に語りかけたつもりであったが、何気ない一言に式神は少しの返事もよこさなかった。重ねて声をかける気にもなぜかなれず、タイザンは黙って雪がひとつひとつと落ちていくのを目で追った。
こんな夜に雪を見ていると、自分がとてもとても小さくなったような気分にかられる。
それは覚えのある感覚で、遠い日、都を捨てて山野を一人歩いたときに自分が抱いていた思いであり、またそれから200年の時間を経て一人立った伏魔殿の雪のフィールドで、これからのことを心に決めて闘神機を手に取ったときにかみ締めていた思いだった。
あの足が冷え切るような感覚を心細さと呼ぶのだと、タイザンは最近になってようやく気づいた。
久しく思い出さなかったその感覚に飲み込まれそうになり、タイザンは視線を手の中のカップに移した。相変わらずやわらかい湯気がふわふわと昇って、ブランデーの香りがタイザンの顔を包む。ゆっくりスプーンを動かすと、カップの中でコーヒーが渦を巻いた。慎重に口をつけると、まだ少し熱いコーヒーを飲み下す。暖かさがのどを通って胃に落ちていく感覚があった。
そういえば、久しくあの心細さを思い出さなかったな……。
もう一口飲むと、ブランデーの効果か、体が内側から温まってきたようだった。タイザンは目を閉じてふうっと息をつく。このまま暖かくして眠れば、風邪を引くこともないだろう。
と、その肩が大きな手でゆすぶられた。
07.12.8