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「雪ではないか」
ショウカクが言った。「珍しいな、このフィールドで」
「…………雪……」
タイザンも繰り返す。雪はずっと降っていたような気がするが、今降りだしたばかりなのだろうか。
ショウカクはいつもの着崩した狩衣姿で、伏魔殿のあずまやから数歩離れた場所に立ち、降りだした雪を眺めている。タイザンはあずまやのやや高くなった床に腰掛け、ショウカクの背を見ていた。ここにいるときはいつも着ている束帯姿だ。雪ごと扇をたたんで口元に当て、タイザンはしばし今ここで何をしていたのか考えようとした。
「ガシンは遅いな」
ショウカクがそう言ったので、そうか我々は今ガシンを待っているところだったのか、とタイザンは思った。それで納得できたような気がする。
「外ももうだいぶ寒いか?」
あちらを向いていたショウカクが振り返って尋ねた。
「……ああ。そう、だな」
「そうか。大雪だからな」
そうだ、節季は今、大雪だ。不意に意識がはっきりしたような気がした。
「ガシンは何をしておるのだ? 呼び出したのはあやつのほうだというのに、来ぬではないか。タイザン、ガシンの報告とは何だ」
「さあな。私も何も聞いていない」
天流宗家探しがうまく行っていないせいか、ショウカクはいらいらしているようだった。
「まったく、ガシンめ、すっかり外に染まってしまったな。せめて伏魔殿にいるときくらいは、あの品性のない外の装束をやめて、狩衣でも着るべきだろうに」
「あれはまだ子どもだ。染まるのも早かろう」
「子どもと言うがな、タイザン。あやつは既にわれらに初めて会ったときのおぬしよりも年かさだぞ」
もうそんなになるのか。タイザンは不思議な気がした。
「おぬしはあの頃から全く変わらぬが、ガシンは全く変わってしまった。外の影響力とは恐ろしいものだ」
「……それほど変わったか、あれは」
そういえばゼンジョウもタイシンも変わった変わったとガシンを評するが、タイザンには正直ガシンが変化したようには思えないのだ。
ただ、図体ばかりが多少大きくなったくらいか。そんな風に思う。
「おぬしも外で生活しているのは同じだからな。わからぬのだろう。まめに伏魔殿に戻ってくるようにせねば、取り込まれてしまうぞ」
至極まじめな声で言って、ショウカクはまた雪を眺め始めた。タイザンはしばらく扇を口元に当てたまま、考える。
「あやつはそれほど変わったか?」
袂に向かって話し掛けると、笑うような声がした。
『あっしァ多分ダンナと同じ意見なんだと思いやすよ』
「そうか」
タイザンは一人うなずいた。やはりそうだろう。
『それよりか、ダンナのほうがずぅっと変わったと思いやすがね』
タイザンは眉をよせた。私が変わった?
「どういう意味だ、オニシバ」
『そのまんまの意味でさァ』
「おぬし見る目がないなオニシバ。タイザンのどこが変わったというのだ」
声が届いていたらしくショウカクが歩み寄ってきた。オニシバは霊体として出てくるでもなく、声だけを神操機から響かせて低く笑った。
『あっしから見ればぜんぜん変わらねェのはショウカクさんのほうで……』
それはタイザンも同感だ。さらにもう一人、
『ショウカク殿は変わらぬのではなく、進歩がないのだ』
その当人の袂からヤタロウが言った。言われた契約者の方はあからさまに眉を跳ね上げ、
「だまれ、おぬしのほうこそ進歩があるとでも思うのか」
『われら式神に進歩など不要。印も、役立たずの闘神士もな』
「言わせておけば!」
袂から抜き取った神操機相手に目を吊り上げている。そんな見飽きた光景をじっくり観察する気もなく、タイザンは自分の袂に問うた。
「私のどこが変わった、オニシバ。背丈くらいしか思い当たらぬぞ」
式神はタイザンの質問にすぐには答えず、しばらくの沈黙をはさんだ。
『…………雪が、降ってやすねェ』
「降ってはいるが関係なかろう。私の質問に答えろ」
『雪を見ると、いろいろ思い出しちまいませんかい』
「いろいろ……。何をだ」
『いろいろでさァ、ダンナ。昔はこんな風に話しかけてもくれやせんでしたっけねェ』
あ、とつぶやきかけて、なんとかそれをのどの奥に押し込めた。
『あっしから話しかけても返事もしてくれなかった。こいつァずいぶん難しいお人だと思いやしたよ』
「……………………」
『ほら、また返事をしてくれねェ。まったくうちのダンナは難しいお人だ』
とても本気とは思えない声で笑う。
「……私も」
オニシバは笑うのをやめた。『へい?』
「私も、おまえのことを難しいやつだと思っていた」
『そうですかい?』
「いや……難しいやつというのは違うか。なんというか、」
扇を頬にあて、しばらく言葉を捜す。
「自分とは、相容れぬものだと思っていたな……」
数秒、言い争うショウカクとヤタロウの声ばかりが耳に届いた。そして、
『そいつァ、ありがとうごぜえやす』
神操機の中のオニシバはまた笑っている。タイザンは眉をひそめた。
「なんだ、それは。聞き違えたか? おまえは私とは相容れぬものだと思っていた、と言ったのだぞ」
『そういうところは変わってやせんねェダンナ。いつも大上段に構えてるくせに、たまァにぽろっとあっしが喜んぢまうようなことを言いなさる』
「だからそんなことは言ってないと、聞き違えたのかと言ってるだろうが」
オニシバはしばらく低い声で笑った後、いつになくひそめた声で言った。
『思っていたってことは、今は思ってねェって言ってもらったようなもんで。ちょいと嬉しくてね』
タイザンが反論だか抗議だか釈明だかの言葉を探して扇で口元を覆ううちに、あちら側でもめ続けていたショウカクが「タイザン!」と呼びかけてきた。
「ガシンはまだ来ぬのか?! こやつと言い合っていても時間の無駄だ!」
『こちらの言葉だ』
ずいぶんと仲がよいなおまえたちは。やつあたり半分にそう言ってやろうかと思ったとき、ばたんと玄関が開く音がした。
07.12.18