+ 4人目 + 缶コーヒーをもてあそびながらミカヅチ本社正面玄関前まで戻ってきたタイザンは、大きなガラス扉のすぐそばに立ってじっと中を見つめている人影に気づき、足を止めた。 相手も足音を聞きつけたようで振り返った。せいぜい高校生といった年恰好の少年だった。タイザンを見て目を丸くする。 「君は? 何をしている?」 一応普通の社会人として声をかけたタイザンに、彼は「あ、すみません」と頭をかいた。 「社員の人ですか? カーテンのすきまからすごいツリーが見えたんで、つい」 タイザンはあわててガラス扉に寄った。確かに、ひと一人分ほどカーテンが開いている。そういえば出てきたときにちゃんと閉めた覚えがなかった。 「ちっ」 「もしかして見ないほうがよかったかな」 舌打ちが聞こえたようで、彼は困った顔をする。タイザンは一瞬口をへの字に曲げたが、 「いや、見られて困ることはない。ただ、飾り付けがまだ途中だからな」 「あ、途中なんですか。上のほうには飾りが付いてないとは思ったけど。いや、十分見ごたえはありますよ」 彼は子どものような楽しげな笑い方をした。 「すごいなこのツリー。こんな大きいやつは生まれて初めて見た」 率直な感嘆の言葉に、タイザンは嘆息した。 「見るほうはよかろうが、な。たった2人で飾りつけさせられるほうはたまったものではないぞ」 「たった2人で? もしかして、そのうちの1人があなたなんですか?」 タイザンはうんともいやとも返事をせず、 「君も今後社会に出るのだろうが、就職先はよくよく調べて選んだほうが良いぞ」 遠い目でそれだけ言った。少年は「……ハハハ」と苦笑する。 「そうか、そういう仕事の人か」 言いながら、ふと緊張を解いたようにも思えた。タイザンは不意に何かに引かれるような気がして、彼を見た。姿勢のよい、身軽そうな少年だった。 「そういえば君は? もしかしてうちに就職希望の学生か?」 「いえ」 彼は明るい声で言った。 「一度見てきてみろって、父に言われたことがあって、それでちょっと見学に。……ミカヅチ社は、世界有数の大企業だから」 「ああ、そうか」 タイザンは納得した。見学希望でやってくる学生や高校生は後を絶たない。もっとも、タイザンたちの部署にそういった見学者がやってくることはありえないわけだが。 「残念だが今日はほとんどすべての部署が休みだ。働いてるのは私と、どこぞのマッドサイエンティスト集団だけだ。見学ならまたの機会にするといい」 さもなくば捕まって人体実験の憂き目に会うぞ、とかなり本気で忠告したタイザンを冗談と取ったらしく、少年はいたずらが好きそうな顔で笑った。 「そうします。すごいな、ミカヅチグループは悪の秘密結社も持ってるのか」 「……ある意味そうかもしれんな」 彼は闊達な笑い声をあげた。 「じゃ、今度来るときは悪者と闘えるようにしてきますよ」 「ああ、そうしろ」 稚気にあふれた少年とのやり取りはどこか楽しかったが、途中やりのツリーを放り出しておくわけにも行かない。タイザンは軽く右肩を叩きながら、道を空けた少年の横を通って、正面玄関のガラス戸を開けた。 「大変そうですね」 「ああ、まあな。何しろあの大きさだ」 「俺、手伝いましょうか?」 彼は真顔で言う。 「2人よりは3人のほうが早く終わりますよ。ここじゃ8人にできないのが残念だけど」 「8人?」 「いや、なんでもないです。とにかく手伝いますよ。木登りは得意だし、こういうの一度やってみたかったんだ」 彼はカーテンの隙間ごしに、吹き抜けにそびえるツリーを見上げた。タイザンもつられてツリーを見た。大きな、他ではまず目にできないほどの立派な大木だ。 「本当に大きな木ですね。何か不思議な力でも宿りそうな」 「ああ」 何かが懐かしいような気がして、タイザンはもう一度少年を眺めた。彼と向かい合っていると、なんとも名づけがたい不思議な感じがする。それが彼の発しているものか、それとも自分の内側から来るものか、タイザンにはわからなかった。 「せっかくだが……これも給料のうちだからな、部外者に手伝わせるわけにもいかん。気持ちだけありがたくもらっておく」 「ああ、そうか、俺は部外者だもんな。残念だ。……がんばってください」 彼はガラス扉に手をかけ、広く開けてくれた。 「完成したら見に来ます。いつごろ出来上がるんですか?」 「今日じゅうには仕上げる」 「ハハ、応援してます。じゃあ、いずれまた」 彼は右手を上げ、すっと身を翻した。タイザンはビルの中に入り、後ろ手に扉を閉める。 『ダンナがおしゃべりに付き合うなんざ、ずいぶんと珍しいじゃありやせんか』 神操機の中のオニシバが話しかけてきた。 「まあ、気分転換というものだ」 ふと、タイザンは振り返った。彼がまだそこにいたら、今の言葉を聴かれたのではないかと思ったのだ。 彼はこちらに背を向け、広場をまっすぐに歩いてゆこうとしていた。言葉を聴かれた恐れはない……が、そのとき彼の背に、ふわりと淡く、かすかに青い影がよぎったように思えた。 タイザンはしばし動きを止め、去ってゆく彼の背を凝視した。 『ダンナ? どうかしやしたかい』 「いや、なんでもない……」 少年はもう、声など届くはずもない距離まで遠ざかっている。その明るい色の髪が、雑踏に埋もれてゆくのを、タイザンはじっと見送った。 「まさか、な……」 06.12.28 またもややっちゃった…… でも後悔してませんむしろ満足です(正直) やっちゃった第1弾に関しては、部長連作1「翼雲」をご覧下さい |