+  翼雲  +



「若君様、若君様! どこにおられます」
 遠くで呼びかける女房の声を聞きながら、タイザンはうんざりと木の幹にもたれ、出てゆくか出てゆかぬかをだらだらと考えていた。
 考えていたというより、考える体裁をとって出てゆくことを先延ばしにしていた。出てゆかなくてはならないことは重々承知だったが、真っ正直な気持ちを言えば、今隠れているこの木の上で日暮れまで過ごしたい気分だったのだ。屋敷中が一望の下にあるほど高いこの枝に、12の子どもが隠れているなど女房も兵士たちも思いもしないだろうから、その気になれば夜更けまでいることもできなくはなかった。
 ……しかし、そうもゆかぬ。そろそろ出てゆかなければなるまい。だが面倒くさいな。というより、気が進まぬ。だがいつまでもここにいるわけにもゆかぬか……。
 そういう思考をこねくり回して、結局は時間稼ぎをしている自分に気づいてはいたが、それをうまく意識に乗せないでいることにタイザンは成功していた。
 と、女房の声とは正反対の方向でいくつもの声が上がった。
「何だ、今の子どもは。……曲者!」
 曲者? タイザンは驚いて身を乗りだし、あやうく腰掛けていた木の枝から落ちそうになった。幹にしがみついて何とか体勢を整えるうちにも、騒ぎは面白いように広がってゆく。
「兵はみな西門に集まれ!」
「次期宗家を狙う刺客やもしれぬぞ」
「若君をお探しし、お守りせよ!」
 ……つまり、私の命を狙いに来た暗殺者かもしれぬということか。タイザンは急いで袂に手を突っ込み、符の枚数を確認した。1、2、3、4、5……一人くらいなら撃退できぬことはないだろう。つまり自分はここだと衛兵たちの前に出てゆく必要もないということだ。それに、どうせなら隠れていたほうが危険から身を守れるというもの。そんな風にうまく思考を誘導し、木の枝に座りなおしたタイザンの横に、―――いきなり跳ね上がってきた人影があった。
「しーーーーっ!」
 とっさに符を構えたタイザンに、彼は口の前に指を立て、切羽詰った顔で言った。少年だった。タイザンとほとんど変わらぬほどの年に見えたが、ずいぶんと奇妙な装束に身を包んでいた。
「俺、曲者じゃないんだ。迷い込んだだけで……」
 すぐにでも伝えなければまずいことになるといった落ち着きのない様子で、タイザンと同じ木の枝に乗った少年は早口に喋った。
「ちょっとかくまって。ほんとに曲者じゃないんだ。頼む。ほんとに」
 予想外の事態に本当に動揺しているような少年は、タイザンの目には、とても刺客などには見えなかった。
「頼む。本当に俺は…」
「わかったから少し静かにしろ。見つかるぞ」
 はっと息を潜めた少年の足の下を、弓を手にした兵士が数人、駆け抜けていった。彼らの背が濃い緑の向こうに消えて後、はーっと長い息をつき、少年はタイザンに向き直った。
「ありがとう、助かったよ」
 タイザンは返事をせず、ふいと顔をそらして兵士たちが消えていった緑のほうを見やった。やはり、これだけ高い木に登る者がいるとは思ってもみないらしく、戻ってくる気配はない。
 少年のほうは、返事がないことに「…ハハハ」と困ったような笑い方をしたが、タイザンをとがめることはしなかった。そして、
「君はここで、何してるんだ?」
 少年は木の枝に座りなおし、ぶらぶらと足を振った。タイザンの警戒心をとかすほど、無防備なしぐさだった。
「あ、たしかにいい眺めだな。ちょっと茂みが邪魔になるけど」
「景色を見ていたわけではない。祖父のところに行くのが億劫で隠れていたのだ」
「へえ……おじいさん? 頑固じいさんとか?」
 少年は手庇を作って、遠くを見ようと目を凝らすしぐさをする。つられてついその視線を追うと、この枝からは思いがけず遠くの山野まで見ることができた。
「頑固は頑固だが、私たち孫には甘い。祖父がどうというのではなく、そこに行っていろいろと演説をぶつのが面倒なのだ」
「演説? なんだか大変そうだな」
 少年が首を傾げたとき、唐突に違う声が割って入った。
『おいコラ! のんびり世間話してる場合じゃねぇだろうが。マホロバのことはいいのかよ』
 少年は一瞬眉を上げただけだったが、タイザンは思わず声を上げるほど驚いた。振り向いても、その声を発したであろう人影は見当たらない。ということは、つまり。
「貴様、闘神士か!」
「え……」
 襟首をつかむ勢いで詰め寄ると、少年はさすがに目を見開いた。
「コゲンタの声が聞こえるのか? じゃあ、君も闘神士?!」
『いや、ちがうぜ』
 また、声がした。聞こえるような聞こえぬようなそれは、間違いなく式神の声だった。
『こいつには式神がついてねぇ。多分、闘神機だけ持たされてる見習いってとこだろ。それでも俺様の声が聞こえるあたり、たいしたもんだが』
 式神は本当に感心している風だったが、見習い、の一言はタイザンには我慢ならなかった。
「黙れ式神風情が! 私は闘神士だ」
「ま、まあまあ」
 少年が眉を下げて、姿の見えぬ式神とタイザンの間に割って入るような動きを見せた。
「そうか、君も闘神士なんだ。俺もだよ。って言っても最近初めて闘神機を持ったばかりでさ、それまでは式神の存在も知らなかったくらいなんだ。今も契約してる白虎に叱られてばっかりで…」
 ハハハ、と笑う少年の声に、どうも怒る気をなくして、タイザンは袂を探った。自分の闘神機を取り出し、ひざの上におく。うすっぺらな箱のように、式神のない闘神機は軽い。
「ああ、それが君の闘神機? きれいな色だな」
「……そうか?」
 タイザンは闘神機を手に取り、木漏れ日にかざした。からっぽの闘神機は青空の色だ。
「その式神の言うとおり、私はまだ式神と契約していない。……祖父のところに行くのは、契約の儀式を許可してもらうためだ」
 次期地流宗家にふさわしいのは自分だ、だから今すぐにでも契約をさせろと言葉巧みに取り入るため。
 想像するだけで気が滅入った。それ以上に、次の宗家と目されていた優秀な甥を謀反の疑いで失った今、祖父がどんな顔をしているか考えるだけでも気分が暗くなる。
 ……まして、それらが私の計略によるものだと知ったら、祖父はどれほどに……。
「……大丈夫?」
 少年がうつむいた顔を覗き込んできた。
「契約の儀式が心配なのか? 大丈夫だよ、俺も何とかなったくらいだからさ。君、もう修行とかしてるんだろ? 楽勝だよ」
 あっけらかんと彼は言った。そんなことはひとつも心配していないが、では何が気がかりなのかとたずねられるのは目に見えていたので、言わなかった。
「お前、ずいぶんと妙な格好をしているな。どこから来た」
「え? えーっと、遠く」
「遠く? まあよいか…。しかしどうやってここに入ってきた。曲がりなりにも地流宗家の分家。童が迷い込める場所ではあるまい」
「ちりゅうそうけ…って何だ、コゲンタ」
『闘神士の二大流派のひとつ、その元締めだ。ほんとにお前は何も知らねぇな』
 タイザンには見えぬ霊体へと、少年は問う。それがタイザンには驚きだった。
「貴様、闘神士のくせに地流宗家がわからぬのか。本当に闘神士か?」
「ハハハ……。いや、俺、実はこの時代の人間じゃないんだよ。とうさんの敵を追って、未来から来たんだ」
『時代は関係ねぇよ』
 白虎が不機嫌な声で追い討ちをかけた。癖なのか、少年はまた「ハハハ」と困ったように笑う。そして不意に真剣な顔になった。
「君、マホロバっていう闘神士を知らないかな。俺はそいつを探してるんだ」
 真顔になると、彼の瞳は驚くほどまっすぐにタイザンを見た。タイザンはひるみ、思わず彼から目をそらして自分のひざを見た。
「……すまぬ。マホロバという名は聞いたことがない」
「そうか……。いや、いいんだ。ありがとう」
 少年は微笑んで礼を言った。何か考えるように沈黙する。その顔にわずかな影を認め、タイザンは初めて自分から話し掛けた。
「マホロバとやらが、お前の敵か。さっき、とうさんの敵を追って…と言っていたな」
「うん、そうなんだ。俺のとうさんは、マホロバに石にされてしまった。だからマホロバは俺の敵で、とうさんの仇だ」
「……石に?」
「うん。俺はとうさんを必ず助ける。そのためにマホロバを追ってるんだ。そのために、ここに来た……コゲンタと一緒にさ」
 彼が指差したらしい式神は、タイザンの目には見えなかった。少年はそれから遠く望む山野と眼下にしつらえられた庭園に目をやり、顔を上げ、こずえの向こうに沈み始めた太陽に目を細めた。
「きれいだな、ここ。ずっといたい気持ちわかるよ。だけどそろそろ行かなきゃな……。マホロバを探すために」
 少年は枝の上に立ち上がった。そしてタイザンに向け右手を差し出した。
「不安かも知れないけどさ、契約してみろよ。不安で心配で、一人じゃどうしていいかわからないときに一緒にいてくれるのが式神だ。絆が、俺たち闘神士と式神をいつだってつないでる。なあ?」
 軽く肩越しに振り向いて呼びかけた。照れ隠しのような不機嫌な声が、『ま、まあ、モンジュにお前のことを頼まれてるしな』とだけ応えて消えた。
 少年はまた軽い笑い声を上げ、木の枝に座ったままのタイザンを見下ろして明るく微笑んだ。何のてらいもないその顔を掠め、こずえを抜けてきた夕日がまっすぐにさしこんできて、タイザンはまぶしさに目を細めた。
「じゃ、俺もう行くよ。そうだ、まだ名前も言ってなかったな。俺は、」
 言いかけて、少年とタイザンは同時に同じ方向を振り返った。
 遠くで、何か大きな力が音もなく天へ膨らんだような感覚があったのだ。少年はタイザンよりずっと強くそれを感じたようだった。
「今のはマホロバの…行くぞコゲンタ!」
『おぉ!』
 ひらりと枝から飛び降り、すばやく駆け出した。
「あっ、お前…」
 思わず手を伸ばしたタイザンに、少年は足を止めぬまま振り返った。
「また、どこかで!」
 勢いをつけて一息に垣根を飛び越え、彼は見る間に姿を消した。
「今こちらで声がしたぞ!」
「衛兵! こちらだ、集まれ!」
 屋敷の兵が、侵入者を追って集まってくる。タイザンはその騒動を遠く聞きながら、ずっと少年の去った方向を見ていた。手の中の闘神機を握り、声が漏れる。
「絆……絆、か」
 契約し、絆を得て、私はそれを何のために使うのだろう。
 またどこかで、と少年は言った。再度出会うとき、私は、彼の顔をまっすぐに見ることができるだろうか。
 ……なぜこんなことを私は考えているのだろう。
「若君はどこだ?!」
「もう少しで次期宗家となられるお方なのに、万一のことがあってはならぬ。お探し申せ!」
 衛兵たちが騒ぐ声がする。次期宗家、とタイザンは口の中でつぶやいた。そして少し考えた。
 庭内はすでに薄暗く、邸の雨戸はすべて閉め切られ一個の閉ざされた箱となっている。その中には、薄暗い何かがどろどろとわだかまっていて、タイザンは今も自分がその中で泥の海に沈んでいるかのように感じた。
 顔を上げ、少年の駆け去った方を見る。
 彼は唐突にやってきて、重い雨戸を一息に開け放ち、強い風を起こしてタイザンの沈む泥を吹き飛ばし去っていった。
 見下ろせば動き回る衛兵たちの手にはかがり火があって、それが逆に彼らの位置を知らせる目印となっていた。
 闘神機を袂に入れる。用心深くあたりの気配をうかがい、枝から飛び降りた。
 タイザンは垣根を乗り越える。闘神機と符が袂から転がり落ちぬよう抑えながら、屋敷の外の山野に向け駆け出した。少年の後を追うようにして。
 追いついたとしても、彼はきっとそこにはもういなくて……けれど、それに変わる何かが自分を待っている。そんな奇妙な予感がした。
06.10.10





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やっちゃった……。部長と伝説様のニアミス話。
マサオミさんととか、ヨウメイととかなら、素敵作品を時々見かけますが、
よりによって本編で面識のないこの二人。完全に趣味の産物です。
えいもう開き直れ! 子ヤクモラブ。若タイザンもラブ。