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1998.12.13

雪が降る前の外作業中に友人家族が突然やってきて、遊びに来ていた甥と一緒にデッキでにわかに冬のパーティー。

自称"寒さに強い"私などは、女性たちが着込んでいるのに、この季節に作業用のベストと半袖だ!(撮影は友人)



1998.01.30                   →拡大して写真を見る

厳冬期の朝の風景(左の谷側へ増築する前)

木の幹と枝、杉の葉以外は真っ白でモノトーンの世界。自然は眠っているのではなく、やってくる春に備えて生き抜くために冬の寒さに耐え、烈しい命の準備をしているのである。彼らの命だって、人間や動物、小鳥や昆虫たちと同じで、次のものに命を受け渡して、いつかは終わるのだ。



1996.02.24

雪が降り止んだミズナラとケヤキの林。



1998.02.06
雪国ではまれな朝の晴天。放射冷却で気温が下り、晴れ渡った青い空をバックに、朝日に照らされたミズナラの枝先についた樹氷がきれいだった。


1996.02.24

自宅の納屋の前で除雪作業中の集落のおじさん。
夏に耕運機に乗って時々キューリやナス、その他をそっと玄関前に置いていって下さる、いつもニコニコの大好きなおじさん。



1996.02.24

ブルトーザーで除雪作業が済んだ後の集落内の道路と東の谷をはさんだ対岸の眺め。

雪が止んでも滅多に晴れることのない日本海側雪国の"鉛色の空"とはこのようなものだ。



1996.02.24

萱葺き屋根の集落内の民家と冬景色。やはり雪が降り止んだ空は明るいとはいえない。


 
2006.01.09 

アトリエの窓から、吹雪の中、朴の大木の枝先の、人間の小指ほどの小さな芽を見ていると、春にあれほど大きな葉を空中いっぱい茂らせ、夏には白い大きな花を咲かせることに想いを馳せるのは、命の不思議さに対面しているからだろう。


2006.01.09

アトリエの窓から見える朴の木
アプローチ入口の車の上にある下欄の柿の木

寒空の中の朴の木の枝先と先端の芽

※朴の木の大きな葉と花が開いた夏の姿は "" にあります。


 
2006.01.08  


2006.01.23
鳥たちのために残しておいた柿の実
(アプローチ入口)
残り少なくなった柿を食べにきた鳥


私の住む集落の賽の神の行事「どんど焼き」は毎年1月中旬頃の日曜日の夕方行われる。

2006.01.15 
12の倍数の年男と年女が火付け役を始めた

どんど焼きは正月の松飾、しめ縄、書き初めなどを持ち寄って焼き、その火で餅やその他各人が食べたいものを焼いて食べ、健康と幸福や豊作を願う大切な年初めの行事である。


2006.01.15 

外は寒いので、毎回ご婦人たちが暖かい甘酒のサービス。お酒もふるまわれる。

2006.01.15 
燃え盛るどんど焼き

2006.01.15 
竹竿の先にするめや餅などを付け、焼いて食べる


2006.02.12

大人に混じって「鉦鼓(しょうこ)」という金属楽器を演奏した少女の姿がとても愛らしい
旧浦川原村谷集落に伝わる雅楽を演奏する月影雅楽保存会の人たちの新年の演奏風景


2006.01.22

晴れた朝、雪面に朝日がさした時庭先に見つけた野うさぎの足跡。近年生態系に変化があり、天敵の狐などが増えて野うさぎの足跡を見ることが少なくなった。冬場、兎狩りをする人間が昔に比べて少なくなっているにもかかわらず。


2006.01.08

バルコニーで見つけた野うさぎの足跡 久しぶりに晴れた朝の景色(アトリエの窓から)


2006.02.10

住いの庭の南斜面

雪が降り止んだ朝のすがすがしい一日の始まり。右手前の大木は朴の木でその他ミズナラ、カエデ、アズキナシ、モミジ―斜面を下りきったところにブナの林がある。


上の写真と同じ日の厳冬期の朝で、アトリエと住まい、そして周辺の全景

2006.02.10                  →拡大して写真を見る

アトリエの自然とくらしについて

 ホームページでこの項目を作ったのは、ここでの自然に囲まれた生活が「実績」及び「コンセプト」その他の文章全体と不可分の関係にあり、それを支えているとさえいえるからです。中でも「実績」は結果であり(証明でもある)、常日頃から、それをつくった背景とベースが大切だと考えています(このホームページの文章が多いのもそのためです)。生活と思想・作品は本来一体であるべきなのです。

 才能があり、訓練を積んだ人は、自然光も眺めもない地下の牢獄のような所でさえ自分の仕事を立派にやり遂げることでしょう。私のように才能があるとは思えず訓練も不十分なものには、仕事をする環境が問題です。

 私はこの自然によって生かされており、ここの大気の中で、生きている限り"建築をつくる喜び"をもって、自然と調和する建物をいつまでも続けていこうとするでしょう。


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