このワークショップは、ただのワークショップではなかった。安藤さんが口にした「日本のダンス界のレベルが上がらなければ」が、そもそもの発端だ。その起爆剤であり、それを可能にするのが私の武道だと確信している安藤さん。
しかし、この企画の大きさは、従来的な発想しか持たない、つまり、経済至上主義的仕事しかできない制作者には荷が重すぎた。
ドイツからフォーサイスカンパニーのダンサーが4人も来る。制作会社は、今回は一人にしたらといっている、と安藤さん。
「バカか、目的は何だと思っているんだ。そして今起こっていることを分かっているのか。止めよ!」ドイツへ何度電話を繋いだことか。このような手違いが原因で全てが遅れた。
出だしでつまずいたのだ。
「この制作では、企画は実現しない」と決断。後は手作りで行うしかない。どうしてもやりたい!その一念が多くの人たちを巻き込んでいった。プレスもない、全国的なメディアにも載らない、それで成功するのだろうか。しかし、巻き込まれた人たちは失敗など眼中になかった。それも成功の原因だ。
「赤字は全部自腹でやる」
安藤さんと私の決意はあちこちに通じた。
かくてワークショップ初日、一コマ目には170名を越える人たちが「身体塾」に参加した。9日間、延べ動員数約2700人。
前代未聞だ。
カンパニーのダンサーたちも、世界中探してもこんなワークショップはない、と驚くと共に絶賛していた。
後日、朝日新聞にレビューも出た。これも前代未聞だ。たかがワークショップ、たかがショウイングなのに、だ。
私は知らないが、コンテンポラリーダンスの世界では名前の通った人たちもかなり来ていたそうだ。もちろん、役者達も。
無事9日間に渡るワークショップ、そして、最終2日間のショウイングは幕を下ろした。打ち上げのビールがどれほど美味しかったことか。
ダンス評論家や作家、ファッション関係のプレスなど、私の武道の世界では、まず顔を合わせる事がない人たちで一杯だった。すでに来年のワークショップはうちで、と名乗りを上げてくれているスペースもある。東京の一等地だ。
この10月に行われるパリのファッションショー。そこにマーツやシリル、アンダーと安藤さんが、ミナの服を着てファッションの舞台に立つ。 安藤洋子とファッションデザイナーの皆川明、そして、私とのトリオは、ひょっとしたら本当にかつてない何かをしでかすのかも知れない。そんな予感がする、そんな実感を伴ったワークショップだった。いや、このワークショップがトリオを作り出した、そのトリオが明日を見据えるプロジェクトにしたのだ。
「この企画の第一回目が横浜で良かった。かつて黒船が来航し、この地から文明が開化していった。まさにそれが今、ここで行われたと思うと……」と安藤洋子。
「身体を道具として使うには、身体を知らなければどうにもならない。しかし、身体を知るのは頭でではなく身体でだ」と言う言葉で幕を開けたワークショップ。日頃私の教室でやっている事、それを展開せずに行っただけだが、受講生にはかなり新鮮だったようだ。
「稽古に幻や思い込みは持ち込むな」には特に驚いたようだ。なぜなら、日頃のワークショップは「○○のようになって」というような類ばかりだからだそうだ。
「○○のようにって、○○じゃないやろ、○○のようにと思いこんでるって小学生やないか」くだらないワークショップでの方法、間違ったストレッチやトレーニングをバサバサ斬り落とした。
「本当にそこにいきたかったら、そこに行く道しかいけない。入り口を間違ったら辿り着かないんやで」受講生達の目は、どんどん真剣になっていく。表情や姿勢が日増しに良くなっていった。ボランティアでスタッフや受付をしてくれている人達、カメラマンの人達が口を揃えて驚いていた。皆川さんも「素晴らしい空間ですね」と感心しきりだ。「こんな真剣で緊張に満ちた場は体験した事がない」とも。
それは当たり前、自分が自分に取り組んでいるという事を自覚しだしたから。それと駄目だしに慣れてきた事もある。当然だ。 一日のワークショップ、一コマ数時間のワークショップで何も出来る筈はない。テーマに対しての取り組み方を知るくらいだ。
しかし、それが巷にはないのだ。何故か?答えは簡単だ。そこには技術がないからだ。技術には取り組み方が必要だが、思い込みには思い込みで取り組むだけでよいからだ。
しかし、もちろん技術いう言葉も身体という言葉も、私の教える連動という言葉も巷にはある。どこにでもある。武道の世界にもある。ただ、それの本当の動きや技術を目にした事がないので、つまり、その言葉の持つ幅が余りにも広すぎて、どうとでも取れる動きでも、これらの言葉に含まれてしまうのだ。
だから惑わされるのだ。同時に、受講生が技術という事を知らない事もある。それは、自分が何をしているのか、に対しての自覚が無いから仕方がない。しかし、それはダンスに限った事ではない。現代の日本では、ほとんどがこれだからだ。
「カンパニーのダンサーたちの真摯な姿勢、真剣な取り組み、公平な態度に対して、もっと真剣に向かい合え。
でなければ日本人として恥だ」その自覚のなさに対して一発入れた。もちろん、受講生が遊び半分でワークショップを受けているのではない。誰もが真剣だ。しかし、その真剣さの度合いが段違いなのだ。ここに一流と二流の垣根が歴然と見える。
「彼らは一言も屁理屈を言わないだろう。その屁理屈をいう間に何か工夫出来るだろう」余りにも、屁理屈慣れした受講生。「納得出来ない」とも言う。頭で納得したいのか、実際に出来るようになりたいのかどちらなのだ?受講生の頭をどんどん切り換えていった。
数人の受講生が「私は絶対にこの場では嘘を尽きません」と涙した。これはコンタクト・インプロビゼーションのクラスで起こったことだ。相手からのコンタクトとは何か、それは一体自分の身体にとってどういう作用を起こさせるのか、その作用に自分がついていくだけでいいんだ。絶対に嘘の動き、つまり、自分勝手な動きやくせの動きはするな、それは見苦しいだけ、くさいだけだから。が時間と共に徹底されて来たからだ。
真剣向かい合いは「表現塾」の柱だ。もちろん「武禅」での柱だ。つまり、自分は誰に向かい合っているのか、向かい合っている相手は、自分の事を向かい合っていると見えているのか、相手にとって自分はどう見えているのか。これらは、全て表現の基本である。
表現塾初日は、皆???の連続だったが2時間もすると、「私を見てくれていません」「あなたを見る気もしません」と発言する受講生も増えて来た。それらの発言や「気持ち悪いです」には全員大爆笑をした。
しかし、こんなこと自体現在の日本ではあり得ない光景なのだ。そりゃそうだろう。「気持ち悪いです」と面と向かって言える空間、言ってもおかしくない空間などあるはずもない。そしてそれを共有し、大爆笑が起こる空間。世界広しといえど、この空間だけなのだ。
「実は私は何も出来ていないんだ、ということに気付きました。本当は最後まで受けるつもりだったのですが、苦しいので逃げます。出直します」と泣いた。「私は全部思い込みでした。他人の言葉を何一つ分かっていなかったのです」と号泣したベテランダンサー。彼女たちの目は真っ直ぐで美しい目になっていた。
全員の姿が美しくなったワークショップと総括出来るだろう。
シリルの目が深くなった。それよりもマーツの目が一段と深くなった。アンダーの目は鋭くなった。姿が変わった。来日直前、マーツは安藤さんに「本当に今ダンスをしている場合ではない。すぐに日本にいって日野から多くの事を学ぶ事の方が先決だ。しかし、今は仕事があるから」と言っていたそうだ。
「何をすべきかを掴んだ。身体は自然物だということ、その自然物としての自然の動き、それが動きを作るという先生の言葉が分かりかけてきました」とシリル。お互いに身体を動かせながらだから、行間が手に取るようによく分かる。行間の深度もよく分かる。
フォーサイスカンパニーは今後大きく変化すると断言する。その核になるのが彼ら、彼女達だ。というよりも、世界のダンス界に革命をもたらす。そうしよう、でなければおもしろくないやろ!彼らと無言のコネクトをした。
オーディションのテーマは、もちろん、Feel&Connectだ。
二人、もしくは三人で組む。その一人がリーダーで、リーダーが動きで指示する事に付いていく。ただそれだけだ。しかし、受講生はダンサーやアクターだ。だから、自分勝手に動きを作ったりする。くさい芝居をする。それを排除するためのワークショップでもあった。その集大成がオーディションでありショウイングだ。
「一日目の合格者はいません」深い沈黙と同時に「そうだろう」といううなずきの空気もあった。
フォーサイスカンパニーは、世界のダンサー達のオアシスだと言っていたダナ・カスパーセン。現代ダンスの世界をリードするカンパニーは、ダンサー達のオリジナリティを尊重する。それが色々あるカンパニーの中で唯一なのだ。
だからオアシスなのだ。当然、カンパニーに入りたいダンサーは世界にひしめき合っている。その一員であり、そのカンパニーのボスに絶対の信頼を得ている来日した若手ダンサー達。そしてフォーサイスのアシスタントもつとめている安藤洋子。
つまり、その世界のトップランナーが集結したワークショップだったのだ。
したがって、ショウイングといえど彼らと同じ舞台に立つための壁はアイガー氷壁よりも険しい。
それを自覚できるダンサーが出てきて欲しい。もしくは育って欲しい。安藤洋子の望みだ。
オーディション3日目から音楽が入った。和太鼓だ。スピード感溢れる和太鼓と対立しない「動き」を要求した。音楽は伴奏ではない。また音楽に踊らせれてはいけない。音楽は背景であり、場の環境そのものなんだ。この難解なテーマに向かってそれぞれが工夫をした。
ショウイングも和太鼓ソロで背景が変化していく。
世界のトップランナーとの舞台に、未だかつて味わったことのない緊張を憶えたという。「今まで演奏をしてきた自分の姿勢は、一体何だったのか」とも。そして「来年も使ってもらえるなら、ワークショップを初日から皆と一緒に受けたい、そうすれば絶対に自分の音ももっと成長すると思う」と。
受講生だけではなく、皆がFeel&Connect した。
ショウイング衣装を作ってくれた皆川さん。衣装はなんとオリジナルプリントだ。世界のミナ・ブランドのオリジナル衣装。このショウイングだけのために作られたものだ。
あり得ない贅沢だ。「洋子ちゃんとやっと仕事が出来るね」と優しい目を安藤洋子に向けた皆川明。
この二人の間で蓄積された年月を無駄に出来ない、その蓄積を越えてもお釣りのくるワークショップにしてやろう、と改めて決意したのは7月の初旬だった。
公開リハーサルでは、その衣装合わせの模様まで公開した。
これだけでも、今までの日本のダンス界にはあり得ない事なのだ。いや、あり得なかった事だと言いなおそう。それをここに実現させたのだから。
あり得ない事は、野田秀樹氏からの推薦文も同じだ。ワークショップごときに推薦文を書く事など絶対にない。もちろん、それはワークショップに限らず他人を推薦する事などあり得ないのだ。むろん事務所がストップをかける。野田秀樹そのものが商品である以上、その商品価値を下げる可能性のあることなど、事務所が許可を出すはずがないからだ。
それも実現された。
つまり、今回のワークショップは様々な出会い、様々な偶然、様々な要素が重なり合って実現した、まさに奇跡のワークショップだったのだ。何か私たちの予想やキャパを越えた大きな力が働いているとしかいいようがない。であれば、この安藤洋子プロジェクトは予想できない、大きな何かをしでかせる筈だ。
来年ワークショップを開く予定のスペースに、「企画制作」を依頼しにいった。安藤さん、ミナのスタッフと共にテーブルに付いた。スペースのスタッフは興奮していた。
ショウイングを見に来て感動してくれていたのだ。その感動を誰かれなく捕まえては話したという。話さずにはいられなかったという。「舞台から客席に向かって首根っこを捕まえに来た」という表現をしてくれた。
こんな人がスタッフでいるスペースなら間違いなく来年から拠点に出来る。「この舞台に、このメンバーと踊りたい、というものをここから発信したいのです。
単発のイベントではなく5年10年計画で」と私。「そういって頂けたら嬉しいです」こんな呼吸が何かを創造するのだ。 すでに、来年は始まっている。来年は動き出している。
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