「雑誌秘伝掲載分 紹介」
●日本武道、西洋文化と対峙す
武道という日本の伝統文化。そこから私が紡ぎ出した「身体」という概念、そして、その「使い方」と「関係の中での使い方」。これは普遍であると常々思っていた。だから、その検証の意味も含めてスポーツ選手を始め、邦楽の演奏者や、医療関係者に指導していた。しかし、日本においては相も変わらず盲目的な西洋文化崇拝的思考がある。運動論も身体理論もアメリカやヨーロッパのものが一番だと何の根拠も持たずに信じ込んでいるのが現状だ。だから、そのアメリカ的ヨーロッパ的身体論や運動論では「人」には届かない、つまり、その理論を突き詰めた時、実際にそれを使う「人」の複雑な構造には結びつかないということだ。ということをどこかで証明したかった。それが今回実現したということだ。だから、フォーサイスカンパニーに異文化としての武道を教えに、あるいはイベント的に見せにいったのではない。彼らの持つ、身体に対する概念、運動に対する概念、人は関係するという実際、表現に関しての考え方や意識の持ち方等、を覆しに行ったのだ。
つまり、日本の文化を直接的に西洋文化と対峙させ、百パーセント西洋文化に影響させよう、ということが目的だったのだ。それには、どのジャンルでもトップで無ければ意味がない。それが今回、コンテンポラリー・ダンスの世界の頂点に立つウイリアム・フォーサイスからの招聘があり実現したのだ。もちろん、フォーサイスレベルの人たちが、誰かを呼んでワークショップを開くと言うことなどあり得ない。ましてや日本人など呼ぶこともない。だから、今回フォーサイスカンパニーでのワークショップは、ある意味で歴史的な事だと認識して欲しい。
●「関係」という武道の本質
フランクフルト中心部にあるオペラ劇場。その中にあるスタジオの一室。目の前では、フォーサイスカンパニー(Forsythe COMPANY)のダンサー達が新作のリハーサルをしている。私が座る横には、そのウイリアム・フォーサイス(William Forsythe)がリハーサルを真剣なまなざしで見つめている。「日野さん、彼らの動きをチェックし、後日アドバイスを出すのですよ」とフォーサイス。
そもそも私とバレエとの関係は、私の中では奇妙な事ではない。二十数年前からモーリス・ベジャール率いる20世紀バレエ団(当時)の作品を徹底的に研究したことがあるからだ。モーリス・ベジャール振り付けの「ボレロ」、それを踊る故ジョルジュ・ドン。彼の表現としての身体運動の研究が、私の武道での身体操作や身体操作の為の意識の在り方をより明確にしてくれたのだ。とにかく、私にとっては誰の動きをよりも、ジョルジュ・ドンの動きは分かりやすかった。
当時、私は武道の実際を「表現」という切り口で解明しようとしていた。武道の実際は個人的なスピードやパワーだけでは解決できない、また成立しないのは自明の理だからだ。それは、相手、もしくは敵、しかもそれは一人とは限らない、という前提を持つのが実際だからだ。
対峙する者同士は、表現者と観客の関係であり、それは約束された形ではなく、常に同時に変化し転換する関係だという考え方だ。だから武道の実際は会話と同じで、話すと同時に相手の反応を確かめている、が武道での実際だ。
つまり、関係そのものが武道だという切り口だ。関係であるから、表現者と観客という設定が、私にとっては一番明確に問題を浮き彫りに出来たのである。
それは、私が集合即興演奏としてジャズに取り組んでいた事の延長にあるとも言える。演奏者と観客、演奏者同士の即興での関係性である。集合即興演奏では、調性はもとより定型のリズムまで排除し、どの音から始まるのか、始めるのか、どの楽器から始めるのか、等という束縛を一切取り外した時の即興での関係性だ。
●ドイツが呼んでいる!
ドイツにいる安藤さんから電話があった。朝9時。「おはようございます。先生何時ドイツに来る事が出来ますか?フォーサイスが先生を招聘しているんですよ」「えっ、もう?おもろいやんけ!」
コンテンポラリー・ダンスの世界の頂点に立つウイリアム・フォーサイス。彼が率いるウイリアム・フォーサイスカンパニー。その前身であるフランクフルトバレエ団に、日本人で初めて抜擢されたのが電話の主安藤洋子さんだ。
安藤さんはダンスという事ではなく「武道」をやりたいと数年前に私に師事をした。しかし、武道の稽古の過程で、これこそがダンスの教則本だと安藤さんは発見した。クラシックバレエの各ポジションは「胸骨の引き上げと連動」で生まれ変わる、とその実際を見せてくれた。また「身体を感じる・触れる」そこから動きが始まる、はコンタクト・インプロビゼーションそのものだと驚きもした。その稽古体系を創った私の考え方は、今、一番ウイリアム・フォーサイスが欲している事だと安藤さんは直感した。
本年一月末、日本での私との最後の稽古を終え、安藤さんはフランクフルトに戻った。その時「絶対に先生をフォーサイスに会わせます。フォーサイスの欲しいものが全部先生にあるからです」と言って飛び立った。それからまるまる一ヶ月余りしかたっていない2月中旬の電話だ。
●「否定」が受け入れられるか?
「日野さんにとって武道とは一口で言って何なのですか」と初日のワークショップを終えた直後のフォーサイスさん。「関係性です」と即答した。フォーサイスは的を得たりという、柔らかい笑顔を私に投げかけ手を握ってきた。
セミナー初日(3月9日)、武道という身体運動・操作、その特徴(敵と対立しない)、そして、その必然性等を実技を交え簡単に話をした。
ダンサー達は身を乗り出して私の話を、そして動きを興味深く聞いてくれた。すぐに実際の稽古に入った。まずは「ねじれと連動」だ。そして、それを貫くテーマは「身体を刺激を通して感覚する」と、「その刺激を用いて身体内に線を作る」である。
彼らは何だかんだといっても世界のトップダンサー達だ。私が提示する運動など直ぐにこなしてしまう。しかし、それは違う。似て非なるものだ。運動ではなく、形ではなく、振り付けでもない。私が提示しているのは、運動を媒介としての身体内部の感覚と認知だ。だから難しい。これは、日本でも同じ間違いが常にある。
「NO!ちゃうで!」大阪弁がスタジオに響く。何が正しくて、何が間違いなのか。それを明確にする事がワークショップでの目的でもある。つまり、ダンサー達の身体内部にこれまでにない感覚の定規を作ることだ。しかしその正誤は言葉で理解・解決できる世界ではない。
その正誤を体感できる感受性が有るのか無いのかの話だ。体感でき、尚かつ実現させる身体能力を持っているのかいないのかの世界だ。そして、それらのことを自分自身の思考として取り込む事が出来るのか出来ないのかの世界だ。これが出来なければ、その感覚が定規にもならないから、応用など出来るはずもないのだ。
むろん、最初から彼らの感受性が鋭く働いたのではない。私の「NO!ちゃうで!」が、その優れた感受性を引き出していくのだ。ここでいう、感受性や身体能力そのものには形はないし、目に見えない。しかし、結果としての身体運動が歴然とある。つまり正誤は見えるということだ。その定規を身につければ、そして、その定規にそって練習をすれば、定規の精度の向上と共に、感受性も身体能力も向上するのだ。それが私の言う稽古だ。つまり、身体の基礎的能力の向上をも同時に含んでいるのだ。
「NO!ちゃうで!」というやり方は日本では殆ど通用しない。というのは、現在の日本の社会環境の過保護化、それに子供の頃からの教えられ慣れからくる、自分の力で掴み取るという能力が低下しているからだ。その能力の低さを棚に上げ、教え方が悪い、教えてくれない、と自分の掴み取る責任をどこかに転嫁してしまうからだ。
間違っているということが分かれば「何が」に目が向き、「どこが」にも「どうして」にも目が向く。だから向上する。これが普通だ。しかし、一億総「誉めて上げなければ」という、時と場合を考えずに用いる言葉が人間を駄目にしていっているのだ。能力が低いのであれば上げればよい、それだけのことなのだが、それを迂回させ誰かのせいにしてしまうのだから、自分の能力が育つはずもない。つまり、自分で自分の能力の芽を摘んでいるのが日本人だ。
しかし、カンパニーのダンサー達は違った。20代前半から40代までの年齢幅を持つが、どの人をとっても、自分の力で獲得する能力が優れている。だから「NO!ちゃうで!」は、即効性を持っていた。もちろんダンサー達それぞれのアプローチの方法は異なる。それはそうだ。ダンサーと一口に言っても、現在の自分を形成した環境も感性もトレーニング方法も異なる。しかし、身体そのものは普遍であり、感じた実体そのものも普遍である。そして何よりも、プロのダンサーだという自覚がある。そういった前提があるから、「NO!ちゃうで!」は本当に即効性が発揮されたのだ。これには正直驚いた。
自分のやっている事が違うということを、自分自身の身体で気付いているのだ。そして、その気付いたことは、間違いなく正解への道の中にあるから驚きなのだ。
また、フォーサイスカンパニーのダンサー達は多国籍だ。スペイン、ギリシャ、フランス、アメリカ、スイス、チベット、イタリア、そして、安藤さんの日本だ。彼らの何かを否定するということは、紛れもなく対立を呼ぶ。その対立の大きな形が戦争だ。だから、否定の言葉、対立的な言葉は冗談以外には存在しないといっても過言ではない。そういう意味で、彼らは言葉には非常に神経質だ。
そこに私の全否定だ。当初ダンサー達は拒否反応を起こすと思いきや、意に反して私の「NO」を素直に、実に素直に受けれ入れた。それは、私の提示する問題が余りにも大きいこと、そして、自分たちの概念には全く無かったことだからだ。何よりも、身体運動にとって本質的なことだと直感したからだ。
ここも日本とは全く違う。概念にないからこそ好奇心を持つダンサー達。概念にないから否定する日本人。自分の枠では捉えきれないから好奇心を持つダンサー達。自分の枠にはまらないものは否定する日本人。
●即興性と関係性
フォーサイスとの対談の中で「日野さんはミスター、オプションだ」と言った。肩から手首にかけての連動、腹部から手首にかけての連動、足から手首にかけての連動、そうこれは「纒絲系」にほかならない。身体内部に螺旋の線を定規として形成する方法だ。武術的には、その螺旋を使い力を動かす方法である。
その螺旋を使い動きを導き出す。一回、二回、その「纒絲系」からどんどん動きを変化させていく。「それは決まった動きなのですか」ダンサーからの質問だ。「いいや即興だよ」多種多様な私の変化にスタジオはため息が流れた。そしてその即興性にも。逆に言えば、この即興性こそ武道での実際であり、変化に即応する実際だ。だから、武道だからこその即興性なのだ。
相手をしてくれたチベット人ダンサー、サング(Sang Jijia)と複雑に絡んでいく。ダンスでは敵を倒す必要はない。だから、この場合螺旋からの流れを追うことだけでよい。これらをワークショップ初日に見せた。フォーサイスやダンサー達は私の動きに「美しい」と叫んだ。そして、それは「ダンスだ」とも言った。「日野さん即興で踊って下さい」とフォーサイス。「一寸待って、先に動きの原理を説明するから」
ワークショップの三日目(3月12日)。旧作「失われた委曲」の中の振り付けに関してのアドバイスを求められた。それは、小さな台(椅子のような)を持ち歩くというものだ。フォーサイスの意図は、ダンサー達に音もなく静かに歩いて欲しいのだが、ダンサー達の歩きは上下に揺れるのだ。そこで、胸骨を意識すること、歩く時の意識は持たないこと、ただ視線に従えばよい、というアドバイスと共に、その見本を見せた。
という具合に、フォーサイスやダンサー達のどんな質問にも、身体の動きであるいは言葉で即答する私に「ミスター、オプション」だと言ったのだ。
●もう孤独ではない
ワークショップ4日目の夜、ダンサーの友人の誕生日パーティに招かれた。その席で、スペイン人のアマンシオ(Amancio Gonzalez)が、「今回日野さんがワークショップを開いてくれたのは非常に良いタイミングだった。私を含めダンサー達は乾いた砂漠に雨が降ったように、日野さんの教えてくれているものを吸収するだろう。そして、それぞれに違う花を咲かせる事だと想う」と神妙な面持ちで語ってくれた。
今回のフランクフルトでのワークショップは、非常に不思議な感じだった。私が話す、通訳をかってでてくれた吉田君が訳す。動きを見せる、というあまり集中できない時間だった筈だ。にもかかわらず、違和感がなかった。ワークショップそのものの流れも途切れない。むしろ、盛り上がりすぎてバテてしまう場面もあったくらいだ。
フランクフルトで、しかも多国籍のダンサー達を相手のワークショップ。しかし、そこでの体感は「関係」そのものだった。といっても、読者には何のことだか分からないだろうが、もちろん、分からなくて当たり前だ。私も言葉にしようがないのだから。
ただ、私が全く知らないヨーロッパで、ダンスの前衛を走るトップランナー達が、実は一番私を理解してくれたということ。そして、ウイリアム・フォーサイスという前衛の旗手は、「私はもう孤独ではない、日野さんと出会えたから」と言っているということ。ここにはお互いに感動はなく「安心」を得たという言葉が適切だろう。
【ウイリアム・フォーサイスWilliam Forsythe 1949年、ニューヨーク生まれ。中学の頃ミュージカルを志し、17才でクラシック・バレエを始める。後にジョフリー・バレエ団で学ぶ。73年にシュトットガルト・バレエ団にダンサーとして入団するが、その間に『ラブ・ソングス』等を振り付ける。82年、フランクフルト・バレエ団で大作『ゲンゲT』を発表し、84年に同バレエ団の芸術監督に就任。ルドルフ・フォン・ラバンの身体空間理論の研究や、バランシン、カニングハムといった20世紀ダンス分析の上に現れた幾何学的な作品は「クラシック・バレエの脱構築」と評される。95年初演の『エイドス:テロス』では、コンピューターによる「二進法振り付けバレエ」が披露された。フランクフルト市の財政難を理由に、バレエ団が解散の危機にたった時、世界中のダンスファンから抗議が殺到した。議会がその事を取り上げ、結果、フォーサイス・カンパニーというプライベートカンパニーということで、昨年新たに発足した。】
【安藤洋子、ドイツ「フランクフルトバレエ団」の中で注目を集めている日本人ダンサー。現在ワールドワイドな活躍を見せる安藤だが、ダンスの英才教育を受けたわけではなかった。大学卒業後はOLになり、ダンサーになる決心をして会社を辞めてからも、しばらくは芽が出ずにいた。転機が訪れたのは30歳を過ぎてから。
坂本龍一のオペラ、小澤征爾のオペラ等に出演。その後たくさんの人たちとの出会いによって才能を認められるようになり、世界的に有名な振付師・ウィリアム・フォーサイスからフランクフルトバレエ団へ誘われ入団。2004年1月には、フォーサイスが安藤のために振付けたダンスのステージが行われた。
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