フォーサイスカンパニーでのワークショップ日記(さるさる日記より)

3-8
フランクフルト飛行場から、フォーサイスカンパニーの安藤さんに電話を入れた。
2週間前に「先生、フランクフルトに来れますか」と電話を貰って、今バックが出てくるのを待っている。地球が狭いのか、動きが早いのか、そのどちらもだろうが、武道という目的ではなく私の武道を持って、ウイリアム・フォーサイスの待つオペラ劇場に向かうためにここにいる。

HOTEL「日野さん、日本からわざわざありがとう、非常にエキサイティングです」「もちろん、私も凄く興奮しています。あなた達と会えて、これから持つ時間を本当に幸せに思います。」
フォーサイスが「ビリーと呼んでください」と長身の身体をかがめて私に言った。そのトーンは優しくまろやかだった。ダンサー達は、来月に控えた公演を前にリハーサルに汗を流していた。フォーサイスはダンサー達の動きを見て、色々と書き留めている。「書道ですね…、彼らを観察し後日指摘したり、振りをつけたりするのです」ビリーのやり方を説明してくれた。
しかしダンサー達は見事に動く。まるで本当にコンタクトしているかのごとく、自由自在に動き回るかの如く動く。
ビリーが一人の女性ダンサーに注文をつけていた。首の使い方、頭の使い方だ。ダンサーはビリーの指摘を理解しそのように動く。しかし、ビリーは駄目を出す。それをよく観察していると、ビリーは自身でどう動いているのかを知らないようだった。つまり、ビリー自身の実感と実際とがずれているということだ。
だから、ビリーがやろうとしていることを説明する。すると、その指示と実際とに食い違いが生じる。そのやりとりを見ていて、ビリーに「あなたのやっている事は、頭の後頭部の頭頂を意識しているのではないですか、そして、その事を伝えたいのでは…。そこが伝わっていないからダンサーは形を追いかけるようになっているのではないですか」「そうです、私は形を指示しているのではなく、自分を聴くということを指示したいのです」もちろん、ビリーの言葉は英語であり日本語ではない。したがって、ここにも溝があるのは百も承知だが、誤解の幅はあるにせよ、「自分を聴く」というのは、私の言う「実感を辿れ」とリンクするように直感した。
つまり、私の出る幕はここにあると確信したという事だ。

 

3-9
フォーサイスは、本当に素晴らしい。
声のトーン、表情、まろやかさ、物腰、全部が本当に素晴らしい!
対立してこない、対立しようともしない、リハーサルの説明をしながら日本茶を出してくれた。
まるで、旧知の友のようだ。
なるほど、世界で、そして、そのジャンルを作った人だけの事はある。
だから、フォーサイスカンパニーのダンサー達も、誰も彼も素晴らしい。
フォーサイスと並んでいすに座り、世界屈指のダンサー達の動きを見せて貰った。
初日が終わった時、私の周りには興奮と感動の拍手が満載だった。
フォーサイスが、「日野さん、他のダンサー達と即興で踊ってくれないか」
とリクエストをかけてきた。
「一寸待って、まず動きの説明を」「OKじゃあ後で」
即興で、ダンサー達と踊った。
ダンサー達が目を丸くして私の動きに注目し、次は私ととリクエストがかかった。
「皆さん、今日新しいメンバーが加わりました、日野さんはリハーサルなしで、そのまま舞台に出てください」とフォーサイス。
何度も、何度も、同じ動き(連動ーてんし系)をリクエストしてくる、ダンサー達がこれでよいか、と代わる代わるくる、フォーサイスがダンサー達をけしかける。
ダンサー4人がかりで、両手と片足を持たせ、ねじれだけで倒したら、当たり前の事だけど、全員驚嘆の声。
一時間の休憩を挟んで後半に入ると、ダンサー達は完全に私に教わりたい、私の動きを見ていたいというファンの目に変わっていた。
フォーサイスはどんどん製作者の目に変わっていった。
私を舞台にたたせたいようだ。
最後に安藤さんが私にコンタクトし、それに連れて私が動いた。
終わった時、拍手の嵐だった。
金曜日、彼の自宅に招待されている。
とにかく、完全に日野理論はカンパニーを制圧した、というよりも、彼らはまるで日野理論を待っていたようだった。
フォーサイスは「私の身体は岩のようだ、一体今まで何をしてきたのか、身体を何一つ感じていなかった」と私に興奮しながら語ってくれた。
世界のトップは、本当にトップだ。
同時に、私自身の探求してきた事が何一つ間違っていなかった事をここに証明された。
3月9日記念すべき日になった。

3-10
今日のワークショップは、背骨の連動だ。
昨日も少ししたが、中途半端だったので、仕上げて上げようと思っている。
カンパニーのダンサー達に囲まれて、そして、フォーサイスがいる。
そして、私が、日本の武道家が教えている。
本当に奇跡だ。

2日目のワークショップが終わった。フォーサイス本人は会議が入り、後半のワークショップには参加できなかった。私たちが着替える支度をしている時、会議の終わったフォーサイスがかけつけてきた。彼のテンションは最高潮だった。「後半のワークに参加できなくて本当に残念だった」と言いつつ、フォーサイスがいきなり私の前で踊り出した。
そして、自分はどういうコンセプトでこのダンスを考えたかを語った。熱く熱く踊りながら語った。私が「それは良く理解できる」というと「もちろん、日野さんが私を理解してくれているのは私には分かる」そして最後に言った「私のコンセプトを理解してくれているのは日野さんだけだ」と。
そして「日野さんはダンスのマスターだ」とも。
楽屋で着替えをしている時、若手ダンサーが「今回日野さんがワークショップを開いてくれたのは、本当にジャストタイミングだと思う、カンパニーが新しくなって、ダンサー達もどこへ行くのか模索している最中だったからそのヒントに凄くなっている」とも言っていた。
そして、私とフォーサイスの本を出す事になった。
たった二日しかたっていないのにだ。つまり、普通で言えば、私とフォーサイスとの人間関係がまだ出来る筈のない時間しかたっていないにもかかわらずなのに、という意味だ。
ワークショップの終了時では全員正座、そして、それぞれがそれぞれのパートナーに「ありがとう」と言わせてみたら、全員嬉々とし正座で「ありがとうございました」といいあっていた。義務ではなく、嫌々でもなく嬉々としてだ。「武禅」フランクフルト版だ。
その場にいる感動を皆に伝えたいが、残念ながら言葉では伝えきれない。今日一日、そして昨日を振り返った時、本当に密度の濃い時間を過ごしているのだなと、新たに感動する。
昨日、癖の話をした。「古来習体の容形をのぞき、本来清明の恒体に復す」の話をした。ダンサー達から「癖をとるのは難しい」と質問が出たので、自分の癖を知る事が大事で、それを知ったら変える事が出来ると話した。
そして、食事や何でも良いから、今選んでいるものを変えろ、そして、変えたものを味わえ、と。
今日、ダンサー達は食べ物を買えてみたら、自分たちは何も味わっていない事を知った。と言っていた。本当に素晴らしい人たちだ。何しろ、直ぐに実行してしまうのだから。和歌山にツアーを組もうとも言っていた。

 

 

 

 

 

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