聖封神儀伝 2.砂 剣
第6章  愛、一考。


 灼けつく太陽に目を眇めると、なんだか不思議な気分がした。神界の太陽ってのは一体どういう仕組みで天に昇って沈んでいくんだっけ。まるでこの空の向こうには地球と同じように真っ黒い宇宙が広がっているようだ。
 思えば果てない空の向こうについて考えたことはなかった気がする。空の向こうに飛び出してみたいと思ったこともなかった。秀稟がいれば空は飛べたし、父母の定めた世界の規律は全て知っているものだと思い込んでいた。俺様たち法王が知らないことなど何もないと、知らないうちに信じ込んでいて、いつの間にか興味も疑問もねじ伏せられていた。
 ある程度の知識ってのは、諦めをもたらすもんなのかもしれない。古代の地球人だって太陽や月、星の運行を不思議に思って観察し続けたってのにな。ほんと、いつの間に鉱はそんなつまらない者の仲間に入ってしまっていたんだろう。
 青い空、金色の砂漠。隣には佳杜菜ちゃん。まるでエジプトくんだりまで新婚旅行に来たみたいだぜ。なんてな。そんな気分はいくらも砂漠を進まないうちに爆音によって吹き飛ばされた。
 身体を丸めた佳杜菜ちゃんの肩を庇うように抱いて引き寄せ、音のした方を振り返る。目の前の緩やかな丘の頂をも超えて高々と上がる砂柱に息を呑む。間髪を入れず、二発、三発と爆音が轟き、天を突く砂柱も二本、三本と増えていく。
「神殿でも建設するつもりかよ」
「砂の神殿なんて縁起でもない。崩れやすくて使い物になりませんよ」
「柱だけの神殿なんて建てられてもな。んな軟な神殿、古代遺跡も真っ青だぜ。で、何事だ?」
 誠に振ると、誠はこれ見よがしに迷惑そうな顔をした。
「いつまでも俺が何でも知ってると思うなよ」
「そう言うなって。ちょっと聞いてみただけじゃん」
「親方様ー、カールターンの城門付近で小競り合いか何かが始まっているようですー」
 身軽に砂丘の上に登って行った秀稟の後を追っていくと、さして遠くもないところで二つの軍が衝突していた。
 カールターンの城門を守るのは鉱土軍の紋章を縫い取った旗を掲げた兵士たち。一方、攻め込んでいる兵士たちは天宮軍の紋章の入った旗を掲げていた。
「神界人同士で何やってるんだ?」
 思わず眉をひそめる。
 鉱土軍は城門を守りながらも巧みに天宮軍を誘導し、次々と砂柱を上げさせていく。
「都の入り口で地雷使うなんて何考えてやがんだ」
「宰相のスハイルならやるでしょうね。闇獄界の技術だろうがなんだろうが、使える手段は何でも使う男です。とかく神界の伝統を毛嫌いしていましたから」
「そういえば昨日鉱土宮でお世話になっていた時も、鉱土宮に飾ってあった鉱様のひまわりの絵を撤去させていましたわね」
 錬に続いて佳杜菜ちゃんが突拍子もないことを言い出す。
「え゛、なに、それ。鉱のひまわりの絵? って、あれか? 中庭のひまわりを暇に飽かして左手で落書きしたやつか?」
「ええ、その絵ですわ。利き手で描かれるよりもとてもお上手でしたものね」
 褒められてんだか貶されてんだか。にしても、あんなど素人の趣味以下の絵がいまだに鉱土宮の壁を彩ってたなんてな。もう少しましな絵はなかったのかよ。
「母上はあの絵がお気に入りでしたものね。私もついぞ取り替える気にならなくてそのまま掛けておいていたんです。鏡もそのままにしていたんですね。懐かしいな」
 懐かしんでないでそろそろ替えろよ、替えてくれ。
「鉱の恥さらしな絵のことは置いといて、だ。錬、どうしてそんな奴を宰相になんかしたんだ?」
 さらっとひどい前置きをして、誠は本題は至極まっとうなことを尋ねる。
「私じゃありませんよ。その昔、鏡が自分で選んだんです。今でこそ鏡とスハイルは見た目の年齢はかけ離れていますが、元々スハイルは鏡の幼馴染みでありよきライバルだったんです。ライバルというよりはスハイルの圧勝だったんですけど、勉学においても武術においても魔法においても、鏡がスハイルに勝てるものなんてありませんでした」
 おいおい、錬の奴、何自慢げに話してんだよ。鏡とスハイルどっちが息子かわかりゃしねぇじゃねぇか。
「それにスハイルはあれでいて若い頃はなかなかの美丈夫でしてね、つい先ごろ亡くなった正妻も昔は大変な美姫で、これまた鏡と競ってスハイルがものにしたんですよ」
 こいつ、完全に鏡が自分の息子だってこと忘れてないか? 何昼ドラ楽しみにしてる奥様方みたいにわくわくしてんだよ。ったく、こんな父親持った鏡に同情したくなるぜ。
「でもなんだって鏡はそんな奴を側に置いてるんだ? 何やっても敵わないような奴が四六時中側にいたら、年中面白くないだろうに」
「そんなの自分が楽できるからに決まってるじゃないですか。頭を使わなきゃならないようなめんどくさい政治問題や、魔法を使わなきゃならないような大規模な公共事業や、闇獄界との境界の小競り合いとか、全部スハイルの方が手際よく片付けてくれるんですからね。これは手放せませんよ」
 錬は通販のCMのように軽く茶化しているが、実際のところあまり褒められたもんじゃないだろう。
 誠なんて眉間に皺を寄せて呆れ顔で錬を見上げている。
「そんな奴が四六時中玉座にふんぞり返って、血筋を理由に自分の頭を押さえつけていたら、そりゃあいろいろと鬱憤も溜まるだろうな」
 できる奴はできる奴に同情するもんらしい。
「そう、そこが肝心だったんです。鏡は楽したいんならちゃんとスハイルの頭は抑えつけておかなきゃならなかったんですよ。それすらもやらずに任せきりにした結果がこれです。闇獄主を鉱土宮に招じ入れられただけじゃなく本人は鉱土宮の玉座を追われ、見てください、今や神界人同士で同士討ちです。散らなくてもよかったはずの命が散っているんです。本当、最低な王様ですよ」
「って、お前、自分の息子だろうが。かわいそうに」
「おやおや、やっぱりおじいちゃんは孫がかわいいんですかね。かわいそうなのはどっちです。鏡ですか? それともあそこで同士討ちさせられている神界の兵士たちですか?」
 ちっ、利口ぶりやがって。
 それにしたって、ずいぶんと緊迫感がないな。むしろこの状況を楽しんでるようにさえ見えるんだが。って、ん? ちょっと待てよ。
「錬、最低な王様がどんな奴か知ってるか? 息子かわいさに、国民まで巻き込む奴のことだぞ?」
「何言ってるんですか。私はもうとうに鉱土王ではありませんよ。私の存在を知っている者たちだって限られてきているというのに」
 錬は飄々と受け流す。が、その表情は明らかに何かを企んでいる顔だ。
 獅子は谷底に我が子を落とすっていうが、まさか、まさかだぞ? 錬の奴、わざとスハイルを焚き付けて反乱を起こさせて鏡を鉱土宮から追い出させたんじゃないだろうな。まあそうすれば最悪、藺柳鐶から魔法も何も使えない息子を守ることができるし、うまくいけば、天宮から援軍を借りて鏡がスハイルの反乱を鎮圧できるかもしれない。そうすれば、藺柳鐶のことも反乱のことも全部ひっくるめてスハイルに責任取らせて、体よく出来のいい宰相を追放できるってわけだ。
 そうだよ、考えても見ろよ。自国が乗っ取られたから援軍を貸してくださいって鏡が天宮を訪ねたところで、昨日の今日であれだけの大軍を借りて戻ってこられるわけがない。こりゃあ、十中八九後者に賭けて、錬が予め天宮に根回ししておいたんだ。
「……親バカ」
「何のことですか?」
「なんでもねぇよ。しゃあねぇ。ちょっくら手伝ってやるか」
 半袖のない袖をまくってみせると、やんわりと錬は拒絶した。
「手は出さないでおいていただけますか? これは、鏡が勝たなきゃ意味がないんです」
 やんわりっていうか、すっぱりだったか。
 丘の上のこの位置からでは鏡がどこで戦っているのか、顔までは判別することができないが、どうにも天宮軍の方が戦い慣れていないかのように右往左往している。
「怪しいんじゃないか?」
「その時は血筋にとらわれない出来のいい男が王様になるだけです。国民のためには願ってもないことでしょう?」
 まったまた心にもないことを。
 その言葉はとりあえず呑み込んでおいた。公人と私人と、考えが分かれることはままあることだ。
「じゃあ、しょうがねぇ、徒歩で城門抜けられねぇんなら、秀稟、鉱土宮まで一っ飛びで俺様たちを乗っけてってくれないか?」
「承知いたしました、親方様!」
 秀稟は元気に返事をすると、砂丘から滑り降りざまごつごつとした岩のような甲羅を持つ巨大な亀の姿に変じた。
 遠慮なく甲羅の上に乗せてもらうと、秀稟はふわっと浮かび上がりすーっと滑るように砂漠と空の間を飛行していく。見下ろすと、秀稟の黒い影がちょうど城門前で剣戟を繰り広げる人々の上に差し掛かっていた。どこからともなく近づいてきた黒い影に、人々は天宮軍も鉱土軍もぽかんと上空を見上げている。
「ちょうどいい。秀稟、ちょっとストップ」
 俺様の言葉に秀稟は素直に戦場の上空でゆっくりと旋回を始めた。
「父さん、手は出さないでほしいって言ったはずですが?」
『異種ひとところに集められ 手を繋ぎて炎を待ちし者たちよ
 我が声聞こえるならば 互いに繋ぎしその手を解き
 一つとなって砂に帰れ』
 錬の言葉は無視して俺様は呪文を完成させる。
「〈分解〉」
 隣で佳杜菜ちゃんがほっとしたように軽く吐息をついた。
 だろ? やっぱ嫌だろ? 地雷なんて、どこに埋まってるか分からないものをそのままにしておくのは。全て爆発しつくされないうちに決着がついたら、一体誰が除去できるってんだ。この世界じゃ地雷発見器なんて開発できないだろう?
 城門付近を中心に、百メートル四方で砂がぽこっと盛り上がったりへこんだりした。鉱土軍の奥では陥没して即席蟻地獄が出来上がっている。油断したと見せかけて攻め込ませ、あのドでかい地雷を踏ませるつもりだったんだろう。
「地雷だけはどうにも許せないんだよな~。よし、秀稟行っていいぞ」
 錬に向かって嘯いて再び鉱土宮を目指そうと思った時だった。
「お待ちください! 鉱土法王!」
 下から呼びかけてきたのは、天宮軍と鉱土軍が面と面を向い合せている位置にいた男だった。
 浅黒い肌、真っ直ぐな翠の瞳、鉱土王の紋章が刻まれた黄金の甲冑。
 覚悟が決まっているのか、昨日見かけた腰抜けとは別人のようにいい表情をしている。
「よぉ、鏡、ずいぶんと早かったじゃねぇか」
「はい、お蔭様で。それで、あの……」
「鏡、自分の国は自分で守るもんだぜ。国も、土地も、人も」
 鏡ははっとした表情で何か言おうとした言葉を呑みこむ。そして俯き、しばし考えたかと思うとぽいっとばかりに持っていた剣を投げ捨てた。甲冑も頭から胴から足の脛当てから一つずつ鱗のように剥がして砂の上に放り投げていく。
 行きましょうか? と秀稟が気を利かせて振り返ってくれたが、俺様は首を振って膝の上に頬杖をつき、鏡の様子を見守った。
 鏡はすっかり戦場の只中にいるとは思えないほど無防備な格好になったかと思うと、対する鉱土軍に向かって膝を折り、砂の上に額を落とした。
「私はいい王様ではなかった。鉱土法王の血筋に頼り、父を恃み、魔法を使えない劣等感から玉座を疎んでいたくせに、玉座から離れようとしなかった。愚かだったのは私だ。その上勢いに任せて自国民に刃を向けてしまった。この通りだ、申し訳ない。ことが終わったら存分にこの身に憂さを晴らしてくれてかまわない。だがその前に、どうかスハイルに会わせてくれ。スハイルと話をさせてほしい」
 天宮軍はもちろん、鉱土軍も一瞬殺気を削がれ、呆気にとられて土下座する王を見下ろす。
「今まで何もしてこなかったくせに、今頃何を言うんだ」
 鉱土軍の後方から誰ともなしに怒号の口火を切る。一人が叫べば、後に連なるのは数多の怨嗟だった。
「魔法も使えないくせに」
「この役立たずが」
「そうだ、役立たずの王が今頃出てきて何を言う!」
「放逐だけで済んだのにあろうことか敵対するために戻ってくるなんて」
「国民に剣を向ける王様がどこにいる」
「どこにいる!」
「闇獄界と通じて国を滅ぼす気か!?」
「鉱土宮の魔物たちを見たか!?」
「お前が王になってから、一度でも国が豊かになったか!?」
「キルヒース鉱山を廃鉱にしたのも、本当は魔物のせいじゃなく、お前が私腹を肥やすためだろう!?」
「多額の口止め料を払って工夫を雇っているのを知ってるぞ!」
 鉱土の兵士たちは剣の切っ先を鏡に向けてぐるぐると鏡の周りを回りだす。天宮の兵士たちは見守るだけで助けようとする者は一人もいない。
 ずいぶん恨まれたもんだなぁ。それともあれは憎まれたっていうのか? どっちにしろ、鏡、万事休すじゃねぇか。
 ここ、本当に神界なんだよな? あそこで鏡を殺そうとしている奴らは鉱土の国の民なんだよな? 憎しみも恨みも、そりゃあ人ならいきてりゃ一つや二つ、三つや五つ覚えることもあるだろうが、だけどよぉ、神界ってところは表面だけでもきれいに取り繕ってるもんじゃねぇか? それとも一千年も経っちまって、それすらもなくなってより人界に近くなっちまったとでも言うのかよ。
 理想郷なんて、ほんとどこにもないもんだな。
 鏡は顔を上げない。何か弁解しようと息を吸い込む気配もない。ただ、砂の上に這いつくばって何かを待っている。
 これがその何かだったのかはわからねぇ。多分ただの偶然だ。その偶然の確率で、城門と鏡たちの間に守景、星、科野に河山に藤坂に光の坊主まで現れた。
「あっのーぅ、すいまっせーんっ、暴れられる場所があるって聞いてきたんですけどぉ~、会場ってここですかぁ~?」
 科野が場違いなほどばかばかしい声で呼びかけ、いかにもわざとらしくあたりをきょろきょろ見回す。
 突然の闖入者の登場に、鏡を取り囲んでいた鉱土兵たちも足を止め、呆気にとられて科野たちを振り返る。
「こらぁ、そこ! 何弱い者いじめやってんの! 多勢に無勢なんて格好悪いでしょ。男ならサシでやりな」
 びしぃっと指差したかと思うと、科野はあっという間に鏡を取り囲んでた男たちをばらして鉱土兵側に追い帰した。
「さぁ、やりたいんでしょ? 一人目来なさいよ。あたしが審判やってあげるからさぁ」
 あっちゃぁ。ありゃぁかなりストレス溜まってんなぁ。やりたいのは自分じゃねぇか、姐さんよぉ。
「ちょっと! あんたもそんなとこに這いつくばってないで顔を上げなさいよ。いじめられるのは弱く見えるからよ。しゃんと顔を上げて胸張って生きてりゃ誰も後ろ指差せないしつっかかってこないもんよ」
 科野は無理矢理鏡を立たせると、衣服に付いた砂を払う。
 さっすが正義の女神は迷わない。
「相変わらずあの女の介入力半端ないな」
「火種生まれりゃ姉貴消すってな、消防士みたいな言葉が残ってるほどよく出張ってたっけな」
 誠と俺様はこんな時ばかり仲良くため息をつく。
「三井くーん、みんなも連れてきちゃったー」
 守景が俺様たちに気づいて両手を振る。俺様も手を振りかえして、ふっと嫌な気配に城壁の内側に目をやった。
 鉱土宮を取り囲む城壁の内側は、さっきまで何もいなかったはずなのにいつの間にか真っ黒に塗りつぶされていた。それらはうごめき、ひしめき合いながら城壁にぶつかっている。
 みしみしと城門が音を立てだす。
「おいっ、みんな、逃げろ! 中から闇獄界の魔物が出てくるぞ!」
 俺様の言葉と前後するように城門は内側からこじ開けられ、狭い城門一杯に黒い塊が突進し、ところてんのようにずるずると流れ出したかと思うと黄金の砂の上で再び形を整えて、天宮軍、鉱土軍関係なく左右に散って人の形をしたものを襲いはじめた。
 混乱の喚声が両軍で起こる。
 もちろん鏡と科野、守景たちの方にも魔物たちは向かっていく。
「よっしゃぁ、ゴング開始!」
 キルヒース鉱山坑道、昨日の鉱土宮大広間と不完全燃焼が続いた科野は、あっという間に鏡のことは忘れて今度こそとばかりに派手に朱雀連を揮いだす。藤坂と河山、それに光の坊主もそれに加わる。
 星に守られた守景は気遣わしげに鏡の肩に手をかける。鏡は言葉もなく突っ立っていたが、その前に、さっき鏡を糾弾しなかった髭面のおっさん兵士が進み出てきた。
「あれ、なんかあのおっさん見たことあるな。いかつい顔してるくせに間抜けだった奴……誰だっけ」
「近衛隊長のファウシードですよ」
「近衛隊長!? えっ、ただの城門守ってた守備隊長じゃなかったの? だって近衛って、お前……もう少し普通刃が立つもんだろう」
 錬は苦笑して何も言わなかった。
 ファウシードは今度は髭面に似合った慎重な面持ちで鏡に短く何か声をかけたかと思うと、魔物を吐きつくした城門に向かって歩き出した。その後を二、三歩遅れて鏡が追いかけ、守景と星は頷き合って後に続いて鉱土宮への城門を潜っていく。
 城門前の争いは、いつの間にか鉱土軍対天宮軍ではなく、闇獄界軍隊神界軍の様相になっていた。
「錬、これなら科野たちが暴れてたって構わねぇよな? 神界に味方してるんだから」
「そうですね」
 派手に炎の柱が吹き上がったかと思うと、砂を抉って波が逆立ち魔物を呑み込む。砂塵が嵐となって吹きつけたかと思うと、一方では氷の柱が林立する。
 四人の元法王の魔力の前に、まともな人の形も保てない魔物たちはあっという間に断末魔の悲鳴を上げて融けて砂に沈んでいく。鉱土軍も天宮軍も、さっき互いを相手にしていた時とは桁違いのやる気で魔物たちに向かっていく。
「ここはあいつらに任せて、秀稟、先に行ってくれ」
「はい、親方様」
 秀稟は素直に応じ、ファウシードに案内される鏡たちも追い越して、あっという間に大広間の前の庭に俺様たちを降ろしてくれた。
 魔物も近衛兵も城門の外に出し尽くしたのか、大広間の周りはしんと静まり返って閑散としていた。そういや中に藺柳鐶やスハイルがいるなんて保証はひとっつもないんだが、兵を外に出しているからには重役どもはこういう大きな部屋に集まって戦況や結果を待っているもんだ。
 それにしても、物音がしない。
「なぁ、本当にここにいるのかなぁ」
 不安になって俺様はつい思ったことを口走る。
「なんだよお前、自信があったからこの大広間指定してきたんじゃないのか?」
「いやぁ、そうなんだけどよぉ。なんっかこうも静かだと肩透かしくらった気がしてさぁ」
「窓から覗いてみます?」
 いそいそと佳杜菜ちゃんと秀稟は窓によじ登ろうとジャンプを繰り返している。
「うーん、窓から覗いて目があったら嫌だしなぁ」
「正面から入っても同じだろ。それなら事前に様子は探れた方がいい」
 誠は窓の下に四つん這いになって、その背中の上に秀稟がそっと上って爪立てながら窓の向こうの様子を窺う。
「誰かいたか?」
「うーん、それが何も見えないんです。真っ暗? カーテンが閉まっているわけでもなさそうなんですけど、何にも見えないんです」
「どれどれ」
 秀稟をおろすと、俺様は遠慮なく誠の上に乗った。
「うぉっ、お、折れる、折れる、徹、ギブギブギブギブッ!」
 あっけなくべしゃりと誠はつぶれ、俺様も一緒に尻餅をつく。
「痛ってぇなあ、お前、鍛え方たりねぇんじゃねぇの? 毎日毎日帰宅部で那智ちゃんとデートばかりしてるからすっかり体鈍ったんだろ? シャルゼスの時は俺様が乗ってもびくともしなかったくせに」
「体のつくりが違うんだよっ。人間の身体は神界の人よりも軟なの。てか、今はお前の方が年一個上なんだから、図体だってその分重いはずだろ」
「あ、そっか」
「あそっかじゃねぇよ。ああ、折れるところだった。乗るなら錬の方が丈夫だろうがよぉ」
 呆れ顔の錬を尻目に誠がようやく起き上がって腰をさすっていると、ふっと白い城壁に新たな人の影が差した。
「こんなとこでギャーギャー騒いで、何やってんすか。見つかっちゃいますよ」
 俺様たちの後ろで、腹の底からかき集めた溜息を時間をかけて吐き出したのは、いつの間にどうやってきたのか、守景弟の洋海だった。
「お兄様!」
「おー、佳杜菜、怪我してないかー?」
 ぱっと顔を輝かせて佳杜菜ちゃんが洋海に走り寄る。
 ぴしっと、こめかみのあたりで何か音がした気がしたんだけど、なんだろうな。きゃっきゃきゃっきゃと佳杜菜ちゃんに言い寄られている洋海が羨ましいのか、単純に面白くないのか。
 って、えっ、今佳杜菜ちゃん洋海のこと「お兄様」って呼ばなかったか? 呼んだよな? うん、呼んだ。何か? もしや佳杜菜ちゃんは守景姉弟の実は妹とかいう設定か?
 んなわきゃねぇ。
 一昨日、俺様見てるじゃないか。こいつがヴェルドの愛剣〈白虎〉で佳杜菜ちゃんを守ろうとしてたところを。一昨日はそのまま意識失った守景について病院に行っちまったから質し損ねたが、ここにいるってことはやっぱ確信犯なんだよな?
 それにしても佳杜菜ちゃんたら、俺様といるときよりもよっぽど楽しそうに記憶消された話とかしてるんだけど。洋海もまぁ、サヨリ見るヴェルドそっくりに目尻が垂れ下がっちゃって。どんだけ妹かわいいんだよ。
「男の嫉妬はみっともないぞ」
「じゃかしいわい」
 つつく誠に言い返して、俺様は佳杜菜ちゃんを脇に寄せ、二人の間に割って入った。
「どうやってきた?」
 洋海はちょっと小首を傾げる。ここに来た方法じゃなく、そもそもどうしてここにいるんだって聞かれるとでも思ってたんだろうが、甘いな。
 察しのいい洋海はすぐに覚悟を決めたらしい。
「姉に〈渡り〉で送ってもらいました」
 潔いほどわかりやすく答えてくれた。
「さっき守景たちは城門前にいたが?」
「ああ、俺は三井さんたちと合流したかったんで、暴れたい組とは別れて先にこっちに飛ばしてもらったんすよ」
「てことは、守景も知ってるってことだな」
「ですね」
 はぁ~っと俺様は溜息をつく。
「守景もご愁傷様なことで」
「本当に」
 苦笑してるんだけど、何かあったのか? 何かやらかしたのか? まさか弟の分際でよからぬことに手を染めようとしたんじゃねぇだろうな? ヴェルドの鉄の理性ならともかく、十四、五のやりたい盛りの年齢の上に弟なんて四六時中家で一緒にいて守景のあんな姿やこんな姿も見放題なんだろ?
「あの、姉を餌にやらしい妄想はやめてもらえますか」
「うっ。し、してねぇよ、そんなこと。それより、いいのかよ、守景についていなくって」
「姉には夏城さんがいますから」
 ほう。なんだろうな、この大人ぶりは。弟に生まれ変わっちまった時点で全てアウトだろうが。そんなの分かってただろうに。
「てか、星と守景、何かあったのか? 少しは進んだのか? 手くらい握ったか?」
「何デバ亀みたいなこと聞いてるんだ。今はそっちじゃないだろう」
 誠に小突かれて脇腹をおさえる。
「いでっ。わかってるよ。んじゃ、洋海、いざとなったら佳杜菜ちゃんを頼む。正体ばれたんだから派手にやっていいんだからな」
「そのつもりです」
 にやっと笑った笑顔がヴェルドに似ていたんだが、うーん、こいつが義兄だと思うとなんだかすごく小憎たらしくて仕方ない。
「そんじゃ、中入ってみようか」
「おい、まだ中の様子ちゃんと分かったわけじゃないだろう?」
「そうですよ。何がいるか分からないのに」
「虎穴にいらずんば何とやら」
 誠と錬が引き留めるのも聞かず、俺様は正面の入り口に回り込む。うん、やっぱり誰もいない。
「中がカーテンもしてないのに真っ暗ってことは、考えられることはただ一つ。この中は瘴気だらけってことだ」
 俺様は両手で扉を引きあけた。
 息を止めて覚悟はしていたつもりだが、あっという間に視界は闇に呑まれる。げほげほとむせる佳杜菜ちゃんや誠の咳音が近くで聞こえているが、それでも俺様は扉は閉めずに開け放った。充満していた瘴気は吹き抜けられる場所を探していたのだろう、一陣の風を伴って唸りを上げ、黒い風の塊が俺様たちを薙ぎ倒し、外へと噴出していく。
「いってててててて。みんな、無事か?」
「なんとか」
「なんだよ、今の。どうなってるんだよ」
 佳杜菜ちゃんと誠の声に左右を確かめると、洋海も秀稟も錬もちゃんと二人の脇に揃っている。
 よしよし。
 黒い瘴気を吐き切った大広間は、焼け跡のようにまだ黒い煙が揺蕩っていたが、徐々に中の様子が見え始める。転がった椅子、裂けたカーテン、落ちたシャンデリア、倒れて折り重なる貴族階級っぽい衣装の人々。その奥には円天井には及ばないものの人の身の丈はとうに超えた巨大な黒い……熊? らしきものが唸りを上げて俺様たちを見ていた。
 さぁーっと俺様の額から血の気が引く。
「何、あれ」
「聞きたいのはこっちだよ」 「いや、あれ、ラスボス? なんでもう巨大化しちゃってんの? てか、あれがメル? やだよ、俺様。なんかあれとは戦いたくない」
 後ずさる俺様たちの周りに、巨大熊から発される新たな瘴気が巻きつきはじめる。瘴気は実体化し、一本の腕となって俺様の胴を掴み、巨大熊の方へと引き寄せる。俺様だけじゃない。佳杜菜ちゃんも誠も秀稟も洋海も錬も、巨大熊の周りに倒れている重役っぽい奴らもみんな伸びた黒い腕に身体を鷲掴みにされ、巨大熊の方へと引き寄せられている。
「秀稟!」
「はい!」
 呼ぶと秀稟は身体を砂に変え、巨大熊の掌をすり抜け俺様の手の中で砂剣となった。俺様は気合の一声とともに巻きつく腕を両断する。何とか大理石の床に着地すると、滑ってよろめいた体制を直し、助走をつけて飛び上がりざま誠を掴む腕を断ち切ると、誠はちょうど佳杜菜ちゃんの真下辺りに落下した。
「誠、佳杜菜ちゃんを受け止め……」
「俺が助けます!」
 俺様のセリフ、どころか佳杜菜ちゃんの救出シーンまで横取りした洋海は、伸びる黒い腕の上を俊足で走り渡り〈白虎〉で佳杜菜ちゃんを掴む腕を斬り落としたかと思うと、撒き散らされる黒い瘴気の間を縫って落下する佳杜菜ちゃんの身体を抱きかかえ俺様の前に着地した。
「……てっめぇ……」
「やっかんでる場合ですか。大事な妹なんです。ぼやぼやしてるならあげませんよ」
 っきぃぃぃっ、むかつく! なんだあいつ、急に兄貴面しやがって。今は妹違うだろうが。赤の他人だろうがっ。それを何を偉そうに。
「ありがとうございます、お兄様。かっこよかったですわ」
 いや、だからね、佳杜菜ちゃん、洋海になんかぽ~っとするなよ。俺様がいるでしょ、俺様が。
「情けな」
 ぼそりと誠が言うと、続いて、自力で熊の腕から抜け出してきた錬が呟く。
「父さんかっこ悪」
 かちん。
「あーあー、そうかよ。いいか、俺様だってな、本気を出せばすごいんだぞ。見てろよ」
 俺様ははらはらしているのが丸わかりの砂剣のグリップを握りなおす。
 俺様だって、俺様だって。
 再び迫ってきた黒い腕に飛び乗り、もさもさの腕を駆けあがって肩の上で砂剣を使って飛び上がり、ぐわりと開いた牙剥き出しの口の前を飛び越えて金色の両眼と睨みあいながら鼻の上に着地する。
「こういう巨大化した奴ってのはなぁ、眉間が弱点って相場が決まってんだよっ」
 両手で握りなおした砂剣の切っ先を巨大熊の眉間に突き立てる。
 砂剣は吸い込まれるように奴の眉間にのめりこむ。
「ぐおぉぉぉぉぉおおぉっっっ」
 咆哮とともに身をよじりだした巨大熊に、砂剣に掴まっていた俺様の身体もぶらんぶらんと揺らされる。
「うおっ、おぉおっ!?」
 三度目のスイングで俺様の手は砂剣を離れ、身体はぐるんと一回転して宙を舞った。そのまま背中からまっさかさまに大理石の床へと落ちていく。
「うわぁぁぁぁぁぁぁっっっ」
 空中でもがいたって俺様に羽があるわけじゃない。人の身体にゃ限界がある。
 にしたってこんなところで落ちてお陀仏だなんて、ちょっと俺様主人公としてかっこ悪くないか?
「三井さん、受け身!」
 真っ白になった頭の中に洋海の声が飛び込んできて、とっさに俺様は背中を丸め、来るべき衝撃に備える。
 丸まった背中とひざの裏側に、ずんっと思いのほか柔らかな衝撃が走る。
「ぐっ、ぐぐぐっ」
 すぐ近くで洋海の呻き声が聞こえたかと思うと、俺様の身体はずるずると下に降ろされた。
「はぁ~、やっぱこの身体で男の人をお姫様抱っこなんて無理でした」
 ははっと笑いながら、俺様の背後で洋海は両腕をだらだら振っている。
「え、なに、お前、俺様に何したの? 何してくれたの? お姫様抱っこ? 嘘だろ? まさか落っこちた俺様を某国民的アニメのあの三つ編みおさげ少女のように受け止めただなんて、そんなの……!」
 へなへなと俺様の腰からは力が抜け落ち、ますます情けない横座りで洋海を見上げる羽目になる。
 そんな俺様の左ほっぺたに、小気味いい音とともに鋭い痛みが走った。
「徹様、しっかりなさいませ!」
「か、佳杜菜ちゃん……」
 俺様の前にしゃがみこんでぴしゃりと頬を張ったのは誰あろう、さっきから俺様がいいところを見せようとして失敗している佳杜菜ちゃん。自然に俺様の視線は下がる。が、それすらも許さないと佳杜菜ちゃんは俺様の顔を両手で挟み、顔を上げさせた。
「徹様、ここに何をしに参りましたの? 人を傷つけていいところの見せ合いも何もございませんでしょう。目を覚ましなさいませ!」
「うっ……」
「うっ、じゃございません。今更わたくしにいいところを見せようたって、とうに遅いですわ。わたくしを誰だと思っていますの。貴方の妻だった女ですわよ? 貴方の情けないところも、かっこいいところも全部ひっくるめて貴方に恋し続けた女ですわよ? わたくしにいいところを見せたいのなら、お兄様になど惑わされず泰然となさっておいでませ」
 ぐっ、なんだよ、こんないい女だったっけ? 照れんじゃねぇか。
 バクバクする心音に自分で驚きながら、今度は気恥ずかしさに視線を逸らした俺様の顔をもう一度上げさせると、ぱんっと佳杜菜ちゃんは両手ではたいた。
 佳杜菜ちゃんは何も言わずに俺様を見つめる。
 その背後によろめいた巨大熊の腕が落ちてくる。
「〈玄武〉」
 片腕で佳杜菜ちゃんを引き寄せ、玄武で落ちてきた腕を斬り払う。
「はぁ~、やってらんねぇぜ。ったくよぉ。今いいとこだっただろうが」
 立ち上がりながら俺様は悶えている巨大熊に呼びかける。
「秀稟、もういいから戻って来い」
 律儀に巨大熊の眉間に突き刺さっていた秀稟は、砂に変わると熊の眉間から抜け出し、砂剣のまま俺様の手に収まった。
 考えてみりゃ俺様、これだけの修羅場を乗り越えながらまだ佳杜菜ちゃんと一回もキスしていないんですが。今がそのチャンスだったのに!
「徹、キスしたいんならもう少しかっこいいシチュエーションの方がいいんじゃないのか?」
「はっ、そうか!」
 ぎりっと奥歯を食いしばった俺様を、誠が一言でやる気にさせる。
「かっこいいシチュエーションは結構ですが、わざと危険な目に遭わせるのはなしですよ」
「わーってるって」
 俺様たちのやり取りに一気に恥じらいモードに入った佳杜菜ちゃんを俺様は洋海に預ける。
「さて、いいところ見せなくっちゃな」
 砂剣と玄武を手に、俺様は悶える巨大熊に向き合った。
 巨大熊の周りでは、腕から振り落とされて気絶していた人々が次々に目を覚まし、俺様たちになど目もくれず悲鳴を上げて明るくなっている出口へと逃げていく。
 一体こいつはなんなんだろうな。眉間の傷から黒い瘴気を噴き出し、斬られたいくつもの腕からコールタールのような黒い血を滴り落とす。もさもさの毛に覆われた巨大な熊。だけど、さっき眉間に砂剣を突き刺す前にあった金茶色の目は……そうだな、ありゃあ憎しみかな。それとも恨み辛みか。負の感情に染まっちゃいたが、人の目をしていた。
 メルーチェかとも思ったが、メルなら俺様を見たらもっとこう執着みたいなものを見せるはずだ。目の前にいるこいつは、俺様を見ても他人を見るのと同じく感情が漣だったようには見えなかった。
 眉間を抑えていた巨大熊はうろうろと当たり散らすものを探していたが、手元足元にはもう人の姿はない。そこでようやく後ろを振り返って俺様に狙いを定めた。
 一声咆哮を上げて突進してくる。地響きとともに磨き上げられた白い大理石は悲鳴を上げ、割れ目に巨大熊の足を呑み込もうとするがそれさえも粉々に砕いて巨大熊は俺様に樹齢ウン百年はありそうな腕を振り上げる。
 眉間をやられたってのに元気な奴だ。というか、ありゃあ怒りか何かで我を忘れているんだな。
 大ぶりの腕をひょいと避けて、床にめり込んだ拳に飛び乗る。ぐわっと振り上げられた腕に掴まって、頭上に来たところで今度は頭の上に飛び降りた。もさもさの髪をかき分けて額の一歩手前まで来たところで砂剣と玄武を魔法石に戻し、代わりに両手に巨大熊の黒い毛を一房ずつ振り落とされないようにしっかりと握りしめる。巨大熊は狂ったように頭をかきむしりはじめる。
『大地よ 全てを受け入れし母なる大地よ
 哀れなるこの者の憎しみを受け止めよ
 その身に抱き 眠りに誘え』
「〈石化〉」
 びくんと巨大熊の全身が震える。まず足元が大理石に固着されたのだろう、足が動かなくなった反動で上半身が大きくしなった。その隙に俺様は床に着地する。見上げるほど巨大な熊は、咆哮を上げながら憎しみの滾った目で俺様を睨み、上半身を折り曲げて俺様に渾身の一撃を食らわせようと腕を振り上げるが、それも肩口で石に固められた。
 石化は首で止まる。
 声帯をやられ咆哮すらも上げられなくなった巨大熊は、赤く血走った目だけで俺様を威嚇してくる。
「そう睨まれてもな。とりあえずこれ以上瘴気が噴き出ないようにしたんだけど」
「ただの魔物じゃなさそうだな」
 ひょっこりと誠が俺様の横に並ぶ。
「闇獄界の魔物はもっと芯がないもんなぁ。でもこいつ斬っても血が出ないし、瘴気とどろどろのタールばっかり出てくるし。目ぇ見る限り人っぽいんだけどな」
 俺様はちらりと佳杜菜ちゃんたちの隣にいる錬を振り返った。錬は心なしか悲しそうに巨大熊を見つめている。
「錬、こいつの正体に心当たりあるんだろ?」
「それは……」
 錬が一歩前に進み出ようとした時だった。
「スハイル!」
 誰もかもが逃げ去って、もう誰もいなくなったはずの入り口から鏡の声が響いた。













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