聖封神儀伝 3.砂 剣
第5章  親愛なる君へ


「樒ちゃん、急いで!」
 わたしは桔梗に急かされるままに、黒い獄炎に飲まれて見えなくなった三井君を〈転移〉させた。
「みんな、一度撤収だ!」
 河山君が佳杜菜さんを抱き上げた錬を呼び寄せて、桔梗、葵、夏城君、それに三井君の弟さんも集まったところで、みんなの視線がわたしに集まる。
「〈渡……」
「ちょっと待った! 私も連れてって下さい! こんなところに一人で残さないで下さいよぉ」
 さっきは裏切り者の宰相に威勢のいい啖呵を切ったはずの鏡が輪の中に混ざりこんでくる。
 錬は小さく溜め息を吐く。
「すみませんが鏡もお願いします」
「わかった。それじゃ一度人界に帰るよ。〈渡り〉」
 景色は数瞬で見たことのある工藤君のペンションの食堂に変わっていた。
 先に送っておいた三井君の怪我に気づいて、さっそく詩音さんが治癒を始めてくれている。
 みんながほっと一息つくのが聞こえて、わたしもほっとしたら、ぐらりと視界が回った。
「大丈夫か? こんなに大勢なんて無理しすぎだ」
「えへへ」
 何とか踏みとどまったわたしを、夏城君は触れられないというのに支えようとしてくれたらしい。
「ありがとう」
 お礼を言うと、切なそうに顔をしかめた。
「せっかく人界に戻ってきたんだ。送ってやるから病院の体に戻れ。聖ならもう大丈夫なはずだ」
「それなんだけど、もうちょっとこのままでいようかな、なんて」
「は? なんでだ?」
「だって今病院に戻ったら絶賛入院中でしょう? それも意識が戻って起きてもしばらくは病室から出してもらえなそうじゃない? だからこれが片付くまではこのままでいようかなって」
「馬っ鹿。お前、自分の体と三井たちのこととどっちが大事だと思ってんだよ」
「どっちも大事だよ。でも、身体はいつでも戻れるなら、今は三井君たちの方が大事。きっと、もう一度鉱土の国に行くことになるでしょう?」
「お前が心配することじゃねぇよ。鉱土の国なら錬が道作ってるから、またそこからいけばいい」
「あ、そっか。じゃあ、わたし、お役御免?」
 最後まで見届けられないのはすごく心残りなんだけど。
 そう思った時だった。
「もりかげ……あんごくかい……つれてって……」
 詩音さんに治癒されている三井君が、目ばかりを爛々と見開いてわたしを見ていた。
「三井君、怪我は?」
 駆け寄ると、詩音さんの治癒で傷はだいぶ塞がってきているが、まだ直視するにはちょっと生々しい。
「俺様の……怪我、なんて……大したこたぁ……ねぇ、よ」
「嘘こけ。セリフ途切れてんじゃねぇか」
 三井君の弟さんがばっしりと肩を叩く。
「○▲@φ☆ω」
 声にならない悲鳴を上げて、三井君はばたりと死んだふりをする。
「誠君、今治癒してるところだからもう少し大事に扱ってあげて」
 詩音さんが「もうっ」とため息をついてたしなめる。
「ああ、草鈴寺……俺様には、今草鈴寺が……天使に見える……」
「早ぇよ! まだ逝くな! てか天使なんてこの世にゃいねぇし」
「つまんねぇこというなよ、誠。この世にいないものが果たして人間の創造だけで生まれるものだろうか。どこかでそれを見たことがあるから、人に白い羽足してみたりしたんじゃねぇか? だってでなきゃおかしいだろ、人よりもランク高い素敵な天使様が哺乳類と鳥類の掛け合わせなんて」
「今はそんな話してる場合じゃねぇだろ! 回復したなら回復したって言え」
「いや、それは今段々とね、よくなってきたところだから。ってわけで、守景、頼む。俺様を闇獄界に連れてってくれ」
 詩音さんの手を押しのけて、三井君は正座すると深々とわたしに頭を下げた。
 わたしは三井君の前に膝をつく。
「闇獄界のどこに行きたいの?」
 三井君は迷いなく答えた。
「愛優妃がいるところに」
「愛優妃に会って、どうするの?」
「たんまり溜まった恨み言を聞いてもらいてぇところだが、んなことしてたら俺様の一生が台無しになっちまう。俺様が知りたいことはただ一つだ。メルーチェの体から獄炎を取り除く方法だ。愛優妃は闇獄界に君臨してることになってるんだろ? 何か方法を知ってるはずだ」
 騒ぎを聞いて食堂に来た光くんはすぅっと視線をそらす。
 わたしも心の中でそんな方法なんてきっとないよ、と呟いてしまう。
 あれ? でも、前にそんなことなかった? より大きな器に獄炎は移るって話。元の器だった人はどうなったっけ。
「三井君、もしかしてさっきのやり方であってるんじゃないかな。獄炎はより大きな器の方に餌と居心地を求めて移動するもの。元の器だった人がどうなったかはちょっと思い出せないんだけど、なんかそんなことがあったような気がする……」
「気がするじゃダメなんだよ。確実にできる方法じゃなきゃ」
「愛優妃が知ってるなら統仲王も知ってるんじゃないのか? どうなんだ、工藤」
 縋る三井君とわたしの間に立って、夏城君が工藤君の方に水を向ける。
「方法は知りませんが、事実なら知っています」
「事実?」
「獄炎を完全に消し去りたいなら、鉱の魔法石で藺柳鐶を倒すのです。そうすれば、藺柳鐶は獄炎から解放されます」
「でもメルの魂も消滅しちまうんだろっ? そうならないように何とかする方法はないのかって聞いてんだよっ」
「ありません」
 工藤君は間髪を入れず答えた。
 一瞬呆けたように視線を宙に彷徨わせた三井君は、ぎりっと奥歯を噛みしめてまたわたしに視線を据えた。
「頼む、守景」
 まるで神に祈るようにわたしを見上げる。
「諦めが悪いと思うかもしれねぇが、最善尽くさねぇで諦めるなんて嫌なんだよ。統仲王の知ってる未来ってのは所詮予言書に書いてある未来だけなんだろ? 予言書に書いていない細かい部分だってあるかもしれねぇじゃねぇか。闇獄界に暮らしてる愛優妃ならそこのところを何か知ってるかもしれねぇ。なんだっていいんだよ。もし愛優妃に会って知らないって言うんなら、さっきやろうとしたように俺様が〈怨恨〉を喰らってやる。メルから獄炎を引き離せるなら……魂を解き放てるなら、たとえ一度輪生環通ることになっても……」
 三井君は悔しげに顔を歪めて一度伏せる。その握った拳に起き上がれるようになった佳杜菜さんがそっと手を重ねた。
「わたくしも行きます。徹様が獄炎を引き受けるとおっしゃるなら、わたくしも半分引き受けますわ」
 覚悟を決めた目で佳杜菜さんはわたしを見上げる。
 言ってたっけ。今起こっていることは、わたくしたち家族の問題なのです、って。
「分かっ……」
 工藤君の顔色は窺わなかった。できないの一言で諦められるほど、安い問題じゃないことは痛いほどよくわかったから。
 だけど、わたしの承諾の言葉を遮ったのは工藤君ではなく、三井君自身だった。
「徹様、何を……」
 三井君は重ねられた佳杜菜さんの手を振り払っていた。
 佳杜菜さんが驚くのも当然だ。前世ではあれほど比翼連理を絵に描いたような夫婦だったのだから。それも三井君が佳杜菜さんに振られるならまだしも、三井君が佳杜菜さんを拒むなんて。
 三井君は両掌を胸の前で合わせてちょっとおどけたようにわたしを見上げる。
「守景、悪ぃ。もうひとつ頼み事だ。今回のことに絡む佳杜菜ちゃんの記憶を全部消してくれ」
 わたしは思わず息を呑む。
 佳杜菜さんは予想以上の驚きによろめき、倒れかけたところを錬に支えられた。三井君はすぐ手の届くところにいるのに、わたしを見上げたまま見ないふりをしていた。
 三井君が目で訴えかけてくる。「分かるだろ?」と。「これ以上関わらせたくねぇんだよ」と。
 危ないんだもん。当然だよね。今回は錬の治癒に助けられたけど、自分で身を守れる魔法を使えるわけでもない。でも、佳杜菜さんの想いは強いよ? 意思は魔法を超越することもあるかもしれないよ?
 三井君は一度目を閉じて佳杜菜さんに向き直る。
「稀良さん、本当にサヨリなの? そんなさ、たまたま夢で見たおとぎ話信じて、たまたま事件に巻き込まれて、それで本当は違うのに自分でサヨリだって思いこんじまっただけじゃねぇの? 夢なんて妄想と空想の断片の寄せ集めだろ? それに自分にしか見えねぇし、証になるようなものなんて何もねぇだろ。だからさ、他人がこれ以上首突っ込むことねぇよ。昨日から今日のことはきれいさっぱり忘れて、せっかく夏の海に来たんだ、別荘で楽しい令嬢ライフでも送ってろよ」
 佳杜菜さんは一瞬で顔を朱に染めた。
「秀稟!」
 明らかに三井君の頬をはたくために前に出した右手を左手で抑え込んで、静かにしかし威圧感たっぷりに佳杜菜さんは鉱兄様の守護獣を呼びつけた。
 呼ばれたとおり秀稟は佳杜菜さんの前に出てくるが、主の意思を汲んでか佳杜菜さんと目を合わせようとはしない。
「わたくしも砂剣を手にできれば証となりますわよね?」
 佳杜菜さんの言葉に、秀稟は命じられる前に砂剣に姿を変えた。
 どこからどう見ても立派な刃が湾曲した剣なんだけど、佳杜菜さんが床から拾い上げようとした瞬間に、それは佳杜菜さんの指に触れた部分から砂に変わっていった。
 目を見張ってからその表情が絶望に変わるまで時間はかからなかった。
「帰れ」
 三井君が低い声で言い渡す。
 佳杜菜さんは首を振る。
「嘘ですわ。そんな、この剣はわたくしが鉱様を守るために契約を結んだ剣ですのに」
「サヨリが、な」
 わざとらしく三井君は訂正する。佳杜菜さんとは目も合わせようとしない。
「守景」
 今度はわたしをせかしにかかる。
 佳杜菜さんは挑むようにわたしを睨みつけてきた。
 その眼が、わたしの心を決めさせた。
 わたしは佳杜菜さんの額に手をかざす。
 佳杜菜さんは諦めることなくわたしを睨み返す。
 それでいい。あなたはきっと何があってもこの人のことを思い出す。
『我 聖なる刻印を以て
 汝が魂に刻まれし記憶の一部を断ち切らん』
「〈忘却〉」
 最後まで目を閉じるまいと抵抗していたけど、きっと足元が揺らぐようなめまいに襲われたのだろう。ぐるりと黒目を一回転させると、佳杜菜さんは再び錬の腕の中に倒れこんだ。
「錬、送ってやれ。大人なお前なら口八丁手八丁で、向こうの家の人たちのこと何とでも言いくるめられるだろう?」
 錬はしばし佳杜菜さんを見下ろしていたけれど、やがて無言で抱きかかえて食堂を出て行った。
 その後ろ姿を見届けて、三井君は気が抜けたようにばったりと前に倒れた。
「三井君!」
「徹!」
 わたしももちろん叫んだのだけど、一番に駆け寄ったのはずっとこの状況を見守っていた誠君だった。
「あー、悪ぃ、悪ぃ。草鈴寺の治癒、途中だったっけ。それになんか今俺様、すげぇ疲れてるみてぇ。守景、闇獄界行くの明日でいい? 俺様、今日はもうギブ。休みたい」
「それは構わないけど」
 誠君の肩を借りて三井君は何とか立ち上がる。
「みんなも昨日から今日にかけてありがとう。疲れただろ? あとは俺様が何とかするから、ゆっくり休んでくれや」
 「そうは言われてもねぇ」とか「後味悪いよ」とか桔梗や光くんが言い出しそうなものだったけど、二人はもちろん、ほかの誰も口を噤んだままその場を動かなかった。
「三井君、佳杜菜さんは本物だよ。バルド擾乱のことも周方戦役のこともちゃんと覚えていたもん。鉱土宮にあったひまわりの落書きも鉱兄様が描いたものだって懐かしそうにしてたもん」
「知ってるよ」
 こともなく三井君は答えた。
「守りたかった?」
「違う。俺様は……守れないから、さよならすることにした。もう彼女を守れなくて引きずり続けるのは辛いから。それに、俺様が〈怨恨〉引き受けたら、一緒にはいられないだろ? 遅かれ早かれ魔法石を持った奴に食われるか獄炎に食い尽くされるか、自分の精神が逝っちまうか。最悪、俺様が佳杜菜ちゃんを傷つけちまうかもしれねぇ。それだけはさ、避けてぇじゃねぇか。守るって言ってんのにこれ以上傷つけたくなんかねぇんだよ。メルのことも、本当はすっごくショックなはずなんだ」
 優しいな。優しすぎだよ。
 でも、佳杜菜さんは三井君に全部押し付けることは望んでいなかったよ。
「『千年という時は経てしまいましたが、わたくしたちはやり直す、あるいは完結させるチャンスを得たのですわ。ですからわたくしはここで待っているのです。徹様を。そして、錬を』」
 声真似まではできなかったけど、わたしはできるだけ正確に今朝、鉱土宮で佳杜菜さんが言ってたセリフを再現する。
 三井君はわたしを振り返った。
「藺柳鐶に連れて行かれたのもわざとだって。家族四人で顔を合わせるためだったんじゃない?」
 そんなこと、言われるまでもなかっただろう。
「家族なんだから、誰か一人に重荷を背負わせることなんてできなかったんだよ」
 三井君はそれもきっと分かってる。
 聖には分からなかった家族ってものを、この人は鉱兄様だった時から知ってたのだろうから。それでも、自分で全部引き受けることにしたんだよね?
「守景」
「うん?」
「さっきの〈忘却〉の魔法、手心加えてねぇだろうな?」
「やだ、そんな余裕なかったよ?」
「本当か? 本当だろうな?」
「恐いの? 思い出されるのが」
 三井君は一度口を噤んでしまう。それからおもむろに口を開く。
「恐い」
 一言だけはっきりと告げて、わたしたちに背を向けてしまった。
 わたしはその背中に向けて付け加える。
「〈忘却〉は魂に刻まれた事実としての記憶を見えなくしてしまうだけ。魂に刻まれた時間は書き換えることはできない。人の意思は魔法を超えるよ、きっと」
「嫌な予言すんなよ」
「予言じゃないよ。だからもし、佳杜菜さんが思い出してわたしに三井君のところに連れて行ってほしいって頼んだら、わたし今度は佳杜菜さんのお願いを聞くから」
 三井君は立ち止まり、振り返る。
 その顔に覇気はない。込み上げた嬉しさを無理やり押し殺した困ったようなにやつきが口元に浮かんでいた。
「守景、明日、な」
 期待、させちゃったかな。でもいいと思うんだ。期待しても。
 きっと彼女は期待に応えてくれる。
 どうして?
 だって、彼女は夫と子供たちをこの世で一番愛していたから。













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