聖封神儀伝 2.砂 剣
第5章  親愛なる君へ


「私ガどウシてコンナコとをしテイルかッて? ソンなノ決マっテルデシょう。復讐デスよ、復讐」
 佳杜菜ちゃんも錬も何も答えないうちに、藺柳鐶は薄い笑みを口元に浮かべてさも楽しげにそう答えた。
 きっと待ちに待った瞬間だったのだろう。
 全く気付かない俺様に、最大のショックを与える機をずっと窺ってきたんだ。砂剣を持って来いと昨日言ったときから。いや、この計画を練っていた時からか。
 こいつは砂剣がほしかったんじゃない。もしかしたら魔法石だって一番の目的じゃなかったかもしれない。
 ただ、俺様にショックを与えたかっただけなんだ。
「子供なのか?」
 ぽつりと俺様の口は呟いていた。
 いや、十分にショックは受けていて、頭の中ももう真っ白なんだか真っ黒なんだかわけわかんない状況だったけど、バラバラと蘇っては消え落ちていったメルに関する記憶の断片の中で、唯一俺の目に焼きついているものがあって、その時のメルと今目の前にいる藺柳鐶が何も変わっていないような気がして、それで呆然と呟いてしまったのだ。
「ハ?」
 予想通り藺柳鐶は馬鹿にしたように小首を傾げる。
「子供のままなのかって、聞いてるんだよ!」
 俺様はもう一度叫んだ。
 傍らでは俺様の代わりに錬が佳杜菜ちゃんの治癒を開始している。
 ああ、そうだ。俺様が今向き合わなきゃならねぇのは、申し訳ないが佳杜菜ちゃんじゃねぇ。こいつだ。
「何ヲ言ってイル。私ガ子供? そんなこトハナい。見レバ分カる」
「図体のこと言ってんじゃねぇよ。そこに入ってる心のこと言ってんだよ」
 さして膨らんでもいない胸の中心を指さしてやると、藺柳鐶はつられて俯き胸元を確認する。
「メルは確かに頭がよかった。頭がよすぎてこっちが手を焼いたくらいだ。掛け値なしに天才で掛け値なしに変人だった。だけどなぁ、あいつの行動原理はいたって簡単だったんだよ。好奇心と鉱土法王の娘としての矜持。この二本立てだ。何でも知りたい好奇心と、魔法が使えないかわりに知恵と知識を駆使して人の役に立ちたいという鉱土法王の娘としての矜持。この二本立ての前では下手に実行力まで備わってるからな、過去の歴史の知識も神界の常識もタブーも全部吹っ飛んじまう。そりゃあ確かに人には枉げちゃいけねぇところもある。だけどな、大人になるってぇのは自分の大事なポリシー守りながら世間とのバランスとってくことなんだよ。俺様ぁまだ高校生の分際で十七年しか生きてねぇけどな、鉱がそう言ってんだよ。てめぇの親父の言葉だ、よく聞け。俺様はお前が魔法を使えねぇ劣等感でこうなったとは思わねぇ。お前は立派に鉱土法王の娘だ。何企んでんだかまだわかんねぇが、一国巻き込んで、いや、違うな、人界まで巻き込んで人様に迷惑かけて、人様のお役に立てることなんか一つもねぇんだよ。いい加減、目ぇ覚ませ! このバカ娘っ」
 怒鳴った俺様は肩でぜーはー息をする。
 こんなにでけぇ声で怒鳴ったの、俺様初めてかも。
「人様ノ役ニ立つ? 馬鹿はオ前ダ。私はモウそンな甘い幻想に縋ってナどハイない。言っただろう。これは復讐だと。守ルと言っテ、お前は結局何一ツ守れナカった。私のコトモ母上ノコトも。闇獄兵に闇獄界ニ連れテイかレた私がソこデどンナ目に遭っタか分カルカ? 見ロ、この白くナっタ頭ヲ。見ロ、引きチギラれたコの喉を。見ロ、こノ身体ヲ。私はモウトウに女でアルこトヲやメたノダ。ソンな窮屈ナ身体なドこチラカら乗リ換エテやッタワ」
 藺柳鐶は砂剣を持っていた。
 形は崩れちゃいねぇ。
 あの身体にはまだ、鉱とサヨリの血が流れてる。
 嘘吐くんじゃねぇよ。丸ごと乗り換えてなんかいねぇだろ。まだ未練くらい残ってんだろ。それとも、砂剣を保ってるところを見せて自分がメルだと証を立てたかっただけか?
「馬っ鹿野郎」
 殴ってやりたい拳を握りしめて、俺様は藺柳鐶を抱きしめた。
「もうこれ以上心配かけんじゃねぇ」
 メルの時のように柔らかい感触なんかしなかった。ガリガリの枯れ木のような体だった。何一つ、見た目ではメルらしきものは残っていない。ただ一つ、今ここからじゃ見えない翠の瞳を除いて。
 藺柳鐶の右手からさらさらと砂が流れ落ちる音がして、ころんと魔法石の片割れが床に転げ落ちる音がした。
「闇獄十二獄主〈怨恨〉だって? なんつーもんに手ぇ出してんだ。この親不孝者が。魔法石はやれねぇからよ、いいから寄越せ、その〈怨恨〉の獄炎ってぇの。お前に住みつけたくらいだ、俺様にだって移せるんだろう?」
 「えっ、ちょっ、何言ってるの」と藤坂や守景があわててる声が聞こえるが、知ったこっちゃねぇ。
「もしかしたら魔法石持ってる俺様に移せば帳消しにできるかもしれねぇしよ」
 藺柳鐶は答えない。
 しばらく黙した末に、ようやくかすれた声で呟いた。
「馬鹿か」
「親子揃って大馬鹿者でいいじゃねぇか」
「ヨくナイ。そモソもお前ハ私の父デハなイ。私ノ父は……」
「そんなら俺様に復讐するのもそもそも矛盾してるっしょ。いいから寄越せよ」
「オ前は獄炎ヲ風邪ノウィルスか何カと同ジダと思っテルカもシレないが、ソウ簡単に移セルものデハなイ。獄炎ハ自分で主トなる器ヲ選ぶ。自分を容レテモ尚、炎ニ食い破ラれナイくらイ強イ負ノ感情の器を持っタ者でナケれば相容れルこトハデきなイ」
「俺様にだって恨みつらみの一つや二つあるさ」
「ソンな単純ナもノデハないっ! コの世の全テ、神界モ人界も闇獄界モ、三界全てに溜マッた〈怨恨〉ノ澱を糧ニ燃エ上がる炎ダぞ! お前のヨウなオ気楽な奴に受け止メきレるワケがなイ」
 俺様は腕をほどき、藺柳鐶の目を正面から覗き込んだ。
「見くびんなよ。鉱が晩年抱えてた怨嗟の毎日をもってすれば、三界の恨み言なんてかわいいもんなんだよ」
 「おーい、不幸自慢やってる場合かー」と河山の突込みが聞こえたが、これも無視だ。
「それにな、俺様今、も一つ許せそうにないことがあるんだわ。お前闇獄界で愛優妃に会わなかったか? お前のおばあ様だ。愛優妃は助けてくれなかったのか? 愛優妃はお前が闇獄主になることを止めなかったのか? どうなんだ?」
「……」
「なんで答えねぇんだよ。庇うのか? 庇ったって意味なんかねぇよ。お前はもう闇獄主になっちまった。どっち道愛優妃は何もしてくれなかったのと一緒だ。いや、違うか。愛優妃も統仲王と同じく〈予言書〉とやらを見られるんだっけ? なら愛優妃も同じだ。お前が闇獄主になることが予め定められていたから闇獄界でも手をこまねいて、器になれるように何の手助けもしちゃくれなかったんだ。ああ、そうかもな。お前が闇獄界に連れ去られたこと自体、愛優妃が連れて来いと命じたのかもしれない。そうでなきゃどうしてお前だけがこんな目に遭わされてんだよ!」
 それだけじゃない。そもそもサヨリと鉱が出会ったのだってメルーチェを生まれさせるためだったとしたら?
 すべての歯車が噛み合って今この状況になってるってことじゃねぇか。
「くっそ……くっそ、くっそ、くっそ……」
 母上。貴女のことは信じていたのに。バカ親父はどうしようもなかったけど、心優しい貴女なら、決して孫娘のことを見捨てたりはしないと思っていたのに。貴女もやはり統仲王と同じものだったか。
 はっと目を開けると藺柳鐶から黒い炎が抜け出し、ちろちろと舌を出して俺様の味見を始めていた。
 そうだ、来い。
 俺様に、来い。
 恨めしいものなんか山ほどある。自分も、統仲王も愛優妃も、闇獄界も闇獄主も、全部全部――
 ごうっと炎が音を立てる。
 蛇のように黒く太い体をくねらせ、頭上から一気に俺様を飲み込もうともたげた鎌首を降下させる。
 でかく開いた口が俺様の頭にかぶさってきた時だった。
「夢滅」
 藺柳鐶の嗤いを含んだ声がして、俺様の胸から腹は焼けるように熱く火花が散った。
 夢滅の鉤爪がざっくりと俺様の腹に食い込んでいる。
 堪えきれない嘔吐感に俺様はそのまま上がってきたものを吐き出す。
 赤い血だった。
 ウソだろ。冗談だろ。
 半分笑って半分青くなる。
「何ガ覚悟ダ。血を吐いたくライで怯えるル臆病者のクセに。所詮、オ前は口ばっかリナンだ、昔からナ」
 俺様を飲み込もうとしていた黒蛇はずるずると藺柳鐶の中に引きずり込まれていく。
 前のめりに倒れかけた俺様の肩を掴んで、藺柳鐶は俺様の心臓のあたりに爪の先を突き付けた。
「魔法石、壊さセテモらウ」
 ずんっと爪の先が肉を突き破って侵入してくる。俺様は痛みに目の前が白くなる。
「オ前は結局何モ守レナいンダよ」
 藺柳鐶の囁き声が耳元で聞こえて、俺様は意識を失った。













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