聖封神儀伝 2.砂 剣
第4章  叫び


「たのもー! 佳っ杜菜ちゃーんっ、迎えに来たよーっ!」
 意気揚々と鉱土宮の正面入口の前に立った俺様は、自分で言うのもなんだが恥じらいもなくそう叫んだ。
 二人配置された門番は突然のことに門の前で槍でお決まりのばってんを作るのも忘れて唖然と俺様を見ている。
 俺様はその二人の間を堂々と通ってやる。ほら、誠、錬、藤坂、河山、科野、通るなら今のうちだぞ。
 ふふんと胸を張って門を通り終えたところで振り返ると、またしても俺様は一人で先に行かされていた。門の外でみんなはひそひそと俺様を見ながら何か悪口を言っている。
 なんで悪口だってわかるかって?
 そりゃそうだろ。
「やぁねぇ、あんな大きな声で呼んじゃって。恥ずかしい」(桔)
「こっから中まで聞こえるわけないだろ、アホ兄貴」(誠)
「は……恥ずかしい……」(錬)
「河山、知ってた? 三井さ、いかにも親しげにああやって呼んでたけど、洋海曰くまだ正式におつきあいしてるわけじゃないらしいぞ」(葵)
「えっ。彼氏面してるけどまだ彼女でもなかったってこと?」(宏)
「だぁぁぁぁぁっ、ひそひそひそひそと聞こえるように悪口言いやがって。ああそうだよ。まだ付き合ってください付き合おうぜのつの字も言ってねぇよ。彼氏でもなけりゃぁ彼女でもねぇよ。だけどそれがなんだって言うんだ! 俺様と佳杜菜ちゃんはなぁ、時間もいらなきゃ言葉もいらねぇんだよ!」
「聞いた? あれって本当に一人で舞い上がってるだけなんじゃないの?」(葵)
「いくら前世では夫婦だったとはいえ、佳杜菜さんも今生でもそれを望んでいるとも限らないわよね」(桔)
 ふっ、哀れな奴らめ。いくら俺様が羨ましいからってあからさまに妬みやがって。だがそれも俺様と佳杜菜ちゃんとの感動の再開シーンを見ればその貧困な発想を悔やむことになるだろうさ。
「こら、待て! 勝手に中に入るな! 貴様何者だ!?」
 ようやく我に返った門番たちが型通りの誰何を投げ飛ばしながら俺様を追いかけてくる。
「俺様は先に行くぞー!」
 二人の門番がそろいもそろって俺様を追いかけはじめたのを見て、ぞろぞろと門をくぐってくるみんなに言い残して、俺様はちょっとスパートをかけて逃げてみる。
「待てー!」
 おいおい。こいつら今は門番だけどそもそもは兵隊として雇った奴らじゃないのか? 俺様にちっとも追いつけないどころかぜぇぜぇ言って止まっちまったじゃねぇか。ちゃんと訓練してないのか? こんなんで闇獄界が攻めてきたらどうすんだよ。危機意識足りねぇんじゃねぇの? さっきだって俺様の行動に唖然として止めるの忘れてるしさ。ったく、今の鉱土王、孫の鏡っていうって? もし会えたら開口一番その緩んだ意識に喝入れてやらなきゃならねぇな。
 呆れ返って立ち止まって振り返ると、藤坂たちが堂々と門番たちの横を通ってくるが、呼吸を立て直すのに必死で「待て」の一言すら出てこない。
 あれ、そういえば前鉱土王の錬が混ざってんのに礼も尽くさねぇのかよ。ほんと、どうなってんだ?
「錬、お前、門番と面識ないのか?」
 すたすたと歩いてきた白いコットンシャツにジーンズといったどこからどう見ても神界からすれば異世界人の格好をした錬は、「ああ」とにこやかに頷く。
「そこの正門から中入るのは二百年ぶりくらいになるんじゃないかと」
 二百?
「ちょっと待った。お前、鉱土宮に来るのは? 息子と会うのは一体何年ぶりだ?」
「隠居した身ですからねぇ。鉱土宮に来たのも二百年ぶりくらいじゃないでしょうか? 鏡に会うのは……そうですね、百年ぶりくらいでしょうか。鏡、大きくなったかなぁ」
 いや、大きくなったかなぁじゃねぇよ。お前が譲位して隠居してそれだけ長い間ほっとけるくらいには元からでかかったんだろうが。まさか成神もしてない子供ほっぽって人界に遊びに来てたんじゃねぇだろうな。
「それにしても、鉱土宮も変わりましたねぇ。こうも簡単に不審者入れるようになるなんて」
「そこだよ。それ。どうなってんだ? ちゃんと訓練してるのか?」
 門番たちが追いかけてこないのをいいことにのんびり歩いている錬は、「そうですねぇ」と思案しながら顎のあたりを撫でる。
「第三次神闇戦争で統仲王や父さんたち法王が亡くなって、神代と呼ばれた時代は終幕を迎えたんです。統仲王と愛優妃との盟約で、一千年は神界と闇獄界はお互い干渉しあわないと取り決めた。その安心感でしょうかね。今じゃすっかり神界の人たちは自分たちの世界のことで精いっぱいですよ。闇獄界という存在も覚えているのかいないのか。そんな感じで警戒心が足りないから、最近、やたら闇獄十二獄主の人たちに国を乗っ取られたりしてるんでしょうかね」
 他人事だなぁ。
「一千年はお互い干渉しないって、人界には手を出してもいいのかよ?」
「当時、人界の利益の代弁者はいませんでしたからね。もしくは、人界をどうするかは統仲王と愛優妃との間で暗黙の了解か何かがあったのかもしれませんけど」
 考えてみれば闇獄界の奴ら、今年に入ってからやたらと人界っていうか俺様たちに構ってくるようになったんだよな。
「あれ、もしかしてその一千年ってそろそろ?」
「そうですね。今年来年あたりがそれくらいですかね」
 誰かまともに一千年数えてる奴いないのかよ。一千年日めくりカレンダーでも作ってやろうか。って、今からじゃもう遅いか。どんだけ分厚くなるか分かったもんじゃねぇしな。それに、一千年なんて、統仲王も法王もいなくなっちまった神界で数えられるのは、俺様の血を引いた錬くらいなもんか。
 一千年、かぁ。
「お前、よくあれから一千年も生きてきたなぁ」
「何言ってるんです。法王だった時の父さんに比べれば一千年なんて百年、十年程度のものですよ」
 軽く笑い飛ばしてくれてるけど、法王だった時だって俺様にとっちゃ一千年は長かったぞ? サヨリと出会って、長女のメルーチェが生まれて、錬が生まれてからはあっという間だったけどな。
「そういえば、第三次神闇戦争の結末詳しく知ってるのって、自称統仲王だったって言ってる工藤を除けば錬くらいじゃないのか?」
「あら、言われてみればそうねぇ。海も統仲王と愛優妃の密約なんて知る前に死んでしまったもの。落ち着いたらゆっくり戦後処理やその後の話を聞いてみたいわね」
「いいですよ。半分愚痴にしかならないかもしれませんが知っている範囲で、それでもよろしければ」
 科野と藤坂に言われて錬は愛想よく笑ってみせる。
「お、ようやく警備隊のお出ましみたいだぞ」
 科野たちの話を聞き流しながら左右や時折後ろに目を配っていた河山が振り返ったまま立ち止まった。
「普通、賊捕まえるなら後ろからじゃなく進行方向止めに入るだろうに」
 誠が呆れ顔でずらりと刀身が湾曲したシャムシールを構えた警備兵たちを一望する。
「いいじゃん、派手に暴れてやろうじゃないの」
 さっそく科野が朱雀連で大地をしごく。
「科野、そんなにやる気出してくれなくていいから」
「えー、なんで」
「なんでって、一応こいつらもかわいい鉱土の国の住人だぞ? 闇獄界の奴ら相手にするのとはわけが違う。科野、手加減できるか?」
「手加減……やってできないことは……ないと信じたい」
「嘘つけ、暴れたいくせに」
 河山にまで読まれてるんじゃあ仕方ないよな。
「はい、暴れるの禁止ー」
「なんだよ、今回そればっかじゃないか。鉱山洞窟でだって魔物相手に逃げろーだしさ」
「そう膨れなさんな。科野だってわかってんだろ? 昨日の藺柳鐶の強さ」
「そりゃ分ってるけどさー。でもほら、準備運動って必要じゃない?」
 科野が珍しく品を作っている間に、俺様たちの周りは三百六十度囲まれてしまっていた。
「準備運動したかったのは父さんの方だったんじゃないですか?」
 周りを見渡した錬が白い目で俺様を見る。
「ちっげーよ。俺様は〈土壁〉で後ろの奴ら通せん坊してその間に正面入り口から大広間駆け込む予定だったんだ」
「ダダ漏れじゃねぇか」
「はっ、しまった」
 誠が額を押さえたところで俺様たちを取り囲んでいた兵士たちのリーダーらしき中年の男がうおっほんとわざとらしい咳払いをして一歩前に進み出た。
「こら、侵入者ども。こうまで囲まれたからには逃げ場はあるまい。神妙にお縄につけ」
 ずいぶん時代がかった言葉づかいだな。やっぱ神界って遅れてんのかな。それとも時代劇の見すぎか?
「侵入者か。私もずいぶん偉くなったなぁ」
「いや、錬、偉くなってない。見くびられまくってるから」
「一度やってみたかったんですよ。王宮の正面突破。ついに夢が叶うんだ……」
「どんだけ刺激に飢えてたんだよ。まあ、こうなったからにはしょうがないか。誠、あれやるぞ」
 両手を組んで元自分の宮殿を正面突破する夢に浮かれてる錬は放っといて、俺様は誠に耳打ちする。
「あれってなんだよ」
 がくっ。俺様たち、以心伝心じゃなかったのかよ?
「あれっていえばあれだろ。ここで言っちまったら意味ないだろ」
「しょうがねぇなぁ。あれだな、あれ。よし、やれ」
 あー、分かってねぇな、誠の奴。まあいいや。
「んじゃ、力借りんぜ。ってわけで、悪ぃな、守備隊長?殿。神妙にお縄につく気はないんで、ちょっと道開けてくれや」
 すっかり置いてきぼりを食った上に面子を汚されたリーダーは、真っ赤に顔を染めてシャムシールを振り下ろし、攻撃開始の合図をした。
 同時に。
『大地の精霊たちよ 寄り集まりて
 我らが周りに堀を築き
 深き砂で埋め立てよ』
「〈蟻地獄〉」
 足元がふるふるふるとかすかに身震いしたかと思うと、呪文通り俺様たちの周りを取り囲むように堀、といえばかっこいいが、要は一瞬にしてぐるりと落とし穴が堀めぐらされた。勢いづいて三百六十度から俺様たちに殺到しようとした兵士たちはあと数歩で俺様たちに剣先が届くというところで宙を踏み、悲鳴を上げて堀の中に落ちて行った。
「ちょっと、お笑いの罰ゲームじゃないんだから」
「大丈夫大丈夫。ちゃんと下にはクッション代わりに砂が敷いてある……はず。だろ、誠」
「クッション? 砂? いや、そんなものは……」
「ええっ! これやる時は必ず敷いとけって言ったのシャルゼスお前じゃないか」
「んなの昔の話だろ。それに俺、最後まで落とし穴掘るとは思ってなかったし」
「え……それってやばっ。おーい、大丈夫かー!」
 思わず穴の中を覗き込んだ俺様は、重なり合って圧死寸前とか、間違って抜いたシャムシールが味方を傷つけてるなんていう最悪の事態を想像していたが、何のことはない。みんな一様にちゃんと蟻地獄の中に埋まって呻いていた。
「なーんてな。ちゃんとやっといたって」
 ははんと得意げな誠に疎ましげな視線を送っといて、俺様はひとまず万が一でも蟻地獄を抜け出してきてる奴がいないことを確認する。
「これで襲われる心配はなくなったけど、私たち陸の孤島に残されちゃったわよ? この後どうするの? 橋でも架ける? 一応用心のために堀に水を流し込む? ちょうど道の左右に水路が張られているし、流し込むだけなら簡単よ?」
 腕組みをした藤坂がさらっと怖いことを言う。
「いい、いい。そこまでしたら本当に死んじまうだろうが。泳げる奴がいれば上に上がってきちまうだろうしな。でも、橋はご名答」
 俺様はこほんと咳払いをするとしゃがみこみ、宮殿入口に向かう地面に両手をついた。
「〈架橋〉」
 誠が近くにいるせいか、あっという間に四メートルほどの堀の上に橋が架けられていく。
 対岸まで渡し終えた橋の手前をこつこつと叩き、足でちょっと重さを加えてみてびくともしないことを確認すると、俺様はどうぞ、と一番近くにいた藤坂に一番を譲った。
「さすが土木工事技術に魔法を応用することを推奨していた鉱だっただけはあるわね。でも、一番は三井君に譲るわ。信頼してないわけじゃないのよ? ただ、一番に大広間にたどり着くのは三井君じゃなきゃ」
「おお、嬉しいこと言ってくれんじゃねぇか。そいじゃ、お言葉に甘えて俺様から行かせてもらうぜ。ちゃんとついてこいよ? また俺様一人だけ先行かせたりするなよ?」
 橋の渡り心地は、まあ普通だった。左右に欄干もないただの太鼓橋だ。高さがない割には意外とはらはらしたりする。堀に落ちた奴らの悲鳴は今はもう聞こえなくなっている。どうやら橋まで作っちまった俺様の偉業に恐れをなして唖然とこっちを見上げているらしい。
「貴様、何者だ!」
 なーんて、ありていのことしか叫べないさっきの守備隊長殿が喚いてらっしゃるが、めんどくさいのでここはスルーだ。今は一刻も早く佳杜菜ちゃんの無事を確かめる方が先だもんね。
「ファウシード殿。代々鉱土の国の王宮を守ってきてくださった一族ですよね。お役目ご苦労さまです」
「はっ。恐縮です! って、えっ、本当に何者……?」
 錬の優しい言葉にその気になって敬礼を返した守備隊長は、ますます狐につままれたような表情でこちらを見上げている。
「おーい、錬、遊んでないで行くぞー」
「今行きますよ、父さん」
 本当にいつの間にあんなに茶目っ気が出ちまったんだか。やっぱり小さい頃から苦労かけたからなぁ。どっかでネジが緩んじまったのかもなぁ。
「錬? 父さん? あの子供が? 錬……って、まさか鏡様のお父上の……!?」
 などと今更守備隊長が真っ青になっていることなど、とうに王宮の入り口の扉に手をかけた俺様が知る由もない。
「いやぁ、変わんねぇなぁ。建物そっくりそのまんま残ってるじゃないか。苦労していい普請にした甲斐あったぜ。これなら神界遺産トップテンにだってランクインできるんじゃねぇか?」
「緊張感のない奴だなぁ。三井、分かってるのか? 今から何が起こるか」
 呆れ顔で水を差したのは河山だ。こいつはいつも冷静なふりばかりしてていけねぇ。
「今から何が起こるか? んなこと知るわけないだろう。預言者じゃあるまいし。未来は決まってなんかいないんだしな。未来ってのはよぉ、自分の手で築くもんだぜ?」
「呑気だな。彼女が心配じゃないのか?」
「佳杜菜ちゃんなら大丈夫!」
「秀稟は?」
「秀稟も大丈夫。ちゃんとここにいてもらってらぁ」
 心臓のあたりに拳をあてると、どくりと心拍が大きく跳ねた。
 魔法石の一部である砂剣に姿を変えた秀稟を胸に収めた今の俺様に恐いものなど何もない。
「王宮の守備にしてはさっきの一団だけってのもあまりに手薄すぎる。もしかしたら中に結集してるかもしれないな。開けるなら気をつけろ。開けたとたんに槍が突き出されてくるかもしれないぞ」
 用心深く誠が俺様の手を抑える。
「大丈夫だ。この大広間への扉は押して入る式だ。扉が付け替えられていなけりゃな」
 自信満々に俺様は両開きの扉を力いっぱい押し開けた。
 ギギィーなんて不精な音も立てず、扉はすんなり開かれた。もちろん槍の攻撃もない。よく磨かれた大理石の白い床が眩しい。左右両方に奥まで並んだ円柱も、その間をつなぐアーチの装飾も昔のままだ。奥の方にはずらりとこれまた平凡そうな兵士たちが人壁のごとく槍やシャムシールの柄に手をかけて立ち並び、最奥の玉座にはあの痩身の藺柳鐶が玉座には似合わない猫背のまま膝を組んでその膝の上にさらに頬杖をついてこちらを見下ろしていた。脇に侍るようにいかつめしい顔で立っているのは浅黒い肌の中年の男。――あれが孫の鏡か? 思ったよりも気難しそうでしっかりしているように見えるんだけど。
「あらぁ、皆さんお揃いでー、って言いたいとこだけど、やい、藺柳鐶、佳杜菜ちゃんはどうした?」
 俺様の声がドーム状の天井にくわんくわんと響き上っていく。
「正午前ダナ。時間にハ間ニ合っタヨウだガ、肝心ノ砂剣は持っテきタンダろうナ」
 偉そうながら、相変わらず高低の定まらないロボットボイスで藺柳鐶は玉座を立ち上がり、階段を下り守備兵たちの間を猫背のままゆっくりと歩いてくる。
「ああ、ここに。――〈砂剣〉」
 胸の中心から三日月に弧を描いた一振りの剣をこれ見よがしに抜き出してみせる。
「ホう。本物のよウダな。ナラば全テ思い出しタカ?」
「まぁ、大体な。俺様が記憶を思い出すのがそんなに大事だったか?」
「あア。大事だッタ。何モ知らナいママ消えタっテ詰まラないダロう」
 やっぱこいつ鉱のこと恨んでやがんな。ったく、たちの悪い奴だぜ。
「ダが、お前ハまだ、ワタシのこトを思い出シテいなイ」
 でもって、すごいわがままだよな。ったくどこの大王様だよ。
「そんなこたぁ条件になかったはずだぜ? 早く佳杜菜ちゃんの元気な顔を見せてくれよ」
 俺様がずいっと砂剣を藺柳鐶の前に突き出してみせると、足並みそろえて兵士たちが一歩前に出る。藺柳鐶は眉一本しかめやしない。
「……いナい」
「……はい?」
「いナクなッた」
「……いやいやいや。それってまさか命……」
 いやな予感にごくりと生唾を飲み込んだとき、背後からバタバタバタと慌ただしい複数の足音が飛び込んできた。
「スハイルーっ! よくもこの私を地下牢などに閉じ込めてくれたなー!」
 誰だ、この騒がしい奴は。心なしか何かすごく近いものを感じてしまうんだが。
 恐る恐る振り返る。
「あっ、徹様ー! わたくしは無事でございますわーっ!」
「おっ、佳杜菜ちゃん! 無事だったのか! 藤坂、科野、佳杜菜ちゃんを頼む!」
 俺様に言われるまでもなく、一番近くにいた藤坂と科野が佳杜菜ちゃんの両脇を固めてくれる。
 よし、これで安心だ。
「あれ、星までいるじゃねぇか。どうやってきたんだ、星?」
「ちょっとなー」
 ちょっと? また秘密の力でも使ったか?
「ん? 守景までいるじゃねぇか。そうか、守景、目ぇ覚めたんだな。無事でよかった」
「えっ?」
「何言ってんだ、三井?」
 河山と科野が驚いた顔で俺様を振り返る。それだけじゃない、錬も首を傾げている。
「樒がどこにいるっていうんだよ」
 科野が眉をしかめているその横まできて、守景は一所懸命科野の名前を呼んだり肩を叩いているが……あれ、手ぇ透けてる?
 俺様はもう一度星を見る。
 星は首を振る。
 ま、まさか守景ちゃん……え……。
「詳しい説明は後だ。徹、後ろ!」
「ワタシの用事ハまだ済んでイナい」
 星の声に振り返ると、紫基調のまるで内臓と骨の剥製のようなグロテスクなグリップを持つ一本の鉤爪が俺様の背中を引っ掻こうとしていた。
 俺様は悲鳴を上げて紙一重で鉤爪から身を躱す。
「フック船長みたいな鉤爪だな。立派なもん持ってんじゃないか」
「ナラばこチらも試しテミるカ?」
 左手から伸びたのは今度は三本の鉤爪だ。
「コれハ〈夢滅〉。過去の記憶も甘き夢モ全てヲ滅ボスたメのもノ」
 両手から伸びたそれぞれの鉤爪を見下ろして、〈怨恨〉の藺柳鐶はまるで自分に確認するように呟いた。
 確認? 何をかって? そりゃあ……なんでだろうな。俺様には自らに覚悟を問うたように見えたんだ。
 にしても、自信なさげに丸められた背中、ぼさぼさの白髪頭に曇りまくった牛乳瓶底眼鏡、蒼白いを通り越して不摂生が祟ったような土気色の皺だらけの肌、骨の浮き上がったがりがりの手。こいつのどこに甘い夢を見た時期があったのか聞いてみたいくらいだぜ。
 過去の記憶も甘い夢も、滅してしまいたいほどのうらみってのは、いったいどうすりゃ培われるもんなんだかな。それもそのうらみ、どうやら俺様もとい鉱に向けられてるらしいじゃねぇか。そんなうらみ向けられる覚えなんかねぇけど、今更人違いなんじゃないですか? なんて言えねぇしな。
「〈砂剣〉を渡シテモらオう」
 突き出された三本鉤爪を砂剣で受け止め、受け流し、その力で後ろへ飛んで距離を取る。
「錬、ちょっと来い」
 言われたとおり俺様の横に並んだ錬に、俺様は砂剣を渡す。
 砂剣は形を崩すことなくそのまま錬の手の中で弧を描いた剣のまま形を維持している。
「藺柳鐶とやら。いいか、この〈砂剣〉はな、鉱土法王の血を引いた者じゃなけりゃあ形を維持することができないんだ。例外は鉱土法王を守ると誓ったサヨリだけだ。もしそれ以外の奴がこの剣を握ろうとしても秀稟は賢いからな。すぐさま砂になって形を失い、指の間から砂は零れ落ちてしまう。残念だがお前にやることはできないんだよ、藺柳鐶」
 得意げに俺様が演説をぶった直後だった。
 暗いロボットボイスばかりだった藺柳鐶の口から、思いがけず耳障りなほど甲高い哄笑が溢れだした。笑い声は広間の天井高く渦巻きはじめる。
「錬、」
 きりりと身がひきしまるような声で藺柳鐶は錬の名を呼び、鉤爪を引っ込めた片手を差し出した。
 俺様は軽く眉を顰める。
 何かがおかしいぞ、と。
「寄越セ、錬」
 錬がちらりと俺様を見る。
 俺様は嫌な予感を振り払うようにせせら笑った。
「構わない、そこまでご所望なら触らせてやれ。どうせ砂に帰るだけだけどな」
 錬は一度深く瞼を閉じると、両手で藺柳鐶の手に砂剣を乗せた。
「ほらな、もうサラサラいって使えやしないだろう?」
 どうして俺様は顔をあさっての方向に向け目もそらしたままそんなことを言ったんだろう。まるで俺様の方が本物の悪党みたいじゃねぇか。
 でも違うんだ。
 本当は怖かったんだ。
 砂剣が誰かの手に渡っても砂剣のままであり続けるさまを直視するのが。
「徹様!」
 だから、藺柳鐶がしっかりと握った砂剣を振り上げ、俺様に切りかかっているのに気付いたのは、もう砂剣の切っ先が視界の端に入ってきていた時だった。
 やばい、このままじゃ肩と胸をざっくりだ。
 なのに身体は動かない。それどころかはじき飛ばされて無様に床を転がる。
 そんな俺様の目の前に、痛くもないのに血飛沫が噴き上がった。
「母上!」
 錬の悲鳴が聞こえる。
 俺様は相変わらず痛くない。
 その代わり、ふわりと目の前にまっすぐストレートの黒髪がふわりと鼻先をかすめてきて、佳杜菜ちゃんが仰向けに俺様の腕の中に倒れこんできたんだ。
「佳杜菜……ちゃん……?」
 あ……あの時と同じだ。
 周方の戦いから帰ってきたら鉱土宮が闇獄兵に蹂躙されていて、乱戦の中飛び込んで俺様はサヨリを探し、探し当てたと思ったのに、サヨリは、よそ見していた俺様をかばってざっくりと……闇獄兵に胸を切られたんだ。
 同じ、だ。
「佳杜菜ちゃん……!!」
 同じ赤い線が佳杜菜ちゃんの肩から胸、お腹にかけてできていた。血は噴き出し続け、俺様の顔も強かに打つ。
「違う。こんなことのために出会ったんじゃ……」
「その通り、ですわ。徹、様。上を、ご覧に、なって。今度こそ、わたくしたちで、あの子、を……助けて……あげま…しょう……」
 息も絶え絶えなのに、佳杜菜ちゃんはこんな時でも気丈だ。
「喋るな。今治癒してやるからな!」
 同じ。あの時と全く同じ。
 でも、鉱の治癒はあのとき……間に合わなかった。
「治癒を、治癒を、治癒を……誰か、治癒を……!」
 パニクったまま叫んでばかりでろくに治癒の呪文も思い出せない俺様の視界に、砂剣の切っ先がゆっくりと侵入してきた。
 ああ、そうだ。
 どうしてこいつは砂剣を使えているんだ?
 絶望と混乱が入り混じった思いで俺様は顔を上げる。
 そこには変わらず爆発した白髪と、汚い牛乳瓶底眼鏡と、血管と骨の浮いた土気色の肌を持つ白衣を纏った狂科学者のようなひょろっとした男が立っていた。
 そう、男だと思っていたんだ。ずいぶんと華奢な青瓢箪みたいな男だって。
 藺柳鐶は俺様の眉間に砂剣を突き付けたまま、片手でゆっくりと牛乳瓶底眼鏡を外した。
「本当に私ノコトを忘れてしマッたのデすネ――父上」
 瞳の色だけは、変わっていなかった。
 サヨリから受け継いだ明るい翠色の虹彩と、光によって緑にもオレンジにも色を変える魅惑的なグレーの瞳。
「お前……メル……なのか……?」
 茫然と尋ねる。
 ちらりと見た錬は俺様から顔をそらしている。
 知ってたんだ。
 錬もこいつがメルだと知っていた。自分の姉だと……だから、砂剣を渡す時に躊躇った。
 ならどうして初めから教えてくれない?
 佳杜菜ちゃんもだ。メルだと気付いたから昨日、わざと連れていかれたんだな?
 でもどうして?
 どうして……
「どうしてお前がこんなことしてんだよぉぉぉぉぉっっっっっっ!!!!!!!!!!」
 真っ白なのか真っ黒なのかわからない頭ではもはや何も考えられなかった。
 叫ぶことしか、できなかった。













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