聖封神儀伝 2.砂 剣
第4章 叫び
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鉱土宮なんて来たのは数えるほどしかなかった気がする。鉱兄様とサヨリさんの結婚式の時とか、メルーチェや錬が生まれたときとかお祝い事があった時。でも思い出せないだけで、小さいころからのことも合わせれば実は何回も遊びに行ってるのかもしれない。その辺があいまいなのは、きっとそれが正門から入る訪問ではなく〈渡り〉で一息に鉱兄様のところに行っていたからじゃないだろうか。
だから、こうして正門から堂々と(?)鉱土宮を見上げたのも実は初めてかもしれない。
鉱土宮は一言で言ってしまえばアラビアンナイトの絵本に出てくるような宮殿だった。ドーム状の黄金色の屋根をもつ大きな建物が一つ真ん中に立っていて、その前にもいくつかの同じような形の建物が集まっている。両端には丸いドーム状の屋根とは打って変わって尖った屋根を持ちまっすぐに青い空に伸びる尖塔が一棟ずつ建っている。壁は黄金色の屋根を引き立てる白亜色。昼間の太陽の下で見ると、きらきらと眩しいことこの上ないが、目を焼きつぶすほどのぎらつきはない。その辺の匙加減がうまいのか、全体的にラピスラズリのような群青色を差し色にしながらまとまったデザインになっている。
宮殿を取り囲む城壁もこれまた白で、雨が降っても汚れが見えないのは欠かさず掃除をしてきた人々の心がけの賜物だろうか。そんな城壁にくっついた扉を三つほど潜ってきたんだけど、ここに来るまで門番がいた城壁は一つもなかった。もし一つでもあれば明らかに怪しい三人組(わたしが見えない人には二人組)だ。一つ目の城壁の門で足止めされて訊問されていたことだろう。クレフは口が達者そうだからいいとして、鉱土の国の王様の鏡は、どう見ても口が立つとは思えない。真正面から「私は鉱土王だ。王が宮殿に帰って何が悪い」とか言い出しそうで恐い。
「お前たち、何者だ」
「あ~、おらたちは怪しい者じゃねっす」
「そなた、私の顔も知らぬのか。私はこの国の統治者、鉱土王であるぞ。王が宮殿に帰ってきて何が悪い」
「わーっ、わわわわわっ」
言ってる側からこれだ。
わたしは焦って二人を正門の門番から引き離そうとしたけれど、残念、わたしにはクレフしか触れられない。
クレフだけを引っ張って近くの森に逃げ込んで、ほっとした時にようやく、鏡を置いてきてしまったことに気付いた。
「鏡は?」
「おらたちを逃がすために囮になってくれるだなんて、なんていい奴なんだ」
「目ぇキラキラさせてる場合じゃないでしょ。置いてきたの?」
「人聞きの悪いこと言うでねぇだ。置いてきたんじゃね。あいつが自ら残ったんだ。己の正当性を主張するために」
「はぁ? クレフ、鏡が心配じゃないの?」
「勘違いしとるようだけんど、おらが迎えさ行ったのは樒だけだ。鏡のことなんかこれっぽっちも心配でねぇ。さきた会ったばっかりの奴なんか心配するわけねがえん?」
「なんだ、クレフって意外と冷たい人なのね。もういいよ。ここまで連れてきてくれてありがとう」
ラクダの手綱を放して、わたしは足早にクレフから離れ、森の出口へ向かう。森から出ようとすると、門番の数はさっきよりも増え、しっかりと鏡を左右両端から腕を押さえ、中に連行しようとしていた。
「あ、待って。その人は本当にこの国の王様だよ。放してあげて!」
いくらわたしがそう言ったところで、わたしの声が聞こえる人はこの中には一人もいなかった。
「放せ! 放すのだ!」
暴れる王様は屈強な門番たちに比べればもやしみたいなもの。どんなに声を上げたところで誰も鏡の声に耳を貸しやしない。わたしのように幽霊になってるわけじゃないのに、もしあれが鏡の城での生活そのものを表していたら……ちょっといたたまれない。
「本当に王様、なんだよね……?」
本物だよーって声を上げたけど、こうまでぞんざいに扱われている姿を見るとわたしの方が間違っていた気がしてきてしまう。
「魔法が使えない奴が上に立とうったって難しいもんなのす」
性懲りもなくついてきたクレフが冷めた調子で溜め息をつく。
その間に鏡は門番たちに両腕を抱きかかえられて引きずられながら宮殿の中に連れて行かれた。
「覚えているえん? 鉱土法王の娘っこのこと。役立たずの姫と裏で言われていたことも」
「役立たずの姫……わたし、その言い方嫌い」
役立たずの姫。
あれは役立たずの姫だよ。
そうだそうだ。どんなに容姿が美しかろうと、魔法が使えないんじゃ法王の娘としては使えない。
わしらの生活を豊かにしてくれるのは魔法なんだ。鉱土の国にあっては土の魔法。鉱山を掘り、金や宝石をたくさん採って儲けなきゃならん。
どんなに心が美しかろうと、法王の娘はただ笑ってるだけじゃだめだ。
そうだそうだ。魔法が使えない法王の娘なんてただの穀潰しも同然だ。何のためにいるのかわかりゃしない。
どんなに頭がよくたって、結局は俺たちに物を考えさせ、仕事をさせるんじゃないか。新たな坑道を開くための火薬だって、恐る恐る俺たちが点火しに行くんだぞ?
人口が増えきった神界では、人々も口性ない者が増えていた。困ったことに一人が言い出すとみんなが賛同しだし、次から次へと欠点を上げ連ね、追い詰めていく。鉱兄様もサヨリさんも気づいていたと思う。でも、正直どうしようもなかったんだ。メルーチェが魔法を使えないのは確かだったし、使えるようになる気配もなかった。土の精霊王のシャルゼスが何と言ったのかは知らないけど、結局メルは土の精霊の守護は受けなかった。土の精霊に愛されない娘がどうして法王の娘として座を連ねているのか。宮殿内で役職のついた人でさえそんなことを言う人がいたというんだから驚いてしまう。
この頃の神界の人々の統仲王や愛優妃、法王たちへの敬意というのは、つまるところ自分たちの生活を豊かにしてくれる大きな魔法を使える存在だというところが大きかったに違いない。昔の神界ではみんな何らかの魔法を使えたものだけど、この頃になると使えない者も普通に見かけるようになっていた。人口が増えたせいだという説もあったけど、実際のところはどうかわからない。そんな状態だから、魔法が使える者ほど位が高いというような差別思考まで生まれてきつつあったのも、メルーチェが生まれた頃のことだったと思う。
砂漠で魔法のことで激高した鏡の様子や、さっきの鏡を扱うあの門番たちの全くの敬意のなさからすると、魔法が使えるか否かというのは聖たちの時代以上に選民志向に拍車をかけているのかもしれない。
「魔法が使えなきゃこの世界では何の役にも立たね。魔法が使える奴にとっちゃ、自分の方が役に立つのに、役に立たない奴の下さいなきゃならねってのは、はっ、面白くねがえんな」
わたしはちらーりとクレフを見上げる。
「鏡のことを面白く思ってない、魔法が結構使える人があの中にいるんだ?」
「そんたな奴山ほどいるべ。鏡が全く魔法を使えねんだからな。錬さえいなければ今すぐにでも鏡を追い出してしまおうとしている奴なんかたくさんいるべ」
「……そんなに? 鏡には味方はいないの?」
「どうだえんな。いねがも知れねな。一番いいのはみんなの前で土の魔法をドドーンと使って見せて屈服させることだけんども、全く魔法の片鱗も使えねんじゃぁお先は真っ暗だな」
屈服なんてさせなくても、自然と人がついてくるような王様がいい王様なんじゃないの? 心を無理やりねじ伏せたって、そんなのいつか反動が来るに決まってるじゃないの。
魔法が使えない鏡だからこそ、本当の王様になれるんじゃないのかなぁ。
「わたし、鏡のこと助けに行ってくる」
「おいおい、本当はここさ何しに来たんだっけ?」
「夏城君とわたしの身体を探しに」
「んだべ? 鏡のことに構おうったって、鏡に触れられない、周りの奴らに声が届かないんじゃどうしようもねがべ。まずは自分の身体さ戻ることが先決じゃねのすか?」
それも、そうか。
「じゃあ、クレフ。わたしが自分の身体に戻るまで鏡のことを……あれ? いない……?」
わたしが一つ頷いている間に、すぐ後ろにいたはずのクレフの姿がいなくなっていた。
「クレフ―? クレフ―?」
逃げたな。
なんて思ったけど、そもそもクレフもどこの誰だかわからないし、たまたま砂漠に助けに来てくれただけみたいだし、鏡のことには首を突っ込みたくないみたいだったし。そりゃそうだよね。こんなところで甘えたってしょうがない。自分でなんとかしなきゃ。
クレフがいないなら、やっぱりまずは自分の身体に戻ることが先だよね。夏城君を探し出せれば鏡を助けるのを手伝ってくれるかもしれないし。
わたしは森を出て堂々と鉱土宮の正門を潜る。門番たちは鏡を誰かに引き渡し終えて戻ってきていたけど、誰もわたしの前に槍を交差させる人はいなかった。
鉱土宮の中は思ったよりも人気が少なかった。時たま侍女が水差しを持って歩いていたりしているけど、侍女たちよりも剣や槍を手にした兵士たちとすれ違うことの方が多かった。
宮殿内全体が殺伐としている。
無駄口を叩いている者は誰もおらず、みんなどこかしら視線を斜め下に落として誰とも目を合わせないようにして歩いている。
いやな空気。
こんなの鉱兄様がいた時代には考えられない。鉱兄様がいた時は宮殿中が活気に満ちていてあちこちで笑い声が溢れていた。空気だってもっと和やかで居心地のいい場所だった。
「さっきの、鏡様じゃない?」
そんな中で、花瓶の水を取り替えていた二十歳くらいの侍女がひっそりと通りがかりの同じくらいの年ごろの侍女を呼び止めていた。
「そうね」
「またスハイル様? 鏡様は一応鉱土法王のお孫様なんでしょう? いいのかしら。あんな扱いをして」
「しぃっ。あなたね、いつまでもそんな考え方してると仕事なくすわよ。もうそういう話でわたしを呼び止めないでくれる?」
呼び止められた侍女はそそくさと白いシーツを詰め込んだ大きな篭を持って歩き去っていく。
わたしは置いて行かれた花瓶の前の侍女の顔を覗き込んでみる。
不満そうな、悲しそうなしょげ返った表情で彼女は俯いていた。
それから漏れるのは浅いため息。
「どうしてこうなったんだろ。それもこれも鉱様が魔法を使えないから……」
「おい、そこの侍女!」
「ふ、ふぁい!」
「これも片づけておいてくれ」
武器を携帯していないから文官なのだろうけど、やたら横柄な口調で中年の男の人は廊下の隅に寄せた二、三枚の額縁を指差した。
あれは……。
「えっ、その絵は鉱土法王様が描かれたというひまわりではありませんか? それに鉱土宮を描いた絵まで」
「スハイル様から廃棄しろとのお達しだ」
「そんな……」
「いつまでも神代のいたかどうかも分からぬものに縋って生きていくわけにはいかんのだ。この絵だって本当に鉱土法王が描かれたのかどうかも怪しい。そもそもあいつが本当に鉱土法王の孫なのかどうかも怪しい。何せあの方は魔法は一切使えないからな」
あいつ? 仮にも王様でしょう? そりゃ魔法は使えないかもしれないけど、あいつ呼ばわりはさすがにひどいんじゃないの? 親しみがあって呼ぶならともかく、今のは明らかに侮蔑を込めて呼んでいたし。
「あの、鏡様はどちらへ?」
「様などつけて呼ばない方がいいぞ。スハイル様のお耳に入ったらお前もただじゃおかれないからな」
偉そうな中年はきっとスハイルという人にすっかり取り込まれているのだろう。胸をそらしてふんぞり返るようにして笑い声を響かせていってしまった。
またしても残された侍女は、鉱兄様が描いたひまわりの絵を両手に持ち、はぁっとため息をつく。
確かにそのひまわり、鉱兄様が暇つぶしの落書きに描いたものだったけど、本人はいたずら描きのわりに結構うまく描けたってお気に入りだったんだよね。鉱兄様、音楽や芸術方面は風兄様に譲るって言ってたけど、歌わせれば声はいいし、絵を描かせれば宮殿の廊下を飾るくらいにはいいものが描けるんだよね。全部本気じゃないのにちょちょいとやってしまう、実は器用な人だったんだなぁ。
こんな光景三井君が見たら、悲しむかな。
そう思った時だった。
「何をしていますの?」
好奇心に満ち溢れたずいぶんきりっとした女の子の声が誰もいなくなった廊下に響いた。
「あ、これは……」
「まあ、これは鉱様がお描きになったひまわりではありませんか。懐かしい。中庭にたくさんひまわりを植えていましてね、夏も盛りになると一斉に太陽の方向に向けて咲き出しますの。これはその中でも一際花が大きくてしっかりと丈高く気高く立っている花でしたわ」
鉱土の国の衣装を纏って鉱兄様のひまわりの絵を侍女から受け取り抱きしめたのは、昨日藺柳鐶にさらわれていった三井君の彼女だった。
無事だったんだ。それも服も着替えさせてもらっているみたいだし、何か痛い目にあったような跡も見られないし、戒めもなく自由に宮殿を歩き回っているってことは、それなりにいい待遇をされていたんじゃないだろうか。逃げてきたなら、ふつう思い出の品を見ても侍女に話しかけたりなんかしないもんね。
って、あれ? 鉱兄様のことを知ってる?
「あなたは?」
わたしが驚いたくらいなのだから、侍女が驚くのも無理はない。十四、五歳の聖刻の国か水海の国から来たような異国の少女が鉱土法王の思い出を語ったんだから。
「わたくしは稀良佳杜菜と申します。人界から来ましたの。それにしても懐かしいですわね。聞けばもうあれから一千年たっているというではありませんか。それなのにこうして鉱土宮は昔のままの威厳を保ち、壁には一千年以上前に描かれたものが飾られ、今でも大切にされている。素晴らしいですわね。さすがに、わたくしの部屋がそのままにされていたのには驚きましたけど」
「???」
侍女の頭の上にはクエスチョンマークが増えていく。わたしの頭の中も同様だ。と言いたいところだけど……
「サヨリさん?」
ふっと少女はこちらを見た。
柱の陰から出ていくと、あら、と驚いた顔をする。
「あなたは確か昨日、徹様と一緒にわたくしたちを守ろうとしてくださった方ですね。洋海様のお姉さま」
お姉さま。そんな改まった言い方をされると照れるんだけど。
「はい、守景樒って言います。わたしのこと、見えるんですね」
わたしが言うと、佳杜菜さんは小首を傾げ、向かいで不審がっている侍女の表情を見てああ、とさっそくわたしの状態に気が付いたようだった。
「もしかして昨日の戦いで……その……亡くなられましたの?」
「いえ、まだ無事なはずなんですけど……身体の方がこちらに来てるんじゃないかと思って探しに来たんです」
変な顔をされるかなと思いきや、佳杜菜さんは何かに思いを巡らし、「そういえば」とつぶやいた。
「先ほど樒さんとそっくりな方をお見かけいたしましたわ。昨日徹様と一緒にサッカーの試合に出てらした方と一緒に歩いておられました。離れていたのでお声はかけられなかったんですけど」
「それ、どこで!?」
「聖堂へ向かっているみたいでしたけど」
まさか聖、このまま夏城君と二人だけで式挙げようっていうんじゃないでしょうね。まさかそこまでとちくるってないよね?
聖というか自分の前世を信じたい半面、わたしの身体を自由に使えるようになってからの聖の行動は常軌を逸している。最悪の事態は想定しておいた方がいい。まあ、夏城君もそこまで付き合わないとは思うけど。
「聖堂ね。っと、佳杜菜さん、藺柳鐶に捕まってここに連れてこられたんじゃなかったの?」
「捕まったと申しますか、わたくし、自ら進んで彼女の手を取ったのですわ」
「自分から?」
「ええ。そばにいてあげたいと思いましたの」
にっこりと佳杜菜さんは微笑む。
もしかして三井君、すでに失恋してるんじゃないかな。
「もうすぐ三井君たちが助けに来ると思うんだけど……」
「ええ、今ご到着を待っているところですわ。砂剣を記憶ごとなくしていたそうですわね。秀稟のことを思い出してもらうのはわたくしも賛成でしたから」
「逃げないんですか?」
「逃げる? どこから?」
「ここから。藺柳鐶から。もし逃げるならわたし、〈渡り〉で人界に返してあげられると思う」
わたしは真剣に言ったつもりだったんだけど、佳杜菜さんははっとしたようにわたしを見つめた後、ゆっくりと首を振った。
「いいえ、わたくしはここで徹様を待ちますわ。知っているのに、わたくしひとり逃げるわけにはまいりませんもの」
「でも、佳杜菜さんが無事なら今すぐにでも丸く収まるんだよ? 三井君も危ない目に合わなくて済むし、わたしから三井君に伝えに行けるし」
「お気持ちは嬉しいのですけど、今起こっていることはわたくしひとりの問題ではないのです。わたくしたち家族の問題なのです」
「家族?」
佳杜菜さんが頷くと、ゆるく巻いた髪がふわりと揺れた。色は違うけど、その様子はサヨリさんととてもよく似ていた。
「わたくしたち家族が突然に別れ別れになってしまったことはご存知でしょう?」
周方戦役。あの戦いで周方に援軍を率いて鉱土の国をあけていた鉱兄様は、見事に周方に入り込んできた闇獄軍を打ち払って鉱土宮に帰還してきたんだけど、一足早く、周方に気を取られて手薄になっていた鉱土宮にも闇獄軍が入り込み、サヨリさんは殺され、メルーチェは闇獄軍に連れて行かれた。目の前で妻を殺され、娘を奪われた鉱兄様のその後は、とても見られたものではなかった。
わたしは佳杜菜さんに恐る恐る頷いて見せる。
「千年という時は経てしまいましたが、わたくしたちはやり直す、あるいは完結させるチャンスを得たのですわ。ですからわたくしはここで待っているのです。徹様を。そして、錬を」
佳杜菜さんはきっぱりとそう言い切った。その顔に悲壮のかけらなどみじんもない。明るく希望に満ちている。何事も乗り越えられるという自信に支えられている。
眩しいくらいの笑顔だった。愛優妃でさえなかなかできないだろうというくらい、ひまわりのような太陽を思わせる力強い笑顔だった。
佳杜菜さんがサヨリさんなら、教えるべきだろうか。メルーチェは生きていると。でも、もう一人の藺柳鐶が教えない方がいいと言っていたっけ。自分たちで気づくならまだしも、教えるのは酷だと。
でも……
「あの、あなたは藺様が人界からお招きしたというお客様ですか?」
わたしが言葉を発する前に、絵を奪われて宙ぶらりん状態の両手のままだった侍女がわたしたちの会話に割って入った。(侍女さんの方から見れば佳杜菜さんが独り言言ってるように見えたかもしれないけど)
「ええ、そうよ。あのね、その絵なんだけど、処分するならわたくしの……いえ、鉱土法王の妻の部屋だったところに運んでおいてもらえるかしら」
「え……でもあそこは誰も入れない部屋だと……」
「大丈夫。今なら鍵も開いているしカーテンも開いているわ。わたくしに頼まれたのだと言えば誰も怒らないはずよ。お願いできるかしら?」
「あ、はい!」
不信感は拭えていないものの、絵を処分しなくてもいいという選択肢は侍女から幾分心の憂さを取り除いたらしい。彼女はほっとしたように鉱兄様の描いたひまわりと鉱土宮と、それからサヨリさんの肖像画を持って去っていった。
「徹様たちがご到着されるにはまだ間がありますわね。樒さん、よろしければ聖堂までご案内いたしましょうか。と言っても宮殿の中を探険してみたいだけなんですけれど」
「あ、お願いします。遊びに来たことはあったけど、住んでたわけじゃないからいまいち建物の配置がわからなくって」
「わたくしもですわ。千年も経っているんですもの。きっといろんなところが変わっていますわね。でも時が流れているのに変わらないなんて不自然じゃありませんか。人は変わるものですわ。良くも悪くも。でも、それが自然なんです。過去にしがみついて正しいの正しくないの、そんなことはわたくしは言いたくないのです。あら、言葉が過ぎました。樒さんがそう言っていると申し上げたわけじゃありませんのよ。気を悪くなさらないでくださいましね」
「そんなまさか。そもそもわたし、そこまで考えていなかったし」
年下だと思っていたんだけど、もしかしてそれは見た目だけなのかも。佳杜菜さん、わたしよりよっぽど大人な気がする。
「では参りましょうか。聖堂までの近道が塞がれていないといいのですけど」
そう言うと、佳杜菜さんはうきうきと地下への階段に向かいだした。
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