聖封神儀伝 2.砂 剣
第4章  叫び


 天にあっては比翼の鳥。地上にあっては連理の枝。
 なぁ、サヨリ。
 片割れを失った俺様はなんなんだろうな。鳥にもなれず、枝にもなれず。俺様は一体何なんだろうな。
 血塗れのドレスを着替えさせ、化粧を施しなおしたサヨリの顔は、頬紅のせいかほんのり薄紅色に肌が色づき、ただ眠っているかのように見えた。肩を揺さぶれば「あら、もう目を覚ましていらっしゃったの?」と微笑む顔が見えるんじゃないかと、俺様は何度も君の肩を揺さぶっていた。何度も何度も。壊れるほど揺さぶっても、君は起きなかった。錬に止められなかったら、俺様は本当に君の首を折り、肩を外し腕をもぎ取ってしまうところだった。
「もうやめてください、父上。お願いですから。母上だってこんな父上は見たくないはずです。母上はもう二度と目を覚まさないのです。だからゆっくり眠れる場所に連れて行ってあげましょう?」
 まだまだ少年の高さの残った錬の声が左から右へと耳を通り抜けていく。
 錬もまだこんなに幼いのに。
 あんまりだろう。早すぎだろう。返せ。返せ返せ返せ――!!
「父上!」
 錬に後ろから羽交い絞めにされて、砕けかけたサヨリの身体が力なくベッドに弾む。
 ただの、物のようだった。
 本当にもう、ただの物体。この中には何も籠ってはいない。宿ってはいない。ただの空っぽの入れ物。
「サヨリ」
 君の願いは? 希望は? 夢は?
 俺様はまだ何も叶えちゃいない。それどころかもう、君の声が聞こえない。思い出そうとしても砂嵐のような雑音しか聞こえない。真っ暗な砂嵐の夜に閉じ込められてしまったみたいだ。
 もう何も……見たくない。聞きたくない。触りたくない。何も、何も。このまま頭の中が真っ白になってしまえばいいのに。何も思い出せないように。何も感じられないように。何も覚えなくていいように。
『わたくしが死んだら、この槐の木の下に埋めてくださいね。きっとですわよ』
 あれは、結婚式の後二人で鉱土宮を守るように聳えるキルヒース鉱山の頂に記念樹を植えに行った時のことだった。キルヒース山の中を案内しながらようやく抜け出た空の下、天に駆け上がるように伸びた頂上は、とても一本の高木が育つとは思えないような荒涼とした風景が広がっていた。
『きれいですわね』
 翠玉の間でも紅玉の間でも黄玉の間でも青玉の間でも、はては金剛石の間を通り過ぎても「すごいですわね。これが鉱土の国の経済の基盤ですのね」としか言わなかった女が、初めてきれいだと褒めたのがこの景色だった。
 雲一つない窒息しそうなほど青い空。手を伸ばせばこの手すら溶けてしまいそうなほど青い息詰まるような色だった。雑草などほとんど生えてはいない。地上よりも強めの風に常時吹き晒されて種も地上に落ちてしまうのだろう。赤茶けた砂埃だけが舞っている。
『ご覧くださいませ。すぐ眼下には鉱土の都カールターン。北を遥かに見渡せばレジェス砂漠も越えてリドニア山脈も見えますわ。西には周方の草原も見えるんですのね。素敵な場所ですわ』
 手を土だらけにしながら二人で掘った小さな穴に、持ってきた小さな槐の苗木を植える。
『大きく育つのですよ。枝を伸ばし葉を茂らせ、この国を守る幹となり傘となるような大樹に育ちなさいませ』
 魔法の言葉をかけて、立ち上がり、眼下の景色を眺めたサヨリは振り返って言った。
「鉱様、わたくし決めましたわ。わたくしが死んだらこの木の根元に埋めてくださいませ。薄暗い廟の中に閉じ込められるなんてまっぴらですわ。わたくしは空が仰げるところで鉱土の国を見守りたいのです』
 それから何度か二人で槐の木を見にキルヒース山の頂上に登ったが、そのたびにサヨリは口を酸っぱくして言っていた。
『わたくしが死んだら、この槐の木の下に埋めてくださいね』
 その度に俺様は「縁起でもないことを言うな」とか「わかったわかった」とか、適当な返事ばかりしてまともに聞いてやったことなどなかったかもしれない。
 怖かったのだ。サヨリが死にゆく者だということを認めることが。
『鉱土の国も故郷も見えるこの場所が好きですわ』
 手で携えられるほど小さかった槐の苗木はいつしかすくすくと成長し、サヨリの背丈を超え、俺様の背丈を超え、頂上の一角を緑の枝で覆うほどになっていた。その下には風の難を逃れた植物の種が根付き、ちょっとずつ小さな芽を出し、小さな花を咲かせるものも出るようになっていた。
 長女のメルーチェが生まれても、長男の錬が生まれても、あそこに行くときはサヨリと二人きりで来ることにしていた。錬が生まれた後など、二人きりになれる唯一の時間と言ってよかったかもしれない。
 子供が育ち、木が育ち。
 時は確かに流れていたのに、終わりの覚悟などまだできてはいなかった。まだまだ時間はあると思っていたから。
 断ち切られた時間の続きはもう二度と戻ってはこない。
 過去にとらわれて俺様が大人しくなっている隙に、錬がサヨリの身体に手を伸ばし俺様から取り上げようとしていた。
「触るなっ!」
 息子であることも忘れて俺様は錬を後ろに突き飛ばす。
 ただの物になってしまっても、空っぽになってしまっていても、サヨリはここにいる。ここにしかいない。ここ以外、もうみつからない。
 取り上げないでくれ。俺様からサヨリを、取り上げないでくれ。
 錬から庇うように抱きしめると、冷たく硬い感触が弾力なく掌に張りついた。
 それでもサヨリはここにいる。
『約束ですわよ、鉱様』
 笑わないでくれ。そんなに幸せそうに笑わないでくれ。死に行くことを簡単に受け入れないでくれ。どうして君はそんなに強いんだ? それとも俺が弱いのか?
「約束……」
「え? 父上?」
 腰でも壁に打ったのだろう。のろのろと錬が起き上がり、サヨリを抱き上げた俺様を見上げる。
「埋めてくる」
 俺様はその一言だけを残して部屋を出た。
「鉱様! ど、どちらへ!?」
 サヨリを抱えてキルヒース鉱山の入口へ向かう俺様を、人々は青ざめた顔で皆口々に呼び止めたようだった。だが、俺様には誰の声も聞こえてはいなかった。
「槐の木……白い花が……きっと咲いてる……」
「鉱、サヨリをどこへ連れて行く気だ?」
 鉱山の入口で待ち構えていたシャルゼスにさえ、俺様は何も答えなかった。
「天にあっては比翼の鳥、地上にあっては……連理の枝……」
『鉱様、わたくしたち、きっと良い夫婦になりましょうね。天にあっては比翼の鳥、地上にあっては連理の枝と申しますもの。忘れないでくださいませ。何があってもわたくしの心は貴方のお傍におりますわ』




 ここを通るのは何回目だろう。初めて通ったのは鉱が十歳の誕生日の時。鉱山の真っ暗闇ですっかり迷子になった俺様に手を差し伸べてくれたシャルゼスと秀稟と一緒にこの眩しい光を仰いだのだった。それから何度となく一人になりたいときや空を近くで見たいとき、鉱土の国を一望したいとき――何かあればよくここまで登ってきて十歳の時に得た最高の贈り物のことを思い出した。
 十八歳で時を止め、いったいどれだけの時が経ったのか。サヨリと結婚してからは結婚記念に植樹した槐の木の成長具合を見に年に一回は二人でここを通った。それ以外にも実は一人で訪れることもあった。目的は若い頃と変わらない。いや、ちょっとは変わったか。妻を得、子供が生まれ、国が大きくなり大勢の芯かに囲まれるにつれ、俺様だって少しずつ変わっていった。見た目だって三十五を過ぎた髭面になっていたが、責任感やら見栄やら誇りやら、いつの間にかたくさんの物が俺様にはぶら下がっていて、十歳の時、砂剣を得た時に誓った志が揺らぐときだってあったんだ。そんな時はキラキラとしたあの頃に比べてずいぶんと自分が薄汚れてしまったような気がして、今で言うなら心の洗濯っていうの? それをしに、よくこっそりとここを通っていた。
 ま、こっそりって言ってもサヨリは気づいてただろうけどな。人の目だってあちこちにあったし、当時は鉱山としてたくさんの人がこの坑道を出入りしていたんだから。
 たった十七回だ。サヨリと二人でここを通ったのは。それからはただの一回だけ。サヨリの亡骸を抱きかかえて真っ暗なこの坑道の中を歩き登った。あのときだけだな。金剛石の間から頂上へとつながる外へ出ても青い空を拝めなかったのは。真っ暗だった。星も出てたんだろうけど、そんな小さな瞬きは鉱の目には見えなかった。坑道の中と同じだったんだ。
 そうだな、それから先、鉱はずっとこの坑道の中を彷徨っていたようなもんだった。ゴールもない。出口も入口も見失って、ただ時に押し流されるままに足を動かし、結果として身体が移動しているから周りからは生きているように見えるだけだった。
 そんな状態でも永遠の命だから生きなければならないと思っていた。生きるもんだと思っていた。
 今は、おいて行かれちまったから一人だが、外には誠や錬や河山、科野に藤坂が待っているはずだ。
 一人じゃない。
 もう空っぽの俺様でもない。すべてに絶望して暗闇の中を彷徨っているだけの生ける屍でもない。
 もはや鉱という名前の法王ですらない。
 ただ鉱の記憶を受け継いでいるというだけ。
「不思議な話だぜ、まったく」
 こうしてまたここを通ることになるなんてな。
 緩やかな上り坂のその先は、うっすらとほの白い光が差し込んできていた。
「夜明けだ」
 俄然登る足に力がこもる。見えた光の筋が逃げてしまわないうちに捕まえてしまいたいと小走りになる。
 そして、俺様はようやく夜明けの空の下にたどり着いた。
「うわぁ……」
 日の出前の薄紫色の空の下、透き通った光を浴びて白い槐の花びらが舞い散っていた。風のままに舞い上がり、渦巻き、地上へと下り、そしてまた吹き上ってくる。槐の大木の下は雪が降り積もったかのように真白く染まっていた。
 先に着いていた誠たちも立ち止まったまま槐の大木を見上げている。
「すごいな……」(宏)
「綺麗……」(葵)
 他の奴らも含め、それっきり誰も言葉が出ない。
「どうだ、すごいだろ?」
 俺様は我がことのように胸を張ってみんなの間を分けて通り、槐の大木の前に跪いた。
 確かここだったはずだ。鉱土の国も周方も見渡せる頂の端。ここにサヨリを埋めたんだ。そして、秀稟を封じた。
 当時の祈り方なんて忘れたから、俺様は普通に仏壇の前で手を合わせるように両手を顔の前で合わせた。いくら今は生まれ変わってるって分かってたって、ここはサヨリの墓だ。サヨリが眠る場所だ。そう思ったら、自然と手を合わせていた。
 それは錬も科野や藤坂、河山も同じらしかった。特に錬は感慨深く木の根元を見つめた後、跪き何度も両手を地について礼を尽くした。
 そうだよな。鉱の奴、結局錬に母親の墓の場所教えてやらなかったんだもんな。
「済まなかったな」
 振り返ると、錬は気がかりが一つ減ったようなちょっとほっとした顔をしていた。もうだいぶ年月が経っているからさすがに泣きはしなかったが、それでも目頭は潤んでいるかに見えた。
 誠だけは立ったままその場所を見下ろしていた。多分サヨリを埋めた後に来たんだろう。花の一輪くらい手向けていったかもしれない。そして秀稟に出てくるように呼びかけつづけていたのかもしれない。
 でも秀稟は出てこなかったんだよな。だから昨日、あんなに怒りをぶつけてくれたんだよな。
 みんなが一通り目を閉じ終わったのを見届けて、俺様は槐の花びらの上に膝をつき大地に両掌をついた。
「サヨリ、ごめん。君を助けるために砂剣が必要になったんだ。今度こそ本当に砂剣で君を守るから、許してくれ」
 そして一つ深く息を吸い込む。
「秀稟!」
 鉱の守護獣の名を呼んだ時だった。掌をついた土の中から黄金色の光が曙色の空へと向かって迸り出た。日の出と相まって空は黄金色に染まり、あまりの眩さに俺様もみんなも腕や手で目を覆い隠す。
「親方様~っ!! 秀稟はっ、秀稟はっ……」
「うわっ、わわわわわっ」
 弾丸のように飛びついてきたのは紛れもなくあの時のままの秀稟。泣きべそをかいた顔は涙でぐちゃぐちゃで見られたもんじゃなかったが、ピンクのリボンで結んだ二つのお団子頭は健在だった。
 あまりの勢いにひっくり返された俺様の上に覆いかぶさって、秀稟は子供のように泣きじゃくる。(いや子供だけど)
 俺様はとりあえずそのままの格好で、ぽんぽんと頭の後ろを撫でてやる。
「言っていいよ」
 恨み言でもなんでもどんとこい。そんなつもりで言ったのに。
「親方様ぁ、秀稟は、さびしゅうございましたぁぁぁぁぁっっっっっ」
 肩透かしを食らったような気がするくらい、純粋な慕情だけが叫ばれた。
 何にも変わってねぇな、こいつは。こんなところに一人で閉じ込められてシャルゼスの説得も頑固にはねつけて? ずっとずっと俺様の命令に従ってきたってのに恨み言でも罵詈雑言でもなく、第一声がさみしかっただなんて、どこまで素直なんだ。ほんと人を信じすぎるにもほどがある。
「よしよし、悪かったな。長いこと一人でサヨリの墓守させちまって」
 この体勢じゃジャンピング土下座もできやしない。抱きしめて頭を撫でてやるのが精いっぱいだ。
「奥方様のことは大好きでしたから! でも……あの中にはもう奥方様はいらっしゃらないから……」
 秀稟は俯いて俺様を見つめる。
「そうだな。サヨリのことはちゃんと見つけたから……助けるために協力してくれないか?」
 そう言うと、秀稟は目の周りを手の甲で拭いながら首を傾げた。
「助ける? そういえば親方様、見た目が随分と変わってますが……?」
「ん? ああ、鉱なら死んだんだ。俺様は三井徹。鉱の転生ってやつ?」
「ナント!!?」
 目が飛び出るほど驚いた秀稟は、脇に佇んでいた誠に気づいてしばし見つめた後何かを理解したらしい。眉を八の字に曲げて憂うような表情で俺様を見下ろした。
「辛うございましたね」
「んなこたねぇよ。俺様が辛いなんて言ったら、振り回されてとばっちり食った秀稟に申し訳ねぇよ」
 秀稟はしばし目を大きく開いて俺様を見つめる。それから何かを理解したかのようににっこりと口元に笑みを浮かべた。
「やっぱり親方様だ。秀稟の大好きな親方様です!」
 ぎゅうっと首に腕を回されて抱きしめられ、窒息寸前になる。
「ちょっ、息、息できない、息!!」
 やっぱり恨みか? 恨んでいるのか?
「あっ、ごめんなさい!」
 見かけによらず怪力の秀稟は慌てて俺様を放してくれたが、俺様は秀稟を押しのけて上半身をよじって咳き込む。
「大丈夫ですか、親方様~っ」
 秀稟は泣きそうになりながら俺様の背中を叩いている。
 この様子じゃ恨み、とかはないんだろうな。本当に心から心配してくれてるのがわかるもんな。そもそもブラック秀稟とか想像つかないし。
 何とか呼吸ができるようになったところで、俺様は秀稟の前にもう一度正座しなおした。
「どうしたんです、親方様」
「秀稟、お前には本当にひどいことをしたと思ってる。申し訳なかった」
 きっちり両手をついて謝ると、秀稟はえらく恐縮して同じように正座して両手をついて頭を下げた。
「わたしはサヨリ様をお助けすることができませんでした。メルーチェ様も。わたしは鉱様にお辛い思いをさせてしまいました。肝心な時に何のお役にも立てず、不甲斐ない限りです。本当にごめんなさい」
「え……あ……」
 そうだったのか。俺様、秀稟の気持ちを聞いてやる余裕もなかったもんな。秀稟も言えなかったんだ、サヨリが死んでからすっかりおかしくなっちまった俺様に遠慮してずっと。
「本当はあの時、言おうと思ってくれていたのか? サヨリを埋めるのを手伝ってくれたときから」
「……はい」
 秀稟はきっとサヨリの弔いが終われば鉱の気持ちにも一区切りつくと思っていたんだろう。そのタイミングで謝るつもりだったんだ。でもそんな間も与えず、俺様はひどいことを命じてしまった。秀稟には鉱が自分を恨んでいるように思えたことだろう。
「もし、再びお会いできることがあったらお伝えしようと、ずっと考えていました」
 そう言うと秀稟はまた泣きべそをかきはじめる。
「ごめんな。悪いのは俺様だ。秀稟は何も悪くない。お前は俺様の片腕としてよくやってくれたよ。サヨリの墓守を頼んだのもけしてお前に罰を与えるつもりでのことじゃなかったんだ。秀稟が悪いなんてこれっぽっちも思っちゃいなかった。それだけは本当にわかってほしい」
 秀稟は何度もしゃくりを上げながら頷き、ようやく涙が止まったところでほっとしたようににっこりと微笑んだ。
「親方様、また秀稟を傍においてくださいますか?」
「おう、もちろんよ。って言っても今は城もなけりゃ、仕事もない。両親に養ってもらってるしがない高校生だけどな。それでもよけりゃあついてきな」
「いや、家に女の子連れ込むのはマズイだろ。母さんが絶対角生やすぞ。食費だってばかにならないし、ご近所の手前、婚前前の男女が実家で同棲とか、ユキノシタの評判にもかかわってくるぞ」
 ドンと胸を叩いてみたところで、それまで大人しく見守るだけだった誠が鋭くつっこみを入れる。
「うっ、そうだよね。妹増えましたとか、無理あるよね」
「どこからもらってきたのかって、お得意の加納のご隠居さんが言いふらして歩くぞ」
 ああ、それはマズイ。あのばあさん、うちの菓子好きでよく買いに来てくれるのはありがたいんだが、どうにもこうにも口が軽いというか近所の街宣車というか……お袋が一番苦手にしてる部類なんだよな。
「それでしたら私が面倒見ますよ。私なら人界にも家がありますから何かあればすぐに父さんのところに駆けつけられますし、神界でも生活には苦労していませんからこちらとあちら、好きなように行き来していただけます」
「おお、それがいい。ってわけで秀稟、すまないが生活の面倒は錬に見てもらってくれ」
「錬……様……? 鉱様によく似てる方がいらっしゃると思ったら、なんとまあ、錬様でいらっしゃいましたか。大きくなられましたねぇ」
 ほぉっとついたため息に甘いものが混じっていたような混じっていなかったような……もしかして秀稟、今更初恋か? まあ錬も妻も子も遠い過去のことらしいし、この辺でセカンドライフを送るのも悪くないかもしれねぇな。見た目的に親子にしか見えねぇけど。
 まあ、大人の話はあとで当事者同士で解決してくれ。俺様は何にも見てない、気づいてない。
「よし、それじゃあ秀稟、さっそくひとつ頼みがある」
「はいっ、なんでしょう、親方様!」
 昇る朝日に周囲の景色が、空が彩りを取り戻していく。
「サヨリは今人界に転生して稀良佳杜菜ちゃんっていうかわいい女の子に生まれ変わってるんだけど、昨日の昼ごろ、闇獄主の藺柳鐶って奴に鉱土宮に連れ去られちまった。返してもらう条件が砂剣を渡すことなんだ。秀稟、一緒に来てくれるか?」
「ナンデスッテ!!!?」
 予想通り、秀稟は白目をむいて倒れてしまった。
 だよな。単刀直入に言い過ぎたよな。
「三井、さすがにその言い方は配慮ってもんが……」
 河山が呆れた顔で俺様を振り返る。
「秀稟かわいそう……」
「ひどい主人を持ったもんだ」
 科野の一言はいいとして、誠の一言は自分も含めての感慨だったよな、今のは。
「だってオブラートに包んだって、結局いうことは同じじゃねぇか。騙して連れてくわけにもいかねぇだろ。それに、本当に藺柳鐶にやっちまうわけねぇじゃねぇか。そもそも砂剣だぞ? 俺様にしか使えない剣だぞ? 藺柳鐶にやったところで魔法石の半分から形が変わるわけねぇって。むしろ藺柳鐶の手に渡ったところで秀稟からカウンターくれてやれば、それで一気に片がつくってもんよ」
 ふふんと自慢げに語って見せたが、誰一人として感心してくれる者はいなかった。
「だよね、そうだよね……鬼畜だと思ったよね。でもそれ以外作戦が思いつかないんだもの」
 いじいじと人差し指で槐の白い花びらの上に丸を書いていると、気を取り戻した秀稟が俺様の手を取った。
「やります、親方様。秀稟にお任せください!」
「本当か、秀稟! ああ、秀稟ならそう言ってくれると思ってたよ。さすが秀稟、俺様の左腕」
 手に手を取った俺様と秀稟を見て、シャルゼスだった誠は冷たい声でぼそりと言った。
「調子のいい奴め。何かあったら……分かってんだろうな?」
 ぞくっと俺様の背筋に悪寒が走る。
「ワカッテマぁス」
 悪寒の走った背筋を伸ばして、俺様は秀稟の手を取って立ち上がった。
 見渡す限りの青い空はまだそこにはない。だけど日は昇り、確実に朝の光が鉱土の国を照らしはじめている。鉱土宮もトゥファナ湖もレジェス砂漠もイオラビ湾も、夜闇に紛れる青い色を脱ぎ捨てて眠りから覚めようとしている。
 鉱、お前も覚醒のお時間だぜ?
「さ、行こうか。いざ鉱土宮へ!」
 えいえいおーと拳を突き上げたら、お腹から遠慮なく朝飯を求める音が鳴った。
「錬、メシ……」
「分かってますよ」
 くすくすと笑っている錬は父を見る目というよりはできそこないのドラ息子を甘やかしている親のそれだった。
 ちっ、いつかちゃんと見返してやるからな。
「では皆さん、さっそく秀稟がお役にたちますね」
 秀稟は明るく歩き出したかと思うと、俺様のすぐ後ろにあった頂の終わり――崖から勢いよく飛び降りた。
 さすがに俺様もみんなも言葉を失う。
「はーい、では乗ってくださーい」
 何事もなかったかのように浮揚してきたのは玄武岩を寄せ集めたかのような色をした巨大な甲羅を持つ空飛ぶ亀だった。
 確かに、俺様たちのいるここで変身されたらたまったもんじゃなかったが、しかし、一言くらい説明してくれよ。肝が冷えたじゃねぇか。
 まあ、そんなとこも含めて変わってねぇよな、秀稟は。
「頼むぞ、秀稟」
「お任せください、親方様」
 俺様たちを乗せた秀稟は、眠りから覚めはじめたカールターンの都を横目に見ながらゆっくりとキルヒース山脈の山肌沿いを下りはじめた。













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