聖封神儀伝 2.砂 剣
第2章  捜し物、二つ。


 半年に一度天宮で催される各国法王、四楔王、四将軍を集めての会議は、俺様にとっちゃめんどくさいことこの上ない。
 今のとこ闇獄界の侵攻も活発さを失ってるし、国内の情勢もそうそう悪いもんじゃない。うちの国を見ても、他の国を見ても安定しきって腐り落ちそうだ。そんな状態でわざわざ天宮まで行くのは、はっきり言ってとても気が進まないのだが、たまには天宮の上手い料理で腹をいっぱいにするのも悪くない。ついでに鉱土の国とは毛色の違う天宮美女を捕まえるもよし。これほど平和なんだから、首脳部全員集まっての会議なんて十年に一度でいいじゃんって言ったら親父に殴られた。その油断が最悪の事態を招くんだとか何とか説教垂れてたけど、親父の怒鳴り声なんてスル―して俺様は小鳥のさえずりを聞いてたね。
 ほんと、こんなに平和なのに緊迫した口調で鉱土の国の人口動向やら経済状況やら治安やら農作物動向やらをつらつら書類通りに読みあげなきゃならないんだぜ? それも俺様の国だけでなく兄弟たちの国残り七国分似たような話を聞いて、四楔王から境界の警備状況の報告聞いて、天宮の統仲王のありがた~いお言葉を頂戴してざっと二時間。さらに統仲王と法王だけの常任会議に一時間。占めて三時間。ったく、何の拷問だよ。
「あー、かったりぃ。行きたくねぇ。俺様も麗兄貴のようにシャルゼスに全部押し付けてやろうかなぁ」
 午後一時からの会議なんて、寝て下さいと言わんばかりだろう。
 ああちなみに、引きこもりの麗兄貴のいる魔麗の国からは、いつも麗兄貴の守護獣であり魔麗の国宰相の禦霊が法王代理で椅子に座る。麗兄貴、ちゃんと生きてんのかなぁって言ってやるのが俺様の会議でのお役目だ。ほんと、めんどくさ。麗兄貴もガキじゃねぇんだから、月一の会議くらい自分で顔出せっての。まあ、禦霊は優秀だから文句のつけようもないんだけどさ。
 天宮の昼下がりは相変わらず穏やかだ。昼寝に最適な優しい日差しをしている。気温も鉱土の国のように乾いて高いわけでもなく、かといって寒いわけでもなく。外套を着なくてもほのぼのした気分で外を歩くことができる温度だ。
 森の木々は風にさやさやと揺れて木漏れ日の形を万華鏡のように変化させ、その日の光の中を鳥たちが歌いながら渡っていく。鳥たちが向かう空は爽やかな水色だ。大地には緑の芝生が敷き詰められ、ハコベや蓮華、白詰草といったかわいらしい花たちが歌うように笑んでいる。
 この幸せいっぱいの景色を胸に、これから三時間睡魔との闘いを強いられるなんて、俺様ってなんて不幸なんだろう。
 二階の回廊はまだまだ続く。
 食堂から会議室までのこの距離がまた小憎たらしい。歩く者を飽きさせないように窓から見える風景は愛優妃らしい趣向が凝らされているのだが、それも毎月えんえんと何年もともなると、残念ながら見飽きてきてしまう。愛優妃がこっちにいてたまに出も庭の手入れをしてやってればまた違ったのかもしれないが。
「鳥たちよ羽ばたけ 力の限り」
 あー、小鳥たちが囀ってんなぁ。
「軽やかな翼に わたしをのせて
 連れてっておくれ まだ見ぬ大地に」
 ん? 歌声?
 ずいぶん透きとおった可憐な声じゃねぇか。まるで春風のような声をしている。
 俺様は声の聞こえた方の窓から身を乗り出して辺りを見回した。
 森があって、季節がら一面花畑になってる小さな丘陵があって、その丘陵の頂でミラリスの泉の水甕を肩に担いだ美女が優しく微笑んでいる。その足元、一人の少女が花畑の中で鳥たちを手にとまらせながら楽しげに歌う姿が見えた。
「鳥たちよ歌え 心の限り
 美しい囀りに わたしの心をのせて
 届けておくれ あの人の元に」
 彼女の歌声に合わせて鳥たちも囀る。まるで鳥たちと話しているみたいだ。鳥たちもすっかり彼女に心を許しているのが分かる。
 波打つ橙金色の髪が陽の光に黄金色に輝く。
 あれは、誰だろう。
 見惚れた瞬間を記憶の中に切り取り残し、俺様は今来た道を引き返し、階段を駆け下りて中庭のミラリスの泉へと駆ける。
 とても身を乗り出した窓から大きな声で呼びかける気にはなれなかった。そんなことをしたらあの清浄な空間が壊れてしまう。彼女は驚いて逃げ去ってしまうかもしれない。
 どうしても捕まえたいと思った。どうしても近くで顔を見たいと。
 天宮の中庭に入れるほどなのだから、きっといいとこの令嬢なのだろう。そう考えただけでもやおらどきどきと胸が高鳴る。
 ハードルは高いか?
 いやいや、俺様だって一応法王なんて肩書だけは立派なもんを持っている。いざとなったらどうとでも使ってやる。そうだ、今使わないでどうする。今こそ肩書にものを言わせる時。
「あ、れ……?」
 軽く息が早くなったところで辿りついたミラリスの泉には、波打つ橙金色の髪の令嬢はおろか鳥一羽いなかった。
「まぼろし?」
 辺りを見回してみるが、どこにも人影はない。
「おーい、鉱兄さーん。そんなところで何してるのー? もう会議始まるよー?」
 俺様がさっきいた窓からは、風が身を乗り出して手を振っている。
「おっかしいなぁ」
 なんだろうな。あまりにもぽかぽか陽気だったから白昼夢でも見たかな。
「鉱兄さんたらー、聞いてるのー?」
「わーってる。今行く」
 適当に手を振っといて、また辺りを見回す。
 いない。
 ミラリスの泉のほとりまで来ると、わずかにそこにさっきまで誰かが座っていたことを示すように丸く円を描く形に草が倒れていた。
「やっぱりいたんだ。気付かれたのかな」
 はぁーっと深いため息を吐き出して、俺様は会議が行われる大会議室に行くためにもう一度階段を上りなおした。
「遅いぞ、鉱」
 会議室にはすでにずらりと主要メンバーが揃っていた。
「いやぁ、悪ぃ悪ぃ」
 傍らに聖を座らせた龍兄貴が、俺様のことまで遅刻した子どもを見るような目で見ている。教育によくないだろうとでも言いたげだ。
「鉱兄さまちこくー、いけないんだー」
「こら、聖」
「だなぁ。ごめんな、聖」
 龍兄貴に窘められた聖のほっぺたが膨れる前に、俺様は心底申し訳なさそうな顔を作って手を合わせる。
「ほんと、何やってたんですか、あんなところで」
 隣の風まで小声で聞いてくるんだからたまらない。
「ちょっとな」
 囁き返して、俺様は司会のジリアス含め、統仲王、育兄貴、海姉貴と重鎮中の重鎮を見回して頭を下げる。
「遅くなって申し訳ありませんでした。ジリアス、はじめてくれ」
「かしこまりました。それでは第一議題に入りたいと思います」
 ジリアスがつらつらと第一議題の闇獄界近況について概要を話し出す。その声を右から左に通過させながら、今日のメンバーを確認する。
 会議室には長方形に机が並べられている。奥の短辺中央には統仲王、向かって右に北方将軍で司会も務めるジリアス・ルーリアン。左は愛優妃の席だから今は万年空席。窓際長辺には奥から育兄貴、海姉貴、聖、龍兄貴、羅流伽王、奈月王。廊下側長辺には炎姉貴、麗兄貴代理の禦霊、俺様、風、周方王、志賀宮王。出入口側短辺には窓際奥から南方将軍オウシャ、西方将軍ヴェルド、東方将軍藍鐘和が座す。
 ん?
 なんか今日のメンバー、面子が変だぞ。
 なんだ? 空席があるわけじゃないよな。それじゃあ……
「あ」
 風の陰になってて見えにくくなっていた周方王の席に目をとめて、俺様は思わず声を出してしまっていた。
「いかがなさいました、鉱土法王」
 かしこまったジリアスの声は耳に入っちゃいなかった。
「この間の女」
 ぽつり落としたつぶやきに、周方王の席に座った女が俺様を射抜くような翠の瞳で睨む。
「ああ、鉱土法王、紹介するのが遅くなりました。本日周方王は体調不良のため、妹のサヨリ・アミルが代理を務めます」
 ヴェルドが立ち上がって紹介すると、周方王の椅子に座ったこの間の女も立ち上がって不機嫌な表情はそのままにぺこりとお辞儀した。
「先日は大変失礼をいたしました」
 言葉は謝っているが、声音には随所に不機嫌な棘が混じっている。そのまま飲み下すと喉が血まみれになりそうだ。
「先日って?」
 好奇心いっぱいに風が覗き込んでくる。
「ああ、まぁ」
 俺様は明後日の方に視線を投げる。
「ちょうどいいですね。周方王代理、議案に挙げられておりました周方の国のターン鉱山から盗掘された金の行方についての調査結果をお願いします」
 ジリアスの言葉に、俺様はジリアスを見、女を見上げる。
 今は闇獄界の近況についてやってたんじゃないのか? どうして周方一国の内政の話になるんだ?
「それではご報告申し上げますわ。ターン鉱山から金が不正に採掘されるようになったのは、金の出荷量が微増しはじめた一年ほど前からのようです。半年前、周方領内バルドの街が半ば閉鎖状態になったという知らせが入り、調査をしたところ決められた量を超えて採掘された金はバルドに拠点を置くテルアギルという組織によって銅の含有量が増やされた不正な硬貨に鋳造されてすでに神界中に出回っており、正規の金貨の流通量は減っておりました。つい先日捕らえたテルアギルの組織員から聴取したところ、組織はリーダー格数名の下に採掘部門と鋳造部門、流通部門があるとのことです。バルドの街は現在実質的にテルアギルの支配下にあり、本格的な摘発に関しては今後慎重に行っていく予定です」
 周方王は体調不良だとヴェルドは言ったが、要はこの報告をさせたくて公安担当だとかいう妹をこの席に引っ張り出してきたわけだ。
 ていうか、おいおいおいおい。腐りかけの平穏なんて言ってたけど、ほんとに俺様の足元が腐りかけてたわけじゃねぇの。あの女が二人の男を捕まえた時に国家転覆だのなんだの言ってたのも、それほど大袈裟ってわけじゃなかったわけだ。
「それって裏で闇獄界が関与してたりするの?」
 とりあえず寝耳に水だということは飲みこんで、前向きに聞いてみる。
「まだ確証は掴めておりませんが、バルド周辺で魔物の出没率が高くなっているのは事実です。また、間者によるとバルドの街中は日中から魔物が歩き回っており、住む者は老若男女かまわずみなターン鉱山の採掘に駆り出されているとのことです。今月に入ってからその者とも連絡はとれず、街の門は固く閉ざされ、商人たちも入れない状態となっております。街から出てくるのは偽造金貨をばらまくための者たちだけで、その者たちが戻ってきたという報告もございません」
 ふーむ。
 闇獄界にしては内政干渉なんてずいぶん地味な手できてくれたじゃねぇか。問題は、本当にそれだけなのかってことだな。
「ニセ金貨ばらまきに出てきた奴らの後はつけたの? 街の門の前でただじっとしていたわけじゃないでしょ?」
「もちろんです。街から出てきたものを追跡させましたが、実はその追跡した者も戻ってこなかったのです。ですので先日、わたくしが直接二人を追いかけたのですわ」
 ほうっという感心が口笛となって噴き出した。
「自分が消されるかもしれないのに自ら飛び込んでったわけだ。さすが西方将軍の妹は度胸が違うね」
「これ以上配下に被害を出すわけにはいかないと判断しただけですわ。それに、先日捕らえた者たちからはあるものを押収いたしました」
 小生意気な女は、黒いトレーごと丸い筒一本を机の上に押し出した。茶色い一本の筒は片方から黒い線が一本飛び出している。
「なんだぁ? そりゃ」
 見たことのない形のものに、俺様だけじゃない、会議の場にいた全員が首を傾げた。
「先ほど街から出てきた者を追った者も戻ってこなかったと申しあげましたが、たった一つ共通点がございました。いずれも向かったと思われる旅路の先で宿の爆発騒ぎが起こっているのです」
「あ、それうちでもあったって報告聞いてる。先月だったかな。それほど大きくない宿屋が一軒爆発して全焼したって話。宿の一室が特にひどくて壁とか天井とか壊れてて見る影もなかったって」
「そういやうちでも商人御用達の高級宿が一軒火事になったって聞いたなぁ。三ヶ月くらい前だったと思うけど」
 風に続いて炎姉貴まで記憶の底を漁って報告する。
 周方の国から発して風環の国、火炎の国と来て、俺様の鉱土の国が何もないわけはないんだが……
「ああ、そうか。そこに来て先日のあれが俺様のところで起こったわけだ」
「その通りですわ。風環の国、火炎の国、それから天宮でも二件ほど同様の事件が起こっているはずです。周方国内では三件の爆発事故が起こりました。いずれも肝心の偽造金貨を運ぶ者と追う物の足取りはそこで途切れています。捕らえた二人に聞いたところ、偽造金貨を街で使い果たしたら、宿に泊まって蝋燭の代わりにこれに火をともして用いるようにと指示されたとのことです。火をともせば宿代がいらなくなるから、と」
 一同は固唾をのんでじっと目の前の蝋燭にしては仰々しい一本の丸い筒を見つめた。
「ねーねー、龍兄。あれ、今火をつけてみちゃだめかなぁ」
 聖が誰しもが一度は心に思い浮かべたことを口にする。
「だめだな。もしつけたら、この場は大変なことになる。そうだろう、周方国王代理」
「捕らえた者二人が一本ずつ持っておりましたので、一本を解体したところ、中からは黒い粉と混じったおがくずが大量に出てきました。一つまみに火をつけたところ、実験用の机が一つ吹き飛び、硫黄混じりの何ともいえない刺激臭を持った煙で室内がいっぱいになりました」
 予想通りの回答に一同は再び重苦しい沈黙とともに目の前の何の変哲もない一本の茶色い筒を見た。
「統仲王、これは……」
 育兄貴が慎重に統仲王の顔色をうかがう。
「闇獄界が爆発物の研究をしている、ということだな。炎に勝るとも劣らない力を手に入れようとしているのだろう。サヨリ嬢、その黒い粉の正体は突き止めたかい?」
「いえ……それはまだ。どこから選り分けたらよいものやら研究者たちも手を出しかねております」
「まあ、いずれわかるだろう。鉱、お前の国にも鉱山がたくさんあったな。一度浚ってみろ。中も外もだ。意外なところに足跡が付いているかもしれない」
「了っ解」
 あーあ、なんだかめんどくさいことになっちまったな。
 鉱山の中っつったら坑道全部だよな。何がどれくらい採掘されていて、急に量が増えてたり減ってたりしないかとか、見知らぬ顔が坑夫にいないかどうかとか。外側ってのは実際闇獄兵が潜んでいないかどうかも含めて見て来いってことだな。意外なところに足跡が付いているかもって、占いじゃねぇんだから、分かってんなら具体的に教えてほしいよなぁ、まったく。
「それから鉱、」
「まだなにか」
「バルドの摘発の件だが、周方の国だけでは荷が重いかもしれぬ。魔物討伐隊を組織してお前が指揮を執れ」
 なんですと?
「いや、でもそこにうちの兵士百人力くらいのお嬢さんがいることだし、俺様なんてお呼びじゃないんじゃ?」
「鉱。お前がここで手を抜くと、バルドの位置からして次は鉱土の国が崩れることにもなりかねんぞ」
「鉱土法王が指揮を執ってくださるならば、これほど心強いこともございませんわ」
 あの女め。またまたしらじらしい言葉を口にのせやがって。心がこもってないのは鉄面皮みたいな表情から丸わかりだっての。
「鉱兄さん、ここは僕もサポートするから、ね?」
 風に小突かれて俺様は嫌々周方の国の国王代理を見上げる。
 翠の瞳が当然為すべきことを為しなさいませ、と冷たく訴えかけてくる。
「わかったよ。やりゃあいいんだろ、やりゃあ。バルドでもターン鉱山でも何でも行ってやるよ。それでいいんだろ?」
 投げやりにため息をついてやると、周方の国の国王代理は社交辞令も真っ青の微笑を浮かべた。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたしますわね」




「うおぉぉぉ、俺様はよろしくお願いされたくねぇ!!」
 予想外に面倒なことになっちまった会議が終わって四楔王たちも四将軍たちも禦霊も退席した後で、俺様は椅子の上で思い切り頭のてっぺんから足のつま先まで体を伸ばしてやった。
「聞こえますよ」
 隣で風が苦笑してるが、構うもんか。あの女が出て行った扉ならとっくに閉められている。親父と兄弟水入らずになったんだから、これぐらいぼやいたって罰は当たらないだろう。
「父上、あの黒い粉の正体、本当は分かっていらっしゃるのでしょう?」
「育、言ってしまったら鉱のためにならないだろう?」
 統仲王め、余裕かまして笑ってやがる。
「鉱も不勉強だな。お前の配下の物なのに、火で爆発する物質も知らないのか」
「なにそれ。うちの山全部火をつければ原因が分かるって?」
「そう極端に斜に構えるな。そんなことをしたら神界が吹き飛んでしまう」
「今さりげなく恐ろしいこと口にしたな? 親父、お袋から何か連絡ないのかよ。こういう時のために行ってるんじゃねぇの?」
「ないなぁ」
 お袋のことを尋ねると、統仲王は聖に遠慮するのか途端に口数が少なくなる。親父だけじゃねぇ。兄弟全員だ。
「はぐらかすなよな。そもそもお袋、闇獄界なんかに一人で行って無事なんだろうな?」
「多分」
「多分って、親父、あんた自分の妻をなんだと……」
「鉱、油断するな。おそらくバルドはとんでもないことになっている。闇獄界の一部になっているようなものかもしれない。軍備は手を抜くな。それからサヨリ嬢のことだが、……嫁にどうだ?」
「は? 何言ってやがる。冗談だろ。あんなオスかメスかも分からねぇような奴、頼まれたって口説くかよ」
「そうかそうか。それは楽しみだ」
 全然楽しみじゃねぇよ。楽しみなのは自分だけだろ。
 ったくよー。兄貴も姉貴も結婚なんてしてねぇってのに、なんで俺様にそんな話ふるかな。妻に逃げられて孫の顔でも見たくなったか? そんなジジィの道楽に付き合ってやる謂れはないぜ。俺様は平たく広く、どの女性にも同等の愛を注いで生きるんだ。
「ねぇねぇ、さっきの黒い粉が残ってるんだけど、火をつけてみてもいい?」
 好奇心旺盛な聖はどこから持ってきたのか燭台の蝋燭を一本引きぬいて手に持って、じ~っとテーブルの上に残った黒い粉を見つめていた。
「やめろ、聖!」
 慌てて龍兄貴が聖の手の蝋燭の火を吹き消す。
「あー、火消えちゃった。龍兄のバカぁ」
 ぐずりだす聖の手から問答無用で蝋燭を抜き取ると、龍兄貴は後ろにあった燭台に差し直す。
「お前はさっきの話を聞いていなかったのか? 火をつけたら危険なものなんだぞ」
「じっさいに見てみないとどれくらい危険か分からないもん」
「だから不用意にやっていいものではないんだ」
 龍兄貴め、すっかり父親やってやがるぜ。なんか笑える。
 笑いを堪えていたのは俺様だけではなかったみたいで、風も炎姉貴もくっくっくっくっと笑い声を噛み殺している。
「よし、聖。じゃあ一つやってみるか」
 とんでもないことを言い出したのは親父だった。
「おいおい、いくら末娘が可愛いからって天宮一つ吹き飛ばす気かよ」
「誰が天宮に損害が出るようなやり方をすると言った。風、お前の結界で爆発の衝撃を和らげろ」
「はーい」
「炎、火は軽く近づけるだけでいい」
「了っ解」
 黒い粉を一つまみ指に掬い取ると、風は大きめに作った球体状の結界の中にそれを封じ込めた。炎姉貴がその中にそっと火花を落とす。
 バンッという音とともに白と赤の光が爆ぜて網膜を灼く。風の結界に覆われていたはずなのにどんっと全身に何か重いものがぶつかるような衝撃が走り、俺様たちはみな尻もちをついた。
 割れた風の結界の中からは白い煙が立ち上り、鼻につく焦げついた臭いが辺りに充満していた。
「何事ですか!」
 飛んできた衛兵が扉を開けて茫然としている。
 部屋の中のテーブルや椅子はひっくり返り、俺様たちも茫然と中を見上げている状態だった。
「な……んですか、この臭い」
 続いてやってきたジリアス立ち四将軍も茫然としながら鼻と口元を押さえる。
「うわぁぁぁぁん、龍兄、怖いよぉぉぉ」
 言い出しっぺの聖が一番に泣きはじめていた。
 泣きはしないまでも、俺様だってさすがにこの威力には慄きさえ感じる。
 小指の爪ほどもないたった一つまみだぞ?
 それが火と反応してこの爆発力だ。
 そりゃあ宿屋一軒、人の一人や二人の人生くらい簡単に終わらせてしまうだろう。
「闇獄界の新しい兵器だよ」
 立ち上がった統仲王が服についた煤を払いながらジリアスに応える。
「試しましたの?」
 驚いた声をあげているのは周方のあの女だ。
「なんて無茶を……」
 確かにこりゃ無茶な実験だ。
「すみません、みなさん。僕の結界が甘かったせいで驚かせてしまって」
 へらへらと笑いながら風が周りを宥めようとしているが、珍しく目が笑っていない。さっきの会議の話を聞いてたんなら、どんなに少量でも手を抜いた結界なんて作んねぇだろ。それなりに威力を推し量り、封じ込める勢いで結界を張ったはずだ。つまり、この黒い粉の威力は風ですら想像以上。
「おい、親父」
「なんだ、バカ息子」
「うちの山、やばくね?」
「そう言ってるだろ」
 おーいー。他人事か? 他人事なのか? 闇獄界もめんどくさい工作してないでうちの山に火を放てば一発で神界終わりじゃね?
「だからお前に預けてる」
「あん?」
「お前は兄弟中一番ちゃらんぽらんに見えるが、やる時はやる男だ。……と愛が言っていた
「お袋が?」
 お袋が俺様のことをそんな風に……。
「分かった。やってやろうじゃねぇの。俺様が周方もひっくるめてこの神界守ってやらぁ」
 統仲王がバカは乗せやすいといった目で見ているが、構うもんか。乗ってやろうじゃねぇか。
 闇獄界でも神界の反乱組織でもなんでもこいってんだ。
 その気になってうぉーっと胸を叩いたものの、目的のためには周方のあのメスゴリラのようなお姫さんと手を組まなきゃならないわけで。
「先ほどは心強いお言葉ありがとうございました」
 爆発騒ぎで部屋もダメになったところで、家族水入らずの会合も自然解散になったわけだが、扉口では俺様の気を重くさせる口うるさいメスゴリラ周方のお姫さんがいた。
「別にあんたのために言ったんじゃねぇよ」
「わたくしの? まさか。わたくしはそういう意味でお礼を申し上げたのではありませんわ。周方の国王代理として申し上げたまでです」
 可愛くねー。
「鉱土法王、時は一刻を争います。明日にでもお時間をいただけませんか。バルドの摘発についてご相談いたしとうございます」
 まあ、女だと思わなければとてもしっかりした周方国王代理と思えなくもない。うん。こいつは男だ。こいつは周方王の息子だ。ヴェルドの弟だ。
「明日ならまだ天宮にとどまっているからさっさと話をまとめちまおう。ヴェルドもいるんだろう?」
「ええ。今夜は天宮に泊まると申しておりましたから。あ、お兄様……!」
 ふと窓の外を見た周方国王代理は、ミラリスの泉の前にいたヴェルドを見て顔を輝かせ、扉を開けて外に飛び出して行ってしまった。
 風にふわふわと橙金色の長い髪が揺れる。きらきらと全身から光が溢れだす。
 眩しいほどの笑顔でヴェルドに飛びつくとたしなめられて押し返されるが、それでもまだ嬉しそうに笑っている。
 顔がほころんでいる。
 橙金色の髪が風に波打っている。
 ふわふわと。
「あれって……」
 昼間の令嬢?
 メスゴリラが?
 まさか。
 昼間のは俺様が一目惚れするほどの上玉だぞ? 可憐だぞ? 清楚だぞ? 昼下がりの幻と笑うなら笑えだぞ?
 止まり木を見つけたように小鳥たちが舞い降りてくる。
「綺麗でかわいらしい方ですね」
 いつの間にか横で風が窓の外を眺めている。
 俺様はなぜかよくわからないが風の両目を手で隠した。
「わっ、何するんです」
「見るな」
「見るなって、そんな無茶な」
 出来ることならヴェルドの目だって覆い隠してしまいたい。
 誰にもあの笑顔を見せたくない。
 ――あれ?
「鳥たちよ歌え 心の限り
 美しい囀りに わたしの心をのせて
 届けておくれ あの人の元に」
 歌が聞こえてきた。
 彼女が鳥たちとともに歌っていた。
「すてきなお歌だねぇ」
 ほんわかした面持ちで聖も窓の外を眺めている。と、聖は開きっぱなしの扉から中庭へと駆けだしていった。歌は一時的に中断され、鳥たちは聖にも羽ばたき寄り、今度は聖とともに歌い出す。
「僕も笛吹いてこようっと」
 俺様の手をすり抜けて風も駆け出していく。
 中庭には音楽が溢れだす。
「大した影響力だな。行かないのか?」
 のっそりと背後に立ったのは龍兄貴。
「なぁ、あの歌、流行り歌か何かか?」
「私にそれを聞くのか?」
「だよな。龍兄貴が知ってるわけないよな」
「分かっているなら聞くな」
「だよなー」
「……愛優妃だ。愛優妃が歌っていたことがある」
「え? なんで愛優妃の歌を彼女が?」
「現周方国王の妃アイラス殿は羅流伽の姫君だが、以前愛優妃の側仕えをしていたことがある。その時にでも聞きおぼえて娘にも歌って聞かせたんだろう」
「そうっ、か」
 聞けなくなったと思っていたお袋の歌がこんなとこで聞けるなんてな。
 お袋の歌。いや、今はもう、彼女の歌か。
 綺麗な旋律だ。終わってしまうのが惜しいくらい。
「惚れたか?」
 水を差すのはいつだって統仲王。
「惚れてねぇよ」
 惚れてなんか、いねぇよ。
 とっくに――惚れてたんだから。
 ん? 今なんか心の声が不穏なこと呟かなかったか?
 夜の晩餐会の彼女は、会議室で見せた可愛くないメスゴリラのまんまだった。
 やっぱ昼間の令嬢は俺様の目の錯覚だったのかもしれねぇ。













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