聖封神儀伝 2.砂 剣
第1章 真夏の異変
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 鉱土宮の鐘が鳴っている。
 もうすぐ鉱兄さまとサヨリさんの結婚式がはじまるよとみんなにおしらせしているのだ。だからいつもよりたくさん鐘が鳴っている。十二時を知らせる数よりもたくさん、たくさん、鉱兄さまたちを祝福する人々の数だけ鳴っている。
「聖、準備はできたか?」
「龍兄!」
 控え室に龍兄が現れるなり、聖は椅子から飛び降りて龍兄に飛びついた。
「こらこら、せっかくのドレスがしわになってしまうよ。これから二人の大切な結婚指輪を預かって先導をするんだから、しわしわの格好じゃ出られないだろう?」
「はぁい」
 ちぇっ、残念。
 叱られてためいきはんぶんに龍兄から降りる。
「身体の調子はどうだ?」
 龍兄は聖の前にしゃがみこむと、ちょっとうつむきがちにふくれらませていたほっぺたを片手でやさしくつぶす。それがちょっとくすぐったくて、聖はすぐに笑顔になった。
「げんき!」
 ぎゅうっと龍兄の首にぶら下がると、龍兄は困ったように笑いながら聖の腕を解こうとする。
「わかったわかった。いい子だから」
 はなれなさいと目で言われて、聖は仕方なく龍兄から一歩はなれた。
 どうも今日はただでは甘えさせてはくれないみたい。それもそうか。これから鉱兄さまと鉱兄さまのお嫁さんになるサヨリさんの結婚式がはじまるんだから。
 聖はその結婚式で、二人の結婚指輪を持って鉱兄さまたちを式が行われる大広間の祭壇の前まで案内する役目を仰せつかっている。
 歩いている途中で発作なんか起きたら結婚式が台無しになっちゃうから、本当はちょっときんちょうしてるんだけど、龍兄の顔を見たらなんだか安心してうきうきしてきちゃった。
 龍兄は腕ぐみをすると、上からしげしげと品定めするように聖のことを観察しはじめた。聖はうすピンク色のふわふわとしたドレスの裾を摘んでゆっくり一回転してみせる。このドレスはサヨリさんと色違いのおそろいのデザインなんだって。
「どう?」
「いいだろう」
「そうじゃなくて」
「かわいいよ」
 龍兄の目元がゆるむ。
 うん、その表情。その表情が見たかったの。
「龍兄ーっ」
「よしよし、それじゃあ行こうか」
 抱きつこうとした聖のおでこをさりげなく押しやって、龍兄はそそくさと部屋から出ようとする。
 もう、わかってないな。
「どうした? やっぱり具合悪いのか?」
 部屋の真ん中ですねていると、ようやく龍兄がふりかえる。
「ちがうもん」
 かすかなため息が聞こえて、龍兄が部屋に戻ってきた。
「まったく。甘えん坊だな、聖は」
 そう言って龍兄は聖のことを抱え上げて肩に乗せてくれた。
 ふふふとわらって聖は龍兄の頭に抱きつく。
「龍兄大好き」
 やっぱり近くにいるとふわっと龍兄のいいにおいがする。
 このにおい大好き。鼻から胸いっぱいに吸い込むと身体中がとっても幸せになるの。
「私も聖のことが大好きだよ」
「しってるよーっだ」
 龍兄は聖を肩に乗せたまま控室を出る。
「本当に?」
「本当にー」
「本当かなぁ?」
「本当だよ。あのね、でもね、聖の方が龍兄が聖のこと大好きより、もっと龍兄のこと大好きなの」
 龍兄はぷっと吹き出した。続けてくっくっくっくっと噛み殺したような笑い声がもれる。
「あー、信じてないでしょう?」
「信じてるよ」
「んーん、ぜったい龍兄信じてくれてない。自分の方が聖のこと大好きだと思ってるでしょ」
「思ってるよ」
 ためらいなく返された言葉が特別になるなんて、このときの聖はちっとも思っていなかったけど、それでも龍兄の思ってるよ、と聖の大好きだよはどこかちがうような気がして、聖は思わず黙り込んでしまった。
「どうした?」
 なんでだろう。どうして通じてないような気がしたのかな?
「龍兄は聖のトクベツだよ」
 思いついた言葉を言ってみるけど、これもなんか違うような気がする。
 大好き。トクベツ。
 どれも本当だけど、これだけじゃ足りない。
 だって統仲王も兄さま、姉さまたちも、聖のこと大好きだよ、トクベツだよって言ってくれるもの。
「聖も私の特別だよ」
「そうじゃないの。そうじゃなくて……」
 同じじゃいやなの。
 もっと特別。
 なんて言えばいいんだろう、この気持ち。
 鐘が式のはじまりをおしらせしている。もう少しではじまりますよーって。
「もうみんな集まってるかな」
「ああ、さっき大広間に入っていったよ」
「たくさん人来てる?」
「たくさんいすぎて暑いくらいだった。聖はきっと目を回すよ」
「えー、回さないよー」
「聖、二人を先導しているときは?」
「手は胸の高さ。目線は前方ななめ上」
「途中で具合悪くなったら?」
「ならないから大丈夫!」
「なったら?」
「……すぐに龍兄を呼ぶ」
「よろしい」
 頭をなでられていると、大広間の入り口が見えてきた。すでに扉は閉ざされ、新郎新婦の入場を待つばかりとなっている。その入口の前には瑞々しくあふれ出す噴水があった。鉱兄さまとサヨリさんが出会った天宮のミラリスの泉を模しているのだそうだ。
「きれいな泉だね」
「そうだな」
「ねぇ、龍兄、ケッコンって何?」
「……そうだなぁ」←まさか意味が分かっていなかったのか、と思ってる。
「そうだなばっかり」
「そうだなぁ」
「んもうっ。龍兄はケッコンしないの?」
「……」
「龍ー兄ーっ」
 頭をゆさゆさ揺さぶると、龍兄から「うーん」とうなる声がした。
 とぼけてるってことは、何かあるってことなのよね。
 たとえば……あのお墓のアヤメって人と何かあったとか。
 でもそんなこと聞かない。そうだって言われたら、どんな顔していいか分からないもの。
「お、聖! 龍兄貴!」
 大広間の扉の前では、すでに鉱兄さまが待っていた。
「鉱兄さま―!」
 聖は龍兄の肩から鉱兄さまの胸に飛び込む。
 鉱兄さまは両腕を広げて抱きしめてくれると、下におろしてわしゃわしゃと頭をなでてくれた。
「聖、今日は大役を引き受けてくれてありがとな。よろしく頼むぜ」
「うん、まかせておいて! 聖、一所懸命がんばるから。まっすぐ歩く練習もしたんだよ。ね、龍兄」
「ああ」
「龍兄貴、厳しくしなかったか?」
「ううん。とってもやさしかったよ。手とり足とり教えてくれたの」
「ほほう、手とり足とりとな」
「顔が崩れてるぞ」
「おっと、いけないいけない」
 鉱兄さまはいそいそと両手で顔をなでつける。
「ねぇ、鉱兄さま。ケッコンって、なぁに?」
 顔を整え直した鉱兄さまに、さっき龍兄にはぐらかされた質問をくりかえしてみる。
「結婚か? 結婚っていうのは、そうだな、家族になることだな。この先何があっても、お互いを思いやり、助け合い、支えあって生きていく、っていう約束のことだ」
「鉱兄さまとサヨリさんは家族になるの?」
「うむ、そういうことだな」
「それってトクベツ?」
 鉱兄さまはちょっと考えて、聖の前にしゃがみこんだ。
「トクベツって言葉だけじゃ言い表せないかな。愛……うん、愛だ。愛なんだよ」
「アイ?」
「そう。聖と俺様は生まれた時から血がつながった家族だろう? 血がつながってるってだけで、大切にしたいって思える関係だろう? 俺様と龍兄貴もそうだ。このかっこつけ兄貴めって思うことは多々あれど、それでも兄弟だから、家族だから、心のどこかで許しちゃうんだな。この野郎って思うことはあっても、いざとなれば天龍の国でも羅流伽でも助けにも行くし」
「なるほど、お前はいつも私のことをかっこつけのこの野郎と思っていたのか」
「言葉のあやだよ、龍兄貴。でも俺様とサヨリは血がつながっていない。血がつながってない全くの他人だけれども、大切にしたい、守りたい、一生一緒に暮らしたいって思ったんだ。サヨリもだよ。サヨリも俺様のことを大切にしたい、支えたい、一生を共にしたいって思ってくれたんだ。きっとこの先喧嘩もするだろうけど、今この胸にある想いを忘れなければきっと、すぐに仲直りしてお互い一生幸せに暮らせる。結婚っていうのはそういう日々の暮らしを積み重ねていくことなんじゃないかな」←俺様いいこと言ったって思ってる。
 一生幸せ。
 聖も龍兄といるととっても幸せ。
 でもそれって龍兄と血がつながった家族だからなのかな?
「鉱様……」
 気づくと聖の後ろには白いドレスを着てブーケを持ったとっても綺麗なお姉さんが、今にも泣き出しそうにうるんだ目で鉱兄さまを見つめていた。
「サヨリ……」
 花嫁を見上げた鉱兄さまは、しばしぽーっとサヨリさんに見とれる。
「綺麗だなぁ。みんなに見せるのがもったいないくらいだ」
「鉱様ったら」
「本当だよ。俺様が嘘は苦手なこと、サヨリはよく知ってるだろ?」
 鉱兄さまは立ち上がり、サヨリさんのこぼれかけた涙を拭ってあげる。
「今のお話、わたくしも鉱様と同じ気持ちです」
 鉱兄さまとサヨリさんはお互い見つめあい、ほがらかにほほえみあう。その様子はまさに二人で一つ、そんな感じだった。
「聖も龍兄のこと大好きだよ。大切にしたいって思うし、笑っていてほしいなって思うし、一生幸せにしたいって思うよ。きっと血がつながってなくてもそう思うよ」
「ほうほう。それじゃあ聖は将来龍兄貴のお嫁さんだな」
 鉱兄さまはサヨリさんの手をとって中に入る準備をしながら言った。
「龍兄の……お嫁さん……?」
 聖、サヨリさんみたいになれるかな。龍兄のことを一番に愛する強くて優しい女性になれるかな。
「こら、鉱。余計なことを教えるな」
「大丈夫大丈夫。お父さんのお嫁さんになりたーい、なんて言うのは小さいうちだけだから。年頃になれば哀しいくらい拒絶されるらしいぜ? 目も合わせてもらえないとか、近づくと避けられるとか。そうこうしてるうちにどこの馬の骨とも知れない奴にかっさらわれていくもんなんだよ。可愛がれるのも今のうちってな」
「どこの馬の骨とも知れない奴というのはまさにお前のことだな。周方王もさぞかし困惑なさったことだろう」
「いいんだよ。そんなのは昔のことさ。俺様たちは今、これから未来を見て歩いて行くんだ」
 鉱兄さまが胸を張ったのを見計らうようにして、鉱兄さまの守護獣の秀稟ちゃんが二つの指輪をリボンで留めた黄金色のリングクッションを持ってきた。
「聖様、こちらがお二人の結婚指輪です」
「うわぁ、きれい」
 真新しい大小二つの指輪が白金色にきらめいている。
「では聖、私と秀稟は先に中に入っているからね。打ち合わせ通り祭壇まで案内したら私のところにくるんだよ?」
「うん、聖頑張るね」
 龍兄と秀稟ちゃんは脇の入り口から静かに中に入っていく。
 扉の向こうから聞こえていたざわめきは止み、静けさが横たわる。
「聖様、よろしくお願いしますわね」
「はい!」
 サヨリさんに微笑みかけられて、聖はぴんっと背筋を伸ばした。肘を直角に曲げ、リングクッションを胸の高さで固定する。
 視線をななめうえに固定すると、大広間からは厳かなメロディが流れてきた。
「新郎新婦、入場です」
 北方将軍ジリアス・ルーリアンの奥さんのキャメロンさんの声がして、目の前の扉が左右に開かれた。
 足元には祭壇まで続く赤いじゅうたん。目の前には一斉にこちらに注目している人々の目。目。目。
 龍兄たちは最前列にいるはずだけど、ここからじゃ人が多すぎて見えないよ。
 ちょっと心細くなりかけたけど、聖は精一杯口もとに微笑を宿し、一歩目を踏み出した。
 ぐらりと揺れたのは一瞬。
 あとはバランスをとりながら、鉱兄さまとサヨリさんにとって大切な一歩一歩をゆっくり踏みしめて歩く。
 祭壇には祭祀を務めるジリアス・ルーリアンが優しい表情で新郎新婦の到着を待っている。両側からは絶え間なく「おめでとうございます」の声がかけられている。全て今日の主役に向けられた祝福の言葉。と思いきや、「聖様かわいい」なんていう声も聞こえてきて、聖は心持ち得意気に胸をそらしてしまった。
 真ん中あたりまで来ると、ようやく右側に龍兄たちの姿が見えてきた。龍兄はこんなにみんなが笑顔の場所なのに、一人しかめっ面ではらはらしたように聖を見ている。聖はそれがおかしくて、ちょっぴり笑い出しかけた声を慌てて引っ込めた。本当に心配性なんだから。
 それから統仲王、育兄さま、海姉さま、炎姉さま、麗兄さま、風兄さまが一列に並んで鉱兄さまたちを祝福している。
 左側にはサヨリさんのお父様である周方王、アイラス妃、お兄さんのヴェルド・アミルが拍手で二人を迎えている。
 それぞれの後列にはお仕事の部下の人たちなどゆかり深い人たちがずらりと並び、二人の晴れ姿を見守っている。
 すごいな。素敵だな。鉱兄さまとサヨリさんはこんなにたくさんの人と知り合って、こんなにたくさんの人に祝福されている。お誕生日でもないのに、誕生祭以上に盛り上がっている。国だけじゃない、今日は神界中がお祭り色一色だ。
 世界中が二人を祝福している。
 それってこれ以上ないくらいの幸せなんじゃないかな。
 相変わらず心配そうに見つめている龍兄と目が合う。
 大丈夫だよ。そんな気持ちを込めて聖は笑って見せる。
 その途端だった。
 きゅっと胸の真ん中が縮むような感じがした。
 いつもの発作の兆候だ。
 まずいな。今はだめだよ。治まって、お願い。
 思わず立ち止まってぎゅっと目をつぶる。
 会場中がどよめきはじめるのがだんだん遠くなっていく。
 だめだよ。いまはだめ。鉱兄さまとサヨリさんの二人の幸せに水を刺すようなことをしちゃだめ。
「聖様、ゆっくりと息を吐き出してくださいませ」
 ふと気づくと、サヨリさんが聖の前にひざまずき、聖の両手を握って真剣な顔で自分もゆっくり長く息を吐き出していた。
 聖もそれに合わせるようにゆっくりとお腹を意識して押し出す。吐き出す息が縮こまった胸の間を少しずつ広げていく。
「次はゆっくり鼻から息を吸い込みましょう」
 ふぅーっと鼻から息を吸い込むと、すとんと胸が楽になった。
「あ、治った」
「よかったですわ。あと少し、お願いできますか?」
「はい!」
 サヨリさんはにっこり笑うと、鉱兄さまが誇らしげに差し出した手に手を乗せた。途切れていた音楽が再開する。
 聖はまた一歩目を踏み出した。
 サヨリさんはすごいな。手を握って、ゆっくりと呼吸の仕方を案内してくれるだけで、いつもならそのまま気を失ってしまう発作を治めてしまった。
 両手にはまだサヨリさんの手の温もりが残っている。鼻腔にはほんわりとしたブーケの香りがくゆっている。
 いい匂い。
 聖は無事に残りの道のりを案内し終えて、リングクッションをジリアスに渡す。
「ありがとうございます」
 囁いてくれたジリアスに笑顔で応えて、右側の席で龍兄様が差し出してくれた両手の中に飛び込んだ。
「具合は?」
「大丈夫。サヨリさん、すごいね。一緒に呼吸しただけですぅーっと治まっちゃった」
「無理をさせたな」
「無理なんかじゃないよ。鉱兄さまとサヨリさんのお役に立てて、聖すごく嬉しいよ。ますます幸せになってほしいと思ったよ」
 龍兄はにっこり相好を崩して聖の頭を撫でる。
「きっと聖も幸せのご相伴に預かれるよ」
「ごしょうばん?」
「お裾分けのようなものだよ」
「それなら聖、龍兄と一緒にごしょうばんに預かりたいな」
「私はお前が笑っていてくれるならそれで充分幸せだよ」
「聖、今とっても幸せな気持ちだよ」
「そうみたいだな。私もだよ」
「ねぇ、龍兄。お嫁さんってすごいんだね。サヨリさん、鉱兄さまだけじゃなく聖のこともとっても思いやってくれたよ」
「そうだな」
「聖もお嫁さんになりたいな。サヨリさんみたいなお嫁さんになりたい」
「……お嫁さんなんて聖はまだ早いぞ」
「いやいやいや、龍、手放したくないのは分かるが、お嫁さんに憧れを抱いた時点で聖はもう立派な女の子だ。な、聖。それで聖は誰のお嫁さんになりたいんだい? ん? やっぱりパパかな?」
 割り込んできた統仲王は、これ見よがしに指名してくれと訴えてきたけれど、聖は心の中でごめんなさいをして首を振った。
「聖ね、龍兄のお嫁さんになりたい」
 みんなの視線が一斉に集まった気がした。一瞬静寂が降りて、凝縮された何かが爆発するようにたいそうな笑い声が大広間の天井高く響き渡る。
 統仲王はしょんぼりしていたけど、他はみんな笑っていた。特に炎姉さまなんてお腹を抱えて笑いはじめて風兄さまにたしなめられている。
「炎姉さん、笑いすぎだよ」
「そういう風だって目に涙が滲んでいるぞ」
「これは鉱兄さんの晴れ姿に感動して」
「いいっていいって。とうの鉱でさえこの時に爆笑してるじゃないか」
「統仲王も墓穴掘ったね」
 ぼそりと言って麗兄さままで笑いを噛み殺している。
「龍兄、聖のことお嫁さんにしてくれる?」
 何も言わずに明後日の方を向いている龍兄の裾を引っ張って、聖は聞いてみた。
 龍兄はちょっと間を置いて、ぽんっと聖の頭の上に手を載せた。
「大きくなったらな」
 大きくなったら龍兄のお嫁さんになる。
 それが、このとき聖がはじめて未来に描いた壮大な夢になった。
 その後、鉱兄さまとサヨリさんの結婚式はつつがなく進行され、二人は誓いの言葉を述べ、指輪を交換し、いざ誓いのキス、と進行されようとしたときだった。
「ちょっと待った」
 式の進行を止めたのは誰あろう鉱兄さま本人だった。
 台本にない台詞に大広間に妙な緊張が走る。
「俺様からサヨリに、もう一つ渡しておきたいものがある」
 サヨリさんと向かい合った鉱兄さまは、胸から黄金色に輝く魔法石を取り出し、なんと半分に割ってしまったのだ。
「割れた……」(聖)
「魔法石が」(炎)
「割れたね……」(風)
「あれ、割れるんだ……今度試してみようかな」(麗)
「あらまあ」(海)
「あんのバカ息子、なんてことを……!」
 統仲王なんて唖然としているのを通り越して今にも二人の間に割り入っていきそうになっている。
「お待ちください、父上。割れてしまったものは仕方ありません」
「じゃあ育、今後土の精霊王の力はどうするんだ」
「なんとかなりますよ」
「よくない! よくないぞ、龍。お前はそもそも聖をたぶらかしてよくない!」
「話がずれましたよ」
「うぉぉぉぉっ」
 今にも暴れだしそうな統仲王を育兄さまと龍兄が押さえつけている間に、鉱兄さまは何食わぬ顔で半分をサヨリさんに渡していた。
「俺様の魔法石ははじめから二つに分かれていたんだ。土の精霊王シャルゼスが宿った玄武。土の守護中秀凛が宿った砂剣。知ってのとおり、魔法石は法王の魂そのものだ。だからサヨリ、俺様の魂の半分を受け取ってくれ。それは秀凛の宿った砂剣。秀凛と意思が通じていれば、剣でも盾でも思い描いた形に変形することが出来る。秀凛の砂剣はきっと一生涯サヨリのことを守ってくれるだろう」
 サヨリさんはまじまじと掌の中で黄金色に輝く魔法石の片割れを見つめている。そしてまるで中に宿った意思と会話しているように頷いたかと思うと、サヨリさんは掌の中で鉱兄様の魔法石の片割れを剣の形に変じさせた。
「人が魔法石操ってるよ」
 茫然と風兄さまが呟く。
 周りが息を呑んで見守る中、サヨリさんは砂剣を一度胸に押し抱いたかと思うと刃を小指に押し当てた。こぼれ出した赤い血を砂剣は吸い取り金茶色に輝く。その剣を頭上に押し戴き、サヨリさんは鉱兄さまの前に跪く。
「鉱様。鉱様のことはこのサヨリが一身にかえていつも一番近くでお守りいたします。そのように秀凛にお願いいたしました。わたくしの幸せは貴方の幸せと共にございます。どうかお受け取りください」
「わかった。ではサヨリのことはこの俺様が一身にかえて守ろう。いつもお前が笑っていられるように」
 鉱兄さまは剣を受け取ると、明るい顔を上げたサヨリさんの手を引いて立ち上がらせ、そのまま頬にキスをした。
 突然のあまりに速い流れに場内は呆気に取られたけど、すぐに割れんばかりの拍手と歓声が鳴り響いた。
 そんな音が遠くに聞こえるほど、聖は息を詰めて二人に見惚れていた。
 どきどきと心臓の音が大きくなっていく。
「拍手しないのか?」
 龍兄に囁かれるまで自分が拍手をしていなかったことにも気づかなかったくらい。
「かっこいいね、鉱兄さま」
「……あれはやりすぎだ」
「ううん、かっこいいよ。きっとサヨリさんも惚れ直したね」
 祭壇の前ではまだサヨリさんがぼうっと鉱兄さまを見つめている。
 鉱兄さまはにやっと笑ってサヨリさんを抱き上げた。
「さ、次はブーケトスのお時間だぜ。俺様たちにあやかりたい女性の皆さんは全員中庭に集まりな!」
 もはや司会進行も何もうっちゃって、鉱兄さまは祭壇の前からサヨリさんを抱きかかえて大広間の出口へと向かって歩き出す。
「新郎新婦退場です」
 キャメロンさんが慌てて告げると、華やかな祝福の曲が奏でられはじめた。大きな拍手と歓声があとから続き、鉱兄さまは得意気に、我に返ったサヨリさんはにこやかに手を振る。
「お似合いの夫婦だね」
「そうだな」
「聖もあんな風になれるかな」
「……大きくなったらな」
「大きくなるよ。聖、今すぐにだって大きくなるよ!」
 大きくなるくらい、魔法を使えばかんたんだ。
「魔法なんてずるするのはなしだぞ」
「えっ、ず、ずるじゃないもん」
「ちゃんと時間をかけて大きくならなければ、サヨリさんのようにはなれないんだよ」
「時間を……かけるの?」
「そうだ。外見だけじゃない。中身も外見に伴って大きくならなければ意味がないんだよ」
 龍兄が慰めるように聖の頭を撫でる。
「でもそんなこと言ってたら、とってもとっても時間がかかっちゃうよ? 聖が成神する頃には、龍兄他の人と結婚しちゃうかも」
「しちゃだめなのか?」
「だめ。絶対だめ。龍兄のお嫁さんは聖一人だけなの。聖がきっと絶対龍兄のこと幸せにするの!」
「それは楽しみだ。早く大きくなれよ」
 蒼氷色の瞳が楽しげに揺れる。
 もう、本気にしてないって分かるんだからね。
「龍兄、大きくなったら聖のことお嫁さんにしてくれる?」
「いいよ」
「ほんとう? 約束だよ? 約束だからね?」
 小指を差し出すと、龍兄はくすくす笑いながら自分の小指を絡めてくれた。
「約束するよ」
 聖の細くて短い小指と、龍兄の太くて長い小指。
 いつになったら釣り合うようになるのかな。
 その頃になっても龍兄は聖との約束を覚えていてくれるかな。
「さ、炎姉さん、ブーケトスの時間ですよ。張り切って行ってらっしゃい」
「うるさい。言われなくても獲りに行くわ。待ってろよ」
 炎姉さまは袖まくりしそうな勢いで外に出て行く。
「海姉さま、ブーケトスって何?」
「花嫁が持っているブーケを投げて、それを受け取った人が次の花嫁になれると言われているのよ」
「次の、花嫁!」
 聖は炎姉さまの後を追いかけて外に出ようとするたくさんの人たちの間を駆け抜けた。
「あ、こら、聖! 待ちなさい!」
 待ってなんかいられない。
 サヨリさんの持っていた花束を受け取れれば、すぐにでも龍兄のお嫁さんになれる!
「聖、お前も早速獲りに来たか」
「うん、炎姉さまには負けないよ」
「何を言う。こういうのはな、本来は年の順って決まってんだ。聖は一番最後なんだぞ」
「ちがうもーん。ブーケをもらえればすぐにでも龍兄のお嫁さんになれるんだもーん」
「ふんっ、ちびっ子が何を言う」
「ちびっ子じゃないもん。すぐに大きくなるもん。なれるもん。ブーケさえもらえれば」
 鉱兄さまとサヨリさんの前で、炎姉さまと陣地争いをしていると、なぜか海姉さまも割り込んできた。
「え、海姉貴も結婚する気あるのかよ?」
「当たり前でしょう? よいお方に巡りあえますように」
「お祈りはするだけ無駄だろう……」
「いいえ、これは気合よ。さあ、いつでも来なさい!」
 海姉さままで気合入ってる……。
 うう、取れるかな。ううん、獲るんだ、絶対。あんまり龍兄のことお待たせするわけにもいかないもんね。
「さあ、それではお待ちかねのブーケトスです。皆さん、準備はよろしいですか?」
 ブーケを狙っているのは聖たちのほかにもたくさん。幾重にも輪が出来上がっていて、妙な雰囲気というか殺気というかを醸し出している。
 負けないぞ。
「では、新婦サヨリさん、どうぞ!」
 後ろを向いていたサヨリさんがぽんっと白い花束を投げ上げる。それは上空で綺麗な弧を描き、ぽすっと広げた聖の腕の中に納まった。
 くるっと振り返ったサヨリさんは小さく聖にウィンクして見せる。
「みなさん、見事ブーケを手にしたのは聖様です!」
 わぁっと庭中が歓声の渦に飲み込まれた。
「聖、いい子だからそれを寄越せ」
「い、いやだよ」
「聖、こういうのは年の順番というものがあってね……」
「あげないよ!」
 炎姉さまと海姉さまが伸ばしてきた手をかいくぐって、聖は一刻も早く龍兄にブーケを見せたくて人垣を掻き分けて龍兄のところまで走っていった。
「龍兄ーっ、もらったよーっ」
「聖はちゃっかりしてるな」
 苦笑しながら龍兄は聖のことを抱き上げて肩に乗せてくれた。
「これで次は龍兄と聖の結婚式だね」
「そうだな」
 龍兄は苦笑ばかりしていてさっぱり本気にしてくれていない。
 だけど、見ててね。
 いつか絶対、聖のこと振り向かせて見せるんだから。
 聖のこと、愛してるって言わせてみせるんだから。
「聖ー、ブーケ寄越せーっ」
 龍兄の肩の上で安心していたら、性懲りもなく炎姉さまが追いかけてきた。
「お待ちなさい、炎。私の方が先よ」
 海姉さままで目の色が変わっている。
 聖は龍兄の肩から飛び降りて、披露宴会場へと向かいはじめる人々の間を逃げはじめた。

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「炎姉さん……大人気ないからもうやめて……」(風)
「海まで一緒になって」(育)
「女ってなんで結婚て言葉が出ると目の色変わるの?」(麗)
「そういう生き物なんだろ」(龍)
「我々には」(育)
「理解不能な生き物だな」(鉱)
『全く』
「よし、メシだメシ。メシ行くぞー」(鉱)
「メシじゃないだろ。お前の披露宴だ、バカ息子」(統)











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