聖封神儀伝 2.砂 剣
第1章 真夏の異変
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海から上がって軽くシャワーを浴びて、サッカー部がやっているという練習試合を応援しに行ったのは午後二時を過ぎた一日のうちで最も暑い時間のことだった。
コートの相手陣側にようやく見つけた姿に「夏城君かっこいい」なんて見惚れていられたのはほんの数分足らずのことで、サッカーコートは蝙蝠の翼が生えた男の襲撃であっという間に文字通り戦場と化してしまった。
コート中に爆弾らしきものがばらまかれ、次から次へと赤い炎と土煙りをあげて爆発していく。コートの選手たちはみな逃げまどいながらもなんとか宿舎側に集まりはじめる。その中で、夏城君と三井君がたくさんの爆弾の餌食にされていた。おそらく三井君が即席で作ったのだろう金属でできたピラミッドの中に爆弾を封じ込めたものの、二人はそのピラミッドの中心に隠されてしまった。なんとか〈渡り〉か〈移転〉で二人をこちらに救出してこようと思ったんだけど、爆撃や何やらを防いでいてとても二人の方にまで魔法を使う余力はなかった。それでもあきらめきれず、早く、早くと急いていたら、いつの間に脱出したのか二人は観客席に戻ってきたのだ。
どうやって?
聞く暇はなかった。
三井君に彼女ができていたのもひとまず脇に置いておいて、驚愕だったのは洋海までこの海に来ていたことだ。
高等部のサッカー部の練習を見学しに行くなんて聞いてない。もしかしてさっき身を守るために結界を張っていた姿とか見られてたんだろうか。
まずいな。
でも確かめる勇気もない。
洋海はわたしへの説明も適当に済ませて、三井君の彼女さんを連れて宿舎の方に駆けて行ってしまった。
佳杜菜、って呼び捨てにしてたけど、洋海の彼女じゃないんだよね? 彼女の方は三井君に気があるみたいだったけど。
それはそうと、夏城君の提案で三井君を早々に人身御供に出したまではよかったんだけど、わたしたちもただ結界の中で三井君と不気味な蝙蝠男とのやり取りを見守っていたわけじゃない。
「ねぇ、あれ、ピラミッドの壁、ひびが入ってない?」
はじめに気づいたのは桔梗だった。
見ると中腹辺りから下にかけて、つるっとした銀色の壁に黒い線が見えていた。その線は絶え間なくどこかが赤くちかちかと瞬いている。
「抑え込まないと大変なことになるよね」(樹)
「抑え込むしかないのかしら。消すことはできないのかしら」
「だってあれ中身爆弾だろ? 消そうっていうなら桔梗の水ぶっかけるか、樒が空間ごと消滅させちまうくらいしかないんじゃないか?」
「確実なのは守景の方だろうけど」(河山)
みんなが一斉にわたしを見る。
「わかった。やるよ」
三井君の築いた金属ピラミッドは細身ながら見上げるほど高さがある。正直、やりきれるか自信はなかったけど、わたしがやるしかないんだ。
「守景だけに負担かけるわけにいかないだろ。最終的には守景に消してもらうとしても、労力は最小限に抑えてやった方がいい。藤坂が中の爆発を弱めるためにも雨でも降らせて、光が内部と周りの温度を下げてやれ。水蒸気が増えるのを防ぐんだ。その上で亀裂や解けたところを重点的に織笠の植物で補強、全体は河山の風の結界で覆いこむ」
「夏城、あたしは?」
「科野と俺は魔法じゃ役に立てないから周りを見回って新しい亀裂や解けたところが出てないかをチェックする」
「ちぇー」
「河山たちが動けない分、俺たちが足を使うんだよ」
「よし、それじゃとりあえず星の考えでやってみよう。あとはその場で臨機応変に対応する」
「あ、あの、私は……どうしたらいいかな。維斗呼んでこようか? ていうかあいつ、こんなことになってるのにいつまで知らんぷりしてるつもりかしら。電話しても通じないし」
織笠君がまとめようとしたところで、詩音さんがおずおずと手を挙げる。
「詩音は三井君のこと見ていてくれる? いざという時のために治癒役は安全圏にいた方がいいわ」
「そんな。みんなだけ危険なところに行かせて私だけここに残るなんて」
「治癒できる人が安全なところにいてくれれば僕たちも安心してあっちに専念できるよ」
織笠君に取りなされてしぶしぶ承知した詩音さんを残して、わたしたちは観覧席から林を回り込む形で蝙蝠男に姿を見られないようにしながら金属ピラミッドに近づいた。
「あちゃー。結構融けてるじゃん」
「中ですごい音がしてるわね。外にまで響いてきてる」
光くんと桔梗が耳を塞いでいる横で、わたしも軽く耳を押さえながらピラミッドを見上げた。
遠くで見た時よりも、だいぶ傷んでいるのが分かる。亀裂からは熱気と煙が噴き出しちろちろと赤い光が見え、亀裂の両側はべろりと溶けて流れ出している。全体的に熱された鉄が起こす反応と同じように朱色に染まりはじめている。金属ピラミッド自体が溶け落ちるのも時間の問題だ。
熱気と安全性を考えるとすぐ近くまで寄ることはできない。十メートル近く離れた所からわたしたちは金属ピラミッドを囲んで、それぞれやるべきことをしはじめた。
『水の精霊よ
逆巻く炎を鎮静せよ』
「〈降雨〉」
まずは桔梗がピラミッドの中の爆弾の消火に取り掛かる。続いて光くんが金属ピラミッド自体と内部の温度を冷ます呪文を唱える。
「〈冷却〉」
『大地の精霊よ
天まで昇る蔦の命を
芽吹かせよ』
「〈種起〉」
すかさず織笠君が大地から直径三メートルはありそうな巨大な蔦を三本芽生えさせ、あっという間に金属ピラミッドに絡みつかせてしまった。
「さ、次は河山、よろしく頼むよ」
織笠君に促されて河山君は一歩前に出る。その間に夏城君がさりげなくわたしを後方に押しやってくれる。
『風の精霊よ
逆巻きて熱きものを封じ込めよ』
「〈結界〉」
最後に河山君が風の結界で覆いこんでひとまず猛烈な熱波や音は遮られる。
「今のところ他にヤバそうなところはないぞー」
一周してきた葵が告げる。
大丈夫。何とかなる。
ふと三井君のいる方から爆発音が聞こえた。
「こじらせたな」
夏城君が呟く。
三井君は玄武を手に藺柳鐶の体術をかわしている。表情までは見えないけど、まだそう切羽詰まった感じはない。相手の出方を窺っている感じだ。
「守景、俺がサポートするからあれをこの空間から切り離せ」
夏城君が囁く。至極こっそりと。
耳朶に触れたと息がくすぐったいとか、直接鼓膜に触れる声がくすぐったいとか、そんなことは今は置いておいて。
「サポート? 切り離すだけでいいの?」
「ああ。十分だ。こっちの空間に爆発の影響が出なければいい」
それはそうだけど、何か企んでる?
夏城君は真摯に金属ピラミッドを見つめている。
わたしは呪文を唱える前に三井君が気になってまた後ろを振り返った。
と、三井君は走っていた。何かを叫びながら爆発が起こっている中を懸命に宿舎の方へ走っていく。その少し先には蝙蝠男が爆弾を落としながら悠々と宿舎の方に向かって飛んでいた。
いったいどうして宿舎の方に?
その答えは簡単だった。
「逃げろ、佳杜菜ちゃん! 洋海、早く!」
かすかに聞き取れた声は切羽詰まっていた。
観覧席で三井君の応援をしていたあの色白のかわいい子が狙われているのだ。連れて逃げている洋海も、このままじゃただでは済まない。
洋海。
「ごめん。すぐ戻るから。みんな、もう少し持ちこたえてて!」
わたしは夏城君の傍らから踵を返し、走りながら〈渡り〉を使った。
一回、二回。
三回目でようやく三井君に追いつく。
でもそこから見えたのは洋海たちに膨らみ迫る赤い丘陵だった。
丘陵が割れて赤い光が迸る。
「洋海!」
『連結されし時空よ しばしその戒めを解け
内包されし悪の実を 我らから遠ざけよ』
「〈時空断絶〉」
間に合って。
そう祈った瞬間だった。
胸にずきりと痛みが走った。
〈渡り〉を使って切れていた息が一瞬止まる。
恐る恐る息を吸い込むと胸に激痛が走る。少し胸を緩めるようにして吐き出しても全身がねじれるような痛みが走った。
どうして?
どうして、こんな。わたしはもう聖じゃないのに。聖のような弱い身体じゃないのに。生まれてから入院はおろか骨折だってしたことないのに。そりゃ風邪はひくけど、おたふく風邪とか水ぼうそうだってやったけど、こんな心臓を掴まれるような痛みを感じたことはなかった。
「守景! おい、守景!」
脂汗が垂れ落ちて目に入るけど拭う術はない。胸を押さえたまま、立っていられずに倒れ、転がる。
「ふっ……あ……っ……」
空気が、胸に入ってこない。口から先がブラックホールにでもなってしまったかのようだ。
「守景!」
三井君が呼びかけてくれてるけど、とてもじゃないけど返事なんてできない。
かすむ視界の中でせっかく張った時空断絶の結界が今にもはじけそうになっているのが見えた。
「あ……だ……め……」
何ができるわけでもないのに手を伸ばしたのは無意識だった。
苦しい。助けて。
誰か。
三井君がわたしを抱えて逃げはじめる。
ごめんね。〈渡り〉が使えたら早いのにね。
しっかりして、わたしの身体。
閉じかけた目にも鮮やかに刻まれるほど眩い一閃がひらめいた。三井君ごと吹き飛ばされて、続く爆発音と地響きが遠のく。
ごめん、みんな。もどれなくて、ごめん。
だいじょうぶ、かな。みんな。夏城君、だいじょうぶ、かな。
「守景! 聞こえるか、守景! 結界の上の方だけちょびっと解放してやれ。溜まったエネルギーを逃がしてやるんだ」
三井君が必死に叫んでいる。
そうだね。少しだけ。
すこしだけ――
ねぇ、聖が死ぬ時ってこんなに辛かったっけ? 痛かったっけ? 苦しかったっけ?
わたし、死ぬのかな。
しんじゃう、のかな。
やだな。
まだ、なにもしてない、よ。
なに……も。
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