聖封神儀伝 3.砂 剣
第1章 真夏の異変
 ◇

「状況を説明しよう。あいつの狙いは俺様だ。何の恨みを買ったかは知らないが、鉱土法王様名指しできてる。使うのは大小さまざまな時限爆弾。そのうちただの爆弾も降ってくるかもしれないが、周りの被害顧みないあたりとっても厄介だ。キヒヒと笑うところからも普通じゃないとわかるが、喋り声も音声変えてるのか微妙に割れたような変な声をしてやがる。とにかく気味の悪い奴だ。気をつけろ」
「というわけで、徹を差し出してこの場は納めてもらおうと思うがどうだろう」
「しょ、星っ?」
『賛成』
「み、みんな?」
「ってわけで、行って来い」
 星に背中を押されて、俺様はたたらを踏んで前につんのめる。
 前方では鉄製ピラミッドの上にいた影が、悪魔のような翼を広げてこちらに向かって飛んでくる。と同時にコートに黒い玉をばらまいている。黒い玉はころころころと転がっていとも簡単に爆発した。爆音とともにコートの芝生を削り、土を巻きあげ、もうもうと灰色い煙をあげて爆発を繰り返しながらそれらはどんどん近づいてくる。蝙蝠男はその煙にまかれることなく真っ直ぐに俺様を目指してくる。
「〈結界〉」
 後ろで守景が叫ぶ声がして、爆弾の絨毯は結界の中に封じ込められる。
「ククク、結界の強サとワタシのかワイい子供タチとドっチが優秀カナ」
 蝙蝠男は余裕をかまして俺様の前に降りてくる。バサァっとわざとらしく羽ばたかれた翼の風圧で、俺様はちょっとよろめく。
「ヤぁ、鉱土法王。ずいブン小さクなったネ」
「やかましい」
 鉱の時の身長が百八十ちょいだから、今は五センチ近く小さいことにはなるが、ええい、やかましい。
「身長モだケド、体格ダヨ。ずイぶん貧相な体ツキにナったジャなイカ」
「そっちか。じゃなくて、日本人なんだからこれが普通なんだよ!」
「貧弱ナ民族ダナ」
「それを言うならお前の方がよっぽど貧弱じゃないか! 骨ガラマッドサイエンティスト!」
 目の前にいる奴は、喋り方もおかしければ見た目もかなりヤバかった。伸ばし放題伸ばされたばさぼさの白髪、目が見えないほど油脂で曇った眼鏡、科学者然とした白衣は火薬や煤やらでうすぎたなく汚れ、何年洗っていないんだろうというくらい皺やシミに満ちていた。探せばポケットの中でカビの一つくらい育っているかもしれない。だぶだぶのグレーのズボンはベルトを締めているにもかかわらず今にもずり落ちそうな危うさがあって、白衣の中のインナーシャツはこの暑いのに黒のタートルネックだった。体格は貧弱脆弱、よくいえば華奢。頬骨もこけて顎も出張って不精髭まで生えている。一番ヤバいのがどう見ても背負っているんじゃなく背中から生えた蝙蝠の翼だ。もはや人型すら超越している。
 うう、近づきたくねぇ。
 こんな奴、絶対俺様の知り合いにいねぇよ。
「ウフフ、オ褒めニあズかり嬉しいヨ。コノ身体はワタシの科学力の結晶ナノだよ。特にコノ翼ハ、爆弾を能動的ニばらマクためにトテモ良い働きをしてくれる」
 イカレテル。
 こいつまじやべぇよ。半端ねぇよ。
 マジ泣きしそうになって後ろを振り返ると、星たちはがっつり何種類もの属性で幾重にも覆われた結界の中から俺様たちの様子を窺っている。
「たーすーけーてー」
 もうね、こいつ生理的に無理。ほんとごめんなさい。もう無理です。
 受け入れてもらえなくても逃げるしかない。俺様の神経もうギリギリ。
「そうか、よかったね。いい翼が手に入って。それ、危険だからこっちで使わない方がいいよ。じゃ」
 ガタガタと関節の音を立てて手を上げると、俺様は一目散に星たちの方に逃げだした。
「まダ用は済んでイナイ」
 ドドドドド、と音を立てて俺の目の前が土煙だらけになる。振り返ると蝙蝠男が丸い手榴弾をお手玉しながら近づいてきていた。
「え、いやいやいやいや。御用って何かなぁ。僕でお役にたてるなら今すぐ言ってちょうだい」
「キヒヒ。話早イナ。玄武と砂剣、全部寄越セ」
「玄武と……砂剣……?」
 首を傾げた。
 砂剣?
「玄武ってのは、これのことだよな」
 刀身が湾曲した刀を一振りし、蝙蝠男に見せつけると同時に威嚇する。
「で、砂剣……て、なに?」
 蝙蝠男はお手玉していた手榴弾を全部手から零れ落とし、糸が切れた人形のように首を右に九十度に傾けた。
 手榴弾は蝙蝠男の足元で勢いよく爆発する。
「〈鉄壁〉」
 俺様は慌ててさっきと同じ鉄の壁を作るが、爆風の衝撃に後ろに吹っ飛ばされた。幸い体はどこも吹っ飛んでいない。が、痛い。土埃が目に入って涙が出る。きな臭さが辺りに充満して鼻を刺す。
 てかあいつ、自分で持ってきた爆弾にやられたんじゃ?
 うっすら目を開くと、巻き上がる土埃の向こうにゆらゆらと立っている蝙蝠男の影が見えた。
「うっそぉ」
 あの爆発足元で食らって、どうして普通に立っていられるわけ?
「自ラノ作った爆弾程度デハ、このワタシの身体ハ壊レなイ」
 ゴキブリとフュージョンでもシマシタカ?
 俺様はとりあえず玄武を杖に立ちあがるが、どう考えてもこの勝負、生きて切り抜けられる気がしない。
「ヲ前、砂剣のコト、覚えテナい」
「うん」
 蝙蝠男はもう一度首を傾げ、つられて俺も同じ方向に首を傾げた。
「マさカ、と思ウガ、ワタシのコトも覚エテイなイ?」
「はい。どちらさまで?」
 蝙蝠男はしばらく俺を無感動な表情で見つめた後、深ーく溜息をついた。それはもう、地球の裏側まで届いちまうんじゃないかと思うほど。
「ワタシの名前ハ、藺柳鐶(リン・リュウカン)。第三次神闇戦争デ、鉱土法王、ヲ前に殺サれタ」
「はぁ、幽霊様でございましたか」
「ワタシは死んデハいナイ。生キテいル。生きテ、ズットヲ前に復讐スル日を待っテイタ」
 第三次神闇戦争で殺されて、生きてずっと復讐する機会を狙っていた? こいつ、何歳だよ。神界人の寿命で考えてもとっくに死んで十回くらいは転生してるんじゃないか?
 となると考えられるのは――
「ワタシは闇獄十二獄主が一人〈怨恨〉ノ藺柳鐶」
 やっぱり来た。闇獄十二獄主。
 第三次神闇戦争辺りからちらりほらりと将軍気取って現れはじめた奴らだ。今生でも今年に入ってから光が〈欺瞞〉のエルメノ・ガルシェヴィチを倒している。
 闇獄界め。今年に入ってからやけにお盛んじゃねぇか。闇獄十二獄主出撃キャンペーンでもやってるんだろうか。
 にしても〈欺瞞〉のお次は〈怨恨〉たぁ、人間の負のエネルギーってのは多種多彩っていうか、尽きるところを知らないっていうか。他に何があんだろうな。十二獄主っていうからには、こいつ除いてあと十人はいるってことか? うーん、これちまちま出てくるの待って倒してたら、結構時間かかりそうだよな。いつ出てくるか分からないし。受験中にでも出てこられたら迷惑以外の何物でもないぞ。
「ねぇねぇ、闇獄十二獄主ってあと何人いるの?」
「……ワタシも含めテあと九人だ」
「ん? 九人? 含めて九人?」
 予想より二人少ないぞ?
 もしかして前世のうちに倒しちゃってたってことか?
 まあいいや。あとで工藤の奴にでも聞いてみよう。
「話ヲ戻してもイイカ?」
「あ、ああ」
 こいつ、意外と律儀だな。俺様の質問にも普通に答えてくれたし。
「ヲ前の魔法石ヲ破壊シタい。砂剣も出セ」
「えーっと、魔法石を破壊したいと言われてはいそうですか、とお渡しするわけには……魔法石を破壊すると藺ちゃんには何かメリットでも?」
「藺チャンと呼ブナ。魔法石ハ法王の魂。精霊王ノ魂を縛ルもの。魔法石を持ツ者に敗レルと、ワタシタチ闇獄主は消滅スル。ワタシ消滅したくナイ。ヲ前消えロ」
「法王は魔法石での攻撃によって闇獄主を消滅させることができて? 闇獄主は魔法石を破壊することで法王の魂を消滅させることができる、と?」
「ソウダ」
 ははぁ。光はそういうからくりで狙われたってわけか。それも話を聞くには全く無関係の奴でもなかったらしいじゃないか。光なんか自分の影みたいなもんだったらしいし?
 俺様の場合は鉱土法王に一度殺された男、か。
 ま、残念なことに覚えてないんだけどね。
 こいつの印象が薄かったとかじゃなくって、鉱の奴の記憶は第三次神闇戦争の頃のはもうほとんど残っていないから。周方の戦いで妻のサヨリを殺され、娘のメルーチェを闇獄界に連れ去られてから、すっかり腑抜けた抜け殻のようになっちまったんだ。長すぎる日々の記憶なんて毒にしかならない。多分、国のことも神界のことも息子の錬に任せて死ぬまで何もしてなかったんだ。神生の最期になった第三次神闇戦争なんて、早々に麗兄貴と炎姉貴が死んだって聞いて、俺様もようやく死ねるかもしれないと喜び勇んで出陣したのは覚えているが……戦地で何をしていたのかは、とんと思い出せない。
 藺柳鐶。こんなきしょい奴だったら記憶の隅に引っ掛かっていてもいいはずだが、まぁ、誰でもどうでもよかったんだろうな。当時の俺様。
 一度俺様に殺されたって言ってるからには、こいつはその時にはまだ闇獄主じゃなかったってことか。俺様への怨恨で闇獄主になった、と。
 そこまでしてきてくれたのに覚えてないなんて、なんだか申し訳ない限りだよなぁ。
「藺ちゃん、とりあえずお答えすると、砂剣のこと、俺様本当に何も覚えてないんだ」
「砂剣のコトを覚えてイナい。それは、ヲ前は妻のコトも忘レたといウコトか?」
「妻? サヨリのこと?」
「そウダ。砂剣はヲ前が妻ヲ守るタメに婚礼ノ時ニ妻ニ捧げた魔法石の欠片ダ。ソシテ妻はヲ前を守るタメにその欠片に自ラの血を封ジ、ヲ前に持たセタ」
「え、そうなの? 藺ちゃんよく知ってるな」
 調べたにしてもなんかちょっと詳しすぎない? まるで見てたみたいじゃないか。
「ナゼ、ヲ前はソれヲ持ってイナイ?」
「えー、何でかな。ちょっと思い出せないんだけど。砂剣って藺ちゃん倒したときにも使ってた?」
「ソレハ知らなイ」
「えー」
 即答されちゃったよ。自分殺した獲物なら覚えていそうなもんだけど。ん? 覚えていないじゃなくて、知らない? ずいぶん他人行儀な。
「とりあえず回答の続きだけど、砂剣のことは知らないし、玄武(こいつ)も渡す気はない。だって、渡したら俺様無抵抗のまま死んじゃうんでしょ?」
「死ぬんジャナい。消えルんだ、コの世から。魂が消滅シタら転生もデキない。無ニ還るノダ」
 無に還る。
 その言葉に俺様は今までにない言い知れない衝撃を受けていた。だってそうだろ? 転生があると知っていれば、なんていうか、いろいろ恐くないじゃないか。でも、転生がない。未来がない。俺様自身が消えてしまう。それって、考えてみたらとっても恐怖だ。
 続くはずの未来がぷっつりと途切れるのだ。
「それはますます渡すわけにはいかないな」
 光の奴、一人でこんな恐怖と闘ってたのかよ。
「ジャア、ワタシに消エロと?」
 自分から話振ってきた割に、ずいぶん都合のいい奴だな。
「お互い消えずに何とかやってく方法はないわけ? そもそも今まで共存できて来たわけじゃん? お互いに目を瞑るってことでどう? 干渉しない、害をなさないって条件で。何も今すぐどっちが消えるかとか決めなくてもいいと思うんだよね。何か急ぐ理由でもあるの?」
「変わラナイナ」
「え?」
「ヲ前は何も変わってイナイ。急ぐ理由ナラある。ワタシ、人界の征服ニナンテ興味ナイ。デモ闇獄主の器トシテ、モウ限界。魔法石破壊シ、本当ノ永遠ヲ手に入レる。ワタシ、生き延ビル」
 ごうっと音を立てて藺ちゃんの身体から真っ黒い獄炎が噴き出した。エルメノ・ガルシェヴィチもリセ・サラスティックも確か同じような状態だったな。身体(うつわ)に抑え込めず、獄炎が溢れだしている状態。まるで果実が熟れすぎて腐り落ちかけているかのようだ。
 闇獄主は獄炎の性質に見合った負の感情のキャパシティが獄炎を平らげられるほど大きい奴だけがなれるんだとか。でも、時とともに獄炎に精神を侵食され、身体を侵食され、ボロボロの状態で魔法石を破壊しに来る。それはひとえに生き残りたいから。
 法王の魂を封じた魔法石を破壊すれば本当の永遠が手に入るってことは、魔法石と獄炎ってのは対極にありながら見えない糸か紐かなんかで結ばれながらバランスとってて、どっちかの重りを破壊すれば片方が浮き上がれる、すなわち生き残れるってことか。
 魔法石では特に副作用感じたことはなかったんだけど、獄炎ってのは相当やばい代物なんだろう。
 そこまでして欲しいもんかね、永遠の命なんて。
「交渉決裂ダナ」
「そうだな」
 俺様が答えた瞬間、藺ちゃんは獄炎を身にまとったまま一回転して俺様に回し蹴りを繰り出してきた。
「華奢な体してんのにアクロバティックな動きできるじゃん」
 俺様は難なくかわし、さらに繰り出されるパンチも玄武の柄や自分の腕で受け止める。
 何度か応酬が繰り返されて、不意に藺ちゃんが俺様から一歩退いた。
「キヒヒ」
 笑い声が起爆スイッチだったらしい。
 いつの間にか張るホッカイロよろしく俺様の腕と腹に張られていた黒いお札のような紙が、ボンっと音を立てて爆発した。
「ぐっは」
 吹き飛びはしなかったが、ちょっとこれは結構きつい。
「〈治癒〉」
「まだ殺シはしなイヨ。砂剣の在り処を思い出してモラワなきゃならナイから」
「藺ちゃんとこんなことしてたって、思いだせる自信全然ないんだけど」
「ソウカ。ソレもソウだな。じゃア、こウシよう。砂剣はヲ前の妻ノ守り刀。ヲ前の妻ノ命を賭けテモラオウ」
「……俺様、まだ結婚していませんが?」
「イルダロウ? ヲ前の前世の妻ガ、アソこに」
 にやりと口に凶悪な笑みを浮かべて、蝙蝠男は俺様の返事も待たずに飛び立った。
 佳杜菜ちゃん!!
「洋海! 逃げろ! 佳杜菜ちゃん連れて早く逃げろ!!」
 蝙蝠男はご丁寧に滑空しながら爆弾をばらまいていく。
 気づけば俺様を人身御供に出して結界の中で高みの見物を決め込んでいた星や藤坂たちの姿がない。どこに行ったのかと見回すと、星も守景も藤坂も他の奴らも、俺様の築いた鉄製ピラミッドを結界で補強するのに夢中だった。それもそのはず、俺様の鉄製ピラミッドは縦にびしりと太い亀裂が頂点まで駆け抜け、隙間から今だ爆発を繰り返す赤い光がちらちらと見えていた。
 ちっ、こんな時に佳杜菜ちゃんたちの逃げた方向に誰もいないなんて。
 俺様は全力で走りだす。こんな時星くらい足が早かったら、とか、星みたいに瞬間移動が使えたら、とか余計なことが思い浮かぶ。
 だが、ばらまかれた爆弾の爆発のせいで、なかなか思うように前には進まない。
 くっそ。くっそ。くっそ、くっそ。
 俺様はまた失うのか? 大事な人を。
 また彼女を守れないのか?
 また俺様のせいで彼女を失うのか?
「嫌だ。それだけは、嫌だ!」
 もう二度とあんな思いはしたくないんだ。
 もう二度と。
『大地の精霊よ 目覚めよ
 汝らが上に植え付けられし害悪の塊を屠れ』
「〈地割〉」
 土に玄武を突き刺すと、地響きとともにそこから大地が二つに割れた。大地の揺れで蝙蝠男が落としていった爆弾がころころと大地の割れ目に呑みこまれていく。
 さらに。
『鉱物に宿りし精霊たちよ
 寄り集まりて身を固めよ
 我らに害なす不浄の物を
 その懐深くに覆い込め』
「〈鉄壁〉」
 今まさに佳杜菜ちゃんの腕を掴もうとする藺柳鐶を鉄製ピラミッドの中に閉じ込める。重力で大地に落ちた鉄製ピラミッドをそのまま大地の割れ目の中に呑みこませる。
『分かたれし大地よ 和合せよ』
 爆弾はまだいくつか残っていたが、藺柳鐶が爆弾で鉄製ピラミッドを破って出てくる前に地の中に封じ込めてやる。
 開いた時と同じように地響きを立てて大地の割れ目は和合する。藺柳鐶を閉じ込めた鉄製ピラミッドは目論見通り大地の中に封じこめられた。
 だが。
 ほっとした次の瞬間だった。
 治まったはずの地鳴りと揺れがさっきの比ではないくらいの烈しさで再び始まったのだ。
「冗談だろ」
 言いながらも俺様は走る。
 その足元も含め前方の大地が丸く大きな丘陵を描いた。
 膨らんでいく。その中心から端にかけていくつもの地割れができる。地割れは熱に溶かされて赤い光を放つ。
「洋海!」
 茫然とする俺様の耳朶を打ったのは、さっきまで鉄製ピラミッドの修復に行っていたはずの守景の声だった。
 赤い丘陵は極限まで膨れ上がり、黒い炎の舌が割れ目からちろちろとのぞく。
『連結されし時空よ しばしその戒めを解け
 内包されし悪の実を 我らから遠ざけよ』
「〈時空断絶〉」
 守景は横で叫んでいた。
 膨れ上がった赤い丘陵に隠されて、佳杜菜ちゃんの姿も洋海の姿も見えない。それでも守景は必死に守ろうとしていた。
 守景の張った時空断絶の結界の中で巨大な爆発が起こった。音はしない。だが、確かに透明なドームの外壁に赤くなった土の塊や石や鉄の塊やなんかが一斉にぶつかり、続いて赤い炎の群れでその中は一杯になった。
 隣で守景はぜーぜーと息をついていた。身体を丸めて両膝を掴み、苦しそうに空気を吸いこんでいる。その額からは次から次へと汗が零れおちていた。
「守景! おい、守景!」
 〈渡り〉の上に〈時空断絶〉なんてやらかすから身体に相当負担がかかったんだろう。
「ふっ……あ……っ……」
 何とか息を整えようとしていた守景だったが、不意に胸を掴んで横にごろんと倒れた。
「守景!」
 すぐ目の前では守景の張った結界の表面がピリピリと震えていた。漆黒の獄炎まで増えて膨らみがでかくなっているのは決して目の錯覚なんかじゃない。
 壊れる。
「あ……だ……め……」
 守景が片手を結界の方に伸ばす。
 逃げなきゃ。守景連れてここからできるだけ離れるんだ。
 佳杜菜ちゃんは?
 だって向こう側にはこのままじゃいけない。
 今は、守景を助けなきゃ。
 俺様は守景を抱き上げて一目散に脇の方へと走りはじめた。
 振り返るとぴしりと結界にガラスの割れ目のようなものができていた。
 やばい。
 しかし、それよりも先に視界の端に一閃の光条が刻まれ、俺様の体は海の方から横殴りに吹きつけてきた熱風に巻きこまれるようにして吹き飛ばされた。突然のことに守景のことも取り落としてしまっている。
 あの方向から爆発ってことは、鉄製ピラミッドが抑えきれずに爆発したのか。星たち生きてんだろうな。
 てか、俺様……万事休す。
 全身痛みで土に手をついた感触もないが、身体を起こして膨れ上がった目の前の結界を見上げる。
 いくら結界を張って空間を断絶したって、中の物を無にすることは守景にはできない。押しこめることしかできない。
「守景、聞こえるか、守景! 結界の上の方だけちょぴっと解放してやれ。溜まったエネルギーを逃がしてやるんだ」
 俺様の言葉が届いたのか、膨らんだ丘陵の頂点から赤い液状の塊が噴き出しはじめた。
 俺様は数メートル先に転がった守景のところまで這い寄り、土の防御壁で降ってくる溶岩らしき物の塊から身を守る。
 それはまさしく地獄のような光景だった。
 防御壁の中にいるとはいえ、いつまでも中にいたら蒸し焼きにされてしまいそうだ。
 もっと安全なところに逃げなければ。
 そう思っても、もう身体は動かない。
「父さん、苦戦してますね」
 と、上から降ってきたのは聞き覚えのあるようなないような青年の声だった。
「まあ、ここまできたらもうしょうがないけど」
『大地の精霊よ
 傷つきし者に慈愛の御手を差し伸べよ』
「〈治癒〉」
 俺様たちの体を包み込む防御壁からほわほわと温かいものが伝わってくる。身体の傷は細胞が活性化されて急速に修復され、力が抜けた四肢には徐々に力が漲ってくる。
 それは守景も同じだったが、一向に目を開ける気配がない。
 おかしいなとは思ったが、疲れているんだろうと防御壁の中に残して、俺様は外に出た。
 予想通り、外にはさらに結界が張られている。
 張っていたのは、オレンジ色がかったサヨリ譲りの金髪に鉱譲りの浅黒い肌を持つ彫の深いアラブ系美丈夫。年の頃は二十代は過ぎて三十代に足を突っ込んだあたりだろうか。白いコットンシャツに細身のジーンズといった格好はいかにも現代人だが……
「錬?」
 振り返った青年は懐かしい翠の瞳で俺様を見た。
「お久しぶりです、父さん」
 生きてるかもしれないとは漠然と考えてたけど、実際に会うことになろうとは人生ほんと何が起こるかわからない。何より俺様より年上の奴に父親呼ばわりされることになろうとは。それも今の俺様の見た目とは似ても似つかないし。そこはかとなく鉱の面影が残ってるってのも、なんか拷問だよなぁ。
「母さんのところにも結界は張っておきました」
「おう、サンキュ。……で、お前がここにいるってことは鉱土の国は?」
「はい、息子の鏡に任せていたんですが、あっさりそこのお方にとられました」
「とられたで済むかーっ。って、お前、でかくなった上に息子までできたんだな」
「何年経ってると思ってるんですか。ざっと一千年ですよ」
「一千……」
「私も今は孫ができるのが楽しみな隠居暮しのジジィです」
「その姿で言われてもな……」
「法王と人のあいの子が一体何歳まで生きられるのか。永遠の命が受け継がれているものなのか、それとも人と同じく三百年で尽きるものなのか。私はどうやら三十歳くらいで成神したみたいです。その頃から年をとらなくなってしまいました」
「そう、か」
 なんて言ったらよいやら。期せずして永遠の命は受け継いじまったわけだ。まあ、永遠って言っても殺しても死なないって意味じゃないことは俺様が実践済みだが。
「父さんが気負うことじゃありませんよ。こっちの世界で言う仙人みたいなもんです。それはそれで楽しいですよ」
「……お前、自分の国のっとられたのにずいぶん楽しそうだな」
「隠居して結構経ちますからね。そんなものでしょう。出来の悪い息子で苦労はしていますが」
 この達観ぶりからして仙人て表現はあながち間違っていないかもしれない。
「さて、お出ましです」
 錬が言うと、あらかた噴き出し終えた溶岩は今は頂点からあふれ出るだけになっている。その中から獄炎に包まれて藺柳鐶が黒い翼を広げ、現れた。
 まさに悪魔降臨だ。
 身体にはいくつもの裂傷が刻まれ、出血しているが、本人に痛みを感じているそぶりはない。無表情で俺様を見つめ、それから錬に視線を移してやや表情をしかめた。
「砂剣ノ在り処ハ思い出セタか?」
 激昂して一撃が飛んでくるかと構えたが、藺柳鐶は当初の目的を忘れてはいなかった。まるで意図的に思い出す猶予を与えていたかのようだ。
「ヒント! ヒントをくれ!」
 パンっと手を組んで拝むふりをする。
「ワタシは知らナイ。ソコの男なラ何か知っていルかもシレない」
 時間稼ぎといわれるかと思ったが、割と真摯に考えてくれているらしい。俺様は言われた通り練を振り返った。
「場所は知りませんよ。ただ、母さんが死ぬ直前までは父さんは砂剣を持っていたけど、母さんが死んだあと私は父さんが砂剣をふるっているところは見たことがありません。第三次神闇戦争ですらも玄武一本で戦っていました」
「……そもそも俺様、砂剣なんて持ってたっけ? 玄武だけじゃなかったか? 二刀流なんて高等なことやってたっけかな」
 さらに首を傾げていると、錬は呆れた目で俺様を見ていた。
「転生する時に記憶まで置き忘れて来たんですか?」
「忘れられるもんなら全部忘れて生まれてきとるわ」
 利き手に玄武を持って左手に違和感がないか確かめてみるが、特に何も感じない。
「あったっけかなぁ……あったっけかなぁ……」
「秀稟可哀相」
「秀稟?」
「……そういえば母さんが死んでから秀稟の姿も見えなくなりましたね。第三次神闇戦争になっても秀稟は行方知れずのままでした。父さんは探そうともしていませんでしたけど」
「うーん、誰?」
 この上なく冷たい息子の視線が俺に注がれる。気のせいか藺柳鐶も冷たい目で俺様を見ている。
「モウいい」
 待つのにくたびれたらしい藺柳鐶は、野球ボール大の黒い爆弾を二つ俺様と錬に投げつけると、くるりと身体を九十度回転して佳杜菜ちゃんがいる方向へと飛び去った。
 ついうっかりキャッチしてしまった偽野球ボールを、俺様は降りかぶって藺柳鐶の背中に投げつける。
「あ、ちょっと父さん、母さんに当たったらどうするんですか!」
「そんなにノーコンじゃねぇよ」
 偽野球ボールはまっすぐに藺柳鐶の二枚の翼の付け根を直撃して爆発する。衝撃に体勢を崩した藺柳鐶はそのまま下に落っこちる。
「貸せ」
 俺様はもう一球、よろめいて着地した藺柳鐶に投げつけてやる。ボールは見事に藺柳鐶の足元で爆発したが、藺柳鐶の膝が折れることはなかった。何事もなかったかのように佳杜菜ちゃんに向かって歩きはじめる。
「〈鉄壁〉」
 追いかけながら、足止めのために藺柳鐶の前にいくつもの鉄壁をそびえさせるが、藺柳鐶は意にも解さず手を当てただけで爆破して中を潜り抜けていく。
 佳杜菜ちゃんの前には洋海が庇うように立って藺柳鐶を睨みつけていた。その手には……あれ? 幻覚かな。西方将軍ヴェルド・アミルの愛剣〈白虎〉が握られている。
「佳杜菜は渡さない」
 俺様より彼氏らしい勇ましさで洋海は佳杜菜ちゃんを守っている。
 あれ、おかしいな。俺様の出番は? これから、だよね?
 藺柳鐶は黒い手袋をはめた手で洋海の白虎の剣先から柄までを流れるように撫でおろす。触れた所からは火花が飛び散り、最後の柄付近で小爆発を起こした。
「うわぁぁぁ」
 衝撃に洋海は後ろに弾き飛ばされる。
「くっそ」
 受け身をとってすぐに立ち上がった洋海は、佳杜菜ちゃんの前に出ようとしたが、よりによって佳杜菜ちゃんが右手を伸ばしてそれを止めた。
「もう、結構です。お怪我は大丈夫ですか?」
「だめだ、佳杜菜! 下がってろ!」
「後でちゃんと病院に行って消毒してもらってくださいね。化膿してしまいますから」
 藺柳鐶が目前に迫ってきているというのに、佳杜菜ちゃんは悠長に自分のハンカチで洋海の手の怪我の手当てをはじめる。
 羨ましい。
 じゃなくて。
「逃げろ佳杜菜ちゃん! そいつの狙いは佳杜菜ちゃんなんだ!」
「徹様、御無事でいらっしゃったんですね。心配なさらないでくださいまし。わたくし、ちょっと行ってまいります」
「へ? 行ってまいりますって」
 戸惑う俺様の前で、佳杜菜ちゃんは藺柳鐶の前に手を差し出した。まるで舞踏会にでも出かけるみたいだ。
 藺柳鐶は「キヒヒ」と笑ってその手を受け取り、引き寄せて飛び立った。
「あっ、ちょっと待て! 佳杜菜ちゃんを返せ!」
「一日時間をヤロう。明日正午、鉱土宮ノ大広間の鐘ガ鳴るマデダ」
「徹様、そういうわけで、鉱土宮でお待ち申しあげておりますわね~!」
 佳杜菜ちゃんはなぜか朗らかに空の上から俺様に手を振っている。
 俺様には何が何だか分からない。だってそうだろう。佳杜菜ちゃんの様子ときたら、まるで藺柳鐶と示し合わせたかのようじゃないか。
「……佳杜菜、順応力高すぎ」
 もう一人置いてけぼりを食っている洋海が一人ごちたのを、おそらく佳杜菜ちゃんは知らない。











←第1章(4)  聖封伝  管理人室  第1章(6)→