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 ☆ 18 December 2016
     「ハッピー・バースデイ・キース・ライブ Vol.24」
    Terra Nishiogi Tokyo


「Blues」     筌尾正
 
今年もキースの誕生日を祝うことができました。ハープを吹いてくれた山本君、久々にサティスファクションを歌ってくれた藤竹君、そしてライブに足を運んでくれた皆さんに感謝します。
今年、キースのソロライブは残念ながら夢となってしまいましたが、ストーンズから「Blue and Lonesome」というブルースアルバム届きました。生々しいキースのギターサウンドを聴くことができたので本当に安心しました。キースには体調に気を付けて、いつまでもギターを弾き続けてほしいと思います。今の願いはただそれだけです。おめでとう、キース!


 ☆ 18 December 2015
     「ハッピー・バースデイ・キース・ライブ Vol.23」
    Terra Nishiogi Tokyo


「感謝」     筌尾正
 
このイベントが23回も続いていることに驚いている。忘れていたが、たぶん今年はXRM結成25周年だからほんとに毎年やってきたようなもの。
これまでライブに足を運び、一緒にキースのバースデイを祝ってくれた皆さんに感謝します。そして、一緒にやってきたバンドのみんなにも大感謝。そして、なによりもキース・リチャーズ本人には大々々感謝します。これからも、我々に生きる喜びを与え続けてください。おめでとう、キース!


 ☆ 18 September 2015
  「Crosseyed Heart」

「キースは楽園に住んでいる」     筌尾正
 
8月の某日キースのニューアルバムの視聴会に参加して、15曲を聞き終えたときの感想が「キースは楽園に住んている」だった。こんな風に年をとって円熟みを増し、売れ線ではない本当に好きな音楽をリリースできるミュージシャンはほとんどいない。キースは幸せだなと思った。それから1カ月、アルバムがリリースされあらためて聴きこんでいくと、随所にキースからのメッセージを感じることができる。曲の構成、アクセントのつけ方からブルース、カントリー、ファンクなど聴くべき音楽の指標まで、まるで「どうだい、分かるよな」とキースから言われているような気がするのだ。「Trouble」や「Good night Irene」でのスカシ技は見事というほかない。聴いてる分には全く違和感がないところがさすがです。キース、すばらしいアルバムをありがとう。勉強させていただきます。


 ☆ 18 December 2014
     「ハッピー・バースデイ・キース・ライブ」
    Terra Nishiogi Tokyo


「集大成」     筌尾正
 
2012年のストーンズ50周年ライブからずっとお祭り気分が抜けずにいる中、キースとストーンズに感謝を込めて30曲を演奏しました。個人的には「Coming Down Again」が演奏できて感無量でした。またいつもストーンズナンバーに参加してくれるトム、ミキベ、山本慎也、池田祐司ほかストーンズファンクラブのみなさんありがとう。今回の後半15曲怒涛のストーンズナンバーはこれまでの集大成として記憶に残るものになりました。重ねてありがとう。来年はキースのソロアルバムがうわさされています。いいとしになますように!


 ☆ 29 October & 1 November 2014
  「ストーンズ・パース公演」

「満足!」     筌尾正
 
パースは行きたい街Best3にずっと入っていた。街はずれのB&Bに一週間泊まり、毎朝歩いて1分のところでブラックスワンの親子に挨拶し、郊外へ1時間も足を延ばせばイルカやペンギンと戯れることができる夢のような自然環境。ストーンズをこういう街で見られるなんて、これまで想像もしなかった。旅行者も地元の人も、もちろん世界からストーンズを見に来た人々もみんながリラックスしている。ストーンズの演奏にもそれが現れていて、見ていてほんとうに楽しかった。ストーンズのすべてを納得し、理解できたような気がした。ありがとうストーンズ!


 ☆ 10 June 2014
  「ストーンズ・ベルリン公演!!」

「最高!」     筌尾正
 
ストーンズのヨーロッパ公演のスケジュールの中にベルリンの文字を見て、どうしてもそこでストーンズが見たいと思いました。一生行かないかもしれないドイツに行けるチャンスをストーンズがくれたのに違いない。2週間の休みをとってドイツをくまなく回り、旅のハイライトはベルリン郊外の「ヴァルトビューネ」での野外ライブ。まだ明るいうちからストーンズが登場して、小さな会場の暖かい雰囲気がストーンズ側にも伝わって、最高のライブを見せてくれました。ほんとうにこのライブはこれまで見た70回ほどのライブでもベスト3に入るすばらしいものでした。「Waiting on a friend」とキースの「You got the silver」の演奏ははじめて生で聴き、心がふるえました。こんな感動をあたえてくれるストーンズには感謝してもしきれない。あと何回この幸せに遭遇できるのか。世界中がそう思っているにちがいない。あなたもそう思うでしょ?


 ☆ 21 March 2014
  「祝ストーンズ来日!総復習ライブ!!」
    Terra Nishiogi Tokyo

「ストーンズ最高!」     筌尾正
 
1990年、ストーンズの初来日を祝って新宿のサウンドハウスという店でストーンズ演奏曲を全曲演奏してから24年たち、さすがにこれが最後かもしれないという危機感から今回のライブを企画しました。皆さんのおかげで無事全26曲を演奏することができて本当にうれしく思います。ボーカルやハーモニカ、コーラスで参加してくれたみなさん、大声で歌い、声援してくれたみなさん、ほんとにありがとう。ストーンズを前から数列目で見た人も、2階席後方から見た人もみんな仲間であることが今回認識できてうれしかったです。ストーンズ、きっとまた来日してくれますね。そのときはまたみんなで全曲を歌いましょう。


 ☆ 6 March 2014

 「ストーンズ楽しかった!」     筌尾正
 
8年振りのストーンズ日本公演(2月26日、3月4日、3月6日)はハラハラドキドキ、最高に楽しかった。3回ともストーンズの違った面を見ることが出来たし、キースの頭の手術の後遺症、体調不良もステージをこなすごとに改善されていってうれしかった。もうキースにはステージにいてくれるだけでいい、そう思った。バリバリに元気なミックもキースが横にいなけりゃストーンズじゃないことはわかっているだろう。それにしてもS席で2階席後方というのには参ったけれど、キースの演奏はしっかりと目に焼きつけました。キースの左指が後遺症からか自由に動かずもどかしい様子が伝わってきてハラハラしたけれど、黄金の右手はまだまだ健在、 コードワークの切れはさすがでした。あの右手のストロークは何度見ても素晴らしい。ストーンズには過酷なワールド・ツアーはそろそろやめて、どこか特定の場所で定期的に演奏を続けてほしいと思う。世界中のファンが集まってくる、そういう場所を作ってほしい。ミック、お願いします!


 ☆ 18 December 2013
    「ハッピー・バースデイ・キース・ライブ」
    Terra Nishiogi Tokyo

 「ハローキース/古希の祭り」     筌尾正
 
キースの70歳の誕生日をキースを愛する仲間と祝うことができて本当に幸せに思う。ガキのころからストーンズが大好きだったけれど、本当にキースに心を奪われたのは17歳のときにだった。そのとき、自分の生き方が決まったのだと思っている。毎日毎日ギターばかり弾いて、いつかはキースに会うんだ!と心に思い続けた末、20年以上たって、キースに会えた日のことはいまでも忘れない。バルセロナのホテルでエレベーターから降りてきたキース(その後、ワイノーズのメンバーがぞくぞくと降りてきた)。ロビーには俺一人。いまでも心臓がどきどきする。その3年後のブードゥーラウンジのときにも奇跡的な形で会うことができた。本当にすべて奇跡としか思えない。キースに手渡しした自分の本が10年後にサイン付きで手元に送られてくるなんて誰が想像出来るだろう。キース、70歳おめでとう。これからも我々をもっともっと楽しませてください!


 ☆ 18 Jun 2013
    「山川健一 生誕祭60」
    吉祥寺 Black & Blue


    「思えば遠くまで来たものだ」  筌尾正
 
友人の山川健一が60歳になるのを祝って演奏しました。高校時代からの付き合いだから、もう何年になるだろう?THE RUDIE解散後、リタイアせずに、お互い別々のバンドではあるけれど今日までやってこれたことが、とてもうれしかった。いい仲間に恵まれて二人とも幸せものだと思う。言葉はほとんど交わさなかったけど、深い感慨に浸ることのできた一日でした。これからも俺たち、遠くまで行こうぜ!


 ☆ 31 May 2013
    「Rock Steady Night vol.2」
    Red Shoes


    「還暦」  筌尾正
 
4月で60歳になりました。自分がこんなジジイになったなんて信じられないけど、まだバンドをやれている幸せをひしひしと感じています。今回もスーパー・スナッズのグレッグにドラムを叩いてもらって、なんと10曲中8曲もオリジナルをやることができました。物忘れのひどいメンバーの中、あっという間に曲を憶えてしまったグレッグに感謝。彼のドラムは疾走感があって最高です。秋にはヘルプでスペイン・ツアーにも行くらしく、ほんと引っ張りだこだね。ライブは、ほんとに楽しめました。お客さんにも楽しさが伝わったならうれしいのだけど・・・。懐かしい「The End of Life」 や、ほとんどライブでやってない「Changing」や「Dance」など、ほんとに楽しかった。また、山川のRudie's Club Bandに加わりルーディ時代の曲を6曲演奏できたのも楽しく、皆さんのおかげと感謝してます。20年振りに一緒に演奏した仲間たち、そしてXRMのメンバーたち、本当にありがとう。


 ☆ 18 December 2012
    「キース・バースデイ・ライブvol.20」
    Terra Nishiogi Tokyo

 「ハッピー・バースデイ・キース」     筌尾正
 
今年もキースの誕生日を祝うパーティーを開くことができてほんとうにうれしい。集まってくれた皆さん、出演者のみなさん、ほんとうにありがとう。この18日の会はキースが生きている限り続けます。みなさんも生きている限り参加してくださいね。それにしても今回はいろいろな人に助けてもらった。まず、ドラムを叩いてくれたグレッグThank You。彼がいなければ今回の演奏は成り立たなかった。彼のバンドSuper Snazz、応援してるよ。そして、以前ヘルプでベースを弾いてくれたビル・ワイマン・フリークの多比良くんが15年ぶりくらいで連絡をくれて、彼のバンドThe Steel Wheelsも参加してくれた。いいバンドだね。彼らの演奏したSwayはいまでも頭の中で鳴っている。そして、山本くんのハープは最高だね。Not Fade Awayで違うキーのハープを吹き分けるブライアンを完全に再現してくれました。藤竹くんもよかったよ。2曲歌ってくれてありがとう。トムもお疲れ様。はじめてのボーカルで緊張してたね。リハと全然違う構成になったりして、驚いたかもしれないけど、これがストーンズ流だからね。決めごとなんてその場の状況でどんどん変わっちゃうのです。ストーンズファンクラブの池田さんも前日帰国で疲れてるのに駆けつけてくれてありがとう。シュリンプさんもサンキュー。ストーンズのコンサートのハイ状態が続く中、みんなでキースを祝うことができて本当にハッピーでした。


 ☆ 祝!ザ・ローリング・ストーンズ50周年

 「50周年記念ライヴ」    12/17 筌尾正
 
イギリスのロンドンと、アメリカのニュージャージーでローリング・ストーンズの50周年記念ライブをみてきた。これまで70回ちかく見てきたストーンズのライブの中でも、もっとも感動したライブでした。思えば10月に突然ライブのアナウンスがあって、インターネットでのチケット取りからはじまってすべてが目まぐるしく、ストーンズがパリでリハに入ったと聞けばワクワクし、キースは大丈夫だろうかとドキドキし、同じ地球上でストーンズと共に生きているという実感をひしひしと感じることができた。これまでの人生の中で本当にストーンズにはいくら感謝しても感謝しきれないものがある。なにがあってもこの50周年記念ライブには駆けつけなければならないのだ。ライブは本当に感動的だった。特に彼らの地元のロンドンでのショーは世界中から集まったストーンズ・ファミリーのプライベート・パーティーのようで最高だった。俺の隣にはスペインやフランスから来た夫婦がいたし、スタジアムに向かうバスでは14歳のときハイドパークでストーンズを見たという同じ世代の親父に会った。地元の男で、高いチケットは息子からのプレゼントだと言っていた。また、フランクフルトからロンドンへの飛行機には、はじめてストーンズを見るというブラジルから来た若者もいた。みんなが応援に駆けつける、そんな感じだった。ジェフ・ベックやクラプトンもお祝いに駆けつけてくれたのだと思うとうれしかった。ミックのコメントにもファンに感謝する言葉があふれ、こんなことはいままで1度もなかったことだった。ミックテイラーがストーンズで演奏する姿を見るのは40年前の幻の日本公演以来の夢だったし、いい親父になったビルワイマンの笑顔は彼がいまでもストーンズ・ファミリーの一員であることを物語っていた。そして、心配していたキース。以前のようではないけれど、やはり素晴らしい演奏をしてくれた。どんな音を出してもそれを俺は受けとめる。だって全部キースが作り上げた曲なんだから、どう弾いたっていいんだよ。あなたの自由なスタイル、音符や小節数に縛られず感覚だけで組み立てるそういうスタイルがストーンズサウンドを作り上げたのだから。そういう自由で緊張感あふれるライブが好きだ。ハラハラ、ドキドキこそストーンズのライブのだいご味なのだから。ジャンピン・ジャックの新しいイントロの弾き方、俺も練習しなくちゃ。
 アメリカのライブも楽しかった。アメリカらしいワイルドさがアリーナ全体をつつみ70年代に見たストーンズを思い出した。後ろの席には3世代のストーンズファンがいた。一番上の80代のじいさんは、ストーンズがアメリカに初上陸したときのライブを見たと言っていた。杖をつきながらも、ビールをグビグビ飲んでいて感激した。ゲストもアメリカらしくてよかった。レディ・ガガやブルース・スプリングスティーンはアメリカそのものだ。若手のブルースマンたちもみんな全力疾走でよかった。6年ぶりに見たストーンズは、やはりあのストーンズ、あのキースだった。これからもファンをドキドキ、ワクワクさせてください。ストーンズ50周年、本当におめでとう!


 ☆ 18 December 2011
    「キース・バースデイ・ライブ」
    Terra Nishiogi Tokyo

 「ハッピー・バースデイ・キース」     筌尾正
 
キースの自伝『Life』は最高だったね。すべてを投げうって1週間で読了。こんなに集中して読める奴は他にいないだろうと思っていたら、先日知り合った29歳のアメリカのストーンズファンが、やはり1週間で読み終わったという。彼のフェイヴァリット・アルバムは「エグザイル・オン・メイン・ストリート」。なんと彼が生まれるまえのアルバムなのだ。話し込むうちにお互いの年齢や国籍を超えて通じ合うものを感じた。これはずっと以前にジェットの藤竹と知り合ったときと同じ感覚だった。ホントのストーンズ・ファンて案外少ないもので、俺の知り合いでは今回のアメリカ人を入れても10人に満たないかもしれない。来年はこのキース・バースデイ・ライブも20回を迎える。ストーンズ50周年に比べたら屁みたいなものだけれど、続けてこれたのは参加してくれる皆さんのおかげです。感謝します。また来年もみんなでキースを祝いましょう!


 ☆ 23 July 2011
    「ストーンズファンクラブパーティ」 銀座タクト           by 筌尾正
 
ストーンズ・ファンクラブ主催イベントでの演奏は1年半ぶり、再び声をかけてくれた池田会長に感謝します。池田氏、寺田正典氏(レコード・コレクターズ編集長)、シュリンプ小林氏の対談、そしてミック・ジャガーのバースデイを祝うケーキ入刀に続き、1時間ほど演奏した。いつものワイノーズ中心の構成ではなく王道のストーンズ・ナンバーでスタート。途中には池田氏、寺田氏、堀江氏の乱入があり、スリリングなステージだった。寺田氏のミック・テイラー完全コピーのスライドは圧巻。また是非一緒に演奏しましょう。
当日ギターはオープンG5弦:50年ブロードキャスター、オープンE6弦:59年エスクワイヤー、ノーマルチューニング6弦:56年テレキャスターを使用しました。            



 ☆ 23 December 2010
    「キース・バースデイ・ライブ&忘年会」
    Terra Nishiogi Tokyo

 「ハッピー・バースデイ・キース」     筌尾正
 
直前まで共演バンドの調整がつかず、その分XRMはいつもよりちょっと長めの18曲の演奏となった。18回目なので18曲、わかるかな?来年は19曲?藤竹バンドはいろいろあって、山本クンとキーボードの宮川クンの3人での「Bye Bye Johnny」と「Midnight Rambler」ある意味凄かった。山本クンの「Out Of Time」は心に沁みたね。ベガーズのハマさんはじめ、集まってくれた皆さん本当にありがとう。来年はキースの自伝「Life」も出版されるし、ストーンズも結成50年に向けて動き始めて忙しくなりそうだね。またみんなで盛り上がりましょう。


 ☆ 18 December 2010
    「ロックをころがせ!Stones Nite!! Vol.3」
    吉祥寺 Rock Joint GB

 「ストーンズ・ナイト」     筌尾正
 
越谷氏がプロデュースするストーンズ・ナイトに参加させてもらった。ベガーズとは2度目の共演、GBのブッキングマネージャーの高師charles氏とはおそらく20年ぶりの再会だろうか。XRMはワイノーズのナンバーだけの苦しい構成で、いまさらながらストーンズでのキースヴォーカル曲のありがたさを思い知りました。ベガーズ最高!ハマ・リチャーズの歌う「Little T & A」「Happy」は本物だね。ゲストの皆さん、お客さん、みんなストーンズへの愛情に溢れていて、とても楽しいライブだった。


 ☆ 23 September 2010
    映画「レディース・アンド・ジェントルマン」
    武道館 Tokyo

 「幻の日本公演」     筌尾正
 
73年の武道館公演チケットを渋谷東急に徹夜で並んだのが昨日のことのようだ。それにしても全盛期のストーンズのカッコよさったらないね!やはりライブはライブ会場で大音響で聞かなくちゃいけないね。部屋でDVD見てもこの凄さの10分の1も伝わってこない。ビルワイマンのベースのうねりが肝だったといまさらながら納得しました。キースのギターカッティングも最高。そしてみんな若い!若いって素晴らしい。


 ☆ 17 April 2010
    「春だ!ライブだ!Love Keef Live !」
    Terra Nishiogi Tokyo

 「ジ・エンド・オブ・ライフ」     筌尾正
 
久々に普通(?)のライブってことで、少々緊張したな。ライブの2週間ほど前に共演のジェシーと渋谷で打ち合わせをして(会うのはストーンズの日本公演後の飲み会以来)、お互いオリジナル中心で行こうって話した後は、当然のごとくストーンズ話でもりあがり、途中からH.D.の鮫島氏も加わったから火に油を注いで裏話に盛り上がってしまった。別れるとき「Can't you hear me」「Sympathy」を一緒にやろうって言ったはいいけれど、バンドで合わせる時間がなかったので不安でいっぱい・・・。でも本番でのソロ弾きまくりは最高でした。ありがとう。


 ☆ 18 December 2009
    「キース・バースデイ・ライブ」
    Terra Nishiogi Tokyo

 「ハッピー・バースデイ・キース」     筌尾正
 
今年もキースの誕生日をみんなで祝えられて幸せだった。すべての参加者のみんなに感謝します。1番手をお願いした藤竹バンドは数日前にドラマーにアクシデントがあって、XRMの只野が急遽代役となっての演奏だった。たいへんだったね。でもドラマーがお客として無事顔をだしてくれたので安心しました。2番手のThe Cat's Eyeは大学のころ俺と山川健一が初めて組んだバンドの35年ぶりのリユニオン。身内で盛り上がった感も否めないけど、たった2回のリハでゲット・ヤー・ヤの全曲コピーをやる無謀さは、当時のままだね。そしてXRM今年最後の演奏はキースに届いただろうか。また来年もその次もキースにはがんばってもらわなくちゃね。

当日俺の使用したギターを紹介します 
 XRM: '59エスクワイアー・ノーマルチューニング、'50ブロードキャスター・オープンG5弦
 Cat's Eye: '58レスポールカスタムブラック3PU・オープンG5弦、'59ES-355TDチェリーレッド
         '70ダンアームストロングアンペッグ・ルーサイト

○会場で配ったウケオからの挑戦状の答え(あくまで俺独断の)を以下に載せます。
「Ukeo からの挑戦状 / 君のキース度チェック」 
1 キースの誕生日は何年何月何日?(1943年12月18日)
2 キースが初来日公演で弾いた白いギターは何?( Silhouette )
3 キースの奥さんの名前は?  (Patti Hansen)
4 デビュー当時キースの名をリチャードと改名したのは有名歌手の誰と同じにするためと言われてる?(Cliff Richard)
5 Get yer ya-ya’out が録音された会場はどこ?( MSG   )
6 キースのソロバンドの名前は?  (The X-Pensive Winos)
7 ワイノーズのファーストアルバムの名は?(Talk Is Cheap )
8 キースの二人の子の名前はLittle T&AにちなんでTはtheodora ではAは誰?( Alexandra  )
9 キースお気に入りの最初のツインアンプのシリアルナンバーは?( A00003 )
10 キースのギターテクニシャンの名前は?(Pierre de Beauport)

挑戦者の皆さん、ありがとう。今回の最高得点は9点でした。
キース度8以上の人にウケオがマイアミのライブで撮影した
生写真を贈ります。また来年もよろしく!!



 ☆ 12 December 2009
    「ヤクをぶっ飛ばせ/ストーンズファンクラブ忘年会」
    銀座タクト

 「ハロー・キース」     筌尾正
 
10月19日にストーンズファンクラブの池田氏から電話が入り、今回のイベントの話をうかがった。そのとき最近の身辺の話や体調など結構シビアな話(なんと来週入院するという)も出て、心配していたが、きっちり12日のイベントも成功させ、これでほんとにヤクもぶっ飛んだことと思う。
何年か前にもファンクラブのイベントに出させてもらったことがあって、そのとき以来の再会という人たちがたくさんいて楽しいひと時だった。ベガーズの演奏はほんとにストーンズそのものですごかったし、すべての出演者にストーンズへの愛が感じられたのがよかったな。来年はまたストーンズが動き出して、いろんなところでまたこの仲間たちに会えるのではないか、そう思うと今からワクワクしてくる今日このごろです。みなさんそのときに備えて体調万全で行きましょう。


 ☆ 18 December 2008
    「キース・バースデイ・ライブ」
    Terra Nishiogi Tokyo

 「ハッピー・バースデイ・キース」     筌尾正
 
今年もキースの誕生日ライブができてハッピーだった。これもキースが元気でいてくれるおかげ、と本当に感謝しています。2008年はストーンズのCDと映画の「シャイン・ア・ライト」で生きながらえた感じです。映画のエンディングロールのバックで流れる、キースがアコースティックで演奏する「Only found out yesterday」(パイレーツ・オブ・カリビアンのDVDのおまけ映像にチラット映っていたのもよかった)が胸に沁みるね。しばらくはこの曲だけで充分です。
 2009年も期待しています。


 ☆ 18 December 2007
    「キース・バースデイ・ライブ」
    Terra Nishiogi Tokyo

 「ハロー・キース」     筌尾正
 
今年もキースの誕生日ライブ、楽しかったね。これもキースが元気でいてくれるおかげ、と感謝しています。
 これまでストーンズやキースの曲をそれこそ飽きるほどやってきて、その向こうに見えてくるものがようやく俺にも分かりかけてきたって気がしている。ブラウン・シュガーを数十年に渡って毎日毎日ライブでやり続けているキースの気持ち、それこそが究極のR&Rスピリッツなのだと思うのです。パイレーツ・オブ・カリビアンのキースもいいけれど(コレクターズ・セットのキースの映像は最高だね)やっぱり、ステージに立つ姿を早く見せてほしい。2008年のツアーを期待しています。
 2007年のXRMはスタジオ・ワークに終始し、プロ・ツールスとの格闘だった。2008年はオリジナル曲をまとめ上げて早くライブ活動に戻りたいと思っています。

 「出演者コメント」


   藤竹俊也(藤竹バンド/ロックジェット)

 12月18日火曜日、第15回キース・リチャーズ・バースディ・ライヴが、昨年と同じく西荻窪のテラで行われた。出演は、藤竹バンド、フライング・ウォーラス、佐原賢司、山本慎也&石井旭ブルース・ユニット、X-レイテッド・ムービーズ。午後7時から10時まで、びっしり熱い演奏が繰り広げられた。
今年の藤竹バンドは、〈ジャンピン・ジャック・フラッシュ〉〈ブラウン・シュガー〉〈シンパシー・フォー・ザ・デヴィル〉を演奏した。僕は、最初の2曲で5弦テレキャスターを弾き、〈シンパシー・フォー・ザ・デヴィル〉では歌に挑んだ上に、3番の後のギターソロもシルエットで弾いた。自分のバンドで歌うのは初めての経験だった。僕を助けてくれたメンバーは、渡辺尊子さん(ドラム)、奥森友紀さん(ベース)、山本慎也氏(ギター)、宮川義久氏(ピアノ)。今年は宮川氏が参加してくれたことにより、演奏に奥行きが出た。〈シンパシー・フォー・ザ・デヴィル〉は彼がいなかったら全く違ったものになっていただろう。彼がいて本当によかった。
去年、味わいのある演奏を披露してくれた斎藤アキヒ氏。今年はバンドで参加してくれた。曲は、〈2000マン〉〈リスペクタブル〉〜〈オー・ノー、ノット・ユー・アゲイン〉(メドレー) 、〈リップ・ディス・ジョイント〉。フライング・ウォーラスは、ストレートなロックンロール・バンドだ。斎藤君が全精力を傾けて率いているだけあって、さわやかな雰囲気で会場をいっぱいにする力を持っている。元気いっぱいの演奏はとっても楽しかった。いいぞ。頑張れ、斎藤君。
去年はバンドで参加してくれた佐原賢司氏。今年はアコースティック・ギターを抱えてひとりで会場にやってきた。曲は〈プレイ・ウィズ・ファイア〉〈スウィート・ブラック・エンジェル〉。彼はベーシストなのだが、今回は初ギター、初ヴォーカルだったそうだ。本人は謙遜していたけど、なかなか堂に入ったパフォーマンスで感心した。〈スウィート・ブラック・エンジェル〉での演奏、歌、アクションは、ほんと、決まっていた。最後に立ってギターを弾く姿にはしびれました。これからも、ひとりでのパフォーマンス、続けてくださいね。
山本慎也&石井旭ブルース・ユニットは、〈パラシュート・ウーマン〉〈ダスト・マイ・ブルーム〉を演奏してくれた。石井旭氏は、去年参加してくれた星野一則氏の吉祥寺のお店、ベッシーカフェの常連客。シカゴ・ブルースが大好きで、エリック・クラプトンに心酔している。ベッシーカフェで山本君と出会い、同じブルース好きとして親交を深め、今回、初めて参加してくれた。〈パラシュート・ウーマン〉は山本君がヴォーカル&ギターで、石井君はギターに専念。もちろん、煙草の焦げ付きヘッド・ストラトキャスターを使用。自分で煙草の火を押し付けて焼いたと語っていた。〈ダスト・マイ・ブルーム〉では、石井君はヴォーカルも担当した。これがけっこう渋いもので、ああ、好きなんだねえ、と頷いてしまった。この曲では、奥森友紀さんがスライド・ギターで参加し、山本君はハープに専念。〈ダスト・マイ・ブルーム〉でスライド・ギターを弾くということは、みなさん、私を見て! と言っているに等しい。さてその主役ぶりは? いやあ、奥森さん、お見事でした。ギターを弾くことの喜びが全身から溢れ出ていた。これが一番大切なことだよね。
トリであるX-レイテッド・ムービーズの演奏は緊張感漲るものだった。1曲目の〈ハッピー〉から最後の〈ジャンピン・ジャック・フラッシュ〉まで、MCはあまり入れず、曲間も空けずに、彼らは突っ走った。何年か前、渋谷でグレン・マトロックのライヴを観たとき、曲間を空けないでパンチの効いたロックンロールをどんどん演奏していく姿勢にこころ動かされたことを思い出した。きりりと引き締まった演奏は、1年前の12月18日以上の出来だったと僕は思う。筌尾さんのテンションが物凄く高かったことも印象深い。〈ギミー・シェルター〉のイントロにはやられた。あまりによくて、頭がくらくらし出した。サイケデリックなんですよ、これが。素晴らしいのです。ローリング・ストーンズがロックの頂点だと思っている僕にとっては、筌尾さんは日本で一番のギタリストだ。世界規模で言ったら? もちろん、キース・リチャーズが一番ですよ。そんな、わざわざ聞かないでくださいね。この日、日本で一番のギタリストが日本で一番の演奏をしたのだった。
今年も〈サティスファクション〉で歌わせていただいた。思いっきり、思いっきり、歌いました。ありがとうございました。ただ、反省点がひとつ。歌の最後に「♪アイ・キャント・ゲット・ノー〜」と何度も繰り返すようにしているのだが、まだ鈴木正直氏がソロを弾いていたのにこれをやってしまったと、後で映像を観て知った。すみませんでした。もうですね、〈サティスファクション〉の最中、僕の頭はぶっ飛んでいるのです。演奏は、歌っていないときのみ、かすかに遠くの方から聞こえてくるだけ。霧の中で迷っている感じというか。そのため、時々、筌尾さんの方を見るのでしたが……。筌尾さんと眼が合い、そろそろ行け、という合図を送られたと勝手に思い込んでやってしまったのでした。
終演後は、今年もビンゴ大会を行った。素敵なパーティになった。おっと、そうそう、来年忘れないように、ここに記しておかなきゃ。X-レイテッド・ムービーズは9時開始で1時間、と思っていたのに、今年も去年と同じく9時15分開始となってしまった。なにしろ準備に25分かかったのである。僕の見込みが甘かった。10時演奏終了を厳守するなら、8時半過ぎには、前のバンドは終っていないとね。
今年も嬉しく、楽しく、どきどきはらはらの3時間だった。ああ、やめられない。
来年もよろしくね。

   斎藤アキヒ(フライング・ウォーラス)

毎回このイヴェントに参加させてもらって、何が楽しいって、どんな曲が飛び出すかということです。今年は、カントクのところの〈パラシュート・ウーマン〉、サハラくんの〈黒いエンジェル〉、そして藤竹さんの〈悪魔を憐れむ歌〉で、やられた! と思いました。
我々の演奏はいかがでしたか?(観に来て頂けなかったかたに、選曲だけ大絶賛されましたが)。いつもいつも気持ちばっかりの演奏ですが、ストーンズの楽曲とこのイヴェントを、そして筌尾さんとキース・リチャーズを愛する気持ちは皆さんに負けません。来年も出演の機会があれば、会場のストーンズ好きをニヤリとさせることを約束します。ありがとうございました。
筌尾さん、〈She Saw〉は名曲ですね。

佐原賢司

初めて一人でステージに立ちました。初めてギターを弾きました。初めて唄いました。これまでのバンドで活動では味わったことのないプレッシャーだったけど、演奏が終わった後の拍手は独り占め。むふふっ、ほんと演ってよかったです。一度は出演を辞退したのに何とか自分を丸め込んでくれた(笑)藤竹さん、後押ししてくれた友人達、本当にありがとうございました。そしてキース、改めて64回目の誕生日おめでとう。椰子の木に登る時は気をつけて下さい!(笑)。


石井旭(山本慎也&石井旭ブルース・ユニット)

キース・リチャーズさんのバースディ・ライヴに参加できたことを、うれしく思います。しかも、ストーンズをこよなく愛する皆さんの前で演奏出来るなんて! 光栄です(とても緊張しましたが)。それにしても、ストーンズの曲はコピーするのが難しいですね。とてもオリジナル通りにはできません。シンプルなのに奥深い……。ストーンズの魅力はそこにあるのだと思います。ロックを切り開いてきた本物の男達による音楽に触れることが出来たことを、僕は誇りに思います。


山本慎也(藤竹バンド/山本慎也&石井旭ブルース・ユニット)

年末は、このイヴェントがないと締まりません。毎年12月は、チャレンジ月間です。今年の藤竹バンドは……、というか藤竹俊也は、またしても自らで大きな壁(〈悪魔を憐れむ歌〉のギターソロ)を設定し、見事その壁を打破することが出来ました。万歳! バンドメンバー一同、年々上達する藤竹俊也のギターに驚き、ギター弾きの私は脅威を感じている次第です。そして、イヴェント参加者全員が、長編大河ドラマ「藤竹ギター物語」の目撃者なのです。
今年は藤竹バンドの他に、「山本&石井ブルース・ユニット」でも出演させて頂きました。今まで何気なく聴いていた〈パラシュート・ウーマン〉が、あんなに難しいなんて! もっと精進しようと思います。このユニットでは、もう1曲の〈ダスト・マイ・ブルーム〉で奥森友紀さんにもスライド・ギターを弾いてもらいました。技術論をぶっ飛ばす初期衝動、もう二度と聴けない快演だったと思います。
毎年バラエティに富んだ出演者で、もちろんX-レイテッド・ムービーズの演奏もたっぷり観られて、今から来年が楽しみです。



〈シンパシー・フォー・ザ・デヴィル〉の日々

by 藤竹俊也

〈シンパシー・フォー・ザ・デヴィル〉のギターを弾いてみたいという気持ちは、去年、〈ミッドナイト・ランブラー〉を練習していたときに芽生えたものだった。もうひとつの大曲にも挑戦したいと思ったのである。そして迷うことなく、《ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト》 バージョンを基本とし、自分はキース・リチャーズ・パートを弾こう、と思った。〈ミッドナイト・ランブラー〉では《ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト》を原型として練習していたため、自然とそういう発想になったのだった。
ところが、11月の後半になり、《ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト》の〈シンパシー・フォー・ザ・デヴィル〉をじっくり聴いていたら、現在僕がやりたいものとは少し違うかな、と思い始めてしまった。すでにメンバーには〈シンパシー・フォー・ザ・デヴィル〉をやることは伝わっていた。僕としてもやりたい気持ちに変化はない。しかし、いざやるとなると、僕が求めていたものは《ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト》バージョンではない気がしたのである。
そこで、《ベガーズ・バンケット》の1曲目を改めて聴いてみた。これである。現在僕がやりたいのは、オリジナル・バージョンだったのである。しかし、キース・リチャーズのギターは、3番の後の、あのロック史に残るソロと、最後の方のソロだけ。さて、どうするか。何をやるか。僕は一週間ほど悩んだだろうか。何度も《ベガーズ・バンケット》の1曲目を聴いた。すると、だんだん、やりたいことは明確になっていった。
歌おうと思った。ミック・ジャガーのように歌いたいと思った。そして、もうひとつ。キース・リチャーズのようにソロを弾きたいと思った。つまり、チョーキングを習得しよう決心した。このふたつが、今年の僕の「新たな挑戦」となった。
〈シンパシー・フォー・ザ・デヴィル〉は、ミック・ジャガーが魅惑的な歌詞を説得力もって歌うことで、魔的な城を徐々に構築していくところに最大の魅力がある。その歌詞は、マリアンヌ・フェイスフルがミック・ジャガーに薦めたソ連の小説『巨匠とマルガリータ』に影響されたものだ。ミハイル・ブルガーコフ(1891〜1944)が晩年に心血注いで書いた傑作で、現在、翻訳は二種類手に入る(法木綾子訳は群像社刊。中田恭訳は郁朋社刊)。来年には水野忠夫訳が全面改訳されて河出書房新社から出版される。ぜひ読んでください。
〈シンパシー・フォー・ザ・デヴィル〉の演奏面での主役は、キース・リチャーズが弾いたベース・ギターである。ローリング・ストーンズのライヴ演奏でも、キース・リチャーズによる躍動感に満ちたベースを聴きたいと願うのは僕だけではないだろう(まあ、それは絶対にありえないのだから、夢なのだけれども)。時空を切り裂くようなあのギターソロ部分は、3番までで完成した魔的な城を世界中に知らしめるためにキース・リチャーズが起こした雷鳴である。
今回、気になったのは歌詞の省略について。《ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト》バージョンでは、4番が歌われていない。後の《ラヴ・ユー・ライヴ》では、3番が抜かれている。《フラッシュ・ポイント》もそうだ。最近のライヴも同様である。実は、歌っていて最も気持ちが高まるのは3番なのである。そこを歌わないのはどうしてなのだろう。《ベガーズ・バンケット》の1曲目では、ミック・ジャガーは2番に入るとノリを高め、「♪アイ・ロード・ア・タンク」からさらにぐっと気持ちを持ち上げ出し、3番からは悪魔の饒舌を表現するようになるのだ。単語の巧みな選択もあり、僕のような者でも、ここでは歌う快楽を得ることが出来るのである。
4番では、自己紹介させてくれと二度も歌い、私の名前を当てろと三度も歌った後での、名乗りが行われる。ルシファーと呼んでほしいと。「水戸黄門」で言えば印籠が差し出されるところだ。この「♪ジャスト・コール・ミー、ルシファー」の後は、尊大な雰囲気を湛えた悪魔のにやけた表情が浮かぶように表現されており、3番までとは違った感じになっている。とっても素敵な部分なのに、歌わないことがあったなんて、もったいない話だ。
ミック・ジャガーは、歌詞の全部を歌うのは長すぎると、69年のアメリカ・ツアーから思っていたのだろうか。最初は4番を削り、後に3番を削るようになる……。僕は、〈シンパシー・フォー・ザ・デヴィル〉に関しては絶対に省いて歌ってはいけないと思う。いやいや、言い方を変えよう。〈シンパシー・フォー・ザ・デヴィル〉で省略して歌って許されるのは、ミック・ジャガーだけなのである。
山本君と打ち合わせし、ソロ部分のギターを教わったのは、12月4日火曜日のこと。本番2週間前だった。練習は2日間。9日日曜日に吉祥寺で、14日金曜日に新宿で行われた。最初の練習のときには、すでに左手薬指はぼろぼろだった。爪の下には血が黒く丸く浮かび出たしね。ミュージックマン・シルエットの弦高を下げ、1弦から3弦までは細い弦にしたのに、そんなの関係なし。そういう状態になってから本番の日まで、ちょっと弾くたびに、つまり弦を押し上げるたびに、皮は剥け続けた。そうか、みんな、こういう経験をしてきたのねえ、としみじみすることの多い2週間だった。もちろん、それは悲壮感に襲われていたということではない。本番が近づくにつれ、たとえソロで間違えてもそれは大きなことではない、歌をしっかり歌うことの方がはるかに重要なのだ、と僕は思うようになっていたのである。
16日日曜日、山本慎也ブルーズ・バンドのライヴが青山であった。ライヴ終了後、メンバーなど数人と歓談しているあいだ、ずっと店のテレビではロックの映像が映し続けられていた。ちょうど、底辺で僕を支えてくれる名ドラマー渡辺尊子さんと話し込んでいたとき、ローリング・ストーンズの映像がいくつか映し出された。何曲後だったろうか、『ロックン・ロール・サーカス』の〈シンパシー・フォー・ザ・デヴィル〉が出てきたのは。思わず画面を注視してしまった。僕は『ロックン・ロール・サーカス』バージョンがあったのをすっかり忘れていたのである。とても貴重な映像だった。なぜなら、ミック・ジャガーは歌詞を全部歌っていたのだから。
本番2日前に『ロックン・ロール・サーカス』バージョンを観たことは大きな出来事だった。歌い方の参考にするには、とてもいいタイミングだったのだ。そして山本君と、我々の〈シンパシー・フォー・ザ・デヴィル〉の変更について話し合った。二度目の練習まで、4番の後は《ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト》でのミック・テイラーのように僕もコードを弾くことにしていたのだが、それを一切やめて、「♪フーフー」とか「♪テル・ミー・ベイベー」とか、ミック・ジャガーのように歌うことにしたのである。もしもあのとき『ロックン・ロール・サーカス』バージョンを観なければ、演奏も歌も違ったものとなっていたのだった。
12月18日は、晴れたいい日だった。本番では、裸になったつもりで、全力で歌った。気持ちよかった。ソロ演奏は……、歌い上げてから、すぐにソロを弾き出すのは容易ではなく、あっという間にソロ部分は終わってしまって……。でも、これもとても気持ちよかった。僕としては大満足の〈シンパシー・フォー・ザ・デヴィル〉だった。
今回の最大の収穫は、バンドの演奏を立体的に捉えられるようになったこと。最大の喜びは、バンドのノリが歌っている僕をあらゆる局面で勇気づけてくれるという事実を、身に沁みて感じることが出来たこと。背後からの徹底的援護に感謝! みなさん、どうもありがとう。来年もよろしくね。


 ☆ 18 December 2006
    「キース・バースデイ・ライブ」
    Terra Nishiogi Tokyo

 「ハロー・キース」     筌尾正
 
今年も楽しいバースディ・パーティだったね。出演者のみんな、そしてワイワイ騒いでくれた皆さんに感謝します。みんなの演奏は、時にハラハラ、ドキドキ、そして最高にカッコよかったですよ。
 今年のストーンズには夏のパリ公演延期、そして楽しみにしていたホノルル公演中止と、散々な目にあったけどまた早く観たい!去年のアメリカ公演、そしてパリ公演で知り合いになった世界中のたくさんのストーンズファンとも、早く再会したい!なかにはストーンズの初のアメリカ上陸公演を観たというシカゴの女性もいたんだよ。
 12月18日のキース・バースディ・パーティは、俺にとっては数少ない日本のストーンズファンに会える楽しい場。ずっとずっと続けていきたい。今年参加できなかった人も来年は待ってるよ。

 「出演者コメント」


   藤竹俊也(ロックジェット)

 12月18日月曜日、第14回目となるキース・リチャーズ・バースデイ・ライヴが西荻のテラで行なわれた。出演バンドは、ザ・ ロックジェット(別名、藤竹バンド)、斎藤アキヒ、つまはじき、星野一則(ザ・ベッシーカフェ?)、X‐レイテッド・ムー ビーズ。午後7時から10時まで、休憩時間なしに続けられた。
 僕のバンドは、〈ミッドナイト・ランブラー〉と〈ブラウン・シュガー〉を演奏した。渡辺尊子さん(ドラム)、奥森友紀さ ん(ベース)、山本慎也氏(ギター)と僕のギターで組んだ。〈ブラウン・シュガー〉では佐藤仲由氏に歌ってもらった。全員 、「ロックジェット」の執筆者である。〈ミッドナイト・ランブラー〉は、本番1カ月前から僕のテーマ曲だった。これについ ては別稿を書いたので、読んで下さい。〈ブラウン・シュガー〉で仲由君は、「天国から降りてきたグラム・パーソンズ」の扮 装(!)で歌ってくれた。客席で見たかったなあ。
 斎藤アキヒ氏は、〈魔王讃歌〉〈ムーン・イズ・アップ〉〈エイント・トゥ・プラウド・トゥ・ベッグ〉〈レット・イット・ブリード〉をメドレーで、続いてX-ペンシヴ・ワイノーズのセカンド・アルバム《メイン・オフェンダー》から〈お前がいなけ りゃ〉を、最後に筌尾さんの曲〈イエスタデイズ・ブルー〉をひとりでアコギを弾きながら歌ってくれた。いつもは元気がよく て明るい斎藤君だが、今回はしっとりとした歌い方で観客をびっくりさせた。実のところバーティの帰り道で僕が口ずさんでいたのは、〈お前がいなけりゃ〉だった。斎藤君が気持ちを込めて歌ったからだろうか。〈イエスタデイズ・ブルー〉はお見事。
 つまはじきは、デビュー・ライヴだったそうだ。そんな記念すべき演奏を目撃することが出来た僕たちは、ラッキーだったと言えよう。ベースの佐原賢司氏とは、以前、朝までいっしょに飲んだことがある。気持ちよく酒が飲める好青年だ。夏にブギー・ボーイ・イクトの新宿でのライヴで偶然会い、ローリング・ストーンズのコピー・バンドを結成したと聞いた。そこで、今回、お誘いした次第である。初期ローリング・ストーンズがカバーした〈ウォーキング・ザ・ドッグ〉や〈ルート66〉などの名曲や〈アイム・フリー〉、さらに村八分の曲まで演奏してくれた。若いエネルギーに溢れたバンドで、その荒々しさは神々しくもあった。翌日、筌尾さんが、「新鮮だったねえ」と語っておりました。これからもよろしく。
 星野一則氏は吉祥寺にあるベッシーカフェの店長さんである。星野さんの淹れてくれるコーヒーの味は格別ですよ。ベッシーカフェは食べ物もおいしく、ふらりと行くと、ついつい長居してしまう。そんな素敵なお店の店長さんは、大のローリング・ストーンズ・ファンであった。この日は、山本君と奥森さんを従えて登場。〈ユー・ガット・ザ・シルヴァー〉〈シャイン・ア・ライト〉を披露してくれた。味のある歌とか、シブい演奏とか、よく言うけど、それは〈ユー・ガット・ザ・シルヴァー〉での星野さんのためにある言葉だと思った。あれは若造にはできません。〈シャイン・ア・ライト〉では奥森さんが歌った。絶品でした。ローリング・ストーンズの曲の中で〈シャイン・ア・ライト〉が一番好きだという阿部雅彦君は、震えるほど感動していた。〈シャイン・ア・ライト〉1曲を聴くだけでも、パーティに参加する価値はあった、と言ってもいいほどの出来でありました。
 トリのX-レイテッド・ムービーズは1時間ほど演奏した。物凄く気合いが入っていて、前回の復活ライヴよりも数段よかった。ほんとにノリました。〈悪魔を憐れむ歌〉にはシビれた。X-レイテッド・ムービーズにしか表現できないロックがある。それを改めて認識させられた。
 X-レイテッド・ムービーズは〈モンキー・マン〉も演奏した。今にして思えば、この日、《レット・イット・ブリード》から4曲も演奏されたことになる。コピーされる収録曲が多いということも名盤の証か。
 最後、おそらく3年ぶりに〈サティスファクション〉を歌った(2年前の第13回の時は風邪をひいていたからね)。お騒がせしました。永井正央氏からお褒めの言葉を頂きました。「藤竹さん、今までの中で今日のが一番よかったよ」と。これは僕にとって勲章なので、ここに記させていただきます。
X-レイテッド・ムービーズ終演後、ビンゴ大会が行なわれた。14回目にして初めての試みである。景品は15種類。筌尾さんがローリング・ストーンズ関連の品々(お宝写真、お宝パスも含む)を提供。僕もいくつか持っていった。
 前日の晩、布団に入ってから、眠れなかったので、ライヴ全体の流れを考えてみた。各バンドの紹介のために出演者の顔を思い浮かべながら台詞を考えたり、何か楽しんでもらえそうな話などを探してみたりした。別にメモを取ったわけではないので、当日、言い忘れたり話す機会を逸したりしたものも多かった。その中に、こんなのがあった。観客として来ているエンジニアの池田雄貴氏も12月18日が誕生日なんですよ……。必ずウケる話だぞと、僕は布団で口を押さえながら、にたにた笑ったものだ。当日、西荻に向かう電車の中でも、いつ使おうかなと思案しては、にたり。そして、X-レイテッド・ムービーズ登場の前か後かどちらかで言おうというところまで絞り込んだ。ところがですよ、ところがなんとこのネタを、〈シャイン・ア・ライト〉の直前、奥森さんに先に言われてしまったのである。くやしかった。もっと早く言っとくんだった。
 みなさま、来年もよろしくお願いいたします。

   星野一則(Bessie Cafe店主) http://www007.upp.so-net.ne.jp/malcommode_sale/bessiecafe/index.html

 各出演者、それぞれキースやストーンズに対する愛をひしひしと感じられるライヴだったと思います。
とても楽しいキース・リチャーズ・バースディ・ライヴを過ごせることができて、皆様ありがとうございました!

   山本慎也(Y.S.B.B.) http://www.geocities.co.jp/Broadway/2026/top.html

毎年、10月くらいからそわそわします。秋が深まると、藤竹バンドは演奏曲目とメンバーを選びます。
11月になって、冬が訪れると、藤竹バンドはスタジオに入ります。
そして、目の前に立ちはだかる難関な曲に挑戦するドラマが、1ヶ月にわたり、続くのです。
今年の〈Midnight Rambler〉終演後の達成感といったら、筆舌に尽くしがたかったです!
演奏をして、酒を飲みながらX-Rayted Moviesを観て、年越しをするのが、僕は好きです。
このライヴがないと、一年が締まりません。

   佐原賢司(つまはじき)

気がつけばリハのときよりボリュームを2メモリ上げて演奏していました。本当は上品にストーンズやりたかったんですけど……、性格と演奏技術上、やっぱり無理でした。でも自分の音でキースの誕生日を祝えたと思っています。こんな素晴らしい機会を下さった藤竹さんと筌尾さんに改めて感謝です。本当にありがとうございました。

   斎藤アキヒ

今年も出演させて頂いて、ありがとうございました。
ストーンズって、本当に不思議です。ストーンズが好きだというだけで、いろいろ素敵なひとと知り合えます。ストーンズのおかげで知り合ったひとたちは、今では私の財産です。
なかでも筌尾さん、藤竹さんと知り合うことが出来、いろいろなお客さんを前にキース・リチャーズの誕生日を祝えるという機会を得たことは、幸せ以外の何物でもありません。
次回も、意外な選曲で皆様を「おお」と言わせたいと思います(もうサンタクロースの格好はしませんが)。

 〈ミッドナイト・ランブラー〉の日々    by 藤竹俊也

 本番までのほぼ1カ月、僕の頭の中では〈ミッドナイト・ランブラー〉が鳴り続けた。〈ブラウン・シュガー〉は以前に何回か演奏しているので不安はなかったが、〈ミッドナイト・ランブラー〉は初挑戦なのである。ついに、あの大曲に挑むのだ。70年代、ローリング・ストーンズはこの曲をよくライヴでやっていた。10代の頃、ブートレグでその迫力あるライヴ演奏を何回も堪能したものだ。今年春のローリング・ストーンズ5度目の来日公演でも、〈ミッドナイト・ランブラー〉は披露された。5公演中、東京、札幌、埼玉での3公演で演奏された。驚くべきことに、その演奏は、70年代のものよりもよかったのだった(12月になって気づいたことだが、前回のリックス・ツアーを記録したDVD『フォー・フリックス』のものより、さいたまスーパーアリーナ公演のものの方がいい!)。そんな彼らの名曲を弾くのである。しかもキース・リチャーズのパートを。11月20日過ぎ、山本君と電話で今後の打ち合わせをする。2年前の第13回目バースデイ・ライヴの時よりも、準備開始が遅れてしまった。よろしくお願いしますと電話しながら山本君に頭を下げる。まず僕は、所有するローリング・ストーンズのCDとDVD(ブートレグも含む)から〈ミッドナイト・ランブラー〉収録のものを全て抜き出し、一通りチェックすることから始めた。構成や課題点を確認する。僕はギターが弾けないので、いっぱい人から教わらなければならない。そのため、何をどう聞けばいいのかを把握するところから始めなければいけないのである。11月26日日曜日、山本君に遊びにきてもらって、初歩的なこと、というか、あの有名なリフはどこをどう押さえるのかなど、基礎中の基礎を教わる。終わってからは、奥森さんも合流して、高田馬場で大いに飲む。これで大丈夫、わははははっと盛り上がったのだった。ところが、そう簡単に物事は進まない。翌日からけっこう忙しくてギターを持てなかったのだが、30日木曜日になってやっとギターを持ってみたら、なんと教わったことのほとんどを忘れてしまっていた。最初の練習は3日日曜日と決まっている。焦りながらも練習。金曜日、遊びにきた斎藤君にも少し教わる(終わってから、ライヴの打ち合わせを兼ね、ふたりで飲む)。土曜日、筌尾さんの家に遊びにいって、もう一度、一からいろいろと教わる。当然、まったく弾けないので、「30点!」との評価を頂く(終わってから、大いに飲む。翌日は初スタジオ入りなので、終電で帰ろうと思っていたが、結局、飲み続けて泊まる)。翌朝、いつもなら昼過ぎまで寝ているのに、緊張のためか8時頃に目が覚め、急いで新宿に戻る。昼から編集室で筌尾さんに教わったことを確認しながら練習。夕方5時から7時までスタジオ入り。久しぶりの爆音のため、どきどきしながら3人の演奏についていく。何しろ自分が出した音に驚いちゃうんだから。言うまでもなく、僕以外はみなさん上手い。そして、優しい。僕は10歳以上年下の3人に安心して身をまかせ、いろいろと教わる。そして、〈ミッドナイト・ランブラー〉を演奏する喜びを噛みしめる(終わってから、とても気持ちよく、終電近くまで大いに飲む)。この日、左足と左手親指が痛くなった。僕は全身に力を入れて硬くし、これでもかと破壊的に弾いていた。そんなロボット状態となったコチコチの身体を軸足である左足だけで支えていたのだった。さらに、うまく押さえられない左手の4本の指に手を焼いた僕は、ネックの裏から親指に力を入れることで何とか補おうとしていたのである。我ながら面白いことをするなあとびっくり。左手親指は熱を持ち、7日木曜日になっても腫れたままだった。情けない。10日日曜日に二度目のスタジオ練習。やはり5時から7時まで。〈ミッドナイト・ランブラー〉中盤、演奏が遅くなって一旦止まるところがあるが、そこでうまく止められない。それ以降のヴォーカルが入るまでも、ガタガタである。あと一週間で何とかとしないと、と決意を新たにする(終わってから、奥森さん希望でタイ料理屋へ。大いに飲む)。さて、16日土曜日の晩のこと……。ひとり編集室で〈ミッドナイト・ランブラー〉を弾いていたら、ふと、楽しいな、と思った。レスポール・ジュニアを弾いている自分を、ちょっと許せた。これは今回、初めてのことだ。僕にとって、画期的な瞬間であった。本番2日前の夜のしあわせである。17日日曜日、最後のスタジオ練習をする。4時15分から6時15分まで。何とか最後まで持っていけるも、イントロがうまく決まらない。続けて何回も弾いているといいのだが、ちょっと休むと、もうできなくなる。イントロが最大の不安点となる(あれは精神的なものだったのだろうか)。ただ、上達しているという実感は持てていた。その上達の感覚と前日のしあわせとメンバーの優しさが、本番前日の僕にはあった。これ以上の味方はないよね。終わってから、ある忘年会に出席する奥森さんと別れて、渡辺さん、山本君と居酒屋へ。山本君は一杯だけで別の飲み会へ。入れ替わりにエンジニアの池田君が合流。2時間ほど飲んだ。本番当日、1時間だけひとりでスタジオに入る。5時過ぎにテラへ。リハのためにステージに立ったら、緊張がすっととけていった。7時、本番のためステージに立ったら、とっても落ち着いている自分がいた。演奏前に感謝の気持ちを込めてメンバーを紹介した。〈ミッドナイト・ランブラー〉のイントロを弾く直前、自由を感じた。本番の演奏は……。大成功でした。うまくいったため、演奏し終わってすぐ、「クー」と喉の奥からうなり声をあげてしまったほどです。みなさん、どうもありがとう。来年もよろしくね。

                           


 ☆ 10 September 2006
    Terra Nishiogi Tokyo

「やっぱりXレイテッド・ムービーズのライヴはいい」

                           by 藤竹俊也

 九月十日日曜日、Xレイテッド・ムービーズのライヴが西荻窪のテラで行なわれた。去年の四月以来という
ことだから、一年半ぶりの登場となる。
 新曲がよかった。新曲がいいということは、バンドが動いていることの何よりの証だ。
 ライヴ休止中、筌尾さんの車に乗っていたとき、スタジオ練習を録音したテープを聴かせてもらったことが
ある。そのあまりの素晴らしさに驚き、「これ、いいじゃないですか!」と思わず口にしてしまったことを、
新曲の披露のあいだに思い出した。
 そんな会話の数カ月前に、またXレイテッド・ムービーズのライヴが観たいと思いつつ、「今までと同じよ
うに、毎週、練習やってるんですか」とさりげなく筌尾さんに聞いてみたこともあったっけ。すると筌尾さん
は、「うん。やってるよ。それが、楽しいんだよ」と笑顔でかえしてきたものだ。練習が楽しいのなら何より
だ。「いいですねえ」と僕も笑顔でひと言。
 そうそう、今年の春のローリング・ストーンズ五度目の来日時、最終公演地の名古屋に向かう新幹線の中で
、筌尾さんは缶ビールを飲みながらこんなことを言っていた。やはり笑顔で。
「さっそく練習で〈エイント・トゥー・プラウド・トゥ・ベッグ〉をやってみたんだけど、面白かったよ」
 三月二十四日の東京ドーム公演で〈エイント・トゥー・プラウド・トゥ・ベッグ〉が演奏されたあと、我々
はこの曲の日本初登場を喜び、この祝い事を肴に大量の酒を飲んだのだが、筌尾さんは自分も演奏したくなっ
て練習スタジオでやってしまった、というわけである。
 話は《イッツ・オンリー・ロックン・ロール》の評価やローリング・ストーンズとソウルとの関係などに流
れていったのだが、すぐにバンドで試してみた、というのがとても筌尾さんらしく、いっしょに缶ビールを飲
んでいた僕は、何だかおかしくなって、饒舌になったものだ。
 ライヴはなくとも、バンドはずっと転がり続けていたのである。
 十日のテラでは、珍しく筌尾さんがギターの弦を切り(五弦ギター。勿論、52年製テレキャスターです)、
ライヴを中断してサブ・ギターを取りに行くという一幕も(持ってきたのキース・サイン・ギター)。
 これからのライヴでは、いろいろなギターを弾いてほしい。ES355も、58年製スリー・ピックアップ・レス
ポール・カスタムも、フォデラ・ウケオ・ギターも、ブロードキャスターも弾いてほしい。
 メンバー四人の息はぴったり。永井さん、シンちゃんのリズム隊と鈴木さんのギターは鉄壁の守備で、筌尾
さんがどこに飛んでいってもしかと受け止める。
 シンちゃんのドラムはラウドだった。それはロックがどうあるべきかを物語っていた。