2、1999~2000年

 はじめの2年間はチャワタの初代隊員渋谷さんがとてもがんばっていた。私がいたころ雑然として、 這って歩く人達もいるのに危険だなあと思って見ていたが、渋谷さんの活動のビデオを見ると、見違えるほど整理整頓されたチャワタであった。今回のスタディーツアーで行って見ると残念ながらまた雑然としていた。障害のある子供の発掘からはじめて各家々を回りリハビリ指導、チャワタでの指導を、計画的に行なっていた。無料でリハビリを行なったため、必要な道具をそろえるために、トゥエンデからの贈り物をバザーで活動資金に換えていた。リハビリのほかに、資金作りもしなければならない状況で、苦労は多かったと思われる。物やお金の管理が得意とは言えないタンザニアの人たちに、まだ任せられず、自らバザーをせずにはいられなかったのだろう。渋谷さんと活動するうちに、物やお金の管理を学んで、チャワタの人たちが育つことを願って、私は見守っていた。日本人とタンザニア人では時間の感覚が違うように、物に対する感覚も違うのだと思う。例えば食事が残ったとする。私なら次の食事に食べようと保存しておく。でも近所の人たちは、暑いのですぐ腐るということもあるのだろう、食事後すぐに家の前の畑に残った食事をぽんと投げていた。放し飼いの家畜たちが食べるのできれいに無くなる。物を循環させることがうまいのかもしれない。

 貧しい家の人たちも食事でもてなしてくれる。大皿からとって食べるので何人でも分けやすいようになっている。そんなにもてなしてくれなくても私は食べるのに困っていないので、明日の自分たちの食事にまわせば良いのにと思ったりもした。宗教観のせいか、貧しい中お金を出し合って助け合うこともある。親戚達からお金を集めて学費にしていた生徒もいた。泥棒は多い。かといって泥棒が許されるわけではなく、つかまればリンチで死んでしまう人もいる。郵便物も部分的に無くなることは良くある。日本であれば郵便物が無事に届くのが当たり前で、なくなれば大問題だ。ところがタンザニアにいると、無くなったときはあきらめて、無事についたときは良かったなあと思える。人間の移動についても、日本の場合1分の狂いも無く、無事かつ快適に着いて当然かもしれないが、タンザニ>アの場合脱線して遅れたとしても、怪我も無く良かったなあということになる。

起立台と歩行器。バザーでの売り上げがこれらを作る資金になっている。
先天性内反足の子供のリハビリなども行なっていました。

 私もタンザニアのすべてを理解しているわけではないが、多少のロスは仕方がないと思っている。極端なことを言えば、泥棒は良くないが、たとえ盗まれたとしても盗んだ人も貧しいのだし、私達が贈っているものは日本で生かしきれないものであり、それを生かしてくれる人の手に渡れば、私はありがたいと思っている。
 またチャワタの話に戻す。日本からの贈り物をバザーしてチャワタの活動資金にするのは効率が悪い。お互いにバザーをして送料や活動資金を作るのだから手間もかかる。便利なのは現金だと分かっているが、現金を管理する人材が育つのを待ちたい。私の中ではチャワタを応援するだけでなく、日本で生かしきれないものを生かしてもらえるのであれば、送料をかけても贈りたいという思いがある。それと同時に生かしきれないものを作り、売り、買う、自分たちの生活を見直したいという思>いもある。ということで年に1~2度衣類を贈っている。衣類だけでなく、現地で必要とするものがあれば贈りたいとも思っている。
 渋谷さんとも相談して足踏みミシンを贈ろうとしたが、壊れないように梱包してアフリカまで送るのはなかなか難しいのであきらめることにした。渋谷さんの案で「チャワタで何かを作って日本に送り、日本でバザーして活動資金を作る」というのが出された。すぐにはチャワタで何か作れないので、とりあえずタンザニアの物を日本に送ってバザーすることにした。


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